一話
続きです。
神聖歴千二百年十一月一日。
南大陸、アインス大帝国首都クライノート。
〝人族〟最大国家であるアインス大帝国の首都――大帝都とも呼ばれるこの都は栄華を誇っていた。
北の山々から流れ出るザオバー河の支流が都内を巡っており水には事欠かくことなく、周囲に広がる肥沃な大地では大規模な農業が行われていることから食料面の不安は少ない。
他国と一切領土を接していない中域中央部におよそ千二百年前に建設された世界最古の都市の一つは、今日も大帝国内の各都市や属州から様々な人種の人々が訪れていた。
『我らが皇帝陛下に乾杯!大陸再統一を成し遂げた偉大なるお方だ!』
『あの初代皇帝〝創神〟様以来の快挙だ。あの方が居れば大帝国は安泰だな!』
およそ三ヶ月ほど前、アインス大帝国現皇帝アウルム・ルクス・レオンハルト・フォン・アインス率いる大帝国軍は南大陸西部を領土とするエルミナ王国に侵攻し征服した。
これによりレオンハルト皇帝が即位してから行われてきた南大陸再統一戦争は終結、南大陸全土はアインス大帝国の領土となったのだ。
『既に皇帝陛下の眼は大陸外に向いているって話だ。もしかして陛下は世界統一でも成さるおつもりなのかねぇ』
『属州から軍事物資を徴発しているって噂もある。意外と本気なのかもしれねぇな』
『なんにせよ大丈夫だろう。魔導戦艦もあるから外海を渡れるだろうしな』
大帝国が誇る天才、通称〝博士〟ことアルヒミー・パウル・フォン・ツァウバー魔導省長官が開発した空飛ぶ戦艦である魔導戦艦は戦争の在り方を変えたとまで言われている。
それまで〝人族〟にとって空というものは見上げるものであり移動路とする考えはなかった。
だが、アルヒミーは生まれ持った固有魔法と独特な感性から空を移動路兼戦場にできると考えた。その発想を元に生み出されたのが魔導戦艦である。
これによって制空権を一方的に確保することが可能となり、空から地上へ爆撃することでどれほど堅牢な要塞陣地であっても容易く壊滅させられる。
この猛威に晒された周辺諸国は成すすべもなく蹂躙され征服されてしまったのだ。
『圧倒的な戦力と地力を持つ俺たちの国に敵う相手なんていやしないさ』
『だな。皇帝陛下万歳、アインス大帝国に栄光あれ!』
活気に満ちた大帝都の街路に面する酒場から男たちの陽気な声が帝城に向けられた。
その帝城アヴァロン――軍議の間では皇帝を始めとするアインス大帝国における重要人物達が一堂に会していた。
『陛下、本当に他大陸への遠征を行われるのですか』
円卓の一席に座する内務省長官から声が上がる。
それに呼応するようにして外務、財務省両長官からも懸念の声が上がった。
『各地の属州領は未だ政情不安定です。少なくない数の残党軍も残っております。暫くは国内の引き締めや属州領の安定化に努めるべきかと存じます』
『私も外務省長官の意見に賛成です。現在、我が国は戦争特需による好景気が続いておりますが、度重なる戦争によって国庫の財貨は目減りする一方です。余裕はありますが、今後の属州統治を考えるとこれ以上の戦争は避けるべきかと』
アインス大帝国はレオンハルト皇帝が即位してからたったの数年で周辺諸国を征服し南大陸を統一した。
その功績は称賛されて然るべきことだが、その反動として征服した土地は極めて不安定なままだ。
敗戦国を属州化するにあたって大帝国は過剰な搾取を控えはしたが、それでも支配層の変化や敗残兵の賊徒化等による急激な治安、経済の悪化は無視できるものではない。
加えて大陸統一を成し遂げた為にアインス大帝国は国境を外敵と接さない状態となった。
そういったことから今後は内政に注力すべきだと三長官は言っているわけである。
『貴殿らの主張は理解できるが、今が好機という事も理解してもらいたいものだな』
『左様、我らが大帝国による世界統一という覇業はかの〝創神〟が過去に一度だけ成し遂げたもの――南大陸統一も同じくだが――故に今後レオンハルト皇帝陛下しか成すことが出来ないのではないかとも思う』
『魔導戦艦という新しい技術を我が国のみが保持しているという優位性がある今こそ打って出るべきではないのか』
対して次々と反対意見を述べるのは軍務、宮内、魔法省の三長官達だ。
戦争派とも言うべき彼らの主張も間違ってはいない。魔導戦艦という新技術にして新戦力は現状大帝国しか保有していない。この優位性がある内に他種族が住まうとされている他大陸に侵攻し電撃的に攻め落とすべきだという考えも積極的防衛という観点から見ても正しいと言えた。五大系種族において突出した力を持たない〝人族〟が他種族に攻め込まれれば極めて甚大な被害を被ることだろう。いずれは来る他種族との接触を怯えながら座して待つくらいならこちらから攻め込み征服すれば良い、という考えは過激ではあるが全くの間違いとも言えないのだ。
「……法務省長官の考えは如何か」
同数の反対意見に対して穏健派とも言うべき外務、内務、財務省三長官が反論を口にしようとする間際、一人の男が口を挟む。
灰髪銀眼のやや痩せ型の男である。見る者すべてに冷たい印象を与える容姿をしており、その表情もまたピクリとも動かない。
彼の名はクリストフ・クルーク・フォン・ランツェ。二十七歳という若さで大帝国における文官の頂点である宰相位に登りつめた秀才である。
彼が居るからこそレオンハルト皇帝は数年で大陸統一を成すことが可能であった、とまで言わしめた男の視線はこれまで沈黙を貫いていた法務省長官に向けられている。
『……法務省としては中立の立場を示させて頂きたく』
これには戦争派と穏健派双方から厳しい視線が向けられるが表立って文句を言う者はいない。
何故なら法務省とは大帝国における法の番人であり立法権を持つ組織だからである。
法を整備する組織は公平性を保つ必要があり、それ故の中立の立場であると他長官も理解している。故に心情としては苛立っても理性が言葉を口にすることを避けたのだ。
これによって帝国八大省の内、戦争派が三、穏健派も三、中立一という状態となったわけだが、残る魔導省長官は本会議に不在であった。
「魔導省長官はまた欠席ですか……。国家の行く末を決める重要な会議であると事前に通達したのですが」
「……最近こういった集まりで欠席することが多いけれど、彼は一体どこで何をしているんだい?」
クリストフ宰相の小さな嘆息に同意だと言わんばかりにそう言ったのは皇帝によく似た容姿の青年である。
彼は武官の頂点である〝護国五天将〟の一人にして皇弟という立場にいる人物だ。先のエルミナ征伐においては主力である総軍の指揮を任せられたほど皇帝の信任が厚い男でもある。
『た、大変申し訳ございませんアルトリウス殿下。我が上司であるアルヒミー魔導省長官は現在どうしても外せない実験の最中でして……』
皇弟――ルキウス・ロウ・アルトリウス・フォン・アインス大将軍の追及に長官の代理として本会議に出席していた魔導省副長官が額の汗を手巾で拭いながら答えた。
これにはこの場に居合わせたほとんどの人間が苦い顔をする。
『確か……捕らえたという敵将を調べているのでしたかな?』
『調べているというより人体実験だろう……いや、拷問だったかな?』
「言葉に気を付けられよ、長官方。我が国は捕虜に対する過度な拷問や人体実験を固く禁じている」
囁きにも似た小声であったが、皇帝の傍に控えるクリストフ宰相は見逃さずに注意した。
法律で禁じられている以上、公の場でそれらを行っている事実を口にすべきではない――たとえそれが公然の秘密だったとしてもだ。
押し黙る長官らから視線を転じたクリストフ宰相は隣に座する皇帝に意見を求めた。
「八大省長官らの意見が同数で割れました。かくなるうえは皇帝陛下御自らにご決断頂きたく存じます」
この場には帝国八大省長官と宰相、護国五天将が集められていたが、こういった会議においては基本的には八大省長官の意見を聞いた上で皇帝が裁可を下すことが多い。
宰相は皇帝の補佐として、護国五天将は皇帝の武力として――皇帝の一部として扱われる為である。
場の面々の視線を一身に受けた金髪金眼の皇帝は、その若獅子の如き精悍な顔つきに微笑を浮かべた。
「そなたたちの意見はよく分かった。その上で告げるが、他大陸への侵攻は行う。これは決定事項だ」
『『『――ッ!?』』』
驚きを押し殺した吐息が上がったが、反論を口にする者は誰一人としていない。皇帝が決定事項、とまで言ったのだ。ならば心中がどうであれ粛々と命令を実行に移す以外の選択肢はない。皇帝の命令は絶対なのだから。
「……では他大陸への侵攻は決定と致します。各諸兄姉は各々の責務を全うされたい」
『『『承知致しました』』』
クリストフ宰相が最後にそう締めると各人から承知の旨が返ってくる。
そんな一同を仮面の男が冷めた目つきで見つめていたが、それに気づいたのは僅か数人だけであった。




