六話
続きです。
一方その頃――エルミナ属州西方。
肥沃な穀倉地帯で知られるこの地も冬の気配が近づく現在は寒々しい雰囲気が漂っていた。
木々は枯葉を大地に落とし、草花は力なく横たわっている。
そこから更に南――首都パラディースからは南西に位置する場所には熱帯雨林が広がっている。
年間を通じて温暖で雨量の多いこの地は冬の厳しさとは無縁の別世界とも言えた。
だが、その一方で人が住まうにはあまり適しておらず、長年に渡って人の手が加えられていなかった。
それ故にこの地は魔物の住処となっており、地図上で真逆に位置するベーゼ大森林地帯に次ぐ危険地帯となっている。
けれども現在は――、
『ガァアアアアッ!?』
「五月蠅い獣だな」
生い茂る木々の合間――獅子の胴を持ち人面を有する奇怪な生き物が絶叫と共に地に伏す。
A位階の魔物であるマンティコア――冒険者であればBランクが十人以上でも勝敗が分からないとまで言われるほどの怪物であり、この密林においては上位に位置する存在だ。
しかし、そんな強者は最近になってこの地に現れた人族の手によって葬られた。
その人族――金髪碧眼が美しい女性は手にする黒剣を軽く振って血を掃うと腰の鞘に収めた。
病的なまでの細身を外套で覆っているが、そんな見た目とは裏腹に放つ覇気は激烈の一言である。
凄まじい殺気と相まって周辺に居た他の魔物達は本能から危険を悟ってその場から離れていく。
そんな彼女に近づく者がいた。勇敢さと無謀さをはき違えた者か、否――、
「セリア殿下、こちらにいらっしゃいましたか」
「……アンネ将軍か」
呼びかけられた女性――エルミナ王家の次女であり、王位継承権第二位を持つ高貴なる存在、セリア・ネポス・ド・エルミナは振り返る。
その先には声をかけた女性――アンネ・ド・ブルボン将軍が立っていた。
「魔法使いたちの手によって本格的な結界魔法が構築されました。これで容易には敵に見つからなくなるかと」
「そうか、彼らには良くやったと伝えてくれ。二週間の休暇を与えるとも通達して欲しい」
「……宜しいのですか?」
現在、セリア率いるエルミナ叛乱軍――エルミナ王国関係者は正規軍と呼んでいるが――はエルミナ各地に分散して潜伏していた。
主力である霊亀、金鵄、光風、水簾の四騎士団は軍総司令官となったセリア第二王女と共にこの地に居を構えることにした。
それが二か月ほど前のことであり、未開拓領域であったこの密林地帯に人が住めるように毎日奮闘している最中であった。
故に魔法を使い魔物を屠り、地形を変えることのできる魔法使いは重宝されている。そんな存在を二週間も休ませるのは拙いのではないか、というのがアンネの主張したい所なのだろう。
しかし、セリアはだからこそ、と首を振る。
「彼らは今日までほとんど休むことなく働いてくれた。その労に報いてやるべきだ。それに結界魔法が簡易的なものから本格的なものに切り替わった今ならば問題はない」
結界魔法には属性に応じて様々な種類が存在しているが、共通しているのは発動難易度が高いという点である。
だが、きちんと発動させられればこれほど心強い魔法もないとセリアは思っている。
「音も気配も、匂いさえも遮断する結界魔法か。流石は宮廷魔法使いたちだな」
エルミナ王国における魔法使いたちの頂点――それが王城勤めの精鋭である宮廷魔法使いである。
彼らは魔法省に所属しており、先の内乱においては中立を保っていた。
だが、今回は事前に国王アドルフから王都前に参集するよう命令を受けていた為、そのままセリアに付き従ってきたのだ。
「彼らを無事に連れてこれたのは非常に大きい。戦力としてかなりのものだからな」
だからこそ大切に扱わなければならない。彼らに真価を発揮してもらうのはこの先の、来るべき戦いの時なのだから。
セリアは相棒たる黒き〝獣〟がマンティコアの死骸を喰らっている音を聞きながらアンネに問うた。
「それよりも――今日の軍議に際し召集を掛けたわけだが、皆は揃っているか」
「はい、既に全員集まっております。後は殿下が到着するのを待っている状態です」
「そうか、ならば今すぐ向かうとしよう」
そう言ったセリアはアンネを連れて木々の合間を縫うようにして密林を抜けていく。
その場に残された黒き〝獣〟は、主が離れる気配を感じ取って急いでマンティコアの死骸を喰らい尽くすと魔力の粒子になってその場から姿を消すのだった。
それから何分か歩いた二人は密林の只中で足を止めた。眼前には何の変哲もない木々が広がる光景があるが……。
「ほう、確かに素晴らしい結界だな。昨日までの簡易的なものとは違って揺らぎが全くない。これならば力ある魔物はともかく只の〝人族〟には感づかれないだろう」
満足げに微笑んだセリアが一歩、前に進み出れば僅かな抵抗感と共に何かを突き抜ける感触が全身に伝わってきた。同時に目の前に広がる光景は先ほどまでの生い茂る木々ではなく、拓けた円形の空間に立ち並ぶ無数の天幕の姿であった。
それ以外にも多種多様な露店が立ち並んでおり、行商人の姿もある。地面も少しずつ整備が始まっており、土の上に石畳を敷いている部分もあった。
そんな空間には多くの将兵、騎士の姿があり、彼らは思い思いの時を過ごしている。
「少しずつ様になってきたな」
「そうですね……この地にやってきてからまだ二か月ですが、ここまで発展するとは思ってもみませんでした。誰が言い始めたのか、今やここはネブラの街とまで呼ばれていますよ」
ネブラというのは元々この地の名前だったが、この場所が発展してきてからは街の名前として人々から呼ばれるようになっていた。
それを聞いたセリアは上機嫌に笑う。
「良いではないか。我らが新たにエルミナ王国に街を造る。反撃の第一歩としては上出来だと思うがな」
「ええ、そうですね」
アンネも同意見だと首肯する。この地に流れてきたばかりの時にはなかった明るい活気が人々の態度に現れていることも含めて良い変化だと捉えていた。
二人の存在に気づいた将兵らが向けてくる敬礼に返礼しながら街の中央に向かえば、他の天幕の何倍もの広さを持つ大天幕にたどり着く。
見張りの兵に視線を送れば、彼らは垂幕を上げてこちらを迎え入れてくれた。
『セリア殿下、アンネ将軍のお二人がいらっしゃいました!』
陣内において過度な美辞麗句は必要ない。そうセリアが言い含めてあったおかげで簡素な言葉となっていた。初期の頃、何処を訪れても御入来、と仰々しく言われていた時と比べれば確かにどちらにとっても楽ではある、と傍で聞いていたアンネは思っていた。
セリアに続いて大天幕内に足を踏み入れれば、長机を囲うようにして椅子に座っていた面々が立ち上がった後、膝をつく。
彼女は脇を通って最奥に置かれていた一際立派な椅子に座った。アンネはその斜め後ろに控える。
「皆、楽にしてくれ。忙しい中、よくぞ集まってくれた」
総司令官の言に、首を垂れていた一同は各々の席に座した。
彼ら一人一人の顔を見まわしたセリアは頷きを見せると再度口を開いた。
「本日諸君らに集まってもらったのはいつもの定例報告に加えて幾つかの新情報を共有する為だ」
アンネ、と呼びかけられた女傑は一歩前に進み出ると、予め用意しておいた書類を手に話し始めた。
「各位からの定例報告は後程とし、まずは新情報から共有させて頂きます」
そう言ってアンネは報告を行っていく。ネブラの街の結界魔法、王都パラディースにアインス大帝国から査察官が訪れた事、そして――、
「アインス大帝国に忍ばせていた複数の密偵から報告が挙がってきました。近く、皇帝が親征の為、南大陸を離れるとのことです」
これには場が騒めいた。発する言葉が違えども共通しているのは興奮と緊張である。
「静まれ。……諸君らの言いたいことは良く分かる。これはまたとない好機だからな」
反撃の機会――皇帝自らが出陣する親征ともなれば多くの将兵がついて行くことだろう。そうなれば南大陸全土が手薄になる。それはこのエルミナ属州においても例外ではない。
『アンネ将軍、それは具体的にはいつ頃なのですかな?』
「報告では年明けすぐにでもとのことです」
『二か月後か!随分と急な話ですな』
『それだけ入念に計画していたということでしょう。出なければ大軍を動かすことなど出来はしない』
『皇帝が出陣となれば護国五天将も付いて行くでしょうし、大陸外となれば魔導戦艦を動かさざるを得ません。ほぼ地上戦力だけとなればこちらにも十分な勝機があります』
別な大陸へは現在、空路以外では行くことが出来ない。陸路はそもそも繋がっていないので不可能であり、海路は大陸近海なら船を出せるが、遠洋となれば年中荒れ狂う高波と強力な海洋魔物によって阻まれているからだ。
加えてほぼ海中に没している中央大陸からは強烈な冷気が放出されており、近づきすぎれば飛空艇や魔導戦艦であろうとも無事では済まないだろうとされている。
『だが、その地上戦力とて油断はできない。ある程度は皇帝が親征に連れていくだろうが、それでも何十万、何百万という戦力が向こうにはある。仮令こちらが向こうを追い詰めても、他の属州から徴兵してくる可能性すらあるのだからな』
『他の属州ですか……そこには我々のように帝国に抵抗する勢力があると以前の報告にはありましたな。その辺りの新たな情報はありますかな、アンネ将軍』
老練な幕僚の発言に、年若い武官が反応を示せば、問いかけられたアンネが頷く。
「丁度、次に話そうと思っていた内容に関係がありますが……」
「良い、話してやれ」
アンネの窺うような視線を受けたセリアが鷹揚に頷けば、彼女は慎重さを感じさせる声音で言った。
「エルミナを除く六つの属州では叛乱軍が蠢動しているとのことです。現在、連絡し連携が取れないか模索中ですが……東の果て、ヴァルト属州に存在している叛乱軍の指導者が神剣らしきものを所持しているとの噂があります」
『『『ッ!?』』』
これには先ほどよりも大きく場がどよめいた。
無理もない――現在のエルミナ軍において強大な〝力〟を持つ個は以前と比べるとかなり減ってしまっていた。
四人いた神剣所持者の内、一人は戦死し、一人は敵方に寝返り、一人は第三王女と共に他大陸に渡ってしまっており、一人しか残っていない。
他の強力な神器や固有魔法を持つ者も多くが戦死、または行方不明となっていた。
それに比べてアインス大帝国には現皇帝を筆頭に多くの特異な〝力〟を持つ者が多数存在している。戦力差は歴然と言えた。
そんな中で味方になりそうな存在が神剣を保有しているかもしれないという情報はかなりの朗報であった。
『神剣――となれば現代において所持者が確認されていなかった最後の一振りですかな』
『〝終焉の剣〟と呼ばれるほど強力な存在だと伝承にはあります。もし味方についてくれるのであれば心強い』
『だが、英霊と成られたクラウス大将軍の〝聖征〟の可能性もあるのでは?あの神剣は他の〝人族〟の神剣と比べて気難しくない、歴史上の所持者数が最も多い神剣なのだぞ』
興奮、期待、希望――だが、セリアはぬか喜びとならぬよう平坦な声音で言った。
「まだ確たる情報ではない。今回、諸君らに伝えることすら迷ったくらいだ。今はあまり期待しないように」
だが、セリアも表には出せないが、内心では確信にも似た期待を持っていた。
(あの神剣の元となった神器の由来からすれば、ヴァルト王国に所持者が出現するのはある意味自然とも言える……)
二百年前、たった一度だけ使用された神剣――あまりの威力の高さに所持者が一振りで絶命したとされている程、危険な代物だという。
だが、その〝力〟は神さえも殺しえる、とされていた。
(故に〝終焉の剣〟と呼ばれているのだとか……確かにこの子みたいに複数の〝王〟が協力して生成したのだとしたらあり得るか)
と、セリアは腰に差している黒剣の柄を撫でた。同色の魔力がじゃれつくように彼女の掌に纏わりついてくる。
「……では、最後の新情報ですが――」
というアンネの言葉に意識を軍議へと戻したセリアは思考を切り替える。ある意味、次の情報こそが本命であるからだ。
努めて無表情を装いながらアンネは言った。
「――ヤコウ大将軍が生きているかもしれない、と、大帝都クライノートに送っていた密偵から報告が入りました」




