二十六話
続きです。
場所は戻り――西大陸東部寒冷地帯。
降りしきる雪ですら凍らせられぬ熱気を放つ空間があった。
黒髪紅眼の大男と黒髪黒眼の少女が睨み合う場所――両者が放つ覇気と闘気が空間を軋ませ、周囲の大地に積もった雪を溶かしていく。
「誰かと思えば何時ぞやの〝人族〟の小娘ではないか。まだ痛い目を見たりないのか?」
「……あの時の借りを返しに来た」
大男の挑発交じりの台詞に少女――江守明日香が短く応える。その双眸には明確な殺意が込められていた。
その返答に大男――デモン族族長エクサルは鼻で嗤う。
「はっ、あの時の借りだと?俺に手も足も出ずに意識を飛ばした負け犬風情が良く吠えたものだな」
「…………」
明らかな嘲弄、されど明日香はそれには反応せず詠唱を行った。
それは世界にただ一人、彼女だけに許された力の行使。
「我は鋼、一切合切を切り払う剣なり」
――固有魔法〝剣神〟。
明日香の両手に二振りの刀が現出する。
〝髭切〟と〝膝丸〟――元の世界で明日香が好んで使用していた得物を模した魔力刀である。
魔力によって再現された紛い物――されど、その切れ味は真に迫るものがあった。
その二振りを見たエクサルは眉根を上げた。
「ほほぅ……。固有魔法か、面白い。神剣相手に何処まで通じるか試してやろう」
この時、彼の脳内では様々な思考が蠢いていた。
強襲されている砦のこと、部下のこと、ナイトメアのこと、ゼヒレーテのこと――だが、彼はそれらを敢えて意識の片隅に追いやると眼前に立ちふさがる敵に集中した。
強者と戦いたいという己が欲求、初めて邂逅した時とは異なる気配の敵、神剣と固有魔法どちらが上なのかと言う疑問――複数の思いが目の前の戦いに集中しろと言ってくる。
(結局俺は武人――種族を率いる器じゃないってことだろうな)
デモン族の中で誰よりも強く、また神剣に選ばれたが故に族長となった。
しかしそれ以前の彼は只の武人であった。沈みかけの中央大陸から流れてくる魔物や〝冷たき獣〟を相手に戦う日々は苦しくもあったが楽しくもあった。
(戦いの中にこそ真の快楽がある。真の自由がある)
戦は人の本能を剥き出しにする場だ。
日頃、どれ程取り繕った存在であろうとも生死のかかった戦場では己が本能を剥き出しにして戦う。
故に戦場にこそ真実があり、自由があり、悦楽があると彼は考えていた。
だからこそ、とエクサルは神剣〝破邪〟を手にして覇気を滾らせた。
「来るがいい――お前の全てを俺に見せてみろ」
「……いいよ」
対する明日香は静かにそう告げると腰を落として二刀を構えた。鋭い剣気が空間を切り裂かんと迸る。
僅かな静寂――吹雪だけが音を奏でる世界に〝剣姫〟の戦意に満ちた声が落とされた。
「いざ参る――!」
刹那、エクサルの視界から明日香が消えた。
同時に鋭い殺気を感じたエクサルは咄嗟に大槌を手放して両腕を交差させる。
次いで凄まじい衝撃が両腕を襲い、甲高い金属音が鳴り響いた。硬化したエクサルの両腕と明日香の振るう二刀が激突したのだ。
あり得るべからざるその光景を生み出したのはエクサルが所持する神剣〝破邪〟の神権〝護法〟の力である。
所持者の肉体を硬化させるというある種単純明快な能力であるが、その硬度は神剣と打ち合えるほどであった。
故に明日香の固有魔法〝剣神〟によって生み出された二刀の斬撃も彼には効かない。
しかし、それは以前の戦いで明日香も理解している。故に彼女に動揺はなく即座に次の動作に移行した。
「双竜――ッ!」
彼女の生家たる江守家が代々受け継いできた剣技〝江守流〟。その免許皆伝を受けた明日香が更なる改良を施したのが〝江守流改〟である。
その中の技の一つである双竜は二刀で以って終わりのない連撃を繰り出し続けるというものだ。
通常、人体の限界として連撃を繰り出し続けるというのは不可能だ。呼吸をする必要がある以上、どこから息継ぎをする必要があるし、身体も動かし続ければ疲労でやがては動きが鈍り止まってしまう。
その欠点を彼女は元の世界では〝霊力〟と呼ばれる特殊な力で、こちらの世界では〝魔力〟を使用することで打ち消していた。
肉体疲労も呼吸も全て魔力によって代替する。これによって魔力さえ尽きなければ連撃を繰り出し続けられるだろうと考え実行した結果がこの技なのだ。
常人が相手ならば数度の打ち合いで切り刻むことが出来る技だが……エクサルは硬化させた両腕を動かして弾いてくる。
右左右左左右上左下右左――どこから打ち込んでも彼は的確に明日香の攻撃を防いでくる。
甲高い金属音が鳴り響き攻撃の余波が周囲の雪を蹴散らしていく。
「ハハハ、温いな!」
「っ……!?」
受けに徹していたエクサルは双竜という技の癖を見抜くと僅かな、本当に微かな連撃の切れ目に合わせて拳を振るった。
明日香の持つ二刀の腹を殴りつけ両腕を上にあげさせる。次いで踏み込むと左拳を彼女の胸に叩き込んだ。
だが、彼女は肺から息を吐き出しても尚動きを止めなかった。攻撃を受けた瞬間に地を蹴ると空中で前方転回し右踵をエクサルの頭頂部に叩きつけた。
しかしまるで金属の塊を蹴ったような鈍い衝撃が訪れただけで、エクサルはびくともしなかった。
「吹っ飛べ!」
彼はそのまま明日香の足を持つと頭の上で振り回し前方へ投げ飛ばす。彼女の身体は冗談のように真っ直ぐ雪原に飛んでいき大地に叩きつけられてしまう。
「が、はっ……ッ!」
その凄まじい衝撃と全身を襲う激痛に明日香は血反吐を吐いたが、すぐさま立ち上がるとこちらに走ってきていたエクサル目掛けて地奔――地を這う斬撃を飛ばした。
だが、彼には届かない。エクサルは片腕でその斬撃を弾いて逸らすと瞬時に加速をかけ明日香に迫る。
しかしその時には明日香の方でも迎撃態勢が整っていた。護翼――両腕を交差させた受けの構えだ。
そして――、
「ゼァア!」
「くっ……ぁぁあああッ!」
エクサルの繰り出す拳を右の〝髭切〟で受け流す――が、あまりにも重いその一撃に明日香の口から裂帛の気合が漏れ出した。金属同士がぶつかり合うかのように火花が飛び散り異音が鳴り響く。
だが、それでも明日香はエクサルの攻撃を受け流すことに成功、即座に反撃の一撃を彼に叩き込んだ。
しかし――それでも届かない。反撃の一撃はエクサルの腹部を襲ったが、そこはいつの間にか硬化しており黒く染まっていた。〝膝丸〟の刃はその防御を抜くことが出来ずにいたのである。
「無駄だ!」
「ガッ……!?」
そこにエクサルの裏拳が放たれ明日香の頬を強かに打つ。踏ん張りきれなかった明日香の身体は無様にも雪原を転がってしまう。
エクサルはその場から動かず右拳で大地を殴りつけた。すると凄まじい衝撃波が発生し明日香を追撃する。
対して明日香は身体から血を流しながらも獣のような俊敏さで横っ飛びでその一撃を回避すると勢いよく地面を蹴って飛翔、頭上からエクサルに切りかかった。
天翔というその技を見たエクサルはにやりと笑うと左腕を翳して受け止めた。耐え切れなかったのは大地の方でエクサルの足元が激しく陥没する。
一方のエクサルは何事もなかったかのように空いていた右手で明日香の首を掴むとそのまま締め出した。
「あ、がっ……!?」
「やはり温いな。お前はこの期に及んでまだ刃を鈍らせている。何故、〝人〟のままで居続けようとするのか理解に苦しむな」
「な、にを……?」
首を掴まれた明日香は両手に握った二振りでエクサルの頭部を斬りつけるがやはり硬化によって弾かれてしまうだけであった。
そんな彼女の抵抗とも言えない動きを無視してエクサルは彼女の瞳を睨みつける。
「嘘をつくな、眼を逸らすな。お前はもう既に分かっているはずだ。そして人を捨てる覚悟を持ってこの場に立ったはず……だが、未だにお前は迷っている」
鋭い指摘に明日香は目を見開く。何故この男が自分の悩みを――と僅かな動揺が漏れ出たのか、エクサルは嘆息した。
「お前と戦うのはこれが二度目だが……それでも分かる事がある。小娘、お前は人の形をした修羅だ」
「…………っ」
「人を斬りたくてたまらない、だがお前の中に残る理性がそれを否定している。その所為でお前は自己矛盾に陥っている。それがお前の刃を鈍らせなまくらに変えているのだ」
その指摘は図星だった。彼女の中には二つの異なる意思が介在していた。
人を――否、あらゆる物を斬りたいという飢えにも似た欲求と、友と共に人の道を歩むべきだという理性。
その方向性の異なる渇望と自制心がせめぎ合い彼女の動きを鈍らせているのは事実であった。
「斬りたいなら斬れば良い。そうするだけでお前は真に実力を発揮できるようになるだろう。下らないお題目は捨てろ。綺麗事などお前には似合わん。お前には俺と同じ――血と泥に塗れた覇道がお似合いだ」
抑えきれない闘争心、強者との戦いを求める渇望は喉の渇きよりも酷い。だが、それ故に満たされた時の法悦は何にも勝る快楽だ。
エクサルは自分とよく似た相手の首を絞めながら告げた。
「生温い世界に背を向けろ、綺麗だがいびつな仮面を付けるのは終いにするが良い。お前に相応しいのは――暴力と痛みに満ちた世界だ!」
「ガッ……はっ……!」
エクサルはそのまま明日香を地面に叩きつけた。あまりの衝撃に大地が陥没する。
次いで右足を上げて彼女の身体に向かって振り下ろした。
「ぐ、ぁあああッ!?」
「痛み、苦しみ、絶望し!痛みつけ、苦しめ、絶望を与えていく!それが正しい世界の在り様だ。言葉による解決?対話による平和?仲良しこよしで手を取り合う?――糞くらえだ」
明日香は手放さなかった二刀を交差させてエクサルの踏みつけを防ぐが腕を伝ってくる衝撃に身体が襲われてしまい悲鳴を上げた。
「本当にそれら糞が正しければ我らデモン族は苦しむことはなかった!我らの救援要請に他部族が、〝精霊帝〟が応えてくれたはずだ!だが、現実として奴らはそれを無視してきた。挙句、ゼヒレーテがなんて言ったと思う?――デモン族が戦い続けるのは当然だと、己に従うのは当然だと言ってきやがった!」
そう語るエクサルの瞳には怒りや憎しみといった負の感情が渦巻いていた。族長としての彼の憤りがこれでもかと詰まった殺意の双眸。
「結局、この欺瞞に満ちた世界は糞だ!だからこそ力を持ち、それを行使しなければ願いは叶わない。現状を打開することなど出来はしない!力だ……力こそ全てなのだッ!」
「あ、がっ、ひぐっ……!」
エクサルは声にならない怨嗟を吐き出しながら何度も明日香を踏みつける。凄まじい衝撃に二刀を手にする彼女の腕が折れてしまい、エクサルの踏みつけが直接彼女の身体を襲っていた。
鮮血が飛び散り大地を、雪を紅く染めていく。明日香はもはや抵抗する気力を失ったのか成すすべなく嬲られていた。
そして――、
「お前は俺と同じ側の存在だ!いい加減自分に嘘を吐くのは止めろ!」
エクサルは明日香を蹴り上げると〝破邪〟を喚び出し彼女を打ち上げた。
天高く舞った彼女の身体は重力に引かれて落ちていき、鈍い音と共に大地に叩きつけられるのだった。




