二話
続きです。
飛空艇オルトリンデの艦内は意外と広い。
艦内部は縦に大きく三つに分かれた構造をしており上部甲板、中部船室、下部機関室となっている。
その内の中部船室区画には現在の搭乗者である六人の男女が一人一室を割り当てられていた。
「…………」
その中でも最も広い王族専用の部屋では茫然と窓の外――雷鳴轟く雲海を眺めやるシャルロットの姿があった。
その碧眼にはかつての暖かな光はなく船外と同じような光を失った昏い色彩がある。
彼女が身に纏う白銀の外套も心なしか何時もの輝きを失っているように感じられた。
そんな王女に寄り添うのは新雪のような白髪を持つ女性――カティアである。
「姫殿下、どうかお気を確かにしてください。まだヤコウ様がお亡くなりになられたと決まったわけではありません」
「……」
「殿下もご存じの通り、ヤコウ様は尋常ならざる回復力の持ち主です。あれほどの回復力ならどれ程の怪我をなされてもきっとご無事で――」
「――でも痛みがないわけではありません」
やっと反応が返ってきたが、その固い声音にカティアは驚きに眼を瞠った。
そんな彼女の様子に気付きもせずにシャルロットは淡々と外を見ながら続ける。
「……いつもヤコーさまはそうなんです。ご自分には無頓着で大切な人を、場所を守る為にその身を顧みずに戦うんです。今回だってそうです、ヤコーさまは……っ!」
「姫殿下……」
淡々とした声音が次第に苦し気なものへと変化していく。
肩を震わせる彼女の姿に見ていられなくなったカティアは不敬を承知で後ろから抱きしめた。
「姫殿下のお立場は私も理解しています。ですが……今だけはどうか感情を隠さないでください。一人で抱え込まないでください。泣きたい時に泣けないといずれ壊れてしまいますから」
「っ……うぅ……ぁああああああッッ!!」
カティアに抱きしめられたシャルロットは、もはやほとんど思い出せない母親の温かさを感じてしまい努めて抑えていた感情が爆発してしまった。
振り返りそのままカティアの胸元に顔を埋め泣き叫んでしまう。
「なんで!どうしてなのですかッ!ヤコーさまは何も言ってはくださらなかった!一人で勝手に決めて、わたしに一言も相談しないで……ッ!ルイお兄さまもセリアお姉さまも、お父様も!わたし一人除け者にして!」
嫌い、大嫌い――本当は心にも思ってない台詞を吐いてシャルロットは慟哭する。
そんな主を抱きしめながらカティアは無理もないことだと思った。
シャルロットは王族といえどもまだ十四歳の少女である。そんな少女が血と暴力渦巻く戦場を越え、ようやく平穏を手に入れられそうな時に侵略者が現れ全てを失うことになったのだ。
(それに加えて誰もが姫殿下を計画から除外した。それが思いやりや優しさ、愛情故のことだと姫殿下ご本人も含めて誰もが理解しています。いますが……)
それでも勝手すぎるとカティアは思う。勿論計画について知ってしまったら自分たちは全力で止めてしまう。それを懸念したが故に隠していたということも頭では理解していた。
だがそれでも感情が納得できるかは別問題なのだ。
(殿方はいつもそうです。勝手に決めて勝手に行動してしまう。それが最善だと、私たちの為になると言って。残された者の気持ちも知らずに……)
すれ違い、思い違い――しかしそれら全てが相手を想うが故に起きたことなのだ。故にただ恨むということもできない。
(それでも――恨みますよ、ヤコウ様。たとえどのような理由があっても愛する者にこのような悲しい思いをさせてはいけないのですから)
カティアはシャルロットの金髪を撫でながら白髪隻眼の少年を思い浮かべて窓の外を見やる。
そこには未だ先の見えない未来のように、ただ分厚い雲が浮かぶのみであった。
*****
同じ頃、勇者〝剣姫〟江守明日香は割り当てられた船室に居た。
平時であれば笑顔の絶えない天真爛漫な彼女も今は険しい表情で掌を見つめていた。
「……私が夜光くんに置いて行かれたのは力不足だったからだ」
そんなつもりはなかったと思いたいが、自分は何処か現状に満足していた部分もあったのだろうと明日香は己を分析していた。
元の世界では次世代最強と言われ、こちらの世界に来てからも敵なしだった。勇者ともてはやされ、〝剣姫〟だと称賛された。
それが驕りに繋がった――その結果がこれだ。ノンネには軽くあしらわれ、夜光には置いて行かれた。
全ては己の不徳故――そして力不足故であると明日香は考えていた。
「弱者は置いて行かれる、弱者は脇に追いやられる、弱者は誰からも頼りにされない」
力があれば現状のようにはなっていなかっただろう。力さえあれば友である一瀬勇を救えたし天喰陽和も無事であっただろう。侵攻してきたアインス大帝国だって追い返せたし、夜光やクラウス大将軍らを喪うこともなかったはずだ。
「弱者は全てを失う……」
この先もこのままでは失い続けるだけだ。他種族の援軍が得られずに大帝国軍に追いつかれて。
テオドールもクロードもカティアもシャルロットも新も――皆、目の前で奪われてしまう。
「そんなこと……許せるわけがない。いや――私が許さない」
溢れ出る感情は怒り――自分から大切な人たちを奪おうとする者たちへの憤怒。
そして何より――自らの力不足に憎悪すら感じていた。
「力がいる。圧倒的な力が、絶対的な力が――必要だ」
明日香は両拳を握りしめると黒瞳を窓の外に広がる雲海へと向ける。その眼には赫怒の雷火が宿っていた。
そんな彼女の天すら切り裂かんとする強い意思に――遠く離れた北の大地で二振りの刀が鼓動した。
しかし今はまだ――微かに振動するばかりでその場から動くことはなかった。
*****
飛空艇に存在するもう一人の勇者、〝闇夜叉〟宇佐新は独り黙々と書物や書類を読み漁っていた。
それらは予め飛空艇に積んでいた他大陸、他種族の事が書かれたものである。
「〝精霊族〟は魔力の属性毎に種が分かれており、七種存在している――」
新は会議を終えた後、自室に戻るなりこれから赴くことになる西大陸、そしてそこに住まう〝精霊族〟について可能な限り知識を得ようとしていた。
その理由は二つ――これから行われるであろう〝精霊族〟との交渉において種族のことをある程度知っておく必要があると感じたこと、そしてもう一つは何かしていないと心が持たないと感じていた為である。
「かつての世界的英雄である〝英雄王〟と同じ召喚者である勇者は他種族との交渉において重要な役割を果たすことになる。だけど明日香は交渉事が苦手だからな。俺がしっかりしないと」
もう一人の勇者である江守明日香は会話による腹の探り合い等は不得手としている。彼女はその戦いぶりや在り方によって人々を惹き付けることは出来るが、こういった細々としたやり方を好まない。
故に交渉においては己が率先すべきと新は考えていた。
「勇や陽和ちゃん、それに夜光がいればまた別だったんだろうがな……」
たらればの話であるが、彼らがいれば新の負担はかなり軽減されたであろうことは間違いない。
堕ちてしまう前の勇であれば天性の資質で他種族を惹き付けていただろう。陽和がいれば精神的に不安定になってしまっている明日香がそうなることはなかったはずだ。
そして夜光がいれば持ち前の生真面目さから率先して交渉の矢面に立ってくれたことは間違いない。そうなれば新は彼の補佐をするだけでよかった。
だが現状は全くもって異なる。
「……皆、精神的に弱っている」
領地や領民を置いてくる形になったテオドール。戦友に全てを任せ、守るべき王族を置いてきたクロード。今や安否不明となってしまった家族や知人を置いてきたカティア。大切な人達を置いてその小さな肩に一国の命運を背負わされたシャルロット。
友である勇に裏切られ陽和を連れ去られてしまい、更には夜光すら喪い、それでも勇者としての役目を背負いこれからも戦うしかない明日香。
新もそうだが、この少なすぎる亡命政府は心に傷を負った者たちで構成されている。この傷を背負い前を向いていくしかないのだが、切り替えられなければこの計画は失敗に終わるだろう。
当たり前だ――基本的に未来を向いて前進している者にしか人はついてはこない。それは〝人族〟以外にも当てはまることだろう。生物とは生きるという前向きな、それでいて膨大な力を使う行為を常日頃から行っている。その為基本的に前向きな、明るい者に惹かれる傾向が強いのだから。
「俺たちは置いて行かれたんじゃない――託されたんだ」
王国に残った者たちは新たちに未来を、希望を託してくれたのだ。信じて背中を押してくれたのだ。
「なら……いつまでも下を向いてられねぇよな。胸を張って前を向いて歩かないと」
そうだよな、夜光――と新は呟いて再び手元の書物に集中する。その表情からは先ほどまでの昏い色は薄まり、代わりに決意に満ちた笑みが見て取れた。




