三話
続きです。
地下墓所を後にしたシュバルツはその足で帝城敷地内にある魔導省へと向かった。
春夏であれば草花が咲き誇っていたであろう中庭も迫りくる冬の気配に枯れ果てている。
木枯らしのような冷たくも強い風が頬を打ち前髪を弄ぶ。
「…………」
ふと、周囲の気配に変化が訪れたことで黒衣の少年は立ち止まった。
通路から見える中庭に変化はない。だが、通路の天井を支える柱の一つから奇怪な雰囲気を感じ取った彼はそちらに〝眼〟を向けて言った。
「人払いの魔法――いや、キミの持つ神剣の力だね」
シュバルツが確信を持ってそう言えば、柱の陰から姿を見せる者が居た。
外套を羽織りフードを被った怪しげな風体の人物だ。僅かに見える口元は白い仮面で覆われておりどのような感情を宿しているのかを知ることは叶わない。
けれどもその声音から女性だという事だけは辛うじて分かるのがこの人物――ノンネであった。
「ふふ、ご名答でございます〝天の王〟よ。それとも〝終焉を齎す者〟とお呼びした方が?」
「どちらも止めろ。ここでの僕は第二皇子だ」
「これは失礼。ではシュバルツ殿下、とお呼び致しましょう」
「……それで何の用だ?」
「ご冗談を」
シュバルツが放つ僅かな殺気に気づきながらもノンネは態度を改めることなく愉快気な笑い声を漏らすだけ。
この国の第二皇子たる自分を前に不遜な態度を取り続ける彼女にシュバルツは怒りではなく呆れを覚えて嘆息した。
「……キミは変わらないね。いつ、どのような場面でもふざけた態度を崩さない」
「それは心外ですねぇ。私とて真面目な場面では神妙な表情を浮かべて見せますとも!」
最も仮面があるので他者には見て取れませんが、と大仰な手ぶりで軽口を叩くノンネ。
そんな彼女の様子にシュバルツは右手で仮面に触れる。その下に隠された双眸は漆黒と真紅の光を強めていた。
「本題に入ろう。キミが姿を見せたのは先の戦争で介入してきた時の事だろう?」
先の戦争――エルミナ征伐における最終局面でシュバルツは敵将である〝王の盾〟ヤコウ・ヴァイス・ド・セイヴァー大将軍を追い詰め首を落とす寸前まで行った。
けれどもその瞬間、空間跳躍してきたノンネが割り込みシュバルツを止めたのである。
「刻を殺してキミの介入と彼の死を偽装する羽目になったし、何よりあの場で〝王〟を仕留めておきたかった」
だが、とシュバルツは仮面の下の眼を細めた。
「それらの手間と生じる利益を差し引いたとしてもキミの台詞は看過できなかった。僕の妹と彼の正体について教えるから彼を殺すのはやめて欲しい……だったかな?」
「ええ、そうですとも。その二つの情報をあなた様は無視できない。故に必ず手をお止め頂けると、そう信じていましたよ」
と言って肩を震わせるノンネの姿に不快感を覚えるシュバルツであったが、グッと堪えて深い息を吐くに留める。
(情報面において彼女が主導権を取り続けていられるのは神剣〝曼陀羅〟と彼女が使用できる魔法の汎用性の高さ故のことだ。この場で始末することも出来なくはないけれど、泳がせておけば更なる情報が手に入ることだろう。勿論対価は必要になるけれども……今のところは許容できる範囲内に収まっている)
それが彼女の上手いところだと思う。彼女は情報を餌にこちらに対価を支払うよう言ってくるが、あくまでもこちらが許容できる範囲に留まっている。
危険と利益の調整が上手く交渉事が得意な人物と言えよう。
(だが、それ故に解せないことも多い。彼女は何を求めているのか、最終的な目的は何なのか――いまいち読めないんだよな……)
確かなことは〝王〟と〝魔〟を使って何かをしようとしていることだけ。
だが、〝名を禁じられし王〟がいない現在の世界において〝王〟を害することが出来る者は同じ〝王〟くらいなものだ。
いくらノンネが汎用性の高い神剣や魔法を有しているとはいえ〝王〟に届くことはない。
(それに彼女の目的が〝王〟を始末することだったらあの場で彼を殺そうとした僕を止める必要がない。となれば――〝王権〟の〝簒奪〟が目的か?)
〝王〟を神足らしめているのは〝王権〟だ。故にそれを手にした者が〝王〟であると言える。
だが、過去の歴史を紐解いても〝王殺〟を〝王〟でない者が成した例は一件だけ。千二百年前に世界を救った〝英雄王〟が初代〝黒天王〟を討った事例のみである。
(だがそれも〝あの女〟の〝力〟があってこそ成しえたことだ。彼女が消えた現代ではその再現は不可能だろう)
これ以上は考えても憶測の息を出ない。そう判断したシュバルツは思考を切り替えると眼前の女性に意識を向けた。
「なら早く教えて欲しいものだね。まさか今になって約束を破るとは言わないだろう?」
「ええ、勿論ですとも!私は約束事はきっちり守る主義でしてねぇ」
胡散臭さの極みみたいな奴が何を言うのか。そう思ったシュバルツの気配から何かを感じ取ったのか彼女は苦笑交じりに言う。
「おやおや、信用頂けていない様子で。ですがご安心下さい。いくら私でも〝王〟と交わした約束を破るほど怖い者知らずではありませんので」
そう言ったノンネは首を左右に回して周囲の気配を探るそぶりを見せた。人払いの魔法を使っている状態であってもこの念の入れよう――それほどまでに今から話す内容を余人に聞かれたくないだろうか。
「……大丈夫なようですね。ではお伝え致しましょう」
もったいぶった言い回しだが、それがこの女性の性質であると理解していた為、シュバルツは咎めることはせずに黙って続きを促した。
「かの〝王の盾〟の正体はエルミナ王国において異世界より召喚された〝勇者〟――に巻き込まれる形でこの世界にやってきた異世界人です。名をマミヤ・ヤコウ、元の世界ではあなた様のご友人であったとか」
「っ……なんだって!?」
彼女が告げた名にシュバルツの記憶が刺激される。
古い、古い記憶――何百年も昔の記憶にその名がある。その姿形、声音、態度、性格を思い起こしたシュバルツはまさかと言いたげな表情を浮かべた。
「マミヤ・ヤコウ――間宮、夜光。そうか、通りで何処かで見た顔だと――」
「お分かり頂けましたか〝王〟よ。何故、私があの場であなた様が振るおうとした刃を止めたのかを。あなた様はもう少しで古いご友人をその手にかけてしまう所だったのですよ」
その言葉に愕然とする。それが事実なのだとすれば彼女はこちらを慮ってくれたということなのだろうか。
動揺を隠せないシュバルツの姿を愉しげに見つめていたノンネはもう一つ、と人差し指を立てた。
「あなた様の妹君もこの世界にやってきております。異世界から〝勇者〟の一人として召喚され望まぬ戦いを強いられた悲劇の少女――アマジキ・ヒヨリさんがね」
「――――」
アマジキ・ヒヨリ――天喰陽和。
その名を聞いた時、シュバルツは夜光の名前を聞いた時よりも深い感情を覚えて立ち竦んだ。
あまりにも強烈な激情――懐古、愛情、後悔、自責、悔悟――多くの感情が過っては消えていく。
だが、次の瞬間にはそれらを押し殺しノンネに鋭い視線を向けた。
「陽和は何処に居る?」
その問いに白き仮面の下で口端を吊り上げたノンネは湧き上がる喜悦を務めて抑えながら提案する。
「教えて差し上げてもよろしいですが……その情報は先の約束の内に入っておりません。なので新しい取引となりますが宜しいでしょうか」
「構わない。キミは僕に何を望む?」
一切の迷いのない返答――彼らしくないと思いながらもそれほどまでに〝本当の妹〟が大切なのだなと悟ったノンネは思い描いていた通りの展開にほくそ笑んだ。
「あなた様の〝血〟を分けて頂きたい」




