十三話
続きです。
神聖歴千二百年八月十五日。
エルミナ王国東域西部シュタムの街。
〝王の盾〟率いる援軍二万三千はプノエー平原を抜け、ここシュタムの街で補給を取っていた。
兵士や騎士たちは夏の暑さを凌ぐために郊外に天幕を張り、中で冷房の魔導具を使用している。
そういった文明の利器に頼らない者もいる。ある者は街の近くにある川へ涼みに行き、またある者は硬貨を片手に街へと入り、露店で冷えた飲料や氷菓子を買い求めていた。
誰もが決戦前だとわかっている。故にこそ敢えて普段通りに振舞っているのだ。いつも通りの動きをすることで護るべき日常の大切さを再確認しているという側面もあるが。
『ヤコウ大将軍、王都より手紙が届いております。それとバルト大要塞からの報告も』
「報告を先に聞こう」
そんな兵たちの指揮官である間宮夜光は、郊外に敷いた陣の中央にある指揮官用の天幕で副官から何通かの手紙を受け取りつつ報告を受けていた。
まだ年若い彼だが、身に纏う雰囲気は老練のそれだ。対するだけで気圧されてしまうものがある。
何だか王都から離れるたびに鋭い気配が増していくな、と思いながらも副官は今朝方届いた報告書を手に口を開く。
『四日前のことです。突如としてバルト大要塞の小門の一つが破られ敵兵の侵入を許してしまったと』
「……〝聖堅の盾〟が破られたのか?」
『俄かに信じがたいことなのですが……どうやらそのようでして』
「〝聖堅の盾〟が完全に機能を停止したってことか?」
『いえ、報告によればその小門前の一部分だけが突破されたとのことです。そこから護国五天将〝帝釈天〟率いる〝天軍〟が要塞へと突入したといいます』
「〝帝釈天〟――〝英雄王〟の末裔か。それに伝説の軍である〝天軍〟……」
夜光は重々しく嘆息した。
確かに敵側にそのような存在が居るとは知っていたが、よもや彼らだけで戦略級魔法を突破するほどの力を持っていようとは思いもしなかった。
(誤算だったな。どうやったかは知らないが、〝聖堅の盾〟を越えるとは……)
恐らくだが〝英雄王〟の末裔というだけあって何かしらの〝力〟を有している可能性が高い。神剣か固有魔法か……どちらにせよ厄介極まりないことだけは確かだろう。
夜光は片手で眉間をほぐしながら副官に報告を続けるよう促した。
『ですが、要塞司令官であるクラウス大将軍が〝烈火騎士団〟と共に現場に急行、敵の侵入を食い止めることに成功したとのことです。ですが……』
言いよどむ副官の態度から良い報告ではないのだろうと悟ったが、それでも聞くしかない。
夜光が「続けてくれ」と言えば、副官は表情を曇らせながら報告書に目を落とした。
『敵指揮官である〝帝釈天〟と交戦、退けはしましたがクラウス大将軍は負傷。その為敵を完全に要塞外へ押し出すことができず、その小門から南側を喪失したとのことです』
「…………そうか」
あまりにも悪い報告を前に夜光はそう返すので精一杯だった。いずれはそうなると予想していたが、それは己が援軍を連れて要塞に到着した後のことだと考えていた。
(展開が早すぎる。向こうにこちらの動きを読まれているのか……?)
一瞬、ノンネが情報を流したのかとも考えたがそれはないはずだ。彼女と交わした誓約は〝王〟としてのもの――破ればその罰としてノンネの命はないし、何より破られたということに夜光自身が気づける仕組みになっている。今のところその様子はなかった。
(だとすればこっちの動きを予想したか、単に敵の動きが俺の考えよりも迅速だったってことになるか)
一瞬密偵の存在を疑ったがそれはないと即座に否定する。〝聖堅の盾〟を突破する前に密偵を要塞内へ送ることは出来ないであろうからだ。
それにしても、
「要塞南側を失ったってことは、既に敵が要塞を抜けてエルミナ東方領域に侵攻している可能性もあるってことか」
『いえ、それがどうやら敵はあくまでバルト大要塞の完全攻略に拘るようでして、未だ要塞より西側には進出していないとのことです。これは要塞に隣接する領土を持つ貴族諸侯の報告から確かな裏付けが取れているものになります』
「……それは妙な話だな」
エルミナ王国を征服するつもりなら要塞を無視して国内を蹂躙すれば良いはずだ。もしも夜光が敵側の指揮官ならば要塞の残存兵力をくぎ付けにするためにある程度の兵を残し、他は全て制圧した要塞南側からエルミナ本土へと進撃させる。そうすればエルミナ側はそちらに対応するためにただでさえ少ない戦力を割く羽目になり、アインス側が更に優位にことを進めることができるからだ。
「後顧の憂いを断ちたい――にしては少し慎重すぎる姿勢だな」
『そうですね。……これは私見になりますが、おそらく敵はこちらがどれ程の戦力を有しているのかを完全には分かっていないのではないでしょうか。そうなのであれば慎重な姿勢にも頷けるのです。何せこちら側は〝四騎士〟の一人しか要塞に配置していないのですから、閣下を含めた残り三人がどのような動きをするのかを警戒しているのでは?』
「そうならいいけどな」
分からないことだらけだ。全ては予想でしかない。
だが、それでも良いと夜光は考えていた。重要なのは敵がバルト大要塞に留まってくれることだ。固執する理由などどうでも良くはないが、そこまで重要と言うわけではない。
(とはいえ猶予が無くなったのは事実だ。急がないとな)
夜光は深々と息を吐くと副官に眼を向けた。
「このままだと近いうちにバルト大要塞は陥落するだろう。そうなる前に俺たちが到着しなければ意味がない。明日の早朝には出立できるよう、全軍に通達してくれ」
『はっ、承知致しました!』
敬礼をして天幕から出て行った副官を見送った夜光は手元に置いていた便箋の封を切った。全部で三通、全てを一気に読み終えてから発火の魔導具を使って燃やす。
「あちらも動き出したか……急がないとな」
バルト大要塞については予想外であったが、他は全て上手くいっているようだ。計画の成就――その為の第一歩は多少の躓きこそあれ無事踏み出せた。ならば問題はない。
後は、と夜光が呟いた時、何者かの気配が天幕内に生み出された。けれども正体を知っている夜光に驚きはない。
「どうだった?」
と夜光が振り向きもせずに問いかければ、気配の主である黒装束の人物は片膝をついて首を垂れた。
『全て閣下の予想なされていた通りでございました。その話し合いに参加していた者の一覧がここに』
その言葉にようやく振り向いた夜光は黒装束の男――テオドール公爵から借り受けた密偵が差し出す数枚の紙を受け取って素早く目を通す。そこに書かれていたのは予想通りの人物名で――夜光は不快気に荒々しい息を吐いた。
「分かってはいたことだが……本当にむかつくな」
『……会話の内容も閣下の推測なされていた通りでした。黙って聞いているのが堪えられなくなるほど酷いものでしたよ』
「だろうな。……屑共が」
思わず殺気が漏れ出てしまう。空間を歪めるほど濃密なそれに密偵の男が身体を震わせた。
「……あなたには引き続き彼らの様子を探っていて欲しい。戦いの趨勢が決定的になったら仕掛けるつもりだから、その前辺りで動かぬ証拠――そうだな、書状を回収して俺の元に持ってきてくれ」
『御意……!』
密偵の男は自分を見つめる少年の、眼帯に隠された瞳から漏れ出る青紫の輝きに恐怖を覚えて声を震わせながら応じるのだった。




