十四話
続きです。
サラマンダー族の都シンティラ――活火山の中腹から山麓にかけて存在する自然の都である。
ここには赤色の球体――サラマンダー族が数多く住んでおり、彼ら自身が発する熱もあって周囲の気温は凄まじいものとなっていた。
「暑いよ~死んじゃう~~」
シンティラの街の入り口付近に位置するこの街唯一の建造物――迎賓館では椅子に座った明日香が不満を口にしながら眼前の机に突っ伏している。その額には玉のような汗が噴き出ていた。
各々水魔法で火属性耐性を上げているのにこの様である。更にその上から〝精霊族〟水属性種のウンディーネであるエピスの魔法をかけていてこれなのだから魔法を使えない者であれば一刻も持たないであろうことは間違いなかった。
海千山千のテオドールですらも大粒の汗をかきながら心なしか早口でイグニスに事情を説明していた。
「――というわけでして、サラマンダー族の方々にもご助力を願った次第です」
「はぁ……なるほどな。お前らも苦労してんだな」
イグニスはそう感想を述べると顎に手を当ててしばし黙り込む。その表情には一族の長らしい真剣な色が浮かんでいた。
その後、腰に手を当てて天井を眺めやった彼は顔を正面に戻してテオドールを、次いでエピスを、最後にシャルロットを見やる。燃え盛る炎の如き赤眼が年若き王女を射抜く。
「協力すんのは別にいい。古の時代のように他種族と交わるのは実に刺激的だしな」
「では――」
「だが条件がある」
色よい返事にシャルロットが笑顔を浮かべかけたのを制してイグニスは笑う。その笑みは何処か好戦的な雰囲気を孕んでいた。
「条件は三つ。一つはウンディーネやノームと同じように〝精霊帝〟様の許可が降りた場合のみ協力するというものだ」
これは〝精霊族〟という種族全体における共通の条件であると既に踏んでいる。故に驚きはなくシャルロットは頷いた。
「二つ――オレ様をお前らの旅に同行させろ」
「っ、それは……」
「別に驚くことでもないだろ?既にウンディーネ族からエピスが同行している。それにオレ様が加わるだけだ。なぁに、足手まといにはならねぇよ。むしろサラマンダー族最強の力を見してやる」
これにはテオドールが難色を示した。
「しかし貴殿はサラマンダー族の族長――であるならば長期間一族の元を離れるのは拙いのでは?」
「問題はねぇよ。元々オレ様は武者修行と領内視察を兼ねてサラマンダー族領土を転々と旅することが多い。だからそれに対応するためにオレ様が長期間シンティラに居なくとも回るようにしてあるからよ」
「……だが、もしも貴殿の身に何かあれば――」
「それも問題はない。何かあった時に備えて既に後継者を定めてある。心配はいらねぇよ」
「……そこまで仰られるのであればこれ以上私から言うことはありません」
イグニスが矢継ぎ早にテオドールの懸念を払拭すれば、彼は納得したと引き下がる。
その様子を見てからイグニスは最後の条件を口にした。
「三つ――エピスをオレ様の嫁にくれ」
「えっ――」
話題に挙がったエピスは茫然とイグニスを見つめる。あまりにも唐突すぎて思考が纏まらず感情も混乱していたのだ。
それは他の面々も同様で険しい顔つきでシャルロットが口を開こうとして――冷たい声音に遮られる。
「それってどういうことかな?」
短い言葉、だがそこに宿る殺気は熱気満ちるこの場を凍らせるほどに冷酷な響きを伴っている。
気づけば〝剣姫〟江守明日香が立ち上がっていた。その表情には先ほどまでの稚気はない。ぞっとするほどの無表情でイグニスを見つめていた。
「政略結婚ってこと?サラマンダー族の協力が欲しければエピスを――私たちの友達を差し出せと。あなたはそう言っているの?」
声音に孕むのは怒りだ。彼女は明らかに友であり仲間であるエピスの身柄を寄越せというイグニスの台詞に激怒していた。
刀こそ出していないものの、全身から立ち昇る剣気が抜き身の刃を想起させる。
ここで発言を誤れば斬られる――そう錯覚させるほどの圧であった。
「……ちげぇよ。別に差し出せ、なんて言ってねぇだろ。オレ様はくれって言ったんだ」
「同じことでしょ」
「違う。前者は本人の意思を無視した言葉だが、後者は本人に考える余地があるだろ」
我が強いイグニスが慎重な物言いになっている。それだけ明日香の放つ異質な覇気に警戒しているということだ。
「オレ様の炎を受け止めるほどの水魔法を操る強さ、オレ様の奇襲にひるまず前に出た勇気、見惚れちまうくらい美しい外見、冒険心を宿すその魂――全てがオレ様好みだ。まぁ、なんだ……一目惚れってやつだよ」
真面目に、そして最後には照れを見せながら理由を語るイグニスの視線はエピスを捉えて離さない。
対するエピスも困惑をその美貌に浮かべながらも明日香の怒りを収めるべく言葉を発する。
「えぇっと……その、気持ちは嬉しいけど……私たちまだ出会ったばかりだし、すぐには応えられないよ」
「じゃあ、これから旅をする中でお互いのことを知っていく。で、オレ様に惚れてくれたら嫁に来てくれよ」
「う、うん……取り敢えずそれでいいよ。アスカさんも、私は大丈夫だから」
「……そういうことなら」
と放出していた魔力を消した明日香にイグニスの警戒態勢も解ける。
シャルロット達も顔を見合わせて、本人がそう言うのなら、とエピスの判断を尊重する姿勢を取る。
「じゃあ決まりだな。これからよろしく頼むぜ!」
「ええ、こちらこそよろしくお願いしますね、イグニスさま」
近づいてきて手を差し出してきたイグニスにシャルロットは微笑みを浮かべてその手を握り返した。
不思議と熱さは感じなかった。
*****
同時刻――西大陸中央部〝天山〟。
文字通り天を貫くほどの標高を持つこの山は〝精霊族〟光属性セラフ族が住まう地であり〝精霊族〟全体が従う〝精霊帝〟がおわす場でもある。
平時は山の様々な場所をセラフ族――一対の小さな白き翼をはやす球体がふわふわと飛んでいる幻想的な場所であるが、現在は一定の間隔に一定の数が配置されており物々しい雰囲気を醸し出している。
そんな〝天山〟の頂上――雲海の上に佇むは〝精霊帝〟の宮殿カエルムである。
全てが純白に染まった宮殿――見る者に異様なまでの潔癖さを感じさせるその建物の最奥には〝精霊族〟が崇める神である〝星辰王〟が住まう〝天ノ柱〟が存在しているとされている。
「――それで、戦況はどうなっている?」
〝天ノ柱〟に通ずる唯一の場所である玉座の間、全てが白く染まったその場所の主がこれまた純白の玉座に座って眼下で跪く男に声をかけた。
その男――セラフ族族長のアルバは常なる無表情で淡々と主の質問に応じる。
「現在、東より侵攻を開始したデモン族は破竹の勢いで大森林を制圧、既に東の大部分を占領下においており、無事なのはユニコーン族の都アストラがある地域一帯と我らが〝天山〟周囲のみです。奴らは〝天山〟を避けて北と南に進軍し、北はアストラ、南は南西部に位置するシルフ族の都ウェントゥス近郊まで迫っております」
唐突なデモン族の侵攻は電撃的であり、その進軍速度の速さからこちらは後手に回ってしまっていた。
その為、大森林に住まう三種族間の連絡網が破壊され連携が取れず、結果今の劣勢状態を招いてしまっている。
「申し訳ございません。我らの初動が遅れてしまったことでこのような――」
「良い」
アルバの言葉を遮る〝精霊帝〟の声音には何の感慨も浮かんでいない。〝無〟だけがそこにあった。
「秩序が破られた。それも二度に渡ってだ」
「二度……と言いますと、南大陸からやってきた〝人族〟のこともでしょうか」
「そうだ。あの者らはこの大陸の――ひいては世界の秩序すら乱す存在。看過は出来ぬ」
「……デモン族の方は明らかに秩序への反逆者でしょう。しかし〝人族〟の方はまだ分かりません」
「目的は知らぬ。だが、千二百年もの間保たれてきた秩序に変化が生じたのは確かだ」
「それはそうですが、だからと言ってこちらから攻撃的になる必要もないかと。まずは彼らの目的と真意を探る所から始めるべきではないでしょうか」
普段、アルバは主である〝精霊帝〟に忠実でありこのように食い下がることは極めて稀だ。
故に多少興味が引かれたのか、〝精霊帝〟は見る者によって変化する色合いの瞳で臣下を見つめた。
「珍しいな、汝がそこまで興味を示す相手など」
「……ご気分を害されてしまったのでしたら申し訳ございません。ですが、千二百年ぶりの他種族との邂逅です。慎重に事を進めるべきではないかと愚考した次第でございます」
「良い、確かに汝の考えも理解できる」
故に、と〝精霊帝〟は右手の掌を上向ける。するとそこには音もなく銀色の円月輪が現出した。
「我らが〝王〟より賜りし神剣〝秩序〟を以てあの者らの目的、そして真意を見極めよう」
「――御意。寛大なるご配慮、痛み入ります」
「あの者らは我が観察する。汝はデモン族に対処せよ」
「畏まりました。我らが〝王〟より賜りしこの神剣〝照破〟に誓って必ずや秩序への反逆者を征伐してご覧に入れます」
そう宣言したアルバの左手にはいつの間に出現したのか、一つの弓が握られていた。金に輝くその弓は凄まじい魔力を内包していることが一目で分かるほどの存在感を示している。
立ち上がった彼は玉座に向かって一礼すると踵を返してその場を後にする。
その背を見送る〝精霊帝〟は呟いた。その身体に見合った幼い少女の声音で。
「千二百年……随分と長い刻であったぞ〝獅子心王〟よ」




