二十九話
続きです。
エレノア大将軍が王城に入り、玉座の間の異変を感じ取って駆けつけた時には勝敗は決していた。
「はぁ、はぁ、はぁっ……ぐ、くそッ!」
氷漬けになった床に片膝をつき荒々しい吐息を吐き出しているのはセリア第二王女であった。
彼女の純白の軍服は鮮血に染まっており、所々が破れてしまっている。額には大粒の汗を浮かべており、その表情は苦悶に染まっていた。
「だから言ったじゃないか。ボクとキミとでは相性が悪すぎるってさ。いくら神剣所持者といえどもこうも相性差がありすぎると骨董品の〝魔器〟にすら勝つことが出来ない。まして今の〝悪喰〟は近衛や国王の〝力〟を喰らったことでかなり強化されている。万が一もあり得ない」
片や余裕ありげに微笑むのはルイ第二王子だ。
彼は玉座の下に立ち青く透き通った剣を手にしている。その剣からは激烈な魔力と冷気が迸っていた。
そんな彼は玉座の間に駆けこんできたエレノアの姿を認めて笑った。
「やあ、エレノア大将軍。そんなに息を切らせてどうしたと言うんだい?」
「……ルイ殿下、これは一体どういうことですか?」
王族からの質問に質問で返すエレノア。普段ならば不敬な行いであるが、この状況下では不敬も何もないだろうと彼女は判断していた。
それに対してルイは両手を広げてこの場を示した。
「見れば分かることだろう?近衛騎士を始末し、国王を殺した。そして今は後から駆け付けたセリアと戦っている。それだけだよ」
「は!?そ、それだけって……」
あまりにも異常なことを、あまりにも平然と告げてくるルイに、エレノアは二の句が継げなかった。
味方を殺し、更には父王すら殺めた男の態度ではない。常の飄々とした態度を崩さない銀髪の王子に彼女は僅かばかりの恐怖を覚えて思わず半歩下がってしまう。
だが視界に苦し気に息をしながらも立ち上がるセリアを認めたことでエレノアは我に返って王女へと駆け寄る。
「セリア殿下、大丈夫ですか!?お怪我のほどは……」
「……問題ない、と言いたいところだが――少し不味いな。この子の加護のおかげで何とか立ち上がれているが、このまま戦うのは少々厳しい。それに――」
と言葉を区切ったセリアは露台がある壁際の窓へと視線を向けて表情を険しくさせた。
「エレノア大将軍も既に知っているだろうが、帝国の魔導艦隊と王国の北方軍がこちらに迫ってきている。連中は共謀して王都を落とそうとしている……時間はあまりない。すぐにでも軍を動かさなければならない」
「ならば私がルイ殿下をお止め致します。その間にセリア殿下は王城を離れ王都外へと向かって下さい。既に軍を何時でも動かせるよう、指示を出しております」
「……無謀だ。奴は私ですら――神剣所持者ですら退けるほどの力を有している。いくらお前が〝四騎士〟といえども勝機はないだろう」
他の〝四騎士〟と違ってエレノアは特異な武具や力を有していない。魔剣こそ所持しているが、銘なしでは太古の昔から存在する魔器〝悪喰〟には太刀打ちできないだろう。
それは彼女自身、よくわかっていた。けれどもだからといってどうして諦めることが出来るだろうか。
「……確かに勝機はないかもしれません。ですが――私は騎士です。騎士として殿下をお守りする義務があります。それに――」
とエレノアは泰然自若と立つルイを睨みつける。
「国を売り、国王陛下を弑逆した反逆者を許してはおけません。ルイ殿下――いえ、反逆者ルイはここで仕留めておかなければなりません」
決意が込められたその言葉にセリアは満足げな吐息を溢した。
けれども瞬時に気持ちを切り替えてエレノアの腕をつかむ。
「お前の忠義は見事だ。だが、ここは退くぞ。奴を止めるにはもう遅い。ここが退き際だ。この機を逃せば手遅れになる」
「何を――」
「こうなる可能性も見越していたんだよヤコウ大将軍は。だから今後の動きも計画にある」
「え……!?」
驚くエレノアにセリアは真剣な面持ちで続ける。
「もっともルイが裏切るというのは想定外だったようだがな。しかし何者かが裏切り帝国を手引きすることで王都が危機に晒されるという展開は想定されていた。だからここで我らが死ぬわけにはいかないんだ」
そう言ったセリアは手にする黒剣を正眼に構えた。尋常ではない魔力が迸り黒き光が玉座の間を照らし出す。
「私が奴に特大の一撃を放つ。その隙にこの場を離脱する――いいな?」
「え、ええ……分かりました」
明かされる驚愕の事実、凄まじい速度で推移する事態に困惑するエレノアであったが、どうにか持ち直すと頷きを返した。
そんな〝潔癖〟の大将軍を横目にセリアは殺意を込めた眼差しを兄王子に向けて。
「死ねっ!簒奪者がッ!!」
神剣〝呪殺〟を振り下ろした。
すると黒き魔力の奔流が剣から放たれ一直線にルイへと襲い掛かった。視界を埋め尽くす黒の極光に対しルイは畏れることなく手にする〝悪喰〟を振るう。
――直後、黒と蒼の輝きが玉座の間を埋め尽くした。
神剣から放たれた黒光とそれに抵抗する魔器の蒼光が激突したのだ。
悍ましい魔力を放つ黒の奔流を喰らい尽くさんと蒼き光が顎を広げる。
圧倒的な力と力の衝突――余波で玉座の間が破壊されていく。
しかし、やがて拮抗状態は崩れた。〝呪殺〟から放たれた一撃を〝悪喰〟が吸収し始めたのだ。
ルイが手にする剣から放たれた魔氷が魔力の奔流を凍らせていく。
そして全てが氷漬けにされた時、この場には銀髪の王子ただ一人が立っていた。
「……逃げたか。まあいい」
ルイは玉座の間から遠ざかっていく二つの気配を感じ取りながらも追いかけることなく宙に浮かぶ魔氷を手で払って破砕した。
それから先ほどセリアが視線を向けていた露台へと向かい扉を開けた。すると温い外気が玉座の間へと入り込み冷気を侵略し始めた。
「間もなく一つの時代が終わる」
ルイの銀眼が見つめる先――玄天から迫りくるアインス大帝国の魔導艦隊と、その下の大地からやってくる己に忠を尽くす北方軍がある。どちらも大軍勢と呼ぶにふさわしい陣容だ。
「これより始まるのは新時代――いや、多くの人からすれば暗黒時代と呼ばれるものになるか」
ルイは自嘲交じりの苦い笑みを浮かべて己が掌に視線を落とす。味方を、親を殺した手――今後、更に血に染まることだろう。彼が選んだのはそういう道だった。
「ヤコウくん、キミは退場しようとしているのかもしれないけれど……そうはいかないよ。キミにはまだまだ働いてもらわないといけないんだからさ」
彼は死なない――死ねないはずだ。少なくともそう簡単には退場することは出来ないだろう。
何故なら彼は――〝王〟を継ぐ者なのだから。
「いつか必ずボクとキミは再会することになる。その時こそボクは――……」
言葉尻は空に溶け消え誰の耳にも入ることはなかった。
ルイは悲し気に目じりを下げると世界を照らす太陽に背を向け、闇が蟠る玉座の間へと姿を消すのだった。
*****
玉座の間から脱出したセリアとエレノアの動きは迅速であった。
まず王城に残る文官たちに事態を手短に説明し、王城から脱出させる。重要な資料などは計画通り既に破棄、もしくは王都から運び出しているから着の身着のままで問題ない。避難は素早く行われた。
次に彼女たちは王城を出て王都へ向かった。そこで王都守護の任に就く〝霊亀騎士団〟と合流、予め伝達してあった避難計画に沿って王都に暮らす民の避難を開始させた。
ここまで順調に見えるが実際にはかなり際どいものであった。
「既に軍は事前の計画に従い各地へと分散して移動を開始しています。王都の避難民も〝霊亀騎士団〟に守られながら南へと向かい出立を開始。ですが……」
「間に合わない、か」
「ええ、地上から侵攻する北方軍の動きは大軍故に遅いものですが、空中から侵攻する帝国の魔導艦隊の速度は中々のものです。加えてこちらも大人数での移動ですから、いくら部隊ごとに小分けにして分散行軍しているとはいえ速度は……」
元々王都近郊に集結していた王国軍は二十万にも上る。それに加えて〝霊亀騎士団〟と王都からの避難民もいるのだ。何十万という数の人々の移動となればその歩みが遅々としたものになってしまうのは当然と言えた。
けれどもただ手をこまねいていたのでは敵に追いつかれ狙い撃ちにされるだけだ。
その地位故に王国軍臨時司令官となったセリア第二王女は即座に決断した。
「私が敵の魔導艦隊に向かって攻撃を行う。それによって足止めをし、撤退完了までの時間を稼ごう」
「なっ……それは無茶です!お一人でなんて……しかも殿下は先ほどの戦いで疲弊されています。いくら殿下が神剣所持者であってもそれは無謀というものです!」
もはや自らが神剣所持者であることを隠さなくなったセリアであるが、それを知ってもエレノアを始めとする周囲の者は彼女を制止した。
当たり前だ――神剣所持者は決して無敵の存在ではないし、何より彼女は王位継承権を有する王族なのだから。
「殿下、本当に現状をお分かりなのですか!?アドルフ陛下が崩御され、ルイ第二王子が反逆者となった今、この国を導くことのできる王族は殿下と国外へ向かわれたシャルロット第三王女のみなのですよ!?」
第一王子と第一王女は内乱によって死亡した。現国王も死に、その原因となった第二王子は王位継承権を剥奪されることだろう。
残る王位継承権所持者は第二王女と第三王女のみ。その内、第三王女は援軍を募る為国外へと逃れている。
継承順位としては先の内乱で目覚ましい功績を上げた第三王女の方が上であるが、国内に残っている第二王女――すなわちセリアの方を守ろうとするのは当然の動きであった。
前人未踏の南大陸外へ赴いた第三王女は無事に帰ってくる保証などどこにもないが、今目の前にいる第二王女は今後の動き次第で身の安全を確保できるのだから。
「ここで殿下の身に何かあり、更にシャルロット第三王女も帰還しなければ、エルミナ王家の血が断絶します!そのようなことになればもはや王国は立ち直れないかもしれません」
「王家の血をひく者は他にもいるだろう」
「それは分家です!千二百年の歴史を持つ直系の血筋は現王家の方々だけなのですよ!」
隣国のアインス大帝国でもそうだが、千二百年という神話の時代から連綿と続く王家を神聖視する者は意外と多い。貴族だけでなく平民の中にすらそのような者がいるほどには多いのだ。
帝国では皇族は神の末裔だと信じられているし、王国でも聖王国時代の開祖たる初代〝聖王〟から続く王族には神聖にして尊き者の血が流れているとされている。
故にその血が薄まることは天意に背く大罪であるとする考えを持つ者は多い。そしてそれ故に直系以外を王として認めない者もまた多いのだ。
「王国開闢から続く尊き血――絶やすわけにはいかないのです。それを拠り所とする民は多い……そんな彼らが殿下の身に何かあったと知れば希望を失うことでしょう。……どうかお考え直しを。殿下はもはや王国にとって数少ない希望の一つなのです」
とエレノアが片膝をついて首を垂れれば、周囲に居た幕僚たちも同じ動作をする。
臣下たちからの懇願にセリアはしばし黙考するとやがて顔を上げて言った。
「ならば〝光風騎士団〟を同行させる。軽装騎馬で構成されるかの騎士団ならば撤退もそう難しいものではなくなるはずだ。私が神剣を使い敵を牽制した後、彼らと共に撤退すれば問題ないだろう」
指揮官であるクロード大将軍が第三王女に従って国外へと向かった今、〝光風騎士団〟の指揮権限は国王にある。
だが、その国王が崩御したことで臨時で国王代理となったセリアにその指揮権限が委譲している。故に彼女の命令に騎士団は従うのだ。
そんな第二王女の考えにエレノアは唸るように悩んだが、時間もなければその提案以上の良案も思いつかなかった。故に小さく嘆息して頷いた。
「分かりました。ではその案で行きましょう。私は全体の指揮を取らなくてはいけませんから同行できませんが……」
「構わない。エレノア大将軍もそうだが、各々果たすべき役割を全うしてくれ。私も――私にしかできないことをやる」
そう言ってセリアはこの場に集いし面々を見回した。
誰もが硬い表情で見つめ返してくる。
状況は最悪だ。けれども決意を漲らせた彼らを見ていると不思議とまだやれるという気持ちが湧いてくる。
セリアはこの状況下でも付いてきてくれる彼らの顔を一人一人見やってから号令を発した。
「王国は滅びない!我らは必ずや侵略者を駆逐する。その為にまずは――生き延びるぞ!!」
『『『オォォオオオオ!!!』』』
生き残る、その為の戦いが始まろうとしていた。




