幕間~一時の休息~七日目、泡沫
続きです。
いつの間にか蝋燭の火は消えていた。
室内を照らし出すのは〝人族〟が崇めし〝王〟の輝き――月明かりのみである。
「ヤコーさま……」
頼りない、けれども包み込むような温かさを感じる月光が第三王女の寝台を照らす。そこには一糸まとわぬ男女――夜光とシャルロットが身体を横たえていた。
前者は心地よさそうな寝顔を晒している。その表情はとても穏やかであり満ち足りたものであった。
そんな彼の顔にかかっていた前髪をシャルロットはそっとずらす。その際に彼の顔左半分を覆う武骨な眼帯に手が触れて――止まった。
「青紫に輝く瞳……〝夜の王〟の〝眼〟」
何度か光り輝いているのを見たことがある。〝夜の王〟――〝白夜王〟のみが所持するという魔眼。
(〝生〟と〝秩序〟を司る母なる神――〝白夜王〟。ヤコーさまはそのような超越的な存在だと言われていました。もしそうなら――)
とそこまで考えて思考を打ち切る。彼がどのような存在であろうとも関係ない。シャルロットにとっての夜光とは恩人であり、守護者であり、恋人なのだ。仮令、彼が人族でなくとも、この世界の住人でなくとも、〝王〟であろうとも――夜光は夜光だ。
だが……不安もある。彼が〝王〟であるのならば不老ということになる。この先、共に生きてゆく中で自分だけが老いさらばえ、彼だけが今と変わらぬ姿のままという未来が待っていることになる。それはシャルロットにとって耐えがたいものがあった。
(彼を悲しませてしまう……それにわたし自身、嫌だ)
シャルロットが望むのは共に生き、共に老い、共に死ぬことだ。もし彼が永劫の時を生きるというのなら自分もそうしたい。永遠に彼の傍に居続けたいと強く思う。それが王族ではない、私人としての嘘偽りない願いであった。
(これから探さなくてはなりませんね。不老になる術を)
しかし、今はそのようなことをしている余裕はない。国家の一大事――存亡の危機なのだ。まずはこれを乗り越えることが何よりも優先される。
(ですが……果たして可能なのでしょうか)
シャルロットは十四という若さといえども王族として様々な学問を修めている。その中で得た知識が叫んでいるのだ――今回の戦争に勝ち目はないと。
(兵力で劣り、国力で劣り、技術力で劣る。加えて先の内乱で国内情勢は不安定……これで勝てという方が無茶というもの)
シャルロットの聡明な頭脳は既に今回の戦争の結末を見抜いていた。しかし、だからといって民を導く役目のある王族が弱音を吐くわけにもいかない。仮令、勝てなくとも勝てると言い続けなければならないのだ。
(ですが、だからこそ気になります。一体あなたは何を企てているのですか?)
夜光の眼帯を撫でながら思案気な眼差しを彼の寝顔に向けるシャルロット。彼女はここ数日、王城内外で精力的に動き回る者たちの存在を知っていた。そして彼らが一様に夜光と頻繁にやり取りを交わしていることも。
そういった動きを観察していると自然と理解できた。夜光を中心とした計画が秘密裏に進んでいて、自分はのけ者にされていることを。
(……どうして話して下さらないのですか。どうしてわたしに頼って下さらないのですか)
シャルロットは武官ではない。兄王子ルイや姉王女セリアのように戦うための知識と力を所持しているわけではないのだ。現に先の王位継承戦争では旗頭として起ったものの、直接的な軍の指揮などは先代〝王の剣〟であるテオドール公爵やクロード、夜光といった大将軍らに任せっきりであった。
自分は皆を纏める象徴――逆に言えばそれだけの存在でしかない。固有魔法を有してはいるが、それは戦闘向きのものではないし、剣を振るうことすら出来はしないのだ。
(わたしはお飾りの姫……あなたのように誰かを守れる強さを持たない)
〝不屈〟、〝戦鬼〟、〝白の大将軍〟、〝守護騎士〟、〝王の盾〟――様々な異名で呼び称えられる少年は今や王国の英雄だ。彼自身にその自覚はないのだろうが、官民問わず多くのエルミナ王国人から尊敬と感謝の念を集めている。
シャルロットの父である現国王からの覚えも良いし、ルイ第二王子やセリア第二王女といった王族からの信頼も得ている。
ここに至るまでの幾つもの戦いで彼は常に最前線に立ち剣を振るった。彼に直接命を救われた者もいるし、彼の勇姿に元気づけられた者もいる。
その上、彼は強大な武力と権力を持ちながらも驕ることがない。常に謙虚で真面目、何より職務に忠実だ。
そんな彼だからこそ皆が信頼している。王族だけでなく、テオドール公爵ら貴族諸侯に王城勤めの文官といった権力者たち、騎士や兵士といった武官、更には市井の民すらも。誰もが彼を英雄だと称賛していた。
(そんな立派なあなたの傍に立つ資格がわたしにあるのでしょうか……)
不安だった。いつか彼が自分の前から居なくなってしまう――そんな悪い予感すら抱いていた。
シャルロットは眼帯から手を離すとそっと彼に口づける。それでも胸中に蟠る不安の影は消えない。
世界で今、誰よりも彼の近くにいるのに、誰よりも遠くにいるような感覚に囚われてしまう。
(ヤコーさま、置いていかないで下さい。あなたの傍にずっと居させて下さい)
人族の神たる〝月光王〟に希う。どうか彼とずっと共に居られますようにと。
しかしそれでも胸が苦しかった。どうしても悪い想像が頭から離れてくれない。
故にシャルロットはこれまで一度も願ったことのない相手に祈りを捧げた。
「〝白夜王〟さま、お願い致します。どうかわたしの願いを聞き届けて下さい」
――それは、その言葉は、奇跡を引き起こす契機であった。
シャルロットがそう告げた途端、突如として世界から色が消え失せた。
全てが灰色に染まった世界――月光も、隣で寝る夜光も、何もかもが止まった空間で、シャルロットだけが動くことを許されている。
「これは……っ!?」
「不安がることはない。一時的にこの部屋と周囲の空間を隔絶しただけだから」
シャルロットの動揺に満ちた声に答える者がいた。
静かな、けれども妙に印象に残る幼さの残る少女の声にシャルロットが部屋の中央へと視線を転じれば、そこにはいつの間にか純白の〝王〟が立っていた。
紅玉の如き美しさを感じさせる紅い双眸、背中まで伸びる白銀の髪はまるで夜光が所持する剣のように粒子を放っている。
身に纏う純白のドレスは大胆にも肌の露出面積が広い。にも関わらず不思議と厭らしさを感じさせることはない。むしろ清楚静謐さを際立たせる装いであった。
それらが彼女の無表情と合わさることで神聖さが醸し出されている。外見だけならシャルロットよりも少し幼いくらいと思わせるが、その細身から放たれる覇気が彼女が見た目通りの少女でないことを意識させてくる。
これほどの覇気を放てる者をシャルロットは見たことがなかった。父王や兄姉、四大公爵や大将軍たちですらここまでではなかった。隣で寝ている〝王の盾〟すら彼女には及ばないだろう。それほどまでに世の理から外れた、規格外の覇気を放っていた。
不思議と身体が勝手に服従を示そうと動き出す。寝台から立ち上がり、一糸まとわぬ姿で床に膝をつこうとして――眼前の少女に両腕を掴まれて止められた。
「ごめん、初対面だったからちょっと格好つけようとした。許してほしい」
「え、えっ!?い、いえそんな!わたしは別に大丈夫ですっ!!」
少女の柔らかな手から暖かな熱が伝わってきて身体から緊張が抜け落ちる。同時に眼前の細身から先ほどまで感じていた威圧が消えていることに気付く。
重圧から解放されたシャルロットがホッと息を吐く――と、白き少女がムッと顔を僅かに顰めた。
「……なんて綺麗な娘。それにわたしより胸が大きい……道理でヤコーが惹かれるわけだ」
「へっ!?い、いえそんな――って何故そこでヤコーさまの名前が!?」
「この胸か……この将来性のある膨らみがいいのか!」
「ひゃうっ!?お、おやめください!!」
怨嗟の声を吐きながら少女がシャルロットの胸を鷲掴んだ。いくら同性同士といえども現在のシャルロットは素っ裸――そのような状態で掴まれては流石に恥ずかしすぎるというものだ。
恥ずかしがりながらも艶めかしい吐息を溢すシャルロットの双丘をしばし揉んでいた少女だったが、次第に顔色を悪くさせ、遂には手を離してガックリと項垂れてしまう。
「この敗北感……実に久しい。千二百年以上前に〝天魔王〟と喧嘩して胸を掴んだ時と同じ……ッ!」
「え、えーと……だ、大丈夫ですよ!あなたもまだまだこれから成長しますから」
「わたし、もう〝器〟がない。……あっても老いないから成長しないけど」
「老いない……やはりあなたさまは〝王〟なのでしょうか」
先ほど感じた圧倒的な存在感、そして今しがた発せられた言葉に、シャルロットは眼前の少女の正体を悟った。信じがたいが信じざるを得ない覇気――自然を首を垂れてしまう威圧感は神でもなければあり得ない。明らかに生物としての格が違うと強制的に理解させられた。
そんなシャルロットの畏敬が込められた言葉に、白き少女は顔を上げて頷きを示した。
「うん、わたしは〝王〟――〝白夜王〟。最も、今はヤコーに〝王位〟を譲ったから先代のって言葉が前につくけど」
「そういうことだったんですね……」
やはり推測は正しかった。この少女こそが伝説に語られる天獄の門を開く者――初代〝白夜王〟であったのだ。
となれば色々と疑問が湧き上がる。彼女には聞きたいことが山ほどあった。
故にシャルロットが問いを発しようと口を開きかけるも、少女――〝白夜王〟が小さな掌を突きつけて待ったをかけてくる。
「今、こうしてわたしが顕現していられる時間はそう長くない。だから聞きたいことが沢山あると思うけど我慢して欲しい。またこうして合う機会はあるから」
「…………そう、ですか。そういうことでしたら、分かりました」
「ありがとう」
本当なら無理を言って尋ねたい。けれどもここで彼女の機嫌を損ねてしまうのは今後を考えるとよろしくない。瞬時にそう判断したシャルロットはそれでも少しの間逡巡し、頷いた。
そんな彼女の思惑を知ってか知らずか、純白の〝王〟は感謝を述べると手短に済ませるといって語り始めた。
「よく聞いて。この先あなたとヤコーを多くの苦難が襲う。失望や絶望を感じることもあると思う。けれど、どうか最後までヤコーのことを信じてほしい。彼は一番にあなたのことを想っている。これから彼がする行動は全てあなたのことを想ってのこと。だからどうか――信じぬいて欲しい。絶望の後には必ず希望が訪れる。わたしのこの言葉をよく覚えておいて」
それは何処までも純粋に夜光のことを想う言葉であり、〝王〟としての予言のような言葉でもあった。
シャルロットの脳裏に刻まれるほど重く、熱く彼を想う言葉であり、〝王〟の託宣であった。
故にシャルロットは真摯な眼差しで〝白夜王〟の深紅の瞳を見つめると力強い頷きを返した。
「約束します。何があろうとも必ず――最後までヤコーさまのことを信じぬくと」
「……あなたになら彼のことを任せられる。そう信じさせてくれてありがとう」
そう言って〝白夜王〟は外見相応の笑みを浮かべた。それは同性であるシャルロットでも思わずドキリとしてしまうほど魅力的であった。
しかし、同時に疑問も湧き上がる。どうしてそこまで彼を大事に想うのだろうか。どうしてそう簡単にこちらの言葉を信じられるのだろうか。
そう尋ねれば、少女は何をわかりきったことをと言わんばかりに小さな息を吐いた。
「同じ人に惚れた者同士だから。これじゃあ説明にならない?」
「……いえ、それだけで十分です」
以前夜光自身から聞いたことがある。シャルロットが自らの想いを彼に伝えた時に聞いた、彼が愛するもう一人の存在――それが目の前の少女だ。
ならば今の質問は愚問であった。同じ人を愛する者同士ならば想いも同じなのだから。
一人と一柱は共に愛する少年に視線を向けた。少年は幸せそうな表情で眠っている。
それを確かめた〝白夜王〟は一瞬だけ寂しげな色をその美貌に浮かべたが、即座に常なる無表情に戻してシャルロットに近づく。
裸足であるが故にペタペタという可愛らしい足音が発せられ、その音にシャルロットが振り向いた時――彼女は〝白夜王〟に抱きしめられていた。
同時に〝白夜王〟の背中から六枚の白き翼が生み出されシャルロットを包み込む。驚く彼女の耳元で〝王〟は囁いた。
「前途多難なあなたに贈り物をあげる。これが少しでもあなたの助けになれば幸い」
「え――」
どういう意味なのか、尋ねようとしたシャルロットだったが、その前に身体を暖かな感覚が包み込んできたことで言葉を飲み込んだ。
視線を下向ければ白く輝く光が裸体を覆い尽くしていることが分かった。
一体何事なのかと彼女が驚いている間に〝白夜王〟が身を離した。
次いで光が収まり、姿を見せたのは身を包む白き軍服だった。
「これは……!?」
「名を〝天銀皇〟という。もうわたしには必要のないものだからあげる。詳しい説明は……不要みたい」
「はい……この服のことが勝手に頭に流れ込んできましたから」
見たことも聞いたこともないはずなのにこの軍服が有する能力のことが理解できた。まるで初めから知っていたようにすら感じてしまうほどすんなりと〝力〟を把握できる。
「これ……凄い〝神器〟です。まるで神話に登場するような〝力〟を持っている……」
「神話――はよく知らないけど、防御力は保証する。きっとあなたを守ってくれるはず」
「ありがとうございます、〝白夜王〟さま――ってその身体、どうされたんですか!?」
とんでもない授かりものにシャルロットが礼を言いながら〝白夜王〟の方を見やれば、彼女の身体が足元から光の粒子になって消えていっているのがわかった。
そのことに驚くシャルロットであったが、当の本人は至って冷静であった。
「む、今回の顕現はもう限界みたい。あと暫くは顕現できないからよろしく」
「よろしくって……まだお話したいです、〝白夜王〟さま!」
「大丈夫、また会える。必ず」
「……本当ですか?」
「うん、本当。……だからそれまで生き抜くこと。わたしの言ったことを忘れずに」
「忘れません、絶対に!〝白夜王〟さまのこと、仰られたこと、ヤコーさまへの想いも、全部!!」
万感の想い――有りっ丈の感謝の念を込めてシャルロットが告げれば、〝白夜王〟は満足そうに微笑んで……身体を光の粒子へと霧散させた。
次いで世界が元に戻り――色と音が還ってくる。
あまりに現実離れした現象に今のが夢ではなかったのか確かめたくなったシャルロットだったが、それは身に纏う白銀の軍服が証明してくれた。
「……あなたの想い、ご厚意――絶対に無駄にはしません。必ずヤコーさまと共に光ある未来にたどり着いて見せます」
そんなシャルロットの決意を祝福するかのように軍服――〝天銀皇〟の外套部分がひらひらと揺れるのだった。
いよいよ次話から物語が進みます。




