二十四話
続きです。
ゼヒレーテの襲撃はすぐさまエクサルも察知することになった。
それほどまでに圧倒的な魔力を解放して〝精霊帝〟は戦っていた。
「……力を抑えることを止めたってわけか。なるほど、衰えたとしてもこれほどの覇気とは……」
だが、とエクサルは司令室の窓から眼下に広がる光景を見やる。
そこでは宙に浮かんだ純白の少女がデモン族を蹂躙していた。
闇属性魔法を放っても独りでに動く銀色の円月輪に切り裂かれてしまう。かといってゼヒレーテ本体を狙ったとしても彼女の身体に魔法が到達することなく消滅させられていた。
「同じ闇属性魔法で相殺してやがる。伝承は真実だったってわけか……」
〝精霊帝〟は精霊族でありながらどの部族にも当てはまらないとされている。その最大の理由が全属性の魔法を行使できるからである、と伝承には記されていた。
「それに加えて神剣〝秩序〟がある以上、あいつに対抗できるのは俺かナイトメアくらいだろうな」
故に、とエクサルは手元に不可思議な粒子を放つ大槌を現出させる。これこそはゼヒレーテが所持する〝秩序〟と同等の存在――精霊族の神剣〝破邪〟である。
彼は〝破邪〟の神権を起動させ覇気を滾らせた――、
――それは結果的に自身に迫る危険を回避することに繋がった。
「――見つけた」
「何ッ――!?」
突如として窓の外が暗くなった――と思ったのもつかの間、眼前に天馬に跨った一人の少女の姿が現れた。
その正体を考える暇もなく、少女の凍えるような声が耳朶を打った瞬間――エクサルの上半身に凄まじい衝撃が迸り、次の瞬間には彼は屋外へ吹き飛ばされていた。
「まじかよ……ッ!?」
彼の視界には高速で遠ざかる砦の姿が――それも斜めに切り裂かれて倒壊していく司令室の様が映りこんできた。
あまりにも尋常ならざるその光景と上半身に微かに生じている斬撃の跡を確認したエクサルは何をされたか理解して笑った。
「ははっ、やはりお前か――〝人族〟の女剣士!」
歓喜にも似た叫びが寒空に響き渡る。
その大声を認識した襲撃者の少女――江守明日香は半壊させた司令室に降り立っていた。その隣にはここまで明日香を運んでくれたユニコーン族族長――否、元族長のテンペストが侍っている。
文字通り天を駆ける白馬と化したテンペストに、明日香は部屋の片隅で寝台に眠る金髪の少女を抱き上げて預けた。
「私はあいつを追う。落とし前を付けさせなくちゃいけないし、この前の借りを返さないといけないから。あなたは――」
「承知しております。シャルロット殿を連れて撤退せよとのご命令ですよね?」
「うん……ごめんね。あなたが私と一緒に戦いたがっているのは分かってる。けれど今回は……私一人で挑まなければならない戦いなの」
自分が自分である為に、江守家の次期当主としてではなく、勇者としてでもなく、只一人の武人としてある為に。
そして――もう二度と己が望みを違えない為に。
「私はもう決めたの。何を最も欲し、手に入れるのか」
その為には一人で挑まねばならないのだ。一度敗北を喫した相手に再び挑み、超克せねば彼女の真の願いが成就することはない。
それこそが彼との――黒き〝王〟との誓約なれば。
「だからお願い、お姫様を連れて安全な場所まで避難して。出来れば天山まで戻ってほしい」
砦内部ではゼヒレーテとデモン族の戦いが始まっているし、砦外ではこれより明日香とエクサルの戦いが始まる。
正直相手の強さを鑑みれば明日香は周囲に配慮している余裕はないと考えていた。今現在の己の限界を超えなければ勝機はない。故に意識の全てを目の前の戦いに向ける必要がある。
そういった主の考えにテンペストは頷いた。
「畏まりました、我が主よ。……どうかご武運を」
彼は主の変質に薄々ではあるが感づいていた。そしてそれはこの戦いを乗り越えなければ安定しないものであるとも察している。
故に彼は粛々と彼女の言葉に従うと、人型――金髪金眼の美青年に変化してシャルロットを抱きかかえるなり空に浮かび上がって西へと飛び去って行く。
その背を見送った明日香は安堵の息を吐いた。されど、その瞳は凍えるような殺意に塗れている。
「……今度は間に合った。だから次は――……」
その囁きは冬風に吹かれて溶け消える。
同時に明日香は魔力を両足に集中させ勢いよく床を蹴った。
次の瞬間、彼女は放たれた弾丸の如くエクサルが消えていった雪原へと一直線に飛んで行ったのだった。
*****
同時刻――西大陸中域西部シルフ族の領都ウェントゥス。
デモン族とシルフ族の攻防で荒れ果てた都市は今、更なる戦火に襲われていた。
『敵襲だ!セラフ族が攻めてきやがったぞ!!』
『落ち着け、敵はこちらよりもはるかに数が少ない。一人を複数人で囲んで確実に殺せ!』
指揮官の留守を預かる副官のその台詞は間違いではない。確かに兵数は圧倒的にデモン族の方が上だ。故に冷静に対処すれば問題ないと判断したのだ。
それは通常戦力だけならば間違いではない。だが、数で劣るセラフ族には単騎で戦局を変えうる個が複数人存在していることを彼は知らなかった。
『なんだお前――ぐぎゃあ!?』
『ひ、〝人族〟!?なんだって他種族がこんなところにいるんだよっ!?』
「疾ッ!」
気迫一閃。
銀色の斬撃が空を飛びデモン族が切り裂かれていく。
それを成したのは茶髪金眼の青年――クロード・ペルセウス・ド・ユピター。
エルミナ王国における武官の頂点たる四人の大将軍〝四騎士〟の一人〝王の剣〟その人だ。
彼はその称号の元になった宝剣〝王剣〟を振るい最前線で戦っている。
一振りすれば銀光が舞いデモン族が消滅、返す刃で飛来してきた闇属性魔法を切り払う。
彼の武威を危険だと判断したデモン族が複数人で包囲して魔法を放てば、クロードは足元から風を噴射して宙に浮かびそれらを避ける。包囲から抜けて大地に降り立てば、振り向きざまに〝王剣〟を振るってデモン族を殺傷した。
神器である〝王剣〟と固有魔法〝風神の加護〟を駆使して戦うその姿に派手さこそないが、堅実に敵を葬り去る確かな実力が見て取れた。
そんなクロードの様子を確かめた男――彼と同じく茶髪に金眼のその男は戦場にありながら不敵な笑みを浮かべた。
「久方ぶりに見たが、どうやら更に成長を遂げたようだな。我が息子ながら見事だ」
嬉しそうにクロードの――己が息子の成長を喜ぶテオドールにデモン族が襲い掛かる。
『舐めやがって、よそ見してんじゃ――ぎゃ!?』
「よそ見してしまえるほどあなた方が弱いのが悪いのではないかね」
テオドールは迫りくる闇属性魔法の球体をひらりと躱すと華麗な足さばきで接近、デモン族を切り刻んで葬り去った。
彼が手にするのは神器でもなければ神剣でもない、単なる魔剣の一振りでしかない。故にクロードのように一撃必殺というわけにはいかないが、それを補って余りある剣技が冴えわたっていた。
そんなテオドールの様子を後方から見守っていた白髪翠眼の少女が感嘆の吐息を溢していた。
「流石は先代〝王の剣〟、一線から退いた身であってもその武威は健在というわけですか」
と少女――カティアが納得だと頷く。
そんな彼女は固有魔法〝不動金剛〟を使用してセラフ族の兵士たちを結界で包み込み守護していた。
最前線で戦う兵士たちを突破してきたデモン族もこの結界の前に立ち往生している。
『くそっ、こちらの攻撃が通らないだとっ』
『どういうことだ、闇属性魔法でも削りきれん!』
七属性中最強の攻撃力を誇る闇属性魔法による攻撃は確かに結界を削ってはいる。だが、削りきって突破する前に削った部分が復活してしまい元に戻ってしまうのだ。
これが光属性魔法で生み出された結界であれば突破も出来ただろう。現にセラフ族が生み出す結界であれば突破している光景が戦場のあちらこちらで見受けられる。
だが、眼前で展開されるこの半透明の結界は次元が違う。どれだけ攻撃しようとも突破できる兆しが見えてこなかった。
しかしそれも無理のないことだ。かつてエルミナ王国において戦術、戦略級を除く防御系魔法中最硬とまで呼ばれた固有魔法が相手なのだから。
しかもその結界に護られたセラフ族が魔法を放ってくるせいでデモン族側に一方的な被害が出続けるという最悪の展開である。これには兵力差故に慢心していた副官も声音に動揺を滲ませた。
『ふ、ふざけおって!戦力をあの結界の一部分に集中させろ!あの結界は決して無敵というわけではない、復元する間も与えずに連続で同じ個所を攻撃し続ければ突破出来るはずだ!』
その考えは間違いではない。だが、そうするために戦力を集めようにも異常な強さで暴れ回る者たちの所為でデモン族側の戦力はウェントゥス中に散らばってしまっていた。
「オラァ!雑魚がオレ様の前に立つんじゃねぇー!」
『ぐはっ!?』
『くそっ、サラマンダー族がなんだってこんなところに居るんだよ!?』
都市北部では一人のサラマンダー族が猛威を振るっていた。
圧倒的なまでの爆発力が迸り火炎がデモン族を炙っていく。
人型にすらなれる高位精霊の全力は闇属性魔法を正面から打ち砕くほどのものであった。
「オラオラオラァ!弱えーくせにイキってんじゃねぇぞぉ!」
赤髪赤眼――燃え盛るような姿の青年は全身に炎を纏っていた。その身から放たれる火属性魔法は器用に都市に燃え移るのを避けてデモン族だけを焼き尽くしていく。
これほど繊細な魔法制御が出来るのはサラマンダー族最強であるイグニスだからこそである。
通常のサラマンダー族であれば周囲ごと火の海にしていたであろう。だが、彼は族長に登りつめても尚、たゆまぬ修練を積み続けていることで高度な魔法制御を可能としていた。
そんな彼とは真逆の位置――都市南部では、これまた真逆の属性魔法を行使してデモン族と戦う者がいた。
青髪青眼――姿すらイグニスとは真逆の少女、ウンディーネ族族長の娘であるエピスである。
彼女もまたたった一人でデモン族の軍勢相手に戦いを挑んでいた。
『敵はたったの一人だ!集中砲火で殺せ!!』
「う~ん、それはちょっと難しいと思うよ?」
沢山の殺意を向けられても尚、エピスは困ったように微笑んでいた。その足元は奇妙なことに水に沈んでいる。
彼女は飛来する無数の黒球に向けて軽く手を振った。
たったそれだけの動作、されど齎された事象は天変地異のそれだ。
突如として彼女の足元に広がる水溜まりが膨張し、あっという間に巨大な水壁を形成したのだ。
闇属性魔法はその水壁に当たり――そのまま削って突破しようとする。だが、その時にはもうエピスは当初の場所にはいなかった。
『な――おい、あのガキは何処に――ッッ!?』
「その言い方はレディーに失礼だと思わないのかな」
気づけば彼女は水壁の上に立っていた。そこから眼下のデモン族たちを見下ろしながらエピスは片手をひらりと振るった。
「水よ、刃と成れ」
刹那、彼女の意思に従い周囲に飛び散っていた水滴が鋭く尖ってデモン族に襲い掛かった。凄まじい速度、加えて不意を突かれたこともあってデモン族はなすすべなく串刺しにされてしまう。
『だ、だがこの程度……っ!?』
「弾け飛んじゃえ」
軽い一言、だが齎された効果は凄絶の一言に過ぎた。
なんとデモン族の――黒い魔力球体に突き刺さっていた水刃が突如として膨張し破裂したのである。
つまり体内から体外に向けて水圧をかけたのである。そうなるとどうなるか――答えは単純、身体が文字通り弾け飛ぶのである。
まるで風船が弾けるような音と共にデモン族の身体が粉々に吹き飛んでいく。あまりにも残酷なその光景を創り出した張本人はそれでも困ったように微笑むだけだ。
「う~ん、お母さまのようにはいかないなぁ。これはもっと訓練が必要だね」
『ば、化け物め……!』
その光景を被害を免れたデモン族の兵士たちは戦慄の眼差しで見つめるのだった。




