二十八話
続きです。
同時刻。エルミナ王国王都パラディース――王城グランツ。
ルイ・ガッラ・ド・エルミナ第二王子は玉座の間に居た。
平時には荘厳な雰囲気を纏うこの場所は現在――紅と蒼によって塗りつぶされていた。
ある近衛騎士は鮮血をまき散らして絶命しており、またある近衛騎士は絶死の氷の中で苦痛の表情を浮かべながらその命を散らしている。
均等に並び立つ柱や窓、吹き抜けになっている二階すらも氷に侵食されたこの場にあって息をしているのはたった二人だけだ。
ルイは己以外に生き残っている人物に顔を向けて言った。
「父上――いや、国王陛下。あなたの首を貰いにきた」
世間話をするような気安さで実の父親に殺害宣言をした銀髪の王子に対して、玉座に座する男――現エルミナ国王、アドルフ・マリウス・ド・エルミナは射殺すような視線を向ける。
「ルイよ、貴様――何をしているのか理解しておるのか」
「勿論、理解しているとも。陛下の首を手土産にアインス大帝国に下る。その為に邪魔だった近衛騎士たちを殺した。――何か問題でも?」
泰然自若として笑う息子に、アドルフは青筋を浮かべて怒声を放った。
「貴様ぁ……恥を知れッ!皆が命を懸けて戦っておるのだぞ!我が王国の騎士たちも兵士たちも、クラウス大将軍も――ヤコウ大将軍もだ!そもそも貴様はヤコウ大将軍の計画にいの一番に賛同しておっただろう。それなのに何故――」
「確かに賛成はしたね。でもだからといって独自に動かないとは一言も言っていないよ」
一国の王の怒りを笑って受け流したルイはその端正な美貌に愉悦を浮かべた。
「さて、話は終わりだよ。もうすぐ北からボクの軍勢とアインス大帝国の別動隊がやってくるしね」
「なんだと……っ!?北方軍が――ダヴー将軍やヨハンまでもが裏切ったというのか!?」
「まぁ、そうなるね。彼らはボクの同志だからさ」
そう言ったルイは玉座に向かって歩き始めた。その右手には鮮血滴る青く透き通った剣が握りしめられている。
ゆっくりと迫りくる死神の姿に、アドルフは長い闘病生活から細くなってしまった身体を動かして立ち上がると、玉座に立てかけてあった一振りの剣を手に取った。
真っ白なその剣を見つめてルイは失笑する。
「はっ、〝名を禁じられし王〟の〝王権〟――を模して創り出された紛い物か。〝神力〟を生み出すこともできない只々保有魔力が高いだけの魔剣如きで、ボクの〝悪喰〟に敵うとでも思っているのかい?」
「……貴様、何故それを知っている?この剣の秘密は歴代の王にのみ口伝で伝えられるものぞ」
「答えは簡単さ。その剣が生成された瞬間を目撃した者に聞いた。それだけだよ」
「何――ぐっ!?」
遂に玉座にたどり着いたルイが〝悪喰〟を横薙げば、その一撃を受け止めた白き剣はあっさりと刀身をへし折られてしまう。
刀身が落下していく中でアドルフは折れた剣をルイに向かって突き出すが、銀髪の王子に触れる直前で手にする腕ごと剣が凍り付いてしまう。
「ぐっ、ぬぅ……」
「フフ、終わりだよ陛下。〝悪喰〟の能力である〝禁絶〟――その氷に侵されたものはあらゆる〝力〟を奪い尽くされる。魔力も、生命力も……ね」
パキパキと音を立てて腕から身体全体に広がっていく魔氷にアドルフは急速に己の命が奪われていくのを感じた。
徐々に意識が混濁とし、視界が黒く染まりゆく中で、アドルフはかすれた声で己が息子へと問いかける。
「ルイよ、貴様は何をするつもりなのだ……?」
それが今後の未来を意味する問いだと理解したルイは死に逝く父王に微笑みを向けた。
「勿論、決まっているじゃないか。この国を護る――それだけさ」
*****
王都北方より進軍してくる魔導戦艦を目撃したセリア第二王女は父王に報告すべく玉座の間へと向かっていた。
慌ただしく動き回る文官たちの合間を抜けて玉座の間へと通じる通路に入れば、奇妙なことに冷気が足元から這いあがってきたことで疑問符を浮かべた。
(なんだ、冷房器具のつけすぎか……?)
季節は夏――故にまるで真冬のような冷たい空気を感じるのはおかしな話だ。可能性と真っ先に浮かび上がったのは冷房用の魔導器具を過剰に使用しているか故障による異常かであった。
玉座の間へ近づくにつれ気温が下がっていくのが分かる。いつの間にか吐く息は白くなっており、まるでエルミナ北方の雪原地帯にいるかのように感じられた。
何の加護も持たない者であれば防寒着なしでは一刻も持たないだろうが、セリアには神剣の加護がある。故に彼女は身を凍らせようとする冷気をものともせずに玉座の間――その入り口へとたどり着いた。
しかし――すぐさま異変に気付いて表情を険しくさせることになる。
「扉が凍っている……それに見張りの兵もいない。どうなっている?」
見る者すべてに感嘆の吐息を吐かせる荘厳なる大扉は氷に閉ざされていた。普段は扉の両側に立っているはずの兵士の姿もない。加えてこの異常な冷気は扉の隙間から漏れ出ており、その発生源が玉座の間であることは一目瞭然であった。
明らかに異常事態、それも緊急である可能性が高いと瞬時に判断したセリアは、腰に吊るしてあった黒剣を鞘から抜き放つなり扉を覆う氷を斬りつけた。
甲高い音と共に粉砕された氷を尻目にセリアは大扉を押し開けた。
――内部の光景は想像を絶するものであった。
大理石の床、その上に敷かれた赤絨毯、華美な装飾が施された壁に窓、この空間を支える柱――何もかもが氷漬けにされている。
あちらこちらに転がる死体は近衛騎士のもので、中には氷漬けにされて絶命している者もいた。
あまりに異様な光景を前に言葉を失うセリアであったが、不意にかかった聞きなれた声に我に返る。
「おや、セリアじゃないか。随分と遅かったね?」
「……ルイ、兄さま…………これは一体……それにその足元にあるのは――」
声の発生源は広間の最奥に位置する玉座からであった。
そこだけ高くなっている玉座――どのような素材で創られたのか見当もつかないが、長い年月を経ても尚純白を保っているそれは歴代のエルミナ国王のみが座ることを許された神聖なものだ。
けれども今、そこには銀髪銀眼の王子が座していた。含み笑いを浮かべる彼の足元には氷漬けとなった死体がある。
それは金糸銀糸をふんだんに使用したこの国の王のみが着用を許された外套を羽織っており、首から上がなかった。
では頭部は――と視線を彷徨わせた時、ふと玉座に座るルイ第二王子の手元に丸いものがあることに気付いた。
まさか、いやあり得ない――と現実を否定したくなるが、神剣の加護によって強化された視力が逃避を許さない。
「そんな……うそ…………」
見たくない。見てはいけないと本能が警告を発している。けれどもセリアの碧眼は吸い寄せられるかのようにその物体へと向けられて――
――それが苦痛に歪んだ父王の頭部だと気づいて絶叫した。
「うっ、あ、アァアアアアア!?な、何故ッ!?どうして……っ!?」
怒りと悲しみ、疑念と苦しみがない交ぜになったその悲鳴に、ルイはまるで演奏を聴いているかのように心地よい笑みを浮かべて応じた。
「何故って決まっているじゃないか。この国を護る為さ」
「護る、だと!?ふ、ふざけるな!貴様がやったのは只の簒奪だっ!この危機的状況を前に何をしている。計画を最後の最後で台無しにするつもりかッ!?」
かつて母を喪い、今度は父すらも喪った。どちらも平穏に逝くのではなく惨たらしい最後――その無念を思うと憤怒と憎悪が湧き上がってくる。
加えて眼前の兄は父王殺しの大罪人であり、夜光が企てた計画を台無しにしようとしている。到底許せるものではない。
あまりの怒りから殺気と覇気が空間を歪ませ、彼女の相棒たる黒剣も主の感情の昂りに呼応して激烈な魔力を放っている。
常人であればショック死してもおかしくはないほどの威圧――されど対峙する〝雪華〟の王子は動じない。
「簒奪というのは少し語弊があるだろう。どのみちこの後すぐにでも消えてなくなる王位に価値などないのだからね」
それに、とルイは膝の上にある父王の頭を優しく撫でながら慈愛の表情を浮かべた。
「計画を台無しにするなんてとんでもない。これはむしろ計画通りの流れさ。……まぁ、ボクの計画、だけどね」
味方である近衛騎士たちを惨殺して、実の父さえも殺めその首を愛おしそうに抱えている。
その上――、
「計画、だと……?ならばこちらに向かってきている帝国の魔導戦艦も、北方軍も――全て貴様の仕業というわけか!?」
「その通り。キミのそういう察しの良い所は昔から好ましく感じていたよ」
――敵を国内へ引き込んだと明らかにした。
これにはもはやセリアとてこう考えざるを得なかった。――兄は狂ってしまっている、と。
「……ルイ兄様――いや、簒奪者ルイ!貴様を討つ!!」
もはや対話は無意味、それどころか狂ってしまった兄をこれ以上見ていることなど悲しくてできない。そう判断したセリアは手にする黒剣――神剣〝呪殺〟の切っ先をルイに向けた。
実の妹から明確な殺意を向けられたルイはゆっくりと立ち上がると父王の首を玉座に乗せてから振り返る。その手には既に〝悪喰〟が握られていた。
「止めておいた方がいいと忠告しておこう。キミの持つ神剣はボクの持つ魔器と頗る相性が悪い。戦ったところで一方的にキミがその命を削るだけの結果に終わるだろう」
「黙れッ!裏切り者の言う言葉など聞くに値しない!!」
決別――もはや和解などありえない。
そういう意思を妹の態度から感じ取ったルイは少し寂し気に微笑んで――その銀の双眸に冷たい殺意を宿した。
「……そうかい。なら――仕方がないね!」
そう言ってルイは玉座から飛び降りてセリアに襲い掛かった。




