八話
続きです。
神聖歴千二百年八月七日。
この日、エルミナ王国王都パラディースは何時もとは違う奇妙な活気に満ちていた。
王都に住まう人々のほとんどが王城と東門を結ぶ大街路周辺に集まっている。彼らの目的は一つ――本日出陣する四騎士が一人〝王の盾〟と彼に付き従う兵士や騎士を見る為であった。
『いよいよだな……!』
『ああ、我らが〝不屈〟の大将軍さまの出陣だ。きっとアインス大帝国の奴らなんて蹴散らしてくれるさ』
『そうに決まってる。なんたってあのお方はエルミナの英雄なんだから!』
人々が口々に発するのは期待と憧憬だ。誰もが新たなる大将軍がこの劣勢の戦況を変えてくれると信じている。
そんな人々が待ち望む人物――間宮夜光は王城グランツの正面玄関に居た。彼を見送る者たちとの別れの言葉を交わしているのである。
「夜光くん、気を付けてね。私たちもすぐに向かうから無茶だけはしないように」
「明日香の言う通りだぞ、夜光。お前は無茶無理無謀ばっかりするからな。今回ばかりはそういったことは控えるようにしろよ」
この場にあって数少ない黒髪黒目の少年少女――勇者〝剣姫〟江守明日香と同じく勇者の〝闇夜叉〟宇佐新が苦言じみたことを言ってきた。
これにはさしもの夜光もどれだけ信用ないんだよ……と口端を引きつらせる。
「彼らの言う通りだぞヤコウ。某の眼から見てもそなたは無理をし過ぎる傾向にある。己が身をもう少し労わった方が良い」
「ほっほ。クロード大将軍もこう仰られていることですし、ここは素直に勇者さま方の助言を受け入れては如何ですかな?」
「そうですね。ヤコウ大将軍は常に前に出て戦うお方……それは武人として素晴らしいことですけれど、同時に戦死しやすいということでもありますから」
と口々に勇者らの言葉に同意を示すのは、武官の中でも高名な三人の人物――クロード・ペルセウス・ド・ユピター大将軍にモーリス・ド・プラハ将軍、アンネ・ド・ブルボン将軍である。
「アンネの言う通りだぞ、生意気な後輩。精々無様な死に様を晒すことのないようにするんだな」
「エレノア、言い過ぎよ!まったく、何時の間にこんな険悪な関係になってるのよ……」
「ははは……すみません」
アンネ将軍の言葉に同意する形でこちらに負の感情を向けてくるのはエレノア・ド・ティエラ大将軍。彼女は夜光の進言を聞き届けた国王の指示によって釈放されていた。
(彼女は面倒な性格をしているけど、ある意味扱いやすい。釈放は計画上問題ない――いや、むしろ利益があることだ)
自尊心が高く、その上生真面目で融通の利かない相手ではあるが、彼女が同期のアンネ将軍に向ける感情は良く理解していた。
(彼女はアンネ将軍が死なない限りはこちらの思うように動いてくれるだろう。むしろ不安なのは……)
と夜光が視線を転じた先――そこには気品を身に纏う王族たちが立っていた。
彼らはこちらの視線に気づくと近寄ってくる。
「やあ、ヤコウくん。元気そうで何よりだ。今のキミの熱い視線からそれを感じられたよ」
「誤解を招くような表現は止めてもらえます!?」
朗らかに笑って肩を組んでくるのは銀髪銀眼の中性的な顔をした第二王子、ルイ・ガッラ・ド・エルミナである。
この第二王子は腹の底で何を考えているのかを悟らせない飄々とした態度を崩さない人物だ。彼と彼に付き従う北方の勢力がこちらが不在の中で何かしでかすのではないかと不安なのである。
(〝誓約〟は結んだ。けど、彼とはあくまでこの国を護るという目的が一致しているから手を組めているだけだ。その目的を達成する為に今よりもっと優れた策があればそちらを採用するだろう)
彼は前に一度シャルロットを次代の王に推すと言ってくれているが、それはアインス大帝国が攻めてくる前の話である。
状況が変われば結論も変わる。彼が今でもシャルロットを支持しているのかは正直怪しいところだと夜光は思っていた。
(でも信じるしかない。ここで俺が出張る必要性がある以上、その危険性は承知の上で往くしかない)
シャルロットの傍には勇者を始めとする多くの実力者がついている。仮令、万が一があったとしても命だけはどうにかなるだろう。
そんな思考をルイに絡まれながらしていた夜光に、容姿が良く似ている二人の女性――その内、髪が短く鋭い雰囲気を纏う方が声をかけてきた。
「ヤコウ大将軍、バルト大要塞の方は頼んだぞ。その代わりこちらは任せておけ。上手くやっておく」
「……セリア殿下。ええ、そうですね……お任せします。私の方も上手くやりますので」
第二王女セリア・ネポス・ド・エルミナ。彼女は王族でありながら武官として通用するほどの実力者でもあり、神剣〝呪殺〟の所持者でもある。彼女であれば〝魔人〟であるルイ第二王子が相手であっても引けを取らない。おそらく一騎討ちでも互角か、それ以上に戦えると夜光は踏んでいた。
セリアが差し出してきた手を握り返しながらその力強さを頼もしく感じていると何やら寒気を感じた。
その原因は明白で――セリアの隣に立つこれまた彼女と同じ装いの少女が笑みを浮かべていた。しかし目が笑っていない。
「随分と仲がよろしいのですね、セリアお姉さま?」
「い、いやそのようなことはないぞシャル。私はただヤコウ大将軍を激励していただけだ」
「へぇー……激励、ですか。それにしては距離が近いような気がしますけど」
第三王女シャルロット・ディア・ド・エルミナ。〝王国の至宝〟と呼ばれるほど清楚可憐な容姿をした少女だ。夜光とは恋仲である。
普段は優し気な雰囲気を纏う彼女だが今は違った。まるで不貞を働こうとしている夫に向けるような冷たい眼差しを向けてきている。
彼女に誤解されるのは全くもって本位ではない。故に夜光は必死に否定した。
「いや違いますから!シャルロット殿下の気のせいです!」
「…………そういうことに致しましょう」
妙に長い沈黙が怖かったが、シャルロットはそれ以上追及してくることはなく話題を変えてきた。
「本当にお気をつけて下さい、ヤコーさま。あなたの身に何かあったらわたしは……っ!」
「……ご心配、痛み入ります殿下。しかしながら大丈夫です。お約束致しましょう――最後には必ず殿下の元へと帰ってくると。何故なら私はシャルロット殿下の〝守護騎士〟なのですから」
不安そうな表情を浮かべるシャルロットに夜光は努めて微笑みを浮かべた。胸中で広がる後ろめたさを押し殺しながら。
あまりこの話題を続けたくはない。そう思った夜光は視線を彼女が身に纏う見慣れない軍服へと向けた。
「その軍服、よくお似合いですよ。セリア殿下のものと同じ意匠にも見受けられますが……?」
シャルロットと共に過ごした最後の夜が明けた後のことだ。夜光が目を覚ました時、彼女は白い軍服を身に纏っていた。しかもそれは夜光の見たところ、何らかの〝力〟を有しているように思える。
(白と黒――光と闇、相反する属性が混在しているように感じられる。〝天死〟や〝王盾〟、〝王鎧〟も警戒を促してくるし……一体何なんなんだこれ)
と夜光は少し身構えていた。周囲の気配を探ればルイやセリア、クロードと言った力ある者たちも同様にシャルロットが身に纏う軍服に違和感を覚えているのか注意を向けていた。
しかし、そんな彼らとは対照的に当の本人は軍服の胸元の両手をそっと添えて、まるで大切なものであるかのように示してくる。
「……これはあるお方から頂いた贈り物です。何方かは言えませんが、心配は要りません。わたしが信を置く者ですから」
「そう、ですか……」
慈愛の表情を浮かべてそう告げるシャルロット。彼女にそれほど想われる人物が己以外に居るという事実に不機嫌さを覚えるが、努めて感情を抑え頷いた。
「しかし……本当によくお似合いですね。お美しいですよ、シャルロット殿下」
白を基調とし、要所要所に金の刺繍が施された軍服はシャルロットの清楚可憐さを更に際立たせている。彼女の金髪碧眼と不思議なくらいよくかみ合っていた。
そんな夜光の直球な誉め言葉に第三王女は照れを隠すように頬を両手を当てた。
「そ、そうですか……?本当にそうなのですか」
「ええ、嘘ではありませんよ。我が剣と盾に誓って本当です」
「~~っっ!?」
などと二人の世界を創っていた王女と騎士であったが、セリア第二王女が呆れたように溜息を吐いたことで我に返った。
「全く、出陣前だというのに……気を抜きすぎだぞ、〝王の盾〟」
「す、すみません!」
どうにも昨日からシャルロットに対する想いが上手く制御できない。無限にあふれる彼女への想いは止まる所を知らないとばかりに湧き出てくるのだ。
(本当は何もかも投げ出してシャルと一緒に逃げ出したい……)
つい弱音が顔を出してしまう。一度知った――知ってしまった幸せを今後得ることはないかもしれないと思うとあまりにも辛かった。
けれども逃げることは許されない。できるできない、やりたいやりたくないではなく、やるしかないのだ。やらなければ全てを失うことになるのだから。
(辛いことは嫌だ。だけど失うことはもっと嫌だ。だからやるしかないんだ)
これより先、後退は許されない。大計成就の為、全力で突き進むのみである。
そんな夜光の心境を態度から察したのか、シャルロットは表情を真剣なものへと変えてこちらを見つめてきた。
夜光もまた頷きを一つすると腰に吊るした鞘から白銀の剣を静かに抜き、両手で持つと切っ先を天井に向け片膝をつく。
「我が剣は王国の敵を打ち払い、我が盾はあらゆる苦難から王国の民を守る。……姫殿下のお優しき御心に添えるよう、全力を尽くして参ります」
「期待しています、我が〝守護騎士〟よ。我が願いを叶え――そして必ずわたしの元へ戻りなさい。無事に、生きて……また顔を見せてください。わたしの愛しい人よ」
「っ……必ずや!!!」
よもやシャルロットがこのように大勢の眼がある所で深い関係を連想させる台詞を言うとは思っていなかった夜光は驚いた。現に周囲にいる者たちからも驚愕の雰囲気が伝わってくる。
けれどもそれを勝る喜びを感じた夜光は感極まりながらも己を叱咤して覇気のある返事を返した。
それから剣を鞘に収めながら立ち上がる――と、ふと視界の中に見覚えのある三者の姿が映りこんできた。
(三人とも……よろしくお願いします)
現国王アドルフ、次期宰相と目されているテオドール公爵、そして恩師であるカティアだ。彼らとはここに来る前に玉座の間で別れを済ませていた。故にここでは会釈するだけに留める。
……それからこの場に居る人々の顔をゆっくりと見渡す。直接声をかけてきた者以外にも多くの貴族、文官に武官たちがいる。見送りにきてくれた者たち一人一人に感謝しながら彼らの顔を目に焼きつけた。
(俺は幸せ者だ……)
こんなにも身を案じてくれる人たちがいるという事実に胸が震える。熱い感情が湧き上がってきて涙腺が緩みそうになった。
(泣きはしない……笑顔で去るんだ)
決して胸中を悟らせてはいけない。本心を暴かれるわけにはいかないのだ。
故に夜光は意識を総動員して感情を封殺すると笑みを浮かべ頷きを一つした。
「行ってきます」
この日の為に準備された軽鎧――その左肩側にたなびく外套を広げた夜光は彼らに背を向けると玄関口へ足を向ける。その堂々たる足取りは見る者に安心を与えるものだった。
(ガイア、俺は往くよ。大切な人を、護るために)
開け放たれていた正面扉――両開きのそれを抜ければ、夏の暑さが襲ってくる。日輪の光が、熱気がこの身を焦がさんと牙を剝く。
(全てを選ぶことはできない。だから俺は多くのものを切り捨てるよ)
それらを神器の加護で弾いた夜光を迎えたのは万を超える軍勢だった。〝王の盾〟に付き従う〝銀嶺騎士団〟、王都守備隊、そして中央貴族の私兵――計二万三千の騎士と兵士たちの眼が一斉にこちらを向く。
緊張が襲い来る。何時もならこれほどの人数に視線を向けられれば緊張から吐き気を催すのだが、今回は不思議と何も感じなかった。
奇妙に凪ぐ心を携えながら、夜光は左手を振るった。
「出陣する!」
多くの言葉は要らない。ただその堂々たる態度が士気を高めるのだ。
夜光の簡素極まる言葉を受けた兵たちは足を踏み鳴らし、白の大将軍へと敬礼を送った。
それに対して返礼した夜光は傍に控えていた白馬に跨り、手綱を操って兵らが開けた道を往く。彼らはそんな指揮官の後に続いて進軍を始めた。
王城の敷地――その東側から出た瞬間、天を揺らすほどの歓声が響き渡った。出陣する〝王の盾〟の勇姿を見ようと大街路に詰めかけた人々の声だった。
『〝王の盾〟万歳!〝不屈〟の大将軍に勝利あれ!!!』
『〝守護騎士〟に〝天秤〟の加護あれ!エルミナ王国に栄光あれ!!!』
『〝月光王〟よ、〝白の大将軍〟と彼に付き従う兵たちに祝福を与えよ!!!』
夜光はそんな彼らの声援に手を挙げて応じながら大街路を進んでいく。
やがて〝四聖壁〟の偉容が見えてきた。城壁も今回だけ開放したのか、多くの人々が立っている。
とその時、夜光の眼が城壁に立つ人々の中に異様な雰囲気を放つ人物を捉えた。
この真夏日に全身が隠れるほど深々と外套を被る人物――一目でノンネだとわかった。
(今は生かしておいてやる。だが、いつかは……)
一瞬だけ放った殺気を込めた視線に気づいたのか、その人物は外套の下にかろうじて見える口元を吊り上げた。恐らく彼女の性格からして笑ったのだろう。
それを確かめた夜光は視線を再び正面へと戻し――ついに四重の城壁を経て王都から出た。
夜光は腰から〝天死〟を抜き放つと切っ先を天に向けた。白銀の刃が陽光を受けて七色の輝きを放つ。
「エルミナ王国に栄光あれ。願わくば、我らの往く末に希望があらんことを」
切にそう願った夜光の眼帯の下で、昏き瞳が躍動した。




