十二話
続きです。
敵軍による要塞内への突入の報を受け取った時、クラウス大将軍は正門上の城壁に居た。
「侵入されただと!?〝聖堅の盾〟はどうした」
『それが……黒衣を纏った奇妙な少年が、手にする黒刀で切り裂いてしまったとのことです。誠に信じがたい話ではあるのですが……』
「……黒衣に黒刀だぁ?おいおい、もしかしてそいつは妙な仮面で顔を隠していたんじゃないだろうな?」
『もしや閣下はその少年の正体をご存じなのですか!?』
驚く兵士にクラウスは首肯した。
「全身黒に仮面、しかもあの〝天軍〟が従っていたんだろ?なら決まりだ。十中八九、そいつは当代の〝英雄王〟の末裔――護国五天将〝帝釈天〟その人だろうよ」
『なッ――!?』
あまりにも有名なその異名に愕然とする兵士を尻目に、クラウスは思考の海に入る。
(〝英雄王〟の末裔……二百年前に一度表舞台に姿を見せたっきりだったが、数年前に突如として姿を現し先代皇帝と現皇帝に認められ大将軍となった男、か……)
神話の時代――千二百年前に世界を救った伝説の男、それが〝英雄王〟ノクト・レン・シュバルツ・フォン・アインスである。
かの英雄は当時起こっていた世界規模の大戦において四種族連合を勝利へと導いた後、突如として姿を消したとされている。一体何が起こったのかはどの文献にも記されておらず、書かれているのは彼がいなくなった後に荒れた世界情勢のことだけだ。
(そもそも朋友であった初代〝人帝〟と違って〝英雄王〟には浮いた話が一つもない。そんな奴の末裔なんて本当に実在し得るのかねぇ)
クラウスは〝英雄王〟の末裔という存在に懐疑的であった。恐らく自分と同じように考える者はもっと多くいるだろうとも予想している。
だが、二百年前に現れた末裔も、当代の末裔も、かの〝英雄王〟を神として信仰する国家の皇帝から認められている。その事実が多くの懐疑論者を黙らせているのだ。自国の神の末裔――現王権を揺るがしかねない存在を、皇帝自身が自発的に認めたという出来事はそれだけ大きなことなのだ。
(現在のアインス皇家も神――〝創神〟の末裔だから、〝軍神〟の末裔が現れても問題ないって判断したのかもしれねぇが……)
軍事国家であるアインス大帝国において〝軍神〟である〝英雄王〟の人気は、初代皇帝である〝創神〟よりも高い。それに何より皇帝自身が末裔に対して皇位継承権を与えている。国家転覆を図る者たちからすれば好機と言える状態だった。
(よくもまあ、側近共が許したな。許さざるを得ないほど皇帝の権勢が強いってこともあるだろうが……)
とはいえ、今は末裔の真実よりもその脅威を取り除く方が優先される。
クラウスは思考を切り上げると傍で部下に指示を下していた副官に声をかけた。
「〝烈火騎士団〟を連れていく。この場の指揮は任せるぜ」
『……どうなさるおつもりで?』
すぐさま反対の声を上げるのではなく、まず目的を訊ねてくるこの副官のことをクラウスは長年重宝していた。こういう人物は中々得難いと知っているからである。
クラウスは眼前にて未だに青白い光を放つ魔法障壁へと視線を向けた。
「見ての通り、まだ〝聖堅の盾〟は健在だ。完全に破壊されたわけじゃねえ。ならやりようはある。侵入してきた敵軍を押し返し、〝英雄王〟の末裔を討ち取る。そうすりゃ暫くは日数を稼げるだろ」
一番問題なのは〝聖堅の盾〟が完全に機能を停止することだ。要塞内の要所要所に設置された起動用の魔石を破壊されてしまえばそれが実現してしまう。それを避けるには要塞内から敵勢力を駆逐するしかない。
「末裔が今日までその攻撃を仕掛けてこなかったのには何らかの理由があるはずだ。使用制限があるのか、貴重な〝英雄王〟の血が途絶えることを上層部が恐れたか……とにかく、気軽に使えるのなら初日で決着がついていただろうしな」
逆に言えば末裔は代えの利かない存在ということだ。始末してしまえば当面の問題は消え去る。
問題は〝英雄王〟の末裔という世界的に貴重かつ尊崇されている人物を殺害した場合、非難は免れないということだが……。
「全ての責は俺が負う。〝征伐者〟たるこの俺がな」
クラウスの確固たる宣言を前に、副官は眉間を揉みながら嘆息した。
『〝烈火騎士団〟を連れていくのは、彼らでなければ〝天軍〟と戦えないと判断したからですね?……はぁ、分かりました。ですが、気を付けて下さいよ。相手は生ける伝説なのですから』
「分かってる。そう心配すんなよ。今の俺は万全の状態だからな。〝聖征〟の錆にしてやるぜ」
『神剣は錆びついたりしませんよ、まったく……朝に話していた懸念通りになってしまうとは思いもしませんでしたよ。運命というものがあるなら残酷に過ぎるというものです。…………ご武運を。こちらはお任せ下さい』
嘆いた後、生真面目な返しをしてきた副官に、クラウスは気楽そうに笑って応じた。
「頼んだぜ。俺はその生ける伝説とやらを粉砕してくるからよ」
それに、と黄金の槍を肩に乗せながらクラウスは言った。
「ヤコウが来る前に要塞が陥落しちまったなんてのは、先輩として恥ずかしすぎるしな」
*****
迎撃をかいくぐり、バルト大要塞の小門を突破した〝黒騎士〟マティアスは、己が部下たる〝天軍〟の騎士たちに発破をかけていた。
「〝聖堅の盾〟起動用の魔石を探せ!そいつさえ壊せば戦いは終わるぞ!!!」
『侵略者が、死ねぇええええ!』
「黙れ、雑魚が」
『ガハッ!?』
気迫の声と共に切りかかってきたエルミナ兵を一太刀の元に切り伏せたマティアスは馬上から降りて周囲を見回す。すると左右から敵兵が槍を突いてきたが、マティアスは冷静に対処した。
左手の刺突を手甲で弾き、右手の敵は槍を斬り飛ばしてから首を刎ねてやる。彼が持つ剣の信じがたい切れ味に驚愕する左手の兵は体勢を崩していた為、軸足を蹴って転ばせてから剣で兜ごと頭を貫いてやった。
槍も鎧もその剣を前にしてはまるで紙きれのようである。所持者であるマティアスは鮮血滴る銀色の刀身を眺めやった。
「ふん、年代物の骨董品にしては中々の切れ味ではないか。神剣には劣るだろうが、神器というのも案外馬鹿にできんな」
彼が所持する剣の銘は〝栄光〟。現存する数少ない神器の一振りである。
刀身は月のように美しい銀色で、柄は黄金である。鍔には紫の魔石がはめ込まれており、その気配から絶大な魔力を宿していることが一目でわかるものであった。
「〝堕光〟ほど使い心地は良くないが……それも時間の問題か。とにかく、慣らすならやはり実戦だな。このまま敵を切り捨てながら進んで行くとするか――ん?」
かつての相棒の銘を呟きながら剣を一振りして刀身の血を掃ったマティアスだったが、不意に強大な気配を感じ取って兜の奥で目を細めた。
すると次の瞬間――唐突に誰もいなかったはずの背後に気配が生じた。驚き身を捻るマティアスの脇腹を黄金の穂先が抉ってゆく。
そのまま跳躍して距離を空けたマティアスは、先ほどまで己が立っていた位置に軽鎧を身に纏った茶髪の偉丈夫が存在していることに気付いた。
「……何者だ?」
「相手の名を訊ねるならまずは自分から名乗るって教わらなかったのか?……まあ、ここは戦場だしどうでもいいか」
咄嗟に身を捻るという判断を下した己自身を内心で褒めながら誰何すれば、何とも自然体な様子であっけらかんとする男が言った。
「俺の名はクラウス。お前らには神剣〝聖征〟の所持者って言った方が分かりやすいか」
「っ……なるほど、貴様が〝征伐者〟か。わざわざ司令官自ら出てくるとはな。ここでくたばると良い」
「吠えるな雑魚が。用があるのはお前らの親玉だけだ。飼い狗は引っ込んでな」
「……どうやら死に急いでいるようだな。ならば我が引導を渡してやろう」
絶大な魔力が迸る。同時にマティアスが手にする〝栄光〟の柄に煌めく魔石が輝きを増した。
対する男――クラウス大将軍は黄金の槍、神剣〝聖征〟を両手で構えて腰を落とした。
両者が放つ殺気は凄まじく、戦場で感覚が鋭利なものとなっている両軍の兵士たちはそれを敏感に感じ取って距離を空けた。近づけば死ぬと本能が理解したためである。
「来な、遊んでやるよ狗っころ」
「…………死ぬが良い」
刹那、両者は激しく激突した。地を蹴りクラウスの懐に一瞬で入り込んだマティアスが振るった〝栄光〟は、〝聖征〟の柄によって受け止められる。普通の武器であったなら不可能な芸当であったが、生憎とこの黄金の槍は神剣――〝王〟が手ずから創造した超常の武器であった。
「この程度か?」と見下すクラウスに、マティアスは鼻で嗤い返した。
「それでは芸がなかろう。この剣の能力――しかと味わうが良い」
「あん?何だって――ぐっ!?」
突然だった。〝栄光〟と触れ合っている部分から衝撃波が生じ、クラウスの身体を吹き飛ばした。
彼は空中で体勢を整えて地面に着地するも、〝聖征〟を握る手や腕に痺れを覚えて危うく取り落しそうになる。それでも何とか持ちこたえたのは意地によるものだ。
「今のは……お前が持つ剣の力か」
「そうだ。神器〝栄光〟の能力――〝衝撃〟。その効果はたった今、貴様自身が身をもって味わっただろう?」
「……ああ、しっかりとな。打ち合った相手を痺れさせ、更には衝撃波まで放つ……やっぱり芸がねぇな。単純明快すぎる力だぜ」
「それ故に対処が難しいがな。貴様は一体、どうやって相手と打ち合わずに戦うつもりだ?」
確かに単純な能力だ。だが、それ故厄介でもある。剣と触れ合うだけで得物を持つのが困難になるほどの痺れが襲うとなれば、数合打ち合っただけで武器を持てなくなってしまうことだろう。そうなればどれ程強大な力を持つ武器を有していようとも意味をなさなくなってしまう。神剣など振るえなければただの美術品のようなものに成り下がってしまうからだ。
(長期戦はこっちが不利になっちまう。なら――)
クラウスが出した答えはこれまた単純明快なもの。打ち合うことなく一撃で仕留めるというものだ。
彼はマティアスの発した台詞を無視して覇気を漲らせた。膨大な魔力が〝聖征〟に収斂し、黄金の輝きが世界を照らす。
その激烈な力の波動にマティアスは〝栄光〟を両手で構えると感覚を尖らせた。全身全霊で以って挑まねば死ぬのはこちらだと理解したためである。
そんなマティアスに狙いを定めながらクラウスは闘志をむき出しにした獰猛な笑みを浮かべた。
「お前の持つ力だけ見たんじゃあ公平じゃねぇからな。俺の力も見せてやるよ」
〝聖征〟の神権――〝空絶〟。
マティアスの視界からクラウスが掻き消えた。少なくともマティアスの知覚はそう捉えた。
だが結果はもっと大きな現象であった。なんとクラウスは空間を切り裂いて跳躍すると、マティアスの背後の空間に瞬時に移動、〝聖征〟による刺突を放ったのである。
完全に不意を突いた一撃、防げるはずもない。現に、クラウスがこの神剣の所持者となってから回避されたことなど一度もなかった。
(取った――!)
そう確信したクラウスだったが、次の瞬間あり得ない光景を目撃することとなった。
――黄金の槍が、強大な闇を放つ黒刀に弾かれた。
「申し訳ないけれどね、僕の部下をみすみす殺させるわけにはいかないんだ」
戦場に似つかわしくない、泰然自若とした少年の声がクラウスの耳朶に触れる。
同時に彼の灰色の瞳は己とマティアスの間に立つ黒衣の少年の姿を捉えた。手にする刀も黒、顔を覆う仮面すらも黒という一色の少年は、仮面の下で鮮烈な笑みを刻んだ。
「クラウス・ド・レーヴェ。あなたにはここで死んでもらう」




