二十一話
続きです。
白銀の刃が外套を切り裂きその下にある柔肌を蹂躙する。
血が噴き出し臓物が零れ落ちては絶命する――ただし、これらはノンネの本体に当たっていたらの話だ。
ノンネと交戦を開始した夜光であったが、彼の周囲には無数のノンネの姿があった。これらは本体である一体を除き全て神剣〝曼陀羅〟が創りだした幻影である。
「ちっ、厄介な能力だな。じわじわと相手を心身ともに追い詰める……お前の方がよほど厭らしいだろうが」
「おや、それを言うならばあなた様がお持ちの〝力〟の方がよっぽどだと思いますがねぇ」
刹那、音もなくノンネが夜光のすぐそばに現れた。同時に彼女は懐から取り出した短剣を軽鎧の隙間に差し込み抉りぬいた。
短い苦痛の声を漏らしながらも夜光はノンネに肘鉄を放つ。けれどもその時には既に彼女は姿を消していた。
鮮血が噴き出し沸騰した薬缶を押し付けられているかのような熱と痛みを感じる夜光。しかし、その傷も〝天死〟の神権である〝全治〟によって瞬く間に塞がった。
瞬間転移して距離を空けたノンネは、傷口から白き輝きを放つ夜光の身体を見やって短い嘆息を溢す。
「〝夜の王〟の王権たる〝天獄の鍵〟――〝天死〟の権能ですか。まったくもって厄介ですねぇ。未だ〝天〟の側しか〝力〟を引き出せてはいないとはいえ強力に過ぎます。まぁ初代〝白夜王〟はかつてあの〝黒天王〟と引き分けた存在――それを鑑みれば妥当と言えますか」
ぺらぺらと喋るノンネの姿に夜光はずっと抱いていた疑問を苦痛を堪えながら吐き出した。
「お前は……一体なんなんだ?何でそんな誰も知らないような事を知っている?まるで――」
まるで神話の時代から生きているようだ、と言いたい夜光の気持ちを察したのか、ノンネは大仰に肩をすくめて見せる。
「嫌ですねぇ。女性に年齢の話は厳禁ですよ?……しかしまぁそうですね。これから長い付き合いになりますから一つだけお教え致しましょう。私は――とある〝王〟の〝眷属〟です。今のあなた様ならばこの言葉だけでご理解頂けるのではないでしょうか」
「……なるほどな。〝眷属〟か……」
〝王〟の眷属。
それは神々――〝王〟から直接〝力〟を分け与えられた存在のことだ。
その者は不老となり超回復の能力を得、更には保有魔力が増大する。その強さは〝魔人〟と同等かそれ以上とされており、単騎で一軍を相手にできるとも言われていた。
「お前がいつどの〝王〟の眷属になったのかは知らないが……不老であれば永い歴史を直接見てきたなんてこともあり得るわけだ」
だが、夜光にとって重要なのはそこではない。問題なのはどの〝王〟の眷属なのかだ。
「俺の過去を知っていることや〝白夜王〟のことを知っていることといい……お前、もしかして〝日輪王〟の眷属か?」
殺気が込められた詰問――されど、ノンネはくつくつと肩を揺らして笑ってみせた。
「フフフ……さてどうでしょう。私から言えるのはかの黄金の君は現在、アインス大帝国に居るということと私自身の現在の所属がアインスであるということくらいでしょうかねぇ」
その言葉、その台詞に空気が凍り付いた。
悍ましいまでの殺気が白髪の少年から放たれ周囲の空間を圧迫した。それが彼の放つ苛烈な覇気と合わさることで周辺の天地が軋みを上げる。
地はひび割れ、大気は泣き叫び、彼らの様子を窺っていた帝国兵はあまりの恐怖から頬を引きつらせて後退していく。〝王の盾〟たる少年から溢れ出る魔力は凄まじく可視化できるほど濃密なものであった。
そんな強大な力に近距離で当てられたのだ。常人であったのなら逃げ惑うか意識を手放すであろう。武人であっても並大抵では気圧されたに違いない。
けれどもノンネはそのどちらにも当てはまらない者であった。
彼女は白き〝王〟の怒りに恍惚から身を震わせていた。
「ああ……あぁ!なんと素晴らしいことでしょうか。これほどの覇気、これほどの殺気、これほどの魔力――どれをとっても最高です。やはり人より生まれし二代目の〝王〟という存在は実に興味深くまた面白い!!!」
「黙れ」
たった一言、それだけで世界に緊張を強いる。戦場にいる誰もが強制的に意識を向かせられる。
それをノンネは素晴らしいことだと思った。それでこそ神、それでこそ〝王〟であると考えているからだ。
「〝王〟とは全天全地にその存在を知らしめるもの。〝王〟とは森羅万象にその名を轟かせるもの。……ふふ、長かったですが、ようやくあなた様も〝王〟として本格的に目覚めてきたようですね?であれば後は――」
「消えろ」
一人語りを続けるノンネを遮って夜光が斬りつけた。その速さは先ほどまでとは比べ物にならないほど増しており、ノンネの反応が一瞬遅れるほどであった。
彼女は咄嗟に手にする短剣――魔剣たる一振りで明滅する白銀の剣を受け止めるも、あっさりとその短剣の刀身は折れてしまう。
だが、その僅かに稼いだ時間を使ってノンネは〝曼陀羅〟の力を使い転移――夜光から離れた位置で微かな緊張が交じる吐息を吐き出した。
「危ない危ない。危うく殺されてしまうところでしたよ。私はまだまだ死ぬわけにはいきませんからね。……しかし今の感じ、覚醒はかなり近いということでしょうか」
最後の部分は小声、しかも距離が空いていた為に聞き取れなかったが、夜光は殺意を込めて告げる。
「五月蠅い、さっさと死んどけ。お前には利用価値があるから生かしておいてやったが、事態がここまで進行した今となってはもう用済みだ。ここで消えろよ」
「……おや、それは変ですねぇ。まだまだ私という存在は必要なのでは?」
かつて交わした密約を思い浮かべてノンネは首を傾げる。けれども夜光は冷笑を向けるだけだ。
「敵であるお前に全てを話したりするものか。お前はあくまで保険の一つに過ぎないんだよ。本命はもちろん、他にある」
夜光の企てた計画はノンネという存在がなくとも完成されていた。途中で彼女を組み込んだのは保険でしかない。故に彼女をここで始末しても何の問題もなかった。
(本当はもう少し後で消す予定だったが……)
彼女はあまりにも危険だ。神剣の一振りを所持していること、その能力が厄介極まりないものであること、何をどこまで知っているのかわからないという未知数な点があることなどから生かしておくのは利益より不利益の方が大きいと判断したのだ。
そんな夜光の明確な殺意を受けてノンネは倒錯した興奮を得つつも少し離れた位置で繰り広げられている戦いに意識を向けて言った。
「ここであなた様ととことんやり合うのも悪くないのですが……どうやら先にあちらの方が決着がつきそうなので止めておくとしましょう」
「何……?」
ノンネが首を向ける先に夜光も視線を転じれば、そこでは今まさに一つの戦いが終わりを告げようとしていた。
*****
時は僅かに遡る。
夜光とノンネが戦い始める直前からクラウスとアルトリウスの激突は始まっていた。
「シッ!」
気迫と共にクラウスが扱く黄金の槍を金髪の皇子は軽やかに躱す。その動作から身体を回転させて手にする魔剣を振るえば、クラウスは柄でその一撃を受け止めた。軽やかな見た目とは相反して中々に激烈な一撃ではあったが、彼は何とかその衝撃に耐える。
耐えられなかったのは踏ん張った彼の足元の地面で激しく陥没した。
「へぇ、やるね。流石はその名を帝国まで轟かせる男だ。けれどね――」
とアルトリウスは笑って蹴りを放つ。しかしその程度では神剣で肉体が強化されているクラウスには通用しない。されど注意を引くことは出来る。
一瞬視線が下を向いたクラウスの顔面に向かって魔力を練り上げ無詠唱で火球を放つ。魔法による迎撃は間に合わない、瞬時にそう判断したクラウスは敢えて魔剣を受け止めている槍ごと前に出た。
これには余裕を持ち続けていたアルトリウスも驚くが、彼は競り合いを解くことなく再び無詠唱で今度は足元から冷気を迸らせた。真夏には相応しくない氷槍が大地を奔りクラウスへと襲い掛かる。
上は火球、下は氷槍、中は魔剣。隙のない攻撃が彼を襲うもその灰色の双眸に諦めの気配は微塵もなかった。
「〝聖征〟!」
クラウスが相棒たる神剣の銘を呼ぶと同時にその姿が消滅した。次の瞬間には彼が立っていた場所を二つの魔法が襲うも大地に被害が出るだけであった。
驚愕に眼を見開くアルトリウスであったが、背後からの殺気に身を捻った。ほとんど戦士たる彼の身体の反射的な動きであったがそれが功を奏した。背後から突き出された黄金の穂先は彼の脇腹をかすめるに止まったのだ。
アルトリウスはその碧き瞳を動揺で揺らしながらも振り返ってそこに立つクラウスの姿を見やる。
「それが名高き神剣〝聖征〟の空間跳躍か。なるほど、ノンネの空間転移に似ているけれど速さが全然違うな。君のそれは速すぎる」
「俺の方こそ驚いてるぜ。知識としてこいつの能力を知ってしても初見ではまず躱せない。それが〝聖征〟の神権〝空絶〟だってのによ」
「……ほとんど勘に助けられたのさ。それに――」
とアルトリウスは動揺を抑えつつクラウスの上半身に眼を向ける。服と黄金の鎧によって隠されてはいるが、彼は同僚たる〝仮面卿〟から聞かされていた。
「君は〝帝釈天〟――シュバルツ大将軍から手傷を負わされていると聞いていたが……どうやら事実だったようだね。動きが明らかにぎこちない」
クラウスは数日前にバルト大要塞に侵入してきた黒衣の男――アインス大帝国、護国五天将の一人である〝帝釈天〟と交戦し決して浅くない傷を負わされていた。
それは奇妙な傷で神剣の加護でも治らず今でも彼の身体を蝕んでいた。それによって彼は実力の全てを発揮できない状態にあったのだ。
クラウスはそれを隠しながら戦っていたが帝国における武官の頂点にまで登りつめたアルトリウスの眼は誤魔化せなかった。
「……うるせぇ。こんなの大したことねぇんだよ」
そうクラウスは虚勢を張るがアルトリウスは誤魔化されない。彼は己の優位性を確信したが、それでも油断せずに魔剣を構えた。金髪の皇子は兄たる皇帝とは違って慢心という物を抱くことが極端に少ない人物であった。
「手負いの獣とはいえ腐っても神剣所持者――油断はしない。とはいえ手傷を負っているのは事実だ。ここで仕留めさせてもらうよ。君さえ始末してしまえば後は容易いからね」
「……俺の部下たちを甘く見たら痛い目を見ることになるぜ。それに仮に俺が死んだとしてもヤコウがいる。さっきのやり取りで分かったがてめえじゃあいつには敵わねえよ」
〝征伐者〟以外を軽んじる発言にクラウスが気色ばむが、皇弟は余裕ある笑みを浮かべるだけだ。
「確かにバルト大要塞の兵は手強いだろうね。国境守護を任されていて普段は魔物や野盗の討伐をしている彼らは練度が高い。あの〝王の盾〟もまた一筋縄ではいかないだろう。けれどね――」
とアルトリウスは憐れみを込めた視線をクラウスに向ける。
「技術力も兵力もこちらが勝っている。地力で勝っている以上、君たちに勝ち目はない。君がここで死のうとも死なずとも〝聖堅の盾〟が完全に効力を失えばそこで終わりだ。魔導戦艦からの艦砲射撃だけで全てに片が付く。君は何度かその神剣の力を使ってこちらの戦艦を撃墜しているけれど……一日一回しか使っていないところを見るに多用は出来ないんだろう?それにその手傷だ、もしかしてもう使うことすら出来ないんじゃないのかい?」
アルトリウスの指摘は的を射ていた。されど、認めるわけにはいかない。
何よりその指摘は完璧ではなかった。
クラウスはゆっくりと〝聖征〟を構えると敢えて不敵な笑みを浮かべた。
「試してみるか?あの戦艦すら破壊した一撃――てめえの身体でよ」
「……虚勢だ。それに仮に使用することが出来るのだとしても緒戦である今使うわけがない」
冷静に考えればそうだ。気力体力魔力共に大きく消耗を強いる技をこの局面で使用するのは愚かと言わざるを得ない。まだ本日の戦いは始まったばかり、まだまだ先は長いのだ。ここは力を温存するべき場面であった。
けれどもアルトリウスは知らなかった。〝征伐者〟たる彼の破天荒な性格を。そして彼が夜光に向ける信頼の深さを。
(ヤコウ、後の事は頼むぜ。俺はこいつをここで討つ!)
皇弟であり大将軍でもあるこの男を殺害してしまうのは危険だ。しかしこれまでのやり取りでクラウスはこの男を逃がしてはならないと判断した。何が何でも対処しなければならない。もはや生け捕りなどと悠長なことを言っている場合ではないと考えたのだ。
クラウスは一度大きく深呼吸をしてから魔力を高めた。同時に手にする〝聖征〟が黄金の輝きを放ち始める。
その動きにアルトリウスはまさかという思いを抱きながらも警戒心を最大限引き上げた。理性はあり得ないと言っているが本能が危機を察知していたのだ。
そんな金髪の皇子の反応をつぶさに伺いながらもクラウスは目を見開いて叫んだ。
「我が槍の一撃――受けてみろッ!」
そして――勢いよく槍が放たれる。
――絶天撃穿。
クラウスの手元から槍が消え衝撃波が発生する。
ほぼ同時に黄金の穂先がアルトリウスの軍服をすり抜けて肌に触れ――否。
「なんだとッ!?」
「っ……!!」
空間を跳躍する一撃であるため防御は不可能。そのはずだった。
けれどもクラウスが放った渾身の一撃は不可視の魔力壁に阻まれ――僅かな拮抗の後逸れた。
狙いを外れた〝聖征〟はアインス兵らが密集している箇所へと飛んでいき多くの兵を消滅させながら遠くの地面に着弾、大地に大穴を開けながら百以上の帝国兵を消し飛ばした。
遅れて槍を放った際の音と着弾した際の音が連続して響く中で、疲弊し片膝をつくクラウスの驚愕する顔を見ながらアルトリウスが苦痛を堪えながらも笑った。
「やはり相当手傷は深いようだね、〝征伐者〟よ」




