二十一話
続きです。
夜――それは古の時代より多くの種族に畏れられている時間帯だ。
世界を照らす太陽が隠れ、代わりに月が浮かび上がれば良いが、それすら雲に覆われた闇が訪れる日――かつては〝黒天王〟が、現代では後ろ暗い目的を抱える者たちが姿を見せてしまう。
「つまりはボクのような存在が動くにはもってこいの時間というわけだ」
天山頂上――〝精霊帝〟の宮殿カエルム。
厳重に護られているはずの宮殿、その一室にナイトメアは立っていた。眼下には寝台で眠る金髪の少女の姿がある。
「セラフ族もゼヒレーテも大したことないな。所詮は引きこもり連中、新たな技術には対応できないってわけだ」
そう嘲るナイトメアの小柄な体は半透明に透けている。これは〝王〟より授かった新たな魔法による認識と気配を薄くする効果であった。
「このまま〝天ノ柱〟――〝星辰王〟の住処を調べたいところだけど……」
今は目の前の出来事に集中すべきであった。それに〝星辰王〟が既に降臨を果たしていたら厄介なことになる。
「それはないとは思うけど……万が一ということもあるからね」
故に、とナイトメアは寝台で眠る少女に手を伸ばそうとして――動きを止めた。少女が身に纏う白銀の外套に警戒を示したのだ。
「……まさか〝天銀皇〟?いや、なんでこんなところに……?」
かつて〝終焉を齎す者〟を討伐し世界に光を取り戻した〝英雄王〟が身に纏っていた神器――それが〝天銀皇〟だ。
歴史の表舞台に姿を現したのはこれまで二回。〝英雄王〟が身に纏っていた千二百年前とその末裔が出現した二百年前だ。
そしてその二百年前に末裔と共に南大陸の〝大絶壁〟へと落下し失われたものと思われていたが……。
「回収されていた?いや、だとしてもこの女が着用できている理由はなんだ?」
一気に警戒心が跳ね上がる。眼前の少女は神剣所持者でもなければ攻撃的な固有魔法を持っているわけでもないと〝王〟から聞いている。
だが、〝天銀皇〟を纏っているとなると話は別だ。これは意思ある外套であり、〝英雄王〟の血族しか所持者として選ばないはずなのだ。
であればこの少女には〝英雄王〟の血が流れているということになるが、それはあり得ない。ナイトメアは仕える主である〝王〟から真実を聞かされているからだ。〝英雄王〟は子を成しておらず、二百年前に出現した末裔もそれを名乗っているだけの本人であったと。
「……まあいい。どの道連れて帰って調べればいいだけだ」
所持者の危機に反応して自動防御を行う厄介な外套ではあるが対処法はある。神器たるこの外套は今となっては希少である〝神力〟という特殊な力で動いている。その力と相反する〝魔力〟を一度に大量に流し込んでやれば機能不全に追い込めるのだ。
ナイトメアは懐から一つの宝石を取り出した。妖し気な紫色に輝くその石の名は魔石。魔力が凝縮された貴重な鉱石である。
彼は手に握りしめた魔石を素早く白銀の外套に突っ込んだ。同時に少女が覚醒しないよう魔法で意識を深く眠らせておく。
少女は微かに呻いたが、すぐに先ほどまでの規則正しい寝息を立て始めた。そんな彼女を魔法で宙に浮かせたナイトメア――その背後から平坦な声が響く。
「――我が宮殿に土足で踏み入り、あまつさえ客人に手を出すとはな」
その言葉にナイトメアが振り返れば、彼の紅眼に簡素な法衣を纏った少女の姿が映りこんだ。
何処にでもいそうな〝人族〟の少女――に見る者全てが認識する存在が部屋の入り口に立っている。
「おやおやこれは……〝精霊帝〟様ではありませんか。ご機嫌麗しゅうございます。他の〝王〟の眷属の侵入にも気づけない間抜けかと思いましたが……少し見直したよ?」
慇懃に振舞おうとしたが、途中で下らなくなって何時もの態度で臨めば、少女――〝精霊帝〟ゼヒレーテが闇夜に負けないくらい冷たい声音を発する。
「そういう汝は我が〝王〟の神剣に選ばれておきながら他の〝王〟に尻尾を振る尻軽ではないか」
「……黙れよ。今はお前の相手をする気はないんだっ!」
ゼヒレーテの挑発にナイトメアは神剣〝絶滅〟を召喚、間髪入れずに投擲した。
よもやいきなり攻撃してくるとは考えもしなかったのか、驚きに眼を瞠るゼヒレーテは咄嗟に防御魔法を多重展開した右手を前に出してその一撃を受け止めた。
しかしそのような脆弱な護りに防がれる神剣ではない。紅槍はゼヒレーテの防御を突破して彼女を吹き飛ばし背後にあった廊下ごと消し飛ばした。
凄まじい轟音と崩落の土煙の中、ナイトメアはもはや隠す必要なしと判断して声を拡張させ言った。
「シャルロット姫はデモン族のナイトメアが預かった!返してほしくば〝精霊帝〟ゼヒレーテが一人で我らが領地に来るように。仲間を引き連れてきた場合は姫を即座に殺す!」
そう宣言したナイトメアは金髪の少女――シャルロットを抱えると、崩落する部屋の窓を破壊して外に出て一気に東の空へと飛び去るのだった。
*****
その後、崩落の轟音により飛び起きた〝人族〟の面々は玉座の間に集まった。
困惑と緊迫の表情を浮かべる一同にゼヒレーテは頭を下げた。
「すまぬ。件の神剣〝絶滅〟の所持者であるナイトメアに汝らの姫君を連れていかれた」
そう言ってナイトメアの襲撃を説明し出した。
「よもやセラフ族や我が眼をかいくぐり単身で侵入するとは想定外であった。これは我の敵に対する見積もりの甘さ故の失態だ。故に我はその責任を取る意味合いでもデモン族領地へ向かおう」
「……事情は理解しました。ですが、本当にお一人で往かれるおつもりなのですか?」
「そうだぜ――じゃなくてそうですよ!これは明らかに罠だ!」
ゼヒレーテの言にテオドールとイグニスが待ったをかけるが、彼女は淡々と返答する。
「あの者の言葉は汝らの耳にも入っているであろう。我が一人で往かねば姫君は殺される」
「……ですが、言う通りにしても殺されない保証はない」
「そうだな。だが、どちらにせよ主導権が向こうにある以上、従わざるを得ない。それに……勝機は十分にある。姫君を取り戻す算段も既についている」
そう言って玉座から腰を上げたゼヒレーテは手元に銀色の円月輪を出現させ目を細めた。常に感情を表に出さない彼女が――微かに表情に感情を乗せている。それは怒りという感情であった。
「我を侮り我の宮殿で好き勝手してくれたあの若造には落とし前を付けさせる。〝精霊族〟の頂点たる〝精霊帝〟の力、存分に見せつけてくれよう」
「……畏まりました。しかし我らもここで黙って待っているつもりはありません」
「無論だ。汝らには南に向かってもらいたい。シルフ族領都と落としたデモン族別動隊を叩いて欲しい。我は東の軍勢を討つ」
「……お一人で神剣所持者だけでなく軍勢も相手にすると?」
驚くテオドールにゼヒレーテは当たり前だと首肯した。
「もはや交渉などと甘いことを言っている場合ではない。故に軍勢を滅ぼし、その後降伏してきたデモン族に慈悲を与える形でこの騒乱を収めるつもりだ」
出来れば魔物が湧き出る中央大陸の防波堤となっているデモン族の戦力を削りたくはない。しかしもはやそうも言っていられない。これから同盟を結ぶ相手の頭が、自分が管理する宮殿内で攫われたのだ。弁解するためにも計略を捨てて打って出るしかない。
覚悟を見せられたエルミナ亡命政府の面々は顔を見合わせると頷いた。
「ゼヒレーテ殿のお言葉を信じましょう。我らもすぐに出陣の準備を致します」
「我も配下に指示を出す必要がある。故にそうだな……夜明けと共にここを立つ。それでよいか?」
「問題ございません。ただアスカ殿は……」
「宮殿内で引き続き療養するが良い。護衛としてセラフ族から腕利きの者を傍に置こう」
「……寛大なるご配慮、誠にありがとうございます」
そうして一同は戦に向けて動き出すのだった。
*****
崩落した宮殿の一角はすぐさまセラフ族が修復を始めていた。
その音を耳朶に触れさせながらテンペストは明日香にあてがわれた部屋の中にいた。彼はないとは思うが再度襲撃に備え話し合いに参加せず己が主を守護していたのだ。
「……我が主」
テンペストが見守る寝台に横たわる少女――江守明日香は未だ目覚める気配がない。時折苦しそうに呻くだけで意識が覚醒しないのだ。
ゼヒレーテが言うには迷いがあるから目覚めないのだというが……。
「我が主よ、あなた様の気高きお姿を私は以前拝見させて頂きました。……あの時の輝きに嘘はなかった」
二振りの刀を振るう彼女の姿は孤高であり気高く、それでいて烈々たる覇気を放っていた。
あれほどの存在感をテンペストは他に知らない。〝精霊帝〟であるゼヒレーテですら明日香には及ばないであろうと彼は本気で考えていた。
「あなた様の望むままに振舞えば良いのです。それだけで私には十分……」
明日香が何に悩んでいるかはテンペストには検討もつかない。だが、彼女に思い悩む姿は相応しくないということだけは確信を以て断言できる。
「またあのお姿を見せて頂きたい……」
とテンペストが溢した呟きに――応える声があった。
「――なら、共に往こう」
「…………我が主?」
今一番聞きたかった声――雄々しく活力にあふれた覇気ある声音。
テンペストが顔を上げれば、そこには寝台から起き上がり、床に立つ〝剣姫〟の姿があった。
「我が主!?お目覚めになられたのですかッ!」
「うん、見てのとおりね。身体の方も問題ない、心配かけてごめんね」
と言って微笑む明日香にテンペストは僅かに違和感を覚えた。迷いのない一点の曇りもない笑顔――それが逆に違和感となっていた。彼女はこんなにも良い笑顔を浮かべる人物であっただろうか。
だが、そんな疑問をテンペストは脇へ追いやった。今は無事に起きてくれたことの方が重要だし嬉しいからだ。
「我が主、あれから色々とありまして――」
「大丈夫、状況は把握しているから」
「はっ?」
現在状況を説明しようとしたテンペストを遮って明日香は朗らかに笑った。それはあまりにも場違いなほど明るい表情で――。
「じゃあ、行こっか」
「……何処へですか?」
「決まってるでしょ。東――お姫様の元へだよ」
困惑を浮かべるテンペストに明日香は手を差し伸べた。その黒瞳を見たテンペストは思わず息を呑む。気味が悪いほどに澄んだ双眸には何も映ってはいなかった。
「何処までも私が望む場所に連れていってくれる?」
唐突な問いかけ。だが、テンペストの覚悟は既に決まっている。
「地の果て海の果て空の果て――何処まででも」
立ち上がったテンペストの頬を優しく撫でた明日香はその返答に笑った。
「なら今すぐ行こう」




