四話
続きです。
神聖歴千二百年九月四日。
この日、遂に飛空艇オルトリンデの前に西大陸がその姿を見せた。
「あれが……〝精霊族〟の住まう大陸か」
オルトリンデの艦橋に集合した一同は誰ともなく感嘆の吐息を溢した。
厚雲を抜けた先に広がる大陸は天空から見下ろしても広大で全容を窺い知ることは出来ない。
だが、それでも見える範囲で分かるのはこの大陸が自然豊かな地であるということだろう。
北には天をも貫く雄大な山が屹立しており山麓には広大な森林地帯が広がっている。その手前には長大な大瀑布が存在していた。
西には武骨な山々が見て取れ東に眼を向ければ雪吹きすさぶ極寒の世界が広がっているのが分かる。
そして眼下――大陸の南側には大陸中央部に位置する大瀑布から流れ落ちる水によって潤う自然地帯となっていた。
至る所にある湖や池、その合間合間で伸び伸びと葉を伸ばす木々が美しい。
「綺麗な所ですね……」
思わずといった様子でカティアが呟き新も同意だと首肯した。
「自然と共に生きる〝精霊族〟らしい大陸と言えるでしょうね」
基本的に肉体を持たず魔力の塊として生きる〝精霊族〟は自然を汚染しないし破壊もしない種族だ。
それ故彼らは自然に愛され自然と調和して暮らしているという。
「……そろそろ地上に降り立つとしましょう。姫殿下、ご準備はよろしいですかな?」
と舵を握るテオドールがシャルロットに訊ねれば、彼女は僅かに眼を閉じてから瞼を上げて頷いた。
主君の同意を得たテオドールは他の面々を見回す。程度の差こそあれ誰の表情にも不安の色が見て取れたが、それは仕方のない事だとも思う。未知の大陸で未知の種族と接触するのだ。知識として知ってはいても直に接触するとなればまた話が違うもの。しかもこの接触は今後を大きく左右するものであるのだから緊張は尚更膨れ上がる。
だが、ことここに至っては後戻りなど出来ようはずもない。前に進むしかないのだ。その先にしか望む未来はないと誰もが理解している。
「……降下します」
ゆっくりと大陸最南端に広がる大地へと高度を下げていくオルトリンデ。その銀色の船体は警戒していた迎撃もなく無事に西大陸の地に降り立つのであった。
*****
着陸し舷梯を下ろしたオルトリンデから一同は降りた。
初めて踏みしめる別大陸の地面は慣れ親しんだ南大陸の地面と大差ないように感じられる。
しかしながら肺に吸い込む空気は別物であった。これほど瑞々しくまた新鮮な大気は南大陸では滅多に味わえない代物だ。
「う~ん、空気が美味しいね!大気中の魔力も凄い濃くて何だか身体が動かしやすいよ!」
そう言って笑みを浮かべるのは明日香だった。飛空艇内では鬱々としていた彼女だったが今は晴天の空のように清々しい表情を浮かべている。
そんな彼女につられる形で他の面々も明るい表情を浮かべていた。いつもの明日香らしいムードメーカー的な本領を発揮している――少なくとも表向きは。
(パッとみはいつもの明るい明日香だが……)
伊達に長い付き合いではない新は明日香の様子が普段通りではないことに気付いていた。しかしここで指摘してしまえばせっかく向上した場の雰囲気が悪くなってしまう可能性もあったし、何より彼女がしらを切ることは明らかであると新は感じていた。
(戦うことしか考えていないような奴ではあるが、それでも仲間や友人に対する思いやりを持ち合わせている。……ったく、一人で抱え込むなよな)
後で事情を聴く必要があると感じた新であったが、ここでふと何者かの気配を感じ取って素早く振り向いた。
と、そこには――、
『――?――っ!?――!!』
――澄んだ青色の球体、魔力の塊がふわふわと宙に浮いている光景があった。
しかもその球体はこちらの思考に直接意思のようなものを放ってきている。言葉ではない、純粋な感情の波のようなそれに頭痛を覚えた新は片手で額を抑えながら叫ぶ。
「すまない、あなたは〝妖精族〟の――ウンディーネで間違いないか!?」
『――!――っ!?』
「ぐっ、駄目だ言葉が通じているのかわからない……っ!」
伝わってくる感情は強い戸惑いだ。だがそれがこちらの意思が伝わっている上でのものなのか、そもそも伝わってすらいないのかが分からない。
それは他の面々も同じようで皆頭痛を堪えるようにして顔を顰めていた。
このままでは援軍を乞うどころではない。まともに意思疎通すら取れないのであればそれ以前の問題だからだ。
このままでは不味い。そう判断した新は両腰に吊るしていた神剣〝干将莫邪〟の柄に手を伸ばして――、
「――おや、あなたたち見たことのない魔力をしているね。何処の種族のヒトかな?」
――青髪青眼の〝人族〟離れした美しさを持つ少女が現れたことで手を止めた。
彼女の出現と同時に先ほどまで強烈な感情の波を放っていた球体が少女の元へと往きじゃれつくようにしてふわふわと漂い始めた。
そんな球体を優しく撫でる少女の姿はまるで御伽噺のような光景で――思わず目を奪われていた新だったが〝干将莫邪〟からしっかりしろと言いたげな魔力の放出を受けて我に返った。
「すみません、あなた方はもしかして――〝妖精族〟における水属性を司るウンディーネですか?」
「うん、そうだよ!そういうキミたちは何者なのかな」
「あ……すみません、申し遅れました。私たちはこの地より南に位置する南大陸からやってきました〝人族〟です」
新がそう答えると少女は目を見開いて驚きを露わにした。
「〝人族〟!?千二百年前の大戦で私たちと一緒に〝魔族〟と戦った、あの〝人族〟!?」
「寿命が短いのが〝人族〟なので当時の人々ではありませんが……まあその〝人族〟で間違いないですよ」
「うわぁ……!凄い、凄い!これが〝人族〟なんだねぇ。肉体――〝器〟ってこんな感じなんだ!すごーい、モチモチしてるぅ!」
「っ……いきなり触るのは止めてほしいのですが」
突如として新に接近した少女は興奮した様子で人差し指で彼の頬を突いた。その冷たい指の感覚にも驚いた新だったが、何より驚愕したのは接近に全く反応出来なかったことである。
(さっきの球体の時も接近を感知できなかった。これは……信じられないけど害意が全くないのか?)
先ほど初めて出会った球体型の〝精霊族〟も眼前の人型の〝精霊族〟もそうだが、彼女たちからはこちらに対する害意――敵意や悪意といったものを一切感じないのだ。
それどころか恐らく初めて会ったのだろう〝人族〟――こちらに対する警戒心すら感じられない。
信じがたいことだがそういう負の感情を持たないが為に身体も神剣も警戒できず、それ故に近距離まで接近されるまで反応出来なかったのだろうと新は判断した。
(〝精霊族〟……純粋な魔力の塊でありその基本的な性格は温厚で争いを好まない。そう文献にはあったが……まさかここまでとはな)
とはいえこれは好機だ。異種族との初接触はかなり穏便に進んでいる。
初めは意思疎通が困難なのかと絶望しかけたが、きちんと話すことのできる人物の登場で一気に希望が持てた。
新が素早くテオドールに目配せすれば、彼は頷いて前に進みでる。
「――ウンディーネのお方、どうか我々の話を聞いていただきたい。我々はあなた方に合う為にこの地を訪れたのです」
「う~ん?そうなんだ!いいよ、私もキミたちのこと気になるし色々聞きたいからね」
とウンディーネの少女は言うが、その直後に球体型の〝精霊族〟から何か言われたようで考え込むように小首を傾げた。
だが、すぐに球体型を一撫でして頷くとこちらに水宝玉のように澄んだ瞳を向けてきた。そこには好奇心が浮かんでいる。
「でもまずは族長の許可を取らないといけないみたい。だからついてきて!」
「ちょ、待ってください!どこに行くんですか!?」
突如駆け出した少女の背に向かって新が問いかければ、彼女は振り返って笑顔を向けてくる。
「決まっているでしょ!族長の――お母さまのところだよ!」
「なっ――マジかよ……!」
驚いた――どうやら彼女はウンディーネの族長の娘らしい。
だがこれは千載一遇の機会でもある。族長にすんなりとお目通りが適いそうだしそこで事情を説明し協力を得られれば――〝精霊族〟七種の内一種族の助力をすぐさま得られるということだ。
あまりにも急展開、あまりにも都合よく進み過ぎて逆に怖くなる。これが罠ではないという保証もないのだ。
だが……。
「……行きましょう。族長や他のウンディーネたちは分かりませんが、少なくとも彼女たちにこちらを害する意図は微塵もなかった。それに――信頼を得るにはまずこちらから胸襟を開いて信頼を示すべきかと」
「そう、だな。いきなりではあるが幸先が良いと捉えよう。彼女についていく――それで良いでしょうか、姫殿下」
新の進言にテオドールが同意を示してシャルロットに訊ねれば、彼女は事態の急展開による戸惑いから覚めたのかはっきりと首肯した。
「行きましょう――彼女の厚意を無下にしてはなりません」
方針は決まった。
新たちは手早く出立の準備と整えると、意外と律義にこちらを待っていたウンディーネの少女の元へと駆け足で向かうのだった。
最近忙しく中々続きを更新できない日々が続いております。
お待たせしてしまい申し訳ございません。




