二十話
続きです。
そこはまさに混沌とした場と化していた。
『火矢を射よ。梯子を燃やすんだ!』
『湿気って火が付かない?なら魔法使いを呼べ。とにかく城壁に張り付かせるな!』
白を基調としたバルト大要塞の城壁が汚れ始めていた。
アインス大帝国軍が放つ弓矢や魔法による攻撃で抉れ、胸壁や城壁上にて負傷した兵が流す血が赤色をまき散らす。
敵味方双方から発せられる悲鳴と怒号、絶叫が入り乱れる阿鼻叫喚たる場にあって一際存在感を放つ者が二人いた。
エルミナ王国が誇る〝四騎士〟――〝征伐者〟に〝王の盾〟である。
なんと二人は城壁から飛び降り敵で埋め尽くされた地上にて刃を振るっていた。
『大将首だ!討ち取った者には皇帝陛下より恩賞が与えられるぞ!』
『死ねぇえええ!!!』
敵の指揮官がたった二人だけで突出している。当然そのようなことをすれば集中的に狙われるのは必定だ。
夥しい数の殺意が込められた刃が、矢が、魔法が二人に襲い掛かる。けれども――それは届かない。
「はっ、温いんだよ雑魚が」
「雑魚は言い過ぎだと思いますけど……温いのは確かですね」
アインス兵が扱く槍が斬り飛ばされる。振りかざした剣は腕ごと切断されて宙を舞った。
矢は難なく交わされて弓の所持者の首が黄金の穂先によって貫かれる。
火球、雷撃、風刃、氷礫――これら魔法は悉くが蒼き光を放つ盾によって防がれた。
鎧袖一触――クラウス大将軍と夜光の周囲に死体が量産されていく。誰一人として彼らを傷つけることは叶わない。まさしく圧倒的な武威を二人は示していた。
これには当然自軍の士気を上げ、敵軍を畏怖させる効果があった。
『流石は〝四騎士〟のお二人だ。アインスの連中、一太刀も浴びせることが出来ないでいるぞ』
『お二人だけで敵陣に切り込むと言われた時はなんて無謀なと思ったが……そのようなことはなかったな』
『両大将軍閣下だけに戦わせるな!我らも援護するぞ!』
十倍以上の戦力差に士気が低下していたエルミナ王国軍は歓声を上げながら地上への攻撃を継続する。その表情には確かな希望が宿っていた。
『ば、化け物め……!』
『たった二人だぞ!?たった二人に天下のアインス大帝国軍がこうもしてやられるなど……あってはならんだろう!?』
『これが〝征伐者〟、これが〝王の盾〟……っ!』
あまりにも圧倒的な武威を示されれば誰だって委縮してしまうものだ。現に夜光とクラウスが暴れている箇所だけ空白地帯のようにアインス兵が存在しない。否――正しくは生きているアインス兵は、だが。
このような非常識な真似が出来るのが神剣所持者であり神器所持者である。彼ら超越者と対峙するには同じ存在かそれ以上でなければならない。
故に――、
「お見事としか言いようがないね、君たちは。まさかここまで〝力〟ある存在だとは思ってもみなかったよ」
「ふふ……お久しぶりですね、〝夜の王〟よ」
アインス兵たちの波が割れ、そこから堂々たる足取りで姿を見せたのは、金髪碧眼の青年と外套を深々と被った人物だった。
最新式の帝国軍服を着こなす青年は微笑を湛えており、見る者に爽やかな印象を与える。
その一方で外套を羽織る人物は異様な雰囲気を放っている。辛うじて見える顔下半分は仮面に覆われておりそれが一層不気味さに拍車をかけていた。身長は青年より短く、声から女性であることだけが察せられた。
彼らの登場にクラウスは警戒したのか〝聖征〟を構えて油断なく二人を睨みつける。夜光は〝王盾〟で身を守りつつ〝天死〟を構えて女性を見やった。
「ノンネ……やはり帝国側の人間だったか」
「……知ってるのか、ヤコウ」
「ええ。奴の名はノンネ、先の内乱にて裏で糸を引いていた人物です。オーギュスト第一王子やアルベール大臣と手を組み、勇者二人を連れ去った。……気を付けてください。奴は何度も勇者たちと交戦しては無傷でいます。それに――恐らく神剣所持者です」
「マジか……厄介な野郎だな」
夜光がクラウスに警戒を促せば彼はそう吐き捨てた。
それに敏感に反応したのは外套の人物――ノンネである。
「おやおや失礼しちゃいますねぇ。私はこれでも女なのですが」
「……そこ一々指摘することかい?君は変なところで拘るね」
「大事なことですよ、殿下」
「……殿下だあ?まさかてめえは――」
ノンネと気さくにやり取りを交わす青年の正体に思い至ったのか、クラウスはハッと目を見開く。
黙って聞いていた夜光もその隻眼に若干の驚きを浮かべた。
そんな二人の大将軍の様子に気を良くしたのか、ノンネが大仰な手ぶりで青年を示してこう告げた。
「ふふ、〝征伐者〟よ。あなたの想像通り――このお方こそアインス大帝国、皇位継承権第一位にして皇弟、加えて〝護国五天将〟が一人でもあらせられる高貴なる者。アルトリウス殿下です」
「お初にお目にかかります、クラウス殿にヤコウ殿。僕の名はアルトリウス。ルキウス・ロウ・アルトリウス・フォン・アインスと申します。皇帝陛下より護国五天将〝西域天〟の任を授かった者です」
護国五天将。
それはエルミナ人に分かりやすく説明するならばアインス版〝四騎士〟といった存在だ。
軍事国家アインス大帝国における武官の頂点に位置する五人の大将軍の異名であり、その名は古来より連綿と受け継がれているものだ。
特別な位である〝帝釈天〟以外の四名はそれぞれ方角の名が入った称号を与えらえ、実際にその方面の軍事指揮を執る。
加えて二百年前に貴族制を廃止したことで彼らはその方面の統治すら皇帝に任されていた。
圧倒的な権力と武力を兼ね備えた帝国の重要人物たち。彼らの上には皇帝と宰相しかいないことや、その皇帝に対する罷免権すら持ち合わせていることからその権勢の強大さが否応にもわかるというものだ。
しかも――、
(現皇帝の弟とはな……)
そのような超重要人物を連れて最前線に姿を見せるなど一体ノンネは何を考えているのか。こちらを前にして守りきる自信があるのだろうが……それにしてもうかつが過ぎるというものだ。
「クラウスさん、ここは――」
「皆まで言うなよヤコウ。捕えればいいんだろ?」
「ええ……ただし殺しは極力控えてください。せっかく敵軍の気勢を削いだというのに逆に火に油を注ぐ結果になりかねませんから」
皇弟、しかも大将軍――そのような人物を殺してしまえばアインス兵は怒りに燃えることだろう。この戦いが復讐戦となりかねない。そうなってしまえば復讐という大義名分の元、帝国兵の残虐性が増してしまう。その憎しみの炎はバルト大要塞だけでなくエルミナ王国全土を焼くことにもなりかねない。
それは今後の展開を考えれば避けたいところであった。
そういった夜光の考えにすぐさま思い至ったのか、クラウスは短く首肯して戦意を迸らせて名乗り返す。
「そっちは俺たちのことを知っていたみたいだが……一応名乗ってやる。それが礼儀ってもんだからな。俺の名はクラウス・ド・レーヴェ。国王陛下より〝征伐者〟の名を与えられた者だ」
「ヤコウ・ヴァイス・ド・セイヴァー、同じく国王陛下より〝王の盾〟の名を授かりし者だ」
対して青年――アルトリウスは朗らかに笑った。戦場に似つかわしくない態度である。
「ご丁寧にどうも。それじゃ――早速で悪いけどここで死んでくれないか。兄さんが歩む覇道に君たちは邪魔でしかないんだよね」
そう言って腰に差していた鞘から一振りの剣を抜き放つ。一見すると単なる長剣であるが良く見れば膨大な魔力が刃に込められていることに気付く。
(魔剣か……)
魔石を用いた特殊な製法で生み出される剣――神剣や神器とも打ち合える強度を誇りある程度の特異な現象を引き起こすことが出来るが程度は知れている。神なる武具には到底及ばない。
そういった事情からむしろ問題になるのは――と夜光がノンネに視線を向ければ、何が嬉しいのか彼女は喜悦に肩を震わせた。
(相変わらず気味の悪い女だ)
夜光は内心げんなりとしながらもクラウスに提案する。
「クラウスさん、ノンネは俺が。皇弟を任せてもいいですか?」
空間跳躍を行うことができるクラウスの方が不意を突ける。そして不意を突けば殺さずに生け捕りも可能であろうという判断からだった。勿論、とある密約を交わした相手であるノンネを受け持ちたいという考えもあっての提案だが。
黙考は一瞬のことだった。クラウスは了承の意を示すと泰然自若として佇む皇子に穂先を向けた。
そんな〝征伐者〟の様子にアルトリウスは鷹揚に頷く。
「僕の相手は君か。良いだろう、来るといい」
「はっ、そのスカした顔――苦痛に歪めてやるよッ!」
刹那、クラウスとアルトリウスは激突した。両者の衝突によって生み出された衝撃波に周囲の兵士たちが畏れから更に距離を取る。
その光景を見ていた夜光にノンネが接近しながら声をかけてきた。
「では、あなた様の相手はこの私ということになりますね。フフ、以前よりも成長したお姿を見せてほしいものです」
何時もの口調だけ丁寧な挑発交じりの言葉に夜光は殺気を向けた。
「これは一体どういうつもりなのか……その身体に聞いてやる」
「おぉ……これは何とも激しい気配ですねぇ。お言葉も心なしか厭らしく感じてしまいます」
「黙れ痴女が」
興奮を隠さないノンネに、夜光は切りかかった。




