二十七話
続きです。
もう迷わないと決めた。そのはずだった。
だが、心のどこかに迷いが残っていたのだろう。それが刃を鈍らせ敵にも感づかれてしまった。
「私は……」
全身を襲う痛みに耐えながら瞼を上げれば、曇天から降り注ぐ無数の雪が視界に映りこんでくる。
折れた両腕の骨は魔力によって徐々に修復されていっているが、完治したとしても今のままでは勝てない。また同じ結果を招いてしまうだけだ。
「…………」
敵――エクサルの言葉を思い返す。
欺瞞に満ちた世界――結局の所は暴力による解決しかないのだと彼は訴えた。
それは間違いではないと明日香も思う。融和だの対話だのと言ったところでそれによって齎された結果が気に喰わない者が暴力に訴えればそれを覆すことが出来てしまうからだ。
「力……力さえあればなんだって出来る」
だからこそ圧倒的なまでの力が必要なのだ。他者を黙らせるだけの力、気に喰わない結末を覆すだけの力、望む未来を掴むだけの――絶対的な力が。
「奪い奪われ、傷つけ傷つけられる悲しい世界だから……」
そう呟きながら明日香はゆっくりと上半身を上げる。既に折れた腕は再生していた。
しかし両手に握られた二振りの刀の刀身は折れてしまっている。魔力を操作すれば瞬時に復元できるが明日香はそうせずに立ち上がるだけに留めた。
雪風が吹きすさぶ極寒の世界を泰然と歩んでこちらに向かってくるのはエクサルだ。
彼の手には先ほど明日香を吹き飛ばした〝精霊族〟の神剣〝破邪〟が握られている。
「〝人族〟の猛者よ、もっとだ。もっと俺を愉しませて見せろ」
彼の声音に宿るのは歓喜と愉悦、そして期待だ。己と同じ心根を持つ相手を前に喜悦を抑えられない。再び立ち上がったということはきっと期待に応えてくれるのだろうと彼は確信していた。
「……駄目、これじゃ何も変わってない。私は強く、誰よりも強くなくちゃいけないのに」
対する明日香の口から零れるのは強さへの渇望だ。淡々とした口調ではあるが、込められた熱量は尋常ではない。
「強くなければまた置いて行かれる。強くなければまた奪われる。強くなければまた失う」
もはや覚悟は決まっていた。何を優先するべきかは決まっている。
力を求め、全てを斬り裂くことに血道をあげる。
その覇道の果てにこそ真に望む光景が広がっていると信じて――明日香は黒き〝王〟からの問いに今こそ答える。
「私は――力を欲する」
その言葉が世界に落ちた次の瞬間――彼女の眼前に突如として二振りの刀が現出した。
明日香から見て右側に浮かぶのは純白の刀身が美しい刀で、左側に浮かぶのは金色の刀身が眼を引く刀であった。
見た目こそ違えども、どちらにも共通しているのは尋常ならざる覇気と魔力を放っているという点である。
唐突に現れた強大な気配を放つ二振りの刀にエクサルは眼を瞠っているだけだ。しかし明日香は違う。
彼女は何の感慨も躊躇いもなく折れた二振りを捨て去るとそれらを掴み取る――と、二振りとも眩い光を放って新たなる主を祝福した。
次いで明日香の頭に二振りの刀の情報が流れ込んでくる。濁流のように無軌道なそれに僅かに頭痛を覚えるも、彼女は無視して知識を吸収するのに務める。
そして得た情報は彼女が今最も望んでいたもので――故に自然と口角が上がる。
「あはっ……やっと、手にした」
そう呟き顔を上げた明日香――その表情を見たエクサルから余裕が消え、無意識に一歩、後退ってしまう。
彼の覇気が僅かに弱まったのを感じながら明日香は嗤って。
「お望み通り愉しませてあげる――だからそんな顔しないで笑ってよ」
新たに得た相棒達を手に、雪深い地を蹴って天に飛翔した。
*****
場所はシルフ族領都ウェントゥスへ戻る。
デモン族の陣地――その中央に設置された大天幕は今や跡形もなく吹き飛んでいた。
周囲にあった他の天幕も蹴散らされ中にいたデモン族たちも消し飛ばされている。
その光景を生み出した張本人――銀髪紅眼の少年は空からゆっくりと降下していた。その手には禍々しい紅の槍が握られている。
「ボクが不在の間に攻撃する――うん、間違った選択ではないね」
けれど、と少年――ナイトメアが口角を上げた。
「少々時間をかけ過ぎたようだね。何せこうしてボクが戻ってきてしまったのだからさ」
彼の眼下では気絶した新を抱きかかえるローシャの姿があった。彼女は憤怒と殺意を込めた視線をナイトメアに向けてきている。
だが、彼はそれを涼し気に受け止めると地に降り立った。そして手にする紅槍――神剣〝絶滅〟の矛先をローシャに向ける。
「誰かと思えば、あの時殺しそびれたシルフ族の臆病族長じゃないか。無様にも情けなく逃げた負け犬……勇敢にも立ち向かってきた副族長の方がまだマシだったよ?」
「黙れッ!私には一族滅亡を回避する義務があったのよ!それを逃げたですって……!?ふざけないでよっ!」
鬼の形相で睨みつけてくるローシャにナイトメアは失笑する。
「はっ、それはキミに一族を守るだけの力がなかっただけのことだろう?自らの力不足を責任だの何だのと言い訳を口にして誤魔化しているだけじゃないか」
「お前……ッ!」
あまりの怒りに言葉が詰まったローシャにナイトメアは〝絶滅〟を手にする腕を軽く引いた。
「ま、そんなことはどうでもいいか。キミはここで死ぬんだし――ッ!?」
ローシャを突き殺そうとしたナイトメアだったが、突如として無数の黄金の光が飛来してきたことでそちらの対応に追われた。
振り返り様に紅槍を振るい、飛んできた黄金の光を撃ち落とす。
一発一発が重いその攻撃にナイトメアは口端を吊り上げた。
「は、ようやくお出ましか――アルバ!」
光が飛んできた方角に視線を向ければ、そこには法衣に身を包んだ巨漢が立っていた。
彼の周囲ではつい今しがた殺されたであろうデモン族の残滓が舞っている。
「〝精霊族〟の裏切り者――ナイトメアよ。〝精霊帝〟陛下に代わり、汝は私が誅そう」
何処までも冷淡にそう告げた男――セラフ族族長アルバは、手にする黄金の弓を構える。
弓弦までもが金色のその弓の名は〝照破〟。ナイトメアの所持する〝絶滅〟と同じく〝星辰王〟が創生した〝精霊族〟の神剣である。
彼が弓弦を引けば、そこに黄金の光が集結し矢を形取った。その矢先は真っ直ぐにナイトメアに向けられている。
「ははっ、キミにできるかな?〝精霊帝〟に盲目的に従うだけの人形がさぁ!」
「下郎が、その薄汚い口を閉じるが良い」
ナイトメアが紅槍を構えアルバが迎え撃つ姿勢を取る。
一瞬の静寂――それはすぐさま破られた。
「死ねッ!」
ナイトメアは素早く腰を回して紅槍を投擲した。深紅の閃光がアルバを襲う。
だが、迎え撃つアルバに動じた様子はなかった。
彼もまた俊敏な動作で魔力矢を立て続けに放つ。飛来する〝絶滅〟に対して何本も矢を当て続ければ紅槍は徐々に勢いを失い減速していく。
「チッ、だけどこの距離じゃあ勢いを完全に殺すことは出来ないよ!」
そして当たればアルバはお終いだ。〝絶滅〟の神権〝破戒〟――触れた箇所から振動波を発生させ、刺した相手の内部から破壊する振動粉砕が彼を確実に死に追いやる。
勝利を確信し笑うナイトメアだが、対するアルバは何処までも冷静だった。
彼は迫りくる紅槍を迎撃しきれないと悟り背中から一対の翼を生やして宙に浮いた。次いで天空へと飛んでいく。
「逃げる気か?無駄だ、〝絶滅〟は何処までもキミを追いかけるよ!」
「…………」
ナイトメアの言葉通り空を飛ぶアルバの後ろから紅槍が追尾してきた。流石は神剣と言ったところだろうが、生憎とそれはアルバの想定の範囲内である。
アルバは飛行しながら〝照破〟で何本もの矢を放った。それはまるで見当違いの方向に無秩序に放たれたように他者の眼には映る。
「は、やけにでもなったか?」
と鼻で嗤うナイトメアだったが、次の瞬間表情を険しい者へと転ずることになる。
何とちぐはぐな方向に放たれたはずの〝照破〟の矢が空中で軌道を変えて彼に向かってきたのだ。
これこそは〝照破〟の神権である〝全天〟の力――標的に必ず当たる矢を放つ能力だ。
「面倒な……っ!」
その場から飛びずさって回避したナイトメアだったが、信じがたいことに矢は一度空中で静止して再度彼に向かって飛び始めたのだ。
しかも複数の矢が四方八方から襲い掛かってくる。もはや回避しきれないと判断したナイトメアはやむを得ず手元に〝絶滅〟を喚び戻すと素早く振るって矢を撃ち落とした。
「厄介な神権だな……」
そう毒づくナイトメアは頭上から睥睨してくるアルバとは異なる気配を感じて視線を転じた。
そこには目を覚ました〝人族〟――宇佐新が双剣を手に立ち上がっている光景があった。隣ではローシャが彼を案じながらもこちらに殺気を向けてきている。
「……こちらが不利か」
ウェントゥス全域に意識を向ければあちらこちらでデモン族が潰走していることが分かった。
こちらは数で勝っていたが、隔絶した武を持つ個人に欠けていた。それ故に特異な力を持つ個人を複数有する相手に押されてしまっているのだろう。
固有魔法所持者にサラマンダー族とウンディーネ族の実力者達が相手では流石に分が悪すぎたということだろう、とナイトメアは嘆息する。
(けれど最低限の目的は果たした)
西大陸とそこに住まう〝精霊族〟に混乱を齎し身動きを止めろ、というナイトメアの主からの命令は既に果たしている。第二の命令である〝星辰王〟の捜索についても〝天山〟の宮殿カエルムに潜入した際に達成している。アルバとの戦いやエクサルとの共闘はナイトメアの独断でしかない。
(これ以上戦っても無駄に力を使うだけか。なら後は東に飛んで〝聖王〟の末裔を回収し撤退すべきだな)
ついでにエクサルの様子でも見てくるとしよう。恐らく既に〝精霊帝〟ゼヒレーテと交戦状態に入っているだろうが、その戦いの顛末は非常に興味深い。これを見ずして西大陸を去ることなど出来はしないと彼は考えていた。
ナイトメアは今後の動きを決めるとアルバに向かって笑いかけた。
「この場での勝利は譲ってあげよう。ボクはもう行くよ」
「……黙って見逃すとでも?」
「見逃さざるを得ないようにしてあげるさ!」
そう叫んだナイトメアは勢いよく〝絶滅〟をローシャと新の方に向かって投擲した。
彼らはまだ態勢を立て直してはいない。故にこの攻撃に対応できるかは極めて怪しいところであった。
だからこそ――とナイトメアは転移魔法を使用しながらアルバを見やった。彼は無数の矢を〝絶滅〟に放ちながら勢いよくローシャ達の元へと飛行していく。
されど紅槍はその動きを嘲笑うかのようにその少し手前の大地に矛先を変えると突き立った。
次の瞬間、地面に亀裂が入り勢いよく土くれが吹き上がり彼らの視界を覆い隠す。
「これが狙いか――!」
「ハハッ、またね!」
珍しく感情を声に乗せたアルバに笑みを返したナイトメアはその場から消え去った。
浮遊感に包まれたかと思えば、彼の身体は西大陸東部の寒冷地帯へと転移を果たした。
だが――、
「ガァッ!?な、んだと……ッ!?」
――転移した彼の背後の空間が歪み、次の瞬間には黄金の矢がその背中に突き刺さったのだ。
神剣〝照破〟の力である目標に必ず当たる矢を放つという事が何を意味するのか、全てを察したナイトメアは鮮血と共に苦し気な息を吐き出した。
「必ず当たる……空間さえも超えて、ってことか……!」
背中に手を回したナイトメアは矢を抜き放つと雪原に放り捨てる。鮮血が白い雪を紅く染め上げ、黄金の矢は独りでに消え去った。
彼はその場でうずくまると魔力を傷口に集中させ回復に努め始めるのだった。




