十五話
続きです。
神聖歴千二百年八月二十日。
夜光率いる援軍はこの日、遂にバルト大要塞に到着した。
空は厚雲に覆われており雨催いといった様子である。
「バルト大要塞……やっぱり凄いな」
軍の先頭にて白馬に跨る夜光は感嘆の吐息を溢した。
エルミナ王国らしい白を基調とした城壁は年季を感じさせる渋みがあるものの綺麗であり、胸壁や随所にある小塔もまた見る者に威圧感を与える雄大さを誇っている。
それが見渡す限り南北に続いているのだ。これは攻城側からすれば圧倒されてしまい委縮してしまうことだろうと夜光は思った。
(これほど大きな要塞に十万もの将兵が居るとなると……陥落させるのは困難を極めることだろうな)
加えて――と、夜光はバルト大要塞を覆う半透明な魔力壁を見つめて隣に馬を寄せてきた副官に声をかける。
「魔力壁が薄いように感じるが……〝聖堅の盾〟の光はあの程度のものなのか?」
『……いえ、発動時は青い光を放っていたとのことなので……これはおそらく弱まっているものと思われます』
「そうか……なら急ごう。間に合いはしたようだが、これでは長くは持ちそうにないだろうからな」
『はっ、すぐさま入城致します』
そう言って要塞内へ入るための手続きに向かった副官の背から視線を外して東の空を見やれば、そこには要塞へ砲撃を行う飛空艇――否、魔導戦艦の偉容が眼に映りこむ。
「……あれがアインス大帝国が誇る魔導戦艦隊か」
天を覆う厚雲を背に浮かぶ百隻もの空飛ぶ船団は圧巻の一言だ。
夜光が元いた世界である地球の日ノ本にて近年製造された軍用艦――戦艦や巡洋艦、駆逐艦から武骨さを極力減らし、芸術的な外観を整えた上で空に浮かべたようなもの。それが魔導戦艦隊を初めて目にした夜光が抱いた感想である。
(動力はおそらくオルトリンデと同じで巨大な魔石だとは思うけど、あれほどの規模の軍艦を運用するとなるとかなりの数が必要になるはず。それを有しているという事実だけで国力の差を痛感させられるな)
魔石は基本的に天然の資源――人工的には作れないというのが定説だ。だが、アインス大帝国があれほど大量かつ高濃度の魔石を有しているとなればその製法が帝国では確立している可能性が高い。何故なら飛空艇や魔導戦艦を動かすことができるほど巨大な魔石は南大陸広しと言えども五十もないと言われているからだ。
(これほど技術力、国力共に隔絶しているとは……分かっていたつもりだったけど、実際に目の当たりにすると憂鬱になってくるな)
更には兵力や将兵の質でも向こうが上、ということに夜光は陰鬱な溜息を吐きたくなったが、部下の手前で戦う前から指揮官がそのような有様では今後の士気に関わる。故に彼はそれを抑え込むと眼帯を一撫でして開き始めた城門に向かった。〝聖堅の盾〟を破らんとする敵の攻撃音を煩わしく感じながら。
*
兵の収容を副官に任せた夜光はその足で司令部を訪れた。石造りの階段を登り最上階にある司令官の部屋に案内された彼が見たものは、裸の上半身に斜めに包帯を巻きつけた偉丈夫の姿である。
「……クラウスさん、お久しぶりです。お元気そうで――というわけにはいかなかったのが残念です」
「おう、ヤコウか!久しぶりだな。俺も残念だよ。まさかこんな手傷を負っちまうとはな」
部屋に入った夜光が慇懃に頭を下げた上で敬礼を向ければ、バルト大要塞司令官にして国境守護を国王より任ぜられた男――クラウス・ド・レーヴェ大将軍が破顔した。
その表情から傷は大したことがないのかなと一瞬考えたが、直後歩み寄ってきたクラウスが身体をふらつかせたことで霧散する。
「本当に大丈夫ですか!?無理はしないでください」
「心配いらねぇ……と言いたい所なんだが、ちとヤバくてな。こうして立ってるだけでもしんどい。悪いが座らせてもらうぜ」
と、クラウスは長椅子にドカリと座り込んだ。
夜光もまた長机を挟んだ反対側の長椅子に腰を落ち着けてクラウスの見事に引き締まった肉体を眺めやる。クラウスの手傷というのは包帯の巻かれ方から察するに刀剣で袈裟切りされたように思えた。
「それは〝帝釈天〟に?」
「あぁ、そうだ。あの不気味なガキにしてやられたぜ。おかげでこのざまさ。斬りつけられた箇所はまったく治る気配もねぇし……踏んだり蹴ったりだ」
「……〝聖征〟の加護が働かないんですか?」
神剣は所持者に絶大な力を与えるだけでなく、常人離れした身体能力や治癒能力をも与える。その治癒能力は驚異的で、通常の武器で斬られた程度のことならすぐさま治るものだ。仮に深い傷だったとしても数日で快復する。それがまったく治らないということは……。
「相手も神剣所持者、もしくは固有魔法持ちだったということですか」
「そうだろうな。あのガキは見たこともねぇ闇を放つ黒い刀を持ってやがってな。それで斬りつけられちまって……このざまだ」
「闇を放つ黒い刀……」
その単語で脳裏に浮かび上がったのはセリア第二王女が有する神剣〝呪殺〟であった。しかしあれは黒色ではあっても放つのはあくまで魔力だ。〝闇〟という得体のしれないものではない。
とここでふと、夜光はクラウスの包帯からはみ出る黒い染みのようなものに気付く。
「……クラウスさん、その染みみたいなのは――」
「ああ、これは――ってみた方が早いな。ちょっと待ってろ」
夜光の質問にクラウスは包帯を解くことで答えた。シュルシュルと解けていく白い包帯とは対照的に、見えてきたのは黒く染まった皮膚である。
(っ、これは……!?)
そのあまりにも痛々しく禍々しい傷口に夜光は思わず息を呑んだ。
予想通り袈裟切りの刀傷がクラウスの左肩から右腰に向けて存在しており、その傷口と周辺の皮膚が黒く染まっていた。
その黒い部分は現在進行形で広がろうとしているが、すぐさま何かに推し負けたように元の位置まで戻ったりを繰り返している。
まるで生きている蛇が蠢いているかのような不気味な現象だったが、夜光はそれをすぐさま理解した。
「……〝聖征〟の加護がその黒いやつの侵食を防いでいるんですね?」
「その通りだ。軍医によるとこの部分は壊死しているらしくてな。その所為かもう痛みは感じねぇ。だが広がろうとしている部分はそうもいかなくてな。この痛みが中々キツイってわけだ」
そういって笑うクラウスだったが、それはかつて見た笑みよりも弱々しいものだった。
そんな先輩の様子に夜光は心配だと言わんばかりの表情を浮かべながら慄然としていた。
(壊死、皮膚が黒くなる、広がり方が斑点模様……まるで話に聞く黒死病のようだな)
かつて地球で猛威を振るった危険極まりない病と似たような症状に夜光は恐怖を覚えた。刀で斬りつけられないと発症しないというのは細菌兵器と考えても安全とはいえるが、逆に言えば斬りつけられたが最後、治らず死ぬという末路を辿る羽目になるということだ。
(シャルの固有魔法〝天恵の涙〟で治せればいいけど……難しそうだな)
神剣の加護という強力な力ですら抑え込むのがやっとのこと。ならばいくら回復に特化した固有魔法でも治療できない可能性が高い。
(俺の〝天死〟の力でも治るか怪しいぞこれは……)
〝王〟の〝王権〟たる白銀の剣の力を以てしても無事でいられるかは怪しいと夜光は考えた。だが、それは同時にとある想像を掻き立てた。
(敵が振るう力は只の固有魔法や神剣じゃないのか……?)
只の固有魔法や神剣では〝聖征〟の加護で治癒できない程の傷を継続的に与えることは難しいはずだ。ならばそれらを超える力――神々の存在を疑うべきだろう。
(〝英雄王〟の末裔――〝帝釈天〟は〝王〟か、もしくはその〝眷属〟の可能性があるな)
だとすればいくら〝征伐者〟と名高いクラウスであっても対峙するのは荷が重いだろう。〝眷属〟であれば五分かそれ以上の戦いができるだろうが、もしも相手が〝王〟であったなら一人で挑むのは無謀が過ぎる。〝王〟の脅威は台風や地震といった天災に匹敵するからだ。
(今後戦うことにはなるだろうが、その時はクラウスさんじゃなくて俺が対応すべきだろうな)
と夜光が決意を固めていると、クラウスが茶髪の頭を掻きながら笑みを引っ込めてこちらを見つめてきた。
「――で、俺個人の話はここまでだ。こっからは現在の戦況とこの要塞での戦局についてだ」
そう言って彼は夜光との間に置かれた長机――その上に敷かれた地図と要塞の見取り図に駒を並べながら説明を始めた。
「まず今現在の戦況についてだ。アインス大帝国は軍を大きく二つに分けてエルミナ王国に侵攻してきた。総兵力にして百万超え、魔導艦隊を合わせればもっといく」
此度のアインス大帝国によるエルミナ侵攻は東と北からだった。
北からは魔導艦隊の主力を以て侵攻、これによってエルミナ北方の兵力は全てそちらに割かれてしまった。
東はここバルト大要塞への侵攻であり、主に地上戦力によるものだ。しかし数や質が圧倒的にエルミナ側を上回っており、このままでは押し切られるのは明白である。
残る地域は先の内乱で疲弊しており、すぐに出撃できる兵力は夜光が率いてきた二万三千だけ。王都近郊に残してきたエルミナ王国軍主力はそろそろ動けるようになっただろうが、要塞や〝聖堅の盾〟の疲弊具合からもはや間にあわないだろう。
国力、技術力共に圧倒的な差があるアインス大帝国の侵攻を押しとどめるには堅牢なバルト大要塞が必須――故に要塞が陥落すればいくら主力が残っていようともまともな戦いが出来ずに敗北することだろう。何せ一方的に制空権が取られてしまうのだから、空から砲撃で一掃されてしまうのがオチだ。
「で、次はここの戦局だが……正直芳しくねぇな。あの末裔のガキの所為で要塞は南北が分断されちまったし、〝聖堅の盾〟を発動させている魔石ももう限界が近い。お前が運んできてくれた大量の魔石を喰わせたおかげでまだ持つが、それも数日ってところだろう」
「……南北が分断されたという話ですが、それならば南側から帝国軍がエルミナ本土に浸透しないのは何故なんです?」
「その理由は簡単だ。南側の〝聖堅の盾〟が生きていて、しかも十万の兵が残っているからだ。それでなんとか防衛しているってわけだな」
「……そうか、アレーナ砂漠側の兵が居たか!」
バルト大要塞は縦に長く、北は南大陸の最北東に位置するベーゼ大森林地帯まで、南は最南東に位置するノトス海まで伸びている。
あまりにも長大な守護範囲であるが故に駐留する兵力も多く、平時は三十万もの大兵力が存在していた。
しかし先の内乱で十万はシャルロット第三王女に従いエルミナ本土へ向かい、十万はアレーナ砂漠という魔物の住処を始めとするエルミナ南方側の危険地帯への対処の為、そして南大陸で数少ない人が船を使って行動できる海域であるノトス海――その先にあるアインス大帝国本土に睨みを利かせる為に動かせなかった。
その為今回のアインス大帝国の侵攻を残る十万で対処しなくてはならなかったわけだが……。
「……南方の守護を捨てたんですね?帝国が海路を使わないと確信して」
「おうよ。連中は海じゃなく空を往く。海は無い――そう判断して南側の兵力をこっちに持ってきたんだ」
「なるほど……海からの侵攻やエルミナ南方の治安悪化などの危険性はありますが、前者は低く後者は国難故に飲み込む。そういうことですね?」
「そういうことだ。とにかく今はこの危機的状況を乗り切ることが優先されるからな。南方の民には申し訳ねぇが、魔物やら野盗やらの脅威はしばし耐えてもらうしかないだろ」
合理的な判断だと夜光は評価した。国を、民を護るのが騎士として武官としての責務であり、クラウスの心情としては南方の民に犠牲が出るかもしれない策は受け入れがたいものであったはずだ。だが、彼はそれを押し殺して此度の戦に臨んでいる。
(これなら――最終的には受け入れてもらえそうだな)
夜光の思考――その冷徹な部分がそう判断した。
彼が残る説明――こちら側には〝烈火騎士団〟を合わせて十万ほどの戦力があること、〝帝釈天〟率いる〝天軍〟が要塞の一部分を占拠していること、そして破られた〝聖堅の盾〟の箇所は既に修復済みであることを矢継ぎ早に行った後、夜光は今度はこちらの番だと自らの計画を語り始める。
――そろそろ王都に居るシャルロットたちにも明かされる頃合いだなと思いながら。




