三話
続きです。
会議室に残ったのはユピター父子である。
茶髪に金眼――遺伝による容姿であるが違うのはその眼に宿る光の明暗の度合いだろう。
まだ年若いクロードの金眼は覇気に溢れた明るさであるが、年月を経たテオドールの金眼には深い暗さが見て取れる。
「姫殿下は……立ち直れるでしょうか」
今回の会議に使用した資料を片付けながら〝精霊族〟の資料にも眼を通していたテオドールにクロードが話しかける。その声音からは不安と懸念が垣間見えた。
そんな息子の様子に気付きながらもテオドールは片付けの手を止めずに口を開いた。
「……正直なところわからん。姫殿下は王族であらせられるが十四歳の少女でもある。その歳であれほどの喪失を経験することになったのだ。普通の少女であれば心が折れても全くおかしくはない」
国を、家族を、恋人をほぼ同時に失ったのだ。そのいずれか一つを失っただけでも立ち直れるか怪しいところだというのに三つも失っている。
「加えて今回の亡命――いや、他国他種族の援護を求めての旅であったな――は〝人族〟の歴史上実に千二百年ぶりの他大陸、他種族との接触になる。どうなるかは全くの未知数であるし、そんな中で姫殿下は一国の命運を背負われて交渉に挑まねばならない」
改めて言葉にするとなんと過酷なことか。
それはテオドールも思っていることであるが、彼は冷酷さすら感じさせる声音で言った。
「しかしそれでも姫殿下には立ち直ってもらわねばならない。いや、この際別に立ち直らなくても良い。交渉さえできれば問題ないからな」
「なっ――父上、それはあまりにもッ――!!」
「分かっている。……だがやって頂かなければ何もかもが水泡に帰す。エルミナ王国の未来も、これからアインス大帝国に侵攻される他種族の未来も……ここまで払ってきた犠牲の数々も、な」
「ッッーー!それはっ、確かにそうですが……ッ!」
クロードは普段見せない感情の発露を露わにする。それはこの場にいる他者が父のみであるが故のことだった。
そんな息子の態度にテオドールは重苦しい息を吐き出した。
「……私とてこのようなことは言いたくはない。だがこの旅路に同行する者たちの中で唯一私のみが姫殿下に対して厳しい態度で臨めるのだ。……それはお前とて分かっているだろう?」
「…………」
確かにテオドールの言う通りである。
このたった六人の亡命政府においてシャルロット第三王女に対して厳しく接することのできる精神を有しているのは最年長であり紆余曲折の末に大臣位にまで登りつめたテオドールくらいなものだ。
勇者の二人は自らより年下であり友人の想い人でもあるシャルロットに厳しく接することは困難だろうし、温厚な性格でかつ臣下であるカティアもそれは同じことだ。
残るクロードも〝王の剣〟として王家に仕える身である以上、そのような不敬に当たる真似は出来ようもない。
「別に賛同しろとは言わん。お前はこれまで通り姫殿下に従う身であって良い。これから先、私がすることを否定し止めるのも構わん。だが……」
とここで言葉を区切ったテオドールは手を止めて実の息子を見つめた。
出産と同時に妻を失いここまで男手一つで育ててきた。茶髪に金眼は己譲りであるが、顔立ちはエルミナ東方一の美女と呼ばれた亡き妻にそっくりで美男子といえる容姿となった。
固有魔法という天より授かりし力を持ち、自らと同じ〝王の剣〟としての道を歩んでいる。
生誕から今日に至るまでずっと見てきたのだ。故にクロードが実の主君に対してどのような想いを抱いているのかも察してしまえる。
「その想いだけは――姫殿下に対する恋慕だけは許さん。早々に諦めろ」
「――――ッ!?な、なに、を……」
テオドールがハッキリと言及したことでクロードは動揺から表情を凍り付かせた。
そんな息子に対してテオドールはどこか悲し気に告げる。
「他の者には隠し通せたとしても私には隠し通せはしない。……私はお前の実の父だぞ?」
図星を突かれた――そう言わんばかりに二の句が継げない様子のクロードにテオドールは心を鬼にして続ける。
「お前のその想いは誰も幸せにはしない。むしろ不幸を生むだけだ。……それはお前とて分かっているだろう?」
クロードにとって同僚であり戦友でもある夜光の恋人にして忠誠を誓う相手でもあるのがシャルロットだ。そんな彼女に恋心を抱くということは友への裏切りであり忠誠への反逆でもある。
それはクロードとて分かっている。故に一度は確かに諦めたのだ。だが――、
「今現在、姫殿下の想い人であるヤコウ殿の生死は不明――しかも死んでいる可能性の方が高い。加えて国は他国に支配されこの場にはたった六人しかいない……だからまだ望みはある。そう思ってしまったのだろう?」
「そ、れは……っ!」
テオドールの追及をクロードは否定できなかった。まさしくその通りであったからだ。
そして彼はそんな浅ましい己を許せなかった。故に必死に隠し続けていたのだが早々に暴かれてしまう。しかし同時にやはり実の父には隠し通せなかったのだという諦念もあった。
故にクロードは固く握りしめていた拳を開いてテオドールの金眼を見つめ返す。父と同じ色彩の瞳には後悔と罪悪感、しかし何処か晴れ晴れとした光が宿っている。
「……確かに仰られる通りです。某は……姫殿下をお慕い申し上げている。しかし――」
とクロードは己の初恋を――苦いものとなってしまったそれを押し殺して固く告げた。
「某はこの想いを生涯明かしはしませぬ。墓場まで持っていく所存です」
「この先ヤコウ殿は傍におらず姫殿下のお傍に仕えるのはお前だ。それでもか?」
「無論、一切承知の上で某は申しております」
一瞬の間隙もない返答、そこに宿る意思の固さを感じ取ったテオドールはジッと息子の瞳を見据える。
だがそこには一切の嘘はなく、あるのは誠実であろうとする一人の男の眼のみであった。
……しばしの沈黙、やがてテオドールはフッと笑って相好を崩した。
「……よく分かった、お前の覚悟と決意を信じよう。しかしお前、まさか姫殿下とはなぁ」
「ぬっ、何かおかしなことでもありますか」
「いや、別に何も変ではない。姫殿下は〝王国の至宝〟と呼ばれるほどの可憐さをお持ちであるからな。いくら幼少期から武張っていたお前といえどもその美しさには勝てんということだろうよ」
クロードは現在に至るまで色恋とは無縁の存在であった。一に忠誠、二に武、三四がなくて五にまた武という生活であった為である。
母親譲りの整った顔立ちをしている為、多くの女性から黄色い声を上げられていたのだが本人はそれらを全く相手にすることはなかった。
故にそんな息子が歳が六つも離れたシャルロットに対して想いを寄せていた事実に驚きを隠せなかったのだがよくよく考えれば無理もない事だとも思っていた。
(姫殿下は今ですらお美しい。今後更に歳を重ねれば傾城――いや傾国の美しさとなられるだろう)
シャルロットは十四歳の今ですら美しい。その美貌には年相応の幼さや可憐さが交じっているが今後成長するにつれそれらは妖艶さに取って替わられることだろう。
それほどの美を持つ女性が相手では堅物なクロードとて惹かれるものがあったのだろうが……今回は相手が相手であった。
(息子がやっと恋に目覚めたかと思えば……難儀なものだ)
テオドールは今や迷いのない眼差しを向けてくる息子を頼もしく思う反面、彼の初恋を親として素直に応援できないことに悔しさも覚えていた。
だが、それでも仕方のないことだ。世の中にはこうした悲恋などありふれている。
せめて今後息子に良き出会いがあるように――そう天に願うテオドールであった。




