一話
続きです。
神聖歴千二百年九月二日。
南大陸から北西の海上――〝絶海〟。
その空上を往く飛空艇があった。銀色の船体が美しい艦艇――エルミナ王国初の飛空艇となる〝オルトリンデ〟である。
しかしその流麗な姿形も〝絶海〟の嵐のような天候を前にしては曇って見えてしまうものだった。
「〝絶海〟……海上を往く船では航行不可能と言われた魔の海、か。話には聞いていたがよもやどの海域でもこの荒れた天候が続いているとはな」
〝オルトリンデ〟の会議室――そこの窓から外の様子を見やる中年の男がそう呟いた。彼の金眼には重々しい気配が宿っている。
エルミナ王国式の貴族服を身に纏うその男の名はテオドール・ド・ユピター。エルミナ王国における大貴族家――通称〝四大貴族〟の内の一家、ユピター家の現当主であり、エルミナ王国大臣の地位に座する人物だ。
そんな彼に対して会議室中央に設置されている長机を囲むようにして置かれている椅子に座る青年が応じた。
「千二百年前の神話の時代に起きた大戦にてこのようになってしまったと伝わっていますが……世界の海の大半をこのように変えてしまうほどの戦いなど某には想像もできませぬ」
「神々と何かが戦った末の結果だというが……かの〝王〟らが五種族の英雄たちと共に挑まねばならぬほどの脅威であったという。私にも想像がつかんよ」
テオドールと親し気に話す男の名はクロード・ペルセウス・ド・ユピター。
その名が示す通りテオドールの実の息子であり、エルミナ王国における武官の頂点〝四騎士〟の一人でもある英傑だ。
先代〝王の剣〟と当代〝王の剣〟でもある二人の会話を黙って聞いていた四人の内、短髪の少年が口を開いた。
「お二人共、話を本題に戻しましょう。……まず現状についてです」
「うむ、すまないなシン殿。つい話を逸らしてしまった」
そう謝罪して窓辺から長机まで戻るテオドールの姿に無理もないと少年――宇佐新は思っていた。
大臣にまで登りつめるほどの実力者が現実逃避とはまではいかないものの眼を背けてしまう、それほどまでに現状は悪いものであった。
「二日前、南大陸から出る際に受信した最後の通信によると……我らがエルミナ王国は敗北したとのことだ」
分かってはいたことだ。分かってはいたが――実際に現実として叩きつけられるとどうしても動揺してしまうものであった。
「バルト大要塞は崩壊、戦っていた兵の大半は戦死、クラウス大将軍も散華されたという。一方、王都ではルイ元第二王子が大帝国側に寝返り彼に付き従う北方軍と共に王都を占拠。その際にセリア第二王女を始めとする王国主力軍は予定とは大分異なる形ではあったがエルミナ各地に撤退したということだ」
加えてテオドールの説明の後半部分は計画には全くなかったことで――故に座していた明るい黒髪の少女は納得がいかないとばかりに机を叩いて立ち上がる。
「まってよ、それおかしくない!?どうしてあの王子様が裏切るの!?だってあの人は、誰よりも国を想っていたじゃない!」
「……明日香、落ち着けって。ここで騒いだところで仕方ないだろう」
「でも!新くんはおかしいと思わないの!?あの人、本当に王国を大切に思っていたよね。なのにどうして――ッ!」
「明日香…………」
少女――江守明日香の言葉には新もまた同じ意見だった。
王国を裏切り売国奴と成り果てた第二王子――ルイ・ガッラ・ド・エルミナは本当に国を想い憂いていた。まさしく愛国者の鏡と言って良い人物であったのだ。それが裏切るなどこの場にいる誰も想像すら出来なかった。
(一体どういう風の吹き回しだ……?一体王都で何が起こったんだ?)
真相を知りたいと思うがもはや知るすべはない。新たちは既に王国どころか〝人族〟の住まう南大陸から離れてしまっている。これほど離れた距離では通信する手段はない――よって確認は不可能だ。
三種の神眼の一つ、遠く離れた場所を〝視〟ることのできる〝地眼〟があれば別だが、そのような便利なものを新たちは所持していない。
口を閉ざしてしまった新を見かねてか、テオドールが明日香を宥める形で言葉を紡ぐ。
「アスカ殿、確かに私もおかしいとは思う。ルイ殿下ほど国を想う方は見たことがなかった。そんな方が我が身可愛さなどで裏切るとは思えない。恐らく何か理由があったのだろう。自らの信念さえも曲げるほどの何かが」
だが、とテオドールは首を振る。
「どのみち確認する術は我々にはない。我々は当初の計画通り、このまま他大陸他種族の元へ赴き支援を募るほかないのだ」
「そうだけど…………ううん、分かった。大声出しちゃってごめんなさい」
まだ言い足りない様子の明日香であったが、上座に座る少女の顔色を見やって言葉を飲み込むと小さく頭を下げる。
それに対しテオドールも気にしていないと軽く手を振ってから長机の中央に置かれた世界地図を指さす。全員の視線が真新しく書き下ろされた地図へと向けられる。
「まず我々はここより北西に位置する西大陸に赴く。そこは〝精霊族〟が住まう地――ここでかの種族の協力を取り付ける。理想は〝精霊族〟全種の協力を取り付けることだが、それが不可能であれば最低でも〝精霊帝〟の助力は得たいところだ」
〝人族〟が住まう南大陸から北西には〝精霊族〟が住まう西大陸があるとされている。
千二百年前の世界大戦においては種族の頂点たる〝精霊帝〟という存在に率いられ〝魔族〟を相手に戦ったと伝えられている。
「〝精霊族〟は基本的に実態を持たない純粋な魔力の塊だとされており、その性格は温厚で争いごとを好まないとされている。自然と調和し共に生きる存在であると。だが一たび立ち上がれば凄まじい魔力による魔法の数々を行使し敵を排除する非常に強力な種族でもあるという」
〝精霊族〟は他の四種族のように〝器〟――肉体を基本的に必要としない唯一の種族だ。
その正体は純粋な魔力の塊に魂が宿った存在――それ故に魔力操作や放出魔力量では他種族の追随を許さないほどであるとされている。
個体差もあるが、実力者の中には単騎で戦術級に匹敵する大魔法を行使できる者すらいるという話だから恐ろしいものだ。
だが枷となる肉体を持たない故か、彼らは自由気ままに自然界の中をさまよう為、〝魔族〟の侵攻があっても種族で一致団結はせず個々人で抗っていたという。
しかし西大陸を訪れた〝人族〟の英雄〝獅子心王〟と〝英雄王〟に惹かれ、導かれる形で団結し種族の代表たる〝精霊帝〟を選出した上で彼らの傘下に加わり大戦を戦い抜いたという。
そんな彼らも戦後、〝名を禁じられし王〟の策謀によって〝英雄王〟を失い、〝獅子心王〟が〝英雄王〟を抹殺したという偽りの果てに分裂した四種族連合に失望して西大陸に去っていったとされている。
「肉体がないことで老いによる死から解放されている〝精霊族〟の多くは千二百年前の大戦時から生き抜いている猛者ばかりだろう。その為戦力としては期待できるのだが、その一方でかつての〝人族〟の裏切り――まあ〝名を禁じられし王〟の策謀なのだが――を覚えている者が多いということでもある。その為我々を好意的に迎え入れてくれる可能性は低いと予想されている」
だが、とテオドールは力強い口調で続けた。
「裏切った、と彼らが思いこんでいる〝獅子心王〟が治めた国はアインス大帝国だ。その帝国の被害者たる我々に同情してくれる可能性もある。加えて――この亡命政府には勇者であるお二人がいる。かつての〝英雄王〟のように異世界から召喚された者たちが。故に希望はある」
〝獅子心王〟の元を去った他種族であるが、彼らは一様に〝英雄王〟を敬愛している。異世界から召喚され、種族問わず多くの者を救い導いたかの者と同郷である新と明日香の存在は、他種族の援助を受ける際には強力な材料となるだろうと予想されていた。
自然と視線が二人の少年少女に集まる。期待、不安――様々な感情に彩られたそれらを受けて新は重々しく頷き返し、明日香は瞑目する。
異なる二人の反応にテオドールは苦笑を浮かべ「お二人だけに責任を負わせたりはしない」と言ってから話を続けた。
「まず我々が初めに赴くのは西大陸の南側だ。そこには水属性を司るウンディーネと呼ばれる者たちが住まうという。まずは彼女らの助力を得るところからだ。予定ではあと五日以内に南大陸に到達する。皆、それまで英気を養い準備を整えておいて欲しい」
会議を締めくくるようにテオドールがそう告げれば上座に座する少女以外は頷きを返してきた。
だがその少女の同意こそが最も重要――故にテオドールは躊躇いがちに声をかけた。
「姫殿下もそれでよろしいでしょうか」
「…………」
「……姫殿下?」
しかし当の本人――この場に集う者たちの長たる少女、シャルロット・ディア・ド・エルミナ第三王女はぼうっとした様子で反応がない。
そこで彼女のすぐ隣に座していた白髪翠眼の女性――カティア・サージュ・ド・メールがそっと太腿の上で握られていたシャルロットの拳に手を置けば、ハッとした様子で第三王女は声を発した。
「――は、はい!分かりました。それで大丈夫です、テオドールさま」
「…………畏まりました。では本日の会議はこれにて終了とさせて頂きます」
言いたいことは色々とあった。不安、懸念――だが、テオドールはそれらを飲み込むと場の解散を言い渡して長机上の書類を片付け始めた。
クロードも新も明日香も、心配そうに自らの主を見やるが今は何も言うべきではないと会議室を退出しようとする。
だが、そんな彼らはシャルロットが発した一言で凍り付いたように動きを止めてしまう。
「テオドールさま、ヤコーさまは……どうなったのですか」
息が詰まるような沈黙――その果てにテオドールは年長者の責務として意を決して言った。
「……はっきり断定したことは何も。ですが――アインス大帝国側の発表では討ち取ったと」
「……そう、ですか…………」
喉から絞り出すようにそう返したシャルロットは立ち上がるとふらふらと会議室を出て行く。時が止まったように誰も動けない――否、カティアだけが素早く立ち上がると一同に会釈して彼女を追っていったのだった。




