十九話
続きです。
「……危ねぇな」
明日香が放った渾身の一撃はエクサルには届かなかった。
否――届きはしたが、効果がなかったのだ。
「くそ……――」
繰り出した一閃はまさに雷光の如き速度であったが、神剣〝破邪〟で硬化されたエクサルの身体に弾かれてしまった。それどころか手にしていた〝髭切〟が折れてしまったのだ。
力を使い果たして倒れこむ明日香の表情は悔し気なものである。
そんな彼女を見下ろすエクサルの瞳には相手に対する敬意が僅かに宿っていた。
「惜しいな。そんななまくらじゃなけりゃ俺に傷をつけられたかもしれねぇ」
この女の放った一撃を彼は知覚出来なかった。故に〝破邪〟の神権――〝護法〟の防御を突破出来るほどの格を持つ武器を使用していれば結果はまた違ったものになっていたであろう。
「だが現実はこうだ。殺すには惜しいが……」
こいつであればいずれ自分を愉しませてくれるかもしれない。けれども今は戦争中で、エクサルには守り導かなければならない同志たちがいる。
エクサルは片足を上げ明日香の頭部を踏み潰そうとする。
だが――、
「それは看過できぬな」
「――何ッ!?」
――突如として銀色の円月輪が飛来してきたことでその動きを止めた。
エクサルは頭部を狙ってきた円月輪を硬化させた両腕で弾く。凄まじい衝撃であったが耐えられないほどではない。彼はそれを弾くと円月輪が飛んできた方向へ視線を向けた。
そこには一人の少女が立っていた。簡素な白の法衣を身に纏った〝人族〟の少女――に見えるが、その正体が何者であるかを知っていたエクサルは重苦しい息を吐き出す。
「〝精霊帝〟――ゼヒレーテか。よもやこの時期に動くとはな」
「それはこちらの台詞だ、エクサルよ。何故、秩序を乱そうとする」
少女――〝精霊族〟を束ねし初代にして当代〝精霊帝〟ゼヒレーテのその言葉にエクサルは憤怒を露わにした。
「……本気で言ってるのか?西大陸東部――中央大陸に一番近く、年中寒冷で強力な魔物や〝冷たき獣〟が襲来してくる地に我らデモン族を封じた貴様が!分からないってのかよ!!」
「それは致し方なきことであった。七属性の中で突出して攻撃力に長けた闇属性の化身たる汝らでなければ千二百年もの間秩序を保つことは叶わなかったが故に」
「だから俺たちに我慢し続けろと?他の部族がのうのうと暮らしている間、我らは不毛の大地で魔物共と戦い続けろと、そう言いたいのかよ!」
「そうだ」
エクサルの激情にゼヒレーテは無表情で即答した。そこには悔恨も後悔もありはしない。ただ自然の摂理としてデモン族の犠牲は当然だと言わんばかりの態度である。
これにはエクサルだけでなく周囲で様子を見守っていたデモン族らも怒りを露わにする。
だが、ゼヒレーテは向けられる憎悪に無関心であった。
「我らが神たる〝星辰王〟様の託宣を受ける我の言葉は絶対である。故に汝らが従うのは当然のこと」
「…………もう、いい」
あまりの怒りに一周回って奇妙な冷静状態になったエクサルは両拳を打ち付ける。硬化している拳は火花を散らして彼の憤怒を示した。
「ここで殺してやる――」
「良いのか?我と汝が戦えば周囲の者は皆死ぬぞ」
だが、ゼヒレーテからそう告げられて留まった。
確かに神剣所持者たる二人がぶつかり合えば周囲にいる者たちは無事では済まないだろう。
さながら天災に巻き込まれるようなものだ。それでは守るべきデモン族たちも犠牲になる。
それに加えて特殊な〝力〟を持つ〝人族〟らもいる。彼らが〝精霊帝〟に協力するとなったら苦戦は免れない。
同じ神剣所持者にして同志であるナイトメアがここに居ればまた違うだろうが……たらればの話を今してもどうしようもない。
エクサルは何度も深呼吸をして激情を抑えると静かに言った。
「……撤退する。邪魔をするならその時はお前も覚悟を決めてもらうが?」
「邪魔立てはせぬ。我はユニコーン族とそこの〝人族〟らに用があるだけ故な」
「そうかよ。……お前ら、行くぞ!」
エクサルは号令を発してデモン族を下がらせる。
去り際に意識のない明日香に視線を向けたが、何も言わずにその場を後にした。
*****
エクサルと共にデモン族が去った戦場にユニコーン族の快哉が響き渡る。
消化不良ではあるが、攻めてきた相手が撤退したのだ。これは勝利と言って良いだろうと。
そんな中で〝精霊帝〟ゼヒレーテは地に倒れ伏す明日香の元へ近づいた。裸足で歩いているように見えたが、実際には宙に浮いており何もない空間を踏みしめている。
「……誇り高き戦人、荒々しき魂の持ち主よ。汝の意思に敬意を表そう」
ゼヒレーテは小さくそう呟くと小さな掌を明日香の頭へと翳す。淡い緑色の光が彼女の手から発せられ、苦しそうなだった明日香の表情が和らいだ。
そこにテンペストや新たちがやってくる。
「〝精霊帝〟ゼヒレーテ陛下、ご助力感謝致します」
「そう畏まるな、ユニコーン族の族長テンペスト。我には汝らを守護する責務がある」
平服するテンペストに気にするなとゼヒレーテは首を振った。相変わらずその表情は無を湛えているが、身に纏う雰囲気には穏やかな気配がある。
エクサルに一蹴された悔しさを押し殺す新もまた頭を下げた。
「ゼヒレーテ殿、ありがとうございます。私は――」
「良い、汝らのことは知っている。南大陸から空飛ぶ船に乗ってやってきた〝人族〟。エルミナ王国という国家の亡命政府であろう」
あっさりと自分たちの正体を暴かれた新は驚きに眼を瞠る。
そんな彼が手にする二振りの剣に視線を向けたゼヒレーテは目を細めて言葉を発した。
「〝月光王〟が創生した〝人族〟の神剣――〝干将莫邪〟か。実に二百年ぶりに見たな」
その言葉に新の手にある〝干将莫邪〟が震えた。この二振りも二百年ぶりに邂逅した〝精霊帝〟に何かしら思うところがあるのだろう。
「遠路はるばるご苦労である。苦難の旅路の中、我らの問題に巻き込んでしまってすまぬな」
「い、いえそのようなことは……」
意外にも好意的な〝精霊帝〟に恐縮する新だったが、直後に発せられた言葉に警戒を示した。
「だが、汝らはこの大陸の――ひいては世界の秩序を乱しかねない存在である。故に放置は出来ぬ」
「……我々を排除すると?」
「短絡的だが、効果的でもある。しかし我は汝らの様子を観察しそれ以外の道を選ぶことにした」
そう告げたゼヒレーテは浮遊魔法を使って明日香を浮かせると新に眼を向けた。
新には緑に、テンペストには金に見えるその瞳には無だけがあった。
「この地は悪くないが長話をするには適していない。まずは汝らを我が宮殿に招こう」




