十話
続きです。
翌十一日。
この日の朝は不気味なほどの静けさから始まった。
戦が始まってからこの方、ずっとアインス大帝国軍は昼夜問わず攻勢を仕掛けてきており、現に昨日までは陽が昇る前から魔導戦艦隊による砲撃がバルト大要塞を襲っていたのだ。
だが、今日はそれがない。暁天に浮かぶ百もの戦艦は沈黙を保っており、地上にて展開する三桁万もの軍勢は隊列を整えてこそいるが誰一人として前に出てはこなかった。
そんな異様な光景をバルト大要塞――その城壁から見つめて表情を険しくする者が居る。要塞司令官であり国境守護を国王より賜った男――クラウス大将軍である。
「これはよくねぇ気配だ。連中、何か仕掛けてくるつもりだぞ」
『……確かに敵の動きはこれまでとは違うものですが……一体何をするつもりなのでしょうか』
と、彼の隣に立つ副官が疑問の声を上げれば、〝征伐者〟はあっけらかんと言い放った。
「分からん。だが、この肌がひりつく感じは殺気だ。向こうさんの殺る気が伝わってくるぜ」
『はぁ……殺る気、ですか……?いえ、ですが閣下がそう仰られるのでしたら警戒態勢を取らせましょうか?』
クラウスは他の三人の大将軍と違って理屈よりも自らの感覚を信じて行動する性格をしている。
その感覚は天性のものであり、長年の戦務めでより研ぎ澄まされたものになっている。直感、予感――そういった眼には見えないものにこれまでクラウスは救われてきており、またそのおかげで幾つもの戦場で勝利を積み重ねてきた。
いわゆる天才肌なのだ、彼は。そして同時に天才特有の欠点も彼は兼ね備えている。すなわち自らの感覚で出した結論を言語化し、他者に説明することが下手なのである。
けれども彼の部下たちはその欠点を欠点と思っていなかった。何故ならこれまで彼の感覚が間違っていたことなど一度としてないし、クラウス側が『俺の意見が間違っていると思ったのなら遠慮なく言え。俺はそれを聞き入れてお前たちと意見をすり合わせることを約束するからよ』と誓っているからだ。
その誓いは一度として破られたことはない。これまで何度もクラウスは部下の意見を聞き入れて己の出した結論を修正してきた。
そういった度量の持ち主であること、加えて天性の武人としての才覚――戦の申し子たる資質を持つ彼の言葉を、今回も部下は受け入れた。
そんな副官をありがたく思いつつクラウスは頷きを示した。
「ああ、第一種戦闘態勢だ。即応できるように要塞全体に命じてくれ。今日で大魔法が破られる可能性があるとも伝えてな」
『今日中に〝聖堅の盾〟が破られると申されるのですか!?しかし昨日お話した通り、技術官の見解ではあと一週間ほど持つと……』
「それは敵さんがこれまでと同じ攻撃をしてきた場合だろ?そうじゃなかったら別の話になるわけだ」
そう告げたクラウスは要塞正面に張られた大結界を見つめる。つられて副官も視線を向けた。
開戦直後に発動された戦略級魔法〝聖堅の盾〟による青白い半透明な障壁がバルト大要塞の正面側に張られている。それは下は地中深くまで、上は遥か上空まで広がっており、これまでの間敵軍の猛攻を受け止めてくれていた。
そんな頼もしい結界も数えきれないほどの攻撃を受けたせいか、当初よりも色合いが薄くなっており心なしか薄くなっているように感じられた。
『〝聖堅の盾〟が維持出来なくなれば我らは……』
「蹂躙、だろうなぁ。……だが、諦める気はねぇよ。それはお前たちだって同じだろ?」
『無論です、閣下。我らエルミナ東方軍十万、そして閣下直属の〝烈火騎士団〟一万、皆この地にて果てる覚悟を決めております故。それはシャルロット第三王女殿下に付き従った者らも同じでしょう。彼らは忸怩たる想いを抱いているはずです』
「とか言って内心は安堵してるんだろ?お姫様についていった奴らがここで俺たちと轡を並べることがなかった事実によ」
『それは閣下とて同じでしょう?姫殿下と共に戦える栄誉に選んだのは、東方軍の中でも比較的年齢が若い者らだったではありませんか。……閣下はこうなることを見越していたのですか?』
「……ま、そうだな。お前の言う通りだよ。ここは国境が目と鼻の先――だからアインス大帝国の連中のきな臭い動きをいち早く察知できる。俺の感も冴えわたるってモンさ」
そんな上官の台詞に副官は改めてその感の鋭さに驚嘆した。彼の言葉は、この事態に陥る何ヶ月も前に見越していた、あるいは予想していたと言っているに等しい。そのようなこと、一体どれ程の人間が出来るだろうか。かの神話伝説に登場する〝英雄王〟じみた先見の明である。
「けどよ、それでも俺にできることは少なかった。できたのは戦いに向けて例年よりも多く物資を集め、兵の練度を高めることくらいだ」
『それは仕方のないことですよ。姫殿下を支持しない、あるいは表向きのみ恭順する姿勢を見せて兵を出し惜しんでいれば、今頃この国は内部から崩壊していたでしょう。そうなればアインス大帝国相手にここまでバルト大要塞が粘ることは出来なかったでしょうから』
確かに国境防衛を理由に兵を出し惜しむことはできた。そうしていれば東方軍は万全の状態でアインス大帝国軍を迎え撃つことができただろう。
しかし、仮にそうしていれば今頃玉座に就いていたのは現国王アドルフではなかっただろう。第一王子か第二王子か、あるいは第一王女か……いずれにしても間違いなく国内は荒れる。その三者の誰が玉座を手にしても反発する勢力が台頭したはずだ。そうなれば内乱は終息せず、何時まで経っても戦い続け――その隙をついてアインス大帝国が侵攻しただろう。そしてそれは今よりももっと容易く成功したはずだ。
『現在、我々が国力、技術力共に勝る相手にここまで防衛を続けられているのは幾つもの好条件がそろっていたからです。出なければ今頃我々はとっくに敗北していたでしょう』
民に広く慕われている第三王女が内乱の勝者となったこと、その幕下に東方貴族を纏めるユピター家の当主とその息子にして〝王の剣〟の異名を持つ大将軍がいたこと、〝王盾〟に選ばれ東方軍将兵や民衆から認められ絶大な支持を集める大将軍が第三王女の傍らにいたこと。
他にも一度は敵対した相手を第三王女陣営が許し、迎え入れたことなど様々な理由によって国内は一応の安定を取り戻せた。そのおかげで外敵の侵攻という一大事に、国家が一丸となって立ち向かえる態勢を構築できたのだ。
『一番の理由は姫殿下が王位を継がずにアドルフ陛下に再び玉座に就いてもらったからですがね。そのおかげで他勢力についていた者たちが反発する気運を事前に抑えられましたから』
「あれは確かに良い手だったな。お姫様が玉座に就かなかったことで今回の挙兵があくまで国王陛下をお救いするためだという当初掲げた理由をきちんと全うしたわけだからな」
『ええ、その通りですね。今回の内乱を王位継承争いではなく、謀反を起こした第一王子と大臣を討つための征伐戦だったと意味合いを確定させた。それによって悪かったのはあくまで謀反人たち、という流れを作ることで挙兵した他の王族らの勢力の正当性を訴え、尚且つ第一王子らの勢力に属していた者らの罪を咎める声を抑える。本当によくできた案だと思いますよ。これをお優しき姫殿下が考案したとは思えませんが』
「実際に考えたのは幕僚連中――テオドール先輩やクロード、それにヤコウとかだろうぜ。だが、だとしてもその手を承認し、実行させたお姫様の器の広さは流石の一言だがな。他の野心ある王族なら玉座に就く絶好の機会を逃したりはしなかったろうぜ」
今回の内乱で勝利したシャルロット第三王女はあの時点で王位を継ぐことができた。それを宣言しても止められる者はいなかっただろう。いたとしても強引に武力で排除することができた。
一国の王、誰もが欲する地位である。権力、財力共に頂点――故にその魅力は絶大だ。彼女以外の王族であったならその誘惑に屈していただろうとクラウスは考えている。
だが実際にシャルロット第三王女は誘惑に打ち勝った。そもそも彼女の性格的にそのようなことを考えていなかったという可能性の方が大きいが……とにかく彼女は父王を自らの固有魔法で快復させ、自分はあくまで王位継承権を持つだけの一人の王族だという立場を崩さなかった。それによって他勢力に指摘される個所をなくすことで非難されることを未然に防いで見せたのだ。
このような高潔さを見せられれば誰もが今回の結末に納得せざるを得ない。戦争の勝利者が増長も慢心もしていないとなれば付け入る隙がないからだ。
『そうですね。アレクシア殿下もオーギュスト殿下も野心を隠そうともしていませんでしたから。ルイ殿下は微妙なところですが……』
「ルイ第二王子か、あの方の本心は正直俺にも読めん。愛国心が人一倍強いことだけは分かるんだが――っ!?」
その時、突如として二人の眼前にて閃光が弾けた。耳朶を打つ爆音、視界を染め上げるのは紫の光――魔導光と呼ばれるものだ。二人にとっては開戦から今日に至るまで見慣れた色合いである。
「始まったか……っ!」
『ほ、報告です!敵艦隊、こちらに向けて砲撃を開始しました。同時に地上でも動きがあり、敵軍がバルト大要塞中央――大門に向けて前進を開始しましたッ!!』
駆け寄ってきた兵士の報告に、クラウスは表情を険しくさせて指示を下し始めるのだった。




