二十三話
続きです。
空間転移によってアルトリウスが率いる帝国総軍本陣へと帰還した二人は指揮官用の天幕に居た。
「……何故退いた。もう少しで〝征伐者〟の首を取れたかもしれないのに」
「はぁ……殿下、それは本気で仰られているのですか?私が介入しなければ首を取られていたのは殿下の方でしたよ?」
「だが、君の〝力〟があれば討ち取れただろう!」
そう声高に主張する皇弟にノンネは仮面の下で呆れた表情を浮かべた。
「確かにあの場で私が〝力〟を使えば〝聖征〟の所持者を討ち取れたかもしれません。ですが――その代わりにこちらも少なくない被害を被ることにもなったでしょう」
クラウス大将軍は満身創痍といっていい状態であったが、それでも戦闘不能とまでは行っていなかった。加えて後方からは未だ未覚醒とはいえ怒れる〝王〟が迫っていたのだ。
あの局面で無理をすればノンネは無事だったとしてもアルトリウスはそうはいかなかっただろう。
ここで皇弟にして皇位継承権第一位たる彼を喪うわけにはいかなかったし、何よりそれはレオンハルト皇帝との約定に背くことになる。それはノンネとしては避けなければいけないことだった。
「どのみち彼らに未来はないのです。このまま戦闘を続けていけばいずれは力尽きます。それに……どうやら〝征伐者〟は〝死〟に蝕まれているようでしたからね。放っておいても死にますよあれは」
ノンネの見立てではクラウス大将軍は黒き〝王〟の王権に身体を蝕まれていた。あれでは到底助かるまい。
(〝天の王〟が司りしは〝死〟と〝恐怖〟……純粋な〝死〟の概念を刻みつけられた彼の肉体は近いうちに滅びを迎えることでしょう。……いやはや、なんとも恐ろしいお方ですねぇ)
ノンネはブルリと肢体を震わせた。それは畏れからくる興奮によるものであった。
(やはり〝王〟という存在は素晴らしい。だからこそ七柱では足りない――)
彼女は懐にある〝夜の王〟の〝血〟に意識を向けながら思案に耽る。
そんなノンネにアルトリウスが怪訝そうな眼を向けた。
「なんでそう断言できるのか――は聞かない方がよさそうだね」
「ええ、そうしてもらえると助かります。それよりも――こちらを」
と言ってノンネは唐突に真横に現れた己が分身体から一通の書状を受け取るなりアルトリウスに手渡した。突然もう一人のノンネが現れたことで若干の驚きを美顔に浮かべながらも彼は受け取って眼を通す。
それから満足げに息を吐くと開いたままの書状をノンネに差し出した。
「よろしいので?」
「構わないさ。まあ、先ほど僕を助けてくれた礼替わりということで」
「ふぅむ、命を救った割には安い礼ですが……まあいいでしょう」
そう言って書状を受け取ったノンネは素早く内容に眼を通すと呆れた声を発した。
「よくもまあこのようなことを……予想はしていましたが実際に見ると不快感を覚えてしまいます。心にもない美辞麗句を並べ立てているくせに内容は醜悪極まりない」
「ふふ、欲深い貴族ってのはそういうものさ。保身が第一、民や国家など二の次でしかないんだよ」
だからこそ帝国では貴族制度をなくしたんだけどね、と笑うアルトリウスに、ノンネはふと思いついた懸念を言った。
「ですがこのような事、〝征伐者〟らに露見するのでは?彼らの眼と耳とて無能と言うわけではないでしょうし」
「バレようがバレまいが関係ないのさ。この危機的状況で援軍として連れてきた貴族共を殺せば指揮系統に混乱が生じるし何より上層部に疑いの目が向けられる。疑心暗鬼になった軍など烏合の衆でしかないからね。その時はこちらも楽できるってわけさ」
話している内にクラウス大将軍に殺されかけたことで生じた緊張感が解れたのだろう。アルトリウスは普段の余裕ある笑みを浮かべている。
けれどもそんな彼とは対照的にノンネの感情は冷え切っていた。
(そう上手くは行きませんよ。彼は〝王〟以前に人として、将として優れている。何より彼は過酷な経験をしてきたことで冷酷な一面を持っている。優柔不断ではありますが、だからこそ一度決断さえしてしまえば後は突き抜けてしまう。あらゆる障害を排除し、困難を打倒して)
ある意味異常な思考を持つのが〝王の盾〟たる少年であるとノンネは思っている。こうと決断した目的を達成するためならばおそらく自らさえも捨て駒にするに違いないという確信めいた予想があった。
(同郷の者から裏切られ、強大な力を前に左眼を失った。それに加えて一度は愛する者すら喪っている。ここまでの喪失を経験した者は普通心が折れる。そうでなければ――)
ノンネは彼の黒き隻眼を思い浮かべる。幾度もまみえ、そのたびに〝視〟てきた彼の黒瞳は月日を重ねるごとに闇と狂気の色が濃くなっていた。
(真っ当な思考を何時まで保てることやら……あるいは既に狂ってしまっているのか)
どちらにせよ自らの目的を達成する上ではさほど問題ではない。生きていてさえくれればそれで良い。
(〝終焉を齎す者〟に喰われないで下さいよ。あの方は〝黄金の君〟とは違って慢心というものを抱かない。敵は殺す、その考えを何百年も変えていないんですから)
ノンネはバルト大要塞に忍ばせている分身体に意識を向けながら珍しく、本当に珍しく他者を慮る表情を浮かべるのだった。
*****
一方その頃、バルト大要塞――その中でも立地条件の悪さからほとんど誰も利用しない一室にきらびやかな衣装に身を包んだ男たちが集っていた。彼らは援軍として夜光に付き従ってきた中央貴族たちである。
『さて今宵集まってもらったのは他でもない。我らが生き残る為の計画――それが最終段階に入ったことを皆に知らせるためだ』
そう言ったのはこの場にいる貴族たちの中で最も家柄が良い男であった。彼は恰幅の良い自らの身体を椅子に預けてニヤリと笑う。
『先ほど先方と連絡が取れてな。やっと確証が得られた――向こうには我々を好待遇で迎え入れる用意があるそうだ。具体的には……占領地の統治を任せてくれるらしい』
その言葉に不安そうな表情を浮かべていた他の貴族たちが喜色を露わにした。
『素晴らしい!これで我らは安泰だ』
『王都にいる同胞たちとの連絡が取れなくなって不安だったが……もはや後方の援護など不要というわけだな!』
『こちらに来ても流れ矢で多くの同胞が命を落としましたが、これで彼らも報われるというものです。せめて彼らの家族だけでも遇してやるとしましょう』
この場に集う面々は王国を裏切り帝国へと寝返ることで保身を図った者たちだった。
彼らは王都決戦直後に外套の女性を通して帝国と交渉し、とある条件と引き換えに身の安全と戦後の栄達を保証されていたのだ。
『いやはや、オーギュスト第一王子とアルベール大臣が処断されたと聞いた時は終わりだと思いましたが……帝国さまさまですな』
『いくらシャルロット第三王女が我らを許したとはいえ他の貴族たちからの眼は冷たかったですしな。あのまま王国にいても肩身の狭い思いをしていただけでしょう』
この場にいる中央貴族らはかつてオーギュスト第一王子を支持していた者たちだった。けれどもその王子が敗北し戦死してしまったことで彼らの権勢は大きく削がれていた。お家取り潰しなど処罰はされなかったもののその発言力や影響力は内乱前とは比べ物にならないほど小さくなっていた。虚栄心や自尊心の強い彼らからすればそれは到底看過できないことであった。
そこに此度の帝国の侵攻――その軍事力を知った彼らはすぐさま決断した。すなわち王国を裏切り帝国へと寝返ることで保身と栄誉を得ようとしたのだ。
『しかし他の奴らも馬鹿なことをする。これほど地力に差がある相手を前に抗ったところで犠牲が増えるだけだというのに』
『私も本当にそう思いますよ。王国全土から兵を集めたところで魔導戦艦から砲撃されて一蹴されるのが眼に見えていますからね』
『ヤコウ大将軍も愚かですな。それが分からないというのですから』
一人の若い貴族のその言葉を皮切りに貴族たちから次々と〝王の盾〟を嘲る声が上がる。
『ふん、何処の馬の骨とも知れぬ奴が高貴なる王族の〝守護騎士〟や栄えある〝四騎士〟の末席を穢すからこうなるのだ。ああ、早く我らに後ろから刺されて茫然とするあの小僧の顔が見たいのう』
『下劣ですよ……ですが、私も少しは興味があります。あのいけ好かない餓鬼の顔が絶望に沈むさまはどのような愉悦を与えてくれるのかを』
『はは、お前こそ邪悪じゃないか。とはいえあの身の程知らずの小童を粛清したい貴殿らの気持ちは私にもよくわかりますとも』
彼らが帝国から提示された条件――それは〝王の盾〟の首だった。これが長年国家を守護してきた〝征伐者〟の首であったなら彼らにも躊躇があっただろう。裏切りを画策する彼らとてクラウス大将軍には何らかの形で誰もが恩義を感じていた。間接的に助けられた者もいれば直接的に命を救われた者すらいるのだから。
だが〝王の盾〟――ヤコウ大将軍なら話は別だ。彼らからすれば夜光などぽっと出の若造に過ぎない。もっと言えば勝ち馬に乗っただけの第三王女の腰巾着程度にしか捉えていなかった。
『何が〝不屈〟だ、何が〝白の大将軍〟だ。所詮は偶然にも幸運を手にしただけの小僧だろうが』
『はは、ならば身の程知らずの子供に我らが世間の厳しさというものを教えて差し上げねばなりませんね。それが先達たる我らの務めでしょう』
『フハハッ、そうだな。血の海に沈む奴を見下ろしながら語ってやるとしようではないか!』
悪意が部屋に満ちる。いい歳した大の大人が挙って一人の少年を罵倒する光景は醜悪極まりないものであった。けれどもこの場にいる者たちでそれを指摘できるほど清い者など存在しない。
しかし――この場で最年少の貴族がポツリと不安を吐露した。
『ですが――本当に大丈夫なのでしょうか』
『ははは……うん、何がだ?』
『本当に我らの計画は気づかれていないのでしょうか。それに――もし帝国が負けるようなことがあれば?』
弱気な主張――けれども一笑に付されてしまう。
『クハハッ!何を馬鹿なことを。そのような心配はしなくて良い』
『そうですとも。まず帝国が負けることは天地がひっくり返ってもあり得ない。それは誰の眼にも明らかでしょう?』
『それに気づかれもしていない。もし気付いていたのならとっくに我らは処断されているだろうさ』
と口々に若い貴族の懸念を笑い飛ばした貴族たちに、不安げな表情をしていた若い貴族も安堵の息を吐く。
『そうですよね。すみません、少し弱気になってしまいました』
『構わんさ。貴殿はまだ若い。歳を重ねれば我らのようになれる』
『そうだな。これから先もっと経験は詰める――もっとも、王国ではなく帝国の元で、だが』
弛緩した空気が再び流れ始めた。彼らは用意していた果実酒を銀杯に注いで飲み始めもした。
飲んで騒いでの宴が始まろうとしていたその時だった。
コンコン、と扉が叩かれたのは。
『……なんだ?誰か娼婦でも呼んだのか?』
『そんなの〝聖堅の盾〟が半壊した時に軒並み逃げ出しただろう。誰かの子飼いの者が報告にでも来たんじゃないのか』
『いや、だがこの時間帯はたとえ急用であってもこの部屋には近づくなと厳命したはずだが……』
顔を見合わせて囁き合う貴族たち。
その中から先ほど不安を吐露した若い貴族が進み出て扉に手をかけた。
『私が出てみます。どうせどなたかの部下でしょうし――あぅえ?』
若い貴族が奇妙な声を上げてビクリと身体を震わせた。彼は腹部に猛烈な熱さを感じて顔を下に向けて――絶叫しようとした口ごと身体を両断された。その身体は鮮血を噴き出しながら綺麗に真っ二つになって床に頽れる。
「随分と楽しそうですね。笑い声が外まで響いていましたよ」
あまりに唐突な事態に言葉を失う貴族たちの前で、若い貴族ごと両断した扉を蹴り破って部屋に踏み込んできた少年が平坦な声音で言った。
その声には何の感情も浮かんでいなかった。先ほどまで馬鹿にされていたことに対する怒りも、足元で血を噴き出す死体に対する嫌悪もない。
ただただ無感情、あまりに場にそぐわない態度を見せる少年――間宮夜光は笑みを浮かべて見せた。
けれどもその隻眼はまったく笑っていない。人形じみた見る者を不安にさせる表情であった。
と、ここで我に返った家柄の良い貴族が焦りに満ちた様相で口を開く。
『や、ヤコウ大将軍!?これはですね――』
「黙れ豚が」
『ひっ!?』
どうにかこの場を切り抜けようとした貴族の言葉を遮って夜光が罵倒する。彼は血によって朱く染まった白銀の剣を床に転がる死体に何度も突き刺しながら貴族たちを睥睨する。
「家畜が、黙って指示に従うだけなら見逃してやったものを。反逆なんて身の程を知らない真似をするからこうなるんだ」
『お、お待ちを!!我らは――ガァ!?』
「黙れって言ったろ」
恰幅の良い貴族の首が宙を舞う。べちゃり、という鈍い音と共にその首は床を転がった。直後に首を失った胴体が鮮血をまき散らしながらどさりと倒れこむ。
『ひ、ヒィーー!?』
「だから黙れっつってんだろ。次俺の許可なく喋ったらそいつと同じ末路を辿ることになるぞ」
夜光がそう言えば貴族たちは口に手を当てて必死に悲鳴を押し殺した。
これによって部屋には微かな嗚咽と死体から発せられるブチュリという生々しい音のみが聞こえる異常な空間と成り果てた。
そんな場の支配者たる白髪の少年は飽きたのか、死体に刃を突き刺す行為を止めて最も手前にいた貴族に近づいた。
「おいお前」
『な、なんでしょう――げふっ!?』
その貴族は必死に作り笑いを浮かべて応じた。だが、白銀の刃に心臓を貫かれて驚愕の表情を浮かべることになった。
『なん、で――』
「あ?だから言ったろ、俺の許可なく喋るなって」
『ぞ、んな……話しかけてきた、のはそっち――』
「確かに話しかけはしたな。でも許可は出してない」
『――――』
苦痛と絶望に歪んだ首が刎ね飛ばされる。それは一人の貴族の胸元に当たって彼に尻もちをつかせた。
『ひ――おぅげっ』
目の前に転がるのは先ほどまで談笑していた男の首。気付けば彼は吐しゃ物を口から出していた。
そんな貴族に夜光は近づくと無表情で見下ろす。
「お前に聞こう――喋っていいぞ。知っていることを洗いざらい吐け。お前らが企てていた杜撰な計画と帝国の情報だ。俺にとって有益な情報が――そうだな、四つあればお前を含めたこの場で生き残っている奴らを見逃してやる」
『はぁはぁ……っ!?ほ、本当か!?』
「ああ、我が〝王の盾〟の名に誓ってやろう」
その言葉に希望を瞳に浮かべる貴族の男。
そんな男を冷めた眼で見下ろしながら夜光は〝天死〟の切っ先を床に向けて微笑んだ。
「じゃあ、早速話せ。時間が惜しいからな。おっとお前らは動くなよ。勝手な真似をした奴から殺していくからな。助かりたければこいつが有益な情報を語ることを祈っておくんだな」
表情とは裏腹な苛烈な台詞を吐いた夜光の左眼は――眼帯越しでもわかるほど青紫の光を放っていた。




