二十五話
続きです。
その男の風貌は奇妙の一言に尽きた。
セリア第二王女が着用していたアインス大帝国の旧軍服――彼女の物とは正反対の色彩をしているそれは、千二百年も昔の意匠でありながら高貴さと優雅さを失っていない。
その黒が基調の軍服の上から肩口を始めとする要所要所に金の刺繍が施されたこれまた黒い外套を羽織っている。
更に奇怪なことにその男は顔を黒き仮面で覆っており僅かに見える口元で感情を判断するしかないという有様であった。
全てが黒という闇を擬人化したような男は夜光たちの進路を阻むようにして城壁通路に立っている。
その姿を見たクラウスが夜光の後ろから進み出てくるなり黄金の槍を構えた。
「こんなに早くまた会えるとは思ってなかったぜ……〝帝釈天〟」
「それはこっちの台詞だ。死にぞこないが、今度は逃げられないと思え」
「は、俺にぶっ飛ばされて消えていった奴が良く言う。今度は跡形もなく消し飛ばしてやるよ」
彼らの会話を聞いていた夜光は内心で驚きを露わにした。
(こいつが〝帝釈天〟――〝英雄王〟の末裔か。それにしても髪色が黒とはな)
身長、声音、僅かに見える口元から察するに眼前の男はまだ少年と言って良い年齢だろう。下手したらこちらよりも年下かもしれない。
加えてこの男の髪色は黒――この世界においては南大陸の最東端に位置するヴァルト王国、その中でも東の端で暮らす少数民族しか持ちえない色彩だ。
普通に考えればこの男はその少数民族の血を引いているということになるが……。
(〝英雄王〟は異世界から召喚された存在である可能性が高いとされている。ならこいつの先祖は俺や新たちと同じく〝地球〟の〝日ノ本〟出身なのかもしれない)
前々から想像していた考え――もしこれが事実であるのならばこの男は元の世界への帰還方法を知っているかもしれない。ならばここで殺し合うのは得策ではない――以前の夜光ならそう判断しただろうが。
(俺はシャルを護ると決めた。それはあらゆる事象に優先される)
故にこの男は敵――殺すのみだ。
「クラウスさん、俺も戦います。二人掛りでさっさと始末してしまいましょう」
「……お前に騎士道精神とかないのかよ。一応俺と同じ〝四騎士〟だろうに」
「そんなものは何処かに捨てましたよ」
そう言って夜光は腰から〝天死〟を抜き放つと待機状態だった〝王盾〟を起動して構えた。
「騎士道がうんたらとか言われたので……一応名乗りだけはしておきましょうか。ヤコウ・ヴァイス・ド・セイヴァー、国王アドルフ陛下より〝王の盾〟の任を拝命した者だ」
「俺は前にも名乗ったが……お前に合わせてやるよ。クラウス・ド・レーヴェ、同じく国王陛下より大将軍の位を授かったもんだ」
「……ヤコウ…………?」
対する黒衣の男は夜光の名前が引っかかったのか怪訝そうに顎に手を当てたが、しばらくすると首を横に振ってから名乗りを上げた。
「最低限の礼儀としてこちらも名乗っておこう。ノクト・レン・シュバルツ・フォン・アインス――〝仮面卿〟〝帝釈天〟〝黒皇〟〝英雄王の末裔〟〝黒絶天〟と様々な名で呼ばれている。キミたちも好きに呼ぶといい」
「なら気取った仮面野郎でいいか?」
「…………」
〝帝釈天〟――シュバルツ大将軍の名乗りにクラウスが即座に挑発を入れれば、彼は仮面に手を触れてだんまりを決め込んだ。けれどもその身から放たれる殺気が増したように夜光には感じられた。
シュバルツは腰に差していた一振りの刀を抜き放った。それは闇よりも深く、深淵よりも色濃い黒刀――柄も鍔も、刀身さえもが黒一色であった。よく見ると刀身には血のように紅い線のようなものが入っておりより一層不気味さを感じさせている。その上見ているだけでも身震いしてしまうほどに鋭利でありその切れ味が尋常ではないことを感じさせてきた。
その黒刀を警戒する夜光にクラウスが小声で忠告してきた。
「あの黒刀には気を付けろ。あれに斬られると治らない傷を負うことになるぞ。俺のようにな」
「……了解です」
クラウスが上半身に負っている傷はシュバルツが持つあの刀によって付けられたものらしい。
神剣の加護を以てしても治らないそれには夜光も戦慄させられたものだ。
(回復特化の〝天死〟の神権でも治るかは怪しいところ――喰らわないのが一番だな)
夜光はそのように考えながらちらりとクラウスへ視線を送る。すると彼は小さく頷いて〝聖征〟を構えた。
こちらが臨戦態勢を取ったのにも関わらず仮面の男は泰然自若として佇んでいる。その余裕ぶった態度が気に喰わない。夜光は殺意と研ぎ澄ませた。
三者が放つ激烈な覇気に周囲の敵味方は畏れから自然と距離を取って戦いを継続する。その為戦場と成り果てた要塞城壁にて奇妙な空白地帯が生み出された。
そして――三者は激しく激突した。
最初に仕掛けたのはクラウスだった。
彼は城壁の床が破砕するほどの勢いで距離を詰めると〝聖征〟を突き出した。その後に続く形で夜光もまた床を蹴って敵へと接近する。
対するシュバルツは右手の黒刀を軽く振って黄金の穂先を上に弾くと身体を捻って回し蹴りを放つ。しかしその一撃はクラウスが空間跳躍をしたことで空を切るに止まった。続けて碧き光を放つ盾を前面に突進してきた夜光に左手で掌底を放った。その威力たるや尋常ではなく、なんと〝王盾〟を構えて突撃してきた夜光を押しとどめてしまう。
「どんな怪力だよ……っ!」
「キミが軽いだけさ。もう少し本気で来るといい」
「……なら――これはどうだッ!」
と夜光は叫ぶなり〝天死〟をシュバルツの顔面目掛けて思い切り突き出した。だが彼は軽く首を振ってその一撃を躱すとお返しとばかりに黒刀を横薙いでくる。夜光はそれを〝王盾〟で受け止めた。
黒刀から放たれる瘴気のような闇と〝王盾〟が放つ蒼光がせめぎ合い、黒と蒼の粒子が飛び散る。その光景を前に黒衣の男は呟きを零した。
「〝王盾〟……生き残った神器か。あの狂った女の遺物……。それにそっちは――〝天獄の鍵〟?なるほど、数か月前に〝白夜王〟の気配が消えたかと思えば微弱な反応だけ復活したのはそういうことだったのか。てっきりあの趣味の悪い〝太陽〟に吸収されたのかと思っていたが……次代の〝王〟が生まれていたか。〝簒奪〟か〝禅譲〟かは分からないけれど――っ!?」
気になる単語を多く呟いていたシュバルツであったが、突如背後に生まれた殺気に言葉を切った。それは空間を切り裂いてシュバルツの背後から襲い掛かったクラウスによるものだ。だが、彼に対応しようにも正面にて対峙する夜光からも攻撃が迫っていた。
前からは白銀の刃、後ろからは黄金の穂先がほぼ同時に迫り来る。まさしく絶体絶命の窮地――否。
「何ッ――!?」
「な、んだと……っ!?」
なんとシュバルツはそのまま正面の夜光にのみ対処した。振り下ろされた〝天死〟の刀身を二指で掴み取ったのだ。
そして背後からの突きには――彼が身に纏っていた黒衣が反応した。突如として黒き外套が生物の如く蠢くと〝聖征〟の穂に巻き付いてその動きを封じてしまう。
それら信じがたい光景を前に二人の〝四騎士〟は一瞬だけ思考が止まってしまう。その隙を見逃すほどこの仮面の男は甘くはなかった。
「隙だらけだよ、キミたち」
「ぐ、ガッ……!?」
「うごっ!?」
まずシュバルツは二指で挟みこんだ白銀の剣を引っ張った。それによってつんのめった夜光の顎を黒刀の柄頭で打ち抜いて彼を宙に浮かせるなりその腹部に膝蹴りを叩き込んで吹き飛ばす。
背後に居たクラウスには黒衣が槍のように尖って襲い掛かった。彼が慌てて空間跳躍をする――その前に黒槍はその身体に届き激しく殴打した。五臓六腑を揺らす凄まじい衝撃にクラウスは胃液をぶちまけつつも空間を飛び越えて追撃を遮断する。
後方に吹き飛ばされた夜光の傍に現れたクラウスは膝を折って激しくせき込んだ。吐き出す痰には血が混じっている。
その隣の夜光は何とか立ち上がろうとするが軽い脳震盪が発生しかけたのかふらついて中々立ち上がれないでいる。
エルミナ王国が誇る武官の頂点〝四騎士〟が二人掛りでこのざま――その事実は周囲の味方に絶望を、敵には歓喜を与えた。
そんな周囲の様子には一切目もくれずシュバルツは二人の大将軍に眼を向けて〝視〟た。
「……なるほどね。〝征伐者〟は僕の与えた傷とアルトリウスとの戦いでの疲労からもはや満身創痍、〝王の盾〟は神器の力を満足に引き出せておらず加えて〝王〟としても未覚醒、か。……殺すなら今みたいだね」
好き勝手言ってくれる、と毒づきたくなる夜光だったが、その前にシュバルツの声に違和感を覚えて記憶を探っていた。
(この声何処かで聞いたことがある。何処だったか……)
初対面のはずだ。けれどもその声に聞き覚えがあった。必死に思い出そうとするも脳が揺れたせいか上手く思考が纏まらない。
(くそっ、思い出せない!でも、でも何処かで――)
敵の素性など気にしている場合ではない。だというのにここで思い出さないと後悔するという確信めいた予感があった。
しかし、そのような時間を敵が待ってくれる道理などない。
「さて、キミたちの底は知れた。次は死んでもらうだけだね」
あっさりと死を宣告したシュバルツは何の気負いもない足取りでこちらへ向かってくる。
夜光は〝天死〟を支えにやっとの思いで立ち上がる。クラウスの様子を窺えば彼は以前受けた傷口から開いたのか上半身に巻いた包帯から血がどんどん染み出てきている。その表情は苦し気でとてもではないが戦闘に復帰できる様子ではない。
死が迫りくる。元よりこの地にて死ぬのは覚悟の上だが、ただで死んでやる気は毛頭なかった。
夜光は右手に〝天死〟を左手に〝王盾〟をしっかりと握りしめると敵を見据える。そして――床を蹴った。
「ゼァアア――!」
気迫の雄たけびと共に突撃――対するシュバルツは何処か楽し気に口元を緩めた。
そして腰を落とし黒刀を構えて迎撃の姿勢を見せ――直後、何かに気付いたのか顔を上空に向けて跳ね上げた。次いで床を蹴って後方へと跳躍する。
その動作に警戒心を刺激された夜光であったが勢いのまま突貫するのが優先だと判断してそのまま突き進み――、
「――ぇ?」
――直後、パリン、という硝子の割れるような音が聞こえたかと思えば目の前が白く染まり、熱と痛みに襲われながら身体が宙に浮く感覚を味わうことになった。
何が、と必死に眼球を動かせば、
「空が――割れて……」
半透明な硝子片のようなものが空から降り注ぎ、同時に空飛ぶ戦艦から砲撃が発射されている光景が黒眼に映りこんできた。
――それは、エルミナ王国を守護してきた戦略級魔法〝聖堅の盾〟が粉砕された、致命的な光景だった。




