幕間~一時の休息~七日目、昼
続きです。
その後、唇を離して見つめ合った二人の間には、気恥ずかしい空気が漂った。
何とも言えないその雰囲気に耐え切れず夜光が「お家デートは終わり!外行くぞ外。せっかくのいい天気なんだしな!!」と強引にシャルロットを王城外へと連れ出した。
しかしここで問題が浮き上がる。現在の夜光とシャルロットは民に広く顔が知れ渡っており、とてもではないが王都へと気軽に行ける立場ではなかったのだ。たとえ外套を深く被り素顔を隠したとしても万が一ということもある。加えて今の王都は明日に控えた〝四騎士〟が一人、〝王の盾〟の出陣を前に沸いている。そういった平時とは異なる雰囲気の王都に繰り出せばどのような事態に巻き込まれるか分かったものではない。
故に二人は王城の敷地内で遊べる場所を模索することにした。まずは夜光が先行してシャルロットを庭園――薔薇園へと連れていった。
「ここにはよく家族と足を運びました。あの頃は良かった……。お母さまがいて、お父さまがいて、お兄さまやお姉さまもいました。……知っていますか、この場所を特に気に入っていたのはオーギュストお兄さまとアレクシアお姉さまだったんですよ」
そう言って微笑むシャルロットは外出に合わせて被った帽子に手を当てていた。その碧き瞳は咲き乱れる薔薇へと向けられている。
何処か寂しげで、今にも消えてしまいそうなくらいの儚さを感じさせる彼女の姿に、夜光は胸が締め付けられる思いを抱いてしまう。
(既に死んでいたとはいえオーギュスト第一王子に止めを刺したのは俺だ。それにアレクシア第一王女も明日香に討たれた。……複雑な思いだろうな)
オーギュスト第一王子はノンネの手によって殺害された後に自我をほとんど失った状態で操られていた。
アレクシア第一王女は自ら〝堕天〟という道を選び〝なりそこない〟という理性を失った化け物へと変貌していた。
どちらも討伐しなければ甚大な被害が出ていたことだろうが……それでも異世界から召喚した〝異世界人〟によって家族を二人も奪われたという事実に変わりはない。
(本来なら恨まれてもおかしくはないんだけどな)
人には理性と感情がある。その二つを満足させて初めて真に納得し行動することができる。どちらかが欠けている状態では、人は本来の力を発揮することができない存在だ。
故に人はどちらかが満たされない時、不平不満を抱く。理性で納得できなければ理詰めで、感情で納得できなければ言葉や暴力を以って相手を責め立てるのだ。
(シャルは少なからず俺に恨みを持っているだろう。けれどそれよりも感謝や親愛が上回っているから意識しないだけだ)
つまり、今後の夜光の言動次第では感情が逆転する可能性があるということだ。そしてそれは夜光が立案した計画が進んでいけば実現しかねないと彼は考えている。
(嫌われるのは辛い……けど、この世から居なくなってしまうのはもっと辛い)
だからこそ夜光は計画を推し進めているのだ。仮令、愛する者から軽蔑し、嫌悪されることになろうとも構わない。死んでしまえば全てが終わってしまう――故にどんなことをしてでも生き残らせると誓ったのだ。
(もう二度と――奪われてたまるかよ)
決意の眼差しを天に座す太陽へと向ける夜光。
そんな彼の様子に一抹の不安を抱いたシャルロットであったが、すぐに笑みを繕って語り掛ける。
「ヤコーさま、あちらの噴水に行きませんか。あの周辺の薔薇は少しであれば摘んで良いことになっているんです。ですので……」
と一旦言葉を区切ったシャルロットは右手の人差し指を立てて笑う。薔薇にも負けぬその笑顔に心奪われている夜光に一つの提案をした。
「一本だけ、摘んでみませんか。それぞれが相手にあげたいと思う薔薇を選んで実際に贈るんです。……お嫌ですか?」
「まさか!喜んでやらせてもらうぜ。お前に相応しい薔薇を選んでみせるよ」
「ふふっ、嬉しいです!では早速……行きましょう!!」
実はこの行為、エルミナ王家に代々伝わるものであり、意味は愛する者に想いを伝えるというものであった。これは王族から貴族へ、貴族から平民へと永い時間をかけて伝わってゆき、今ではエルミナ王国に住まう者なら誰でも知っている行為だったが、異世界からやってきて一年も経っていない夜光はその意味合いを全く知らなかった。
恋人同士である現状、本来なら行為の意味を伝えるべきだったが、シャルロットは敢えて伝えずに薔薇選びをし始めた。これは、意味を全く知らない恋人が自分にどのような薔薇を贈ってくれるのかを知りたいという好奇心故の行動である。
「色々あるな。どれがいいかな……」
さて、そんな王女の思惑など露ほども想定していない夜光は、割と真剣な表情で咲いている薔薇の花を見定めていた。過程や経緯はどうあれ、れっきとした恋人への贈り物を選ぶからである。
(赤とかいいな!でも青も似合いそうだし……ってか素材が良すぎて何でも合うなこれ)
シャルロットは〝王国の至宝〟という異名を持つだけあって可愛らしい。あと何年かすれば絶世の美女、あるいは傾国の美女と評すべき存在になるのは間違いない、と断言できるほど顔が良いのだ。
胸などの身体はまだ未成熟であるが、それでも大人と子供の境目にしか見られないこの姿かたちもまた良いと思う夜光である。まあ、彼にとってシャルロットなら大人だろうが子供だろうが関係ないのだが。いつ何時見ても可愛いし美しいのだ。恋は盲目とはこのことか。
(うーん、迷うな……)
陽光を反射する水しぶきを気持ちよさそうに受ける薔薇の数々は色とりどりに咲いている。赤、青、黄、緑、紫――と見ていく内にふと、夜光の眼に止まった薔薇があった。
それは他の薔薇たちに囲まれながらも目を引く純白の薔薇だった。
(白か……シャルに似合いそうだな)
清純、静謐を感じさせながらも何処か無邪気さを覚えるその白き薔薇に、夜光はシャルロットを被せて見たのだ。
「うん、これにしよう。さて、シャルの方は……」
と白薔薇を手折った夜光が振り向けば、既にシャルロットは最初に別れた場所まで戻っていた。
「待たせてごめん!」
「いえ、大丈夫ですよ。わたしも先ほど決めたばかりですから」
慌てて夜光が戻ればシャルロットは微笑を浮かべて気遣いを見せてくれる。
そんな彼女に感謝の念を抱きながら早速とばかりに夜光は持っていた白薔薇を差し出した。
「俺が選んだのはこの白い薔薇だ。他の薔薇と一緒に咲いていながらも一際目立つ存在感やコイツを見た時に感じた印象――清純とか無邪気さとかがシャルに合っていると感じてな。……どうだ、嫌だったか?」
「……っ!?いいえっ、嫌ではありません!むしろ嬉しいです、ヤコーさま!!」
「お、おうそうか……?ならいいけどよ」
夜光の言葉を黙って聞いていたシャルロットは何故か頬を赤らめてぼうっとしていたが、彼に問いかけられて我に返るとブンブンと首を振って喜びを示した。
それから衣嚢から手巾を取り出すと夜光が差し出していた白薔薇をそっと受け取る。その仕草を見た夜光が配慮が足りなかったと自責の念を抱いているのには気づかずに、今度は自分が持っていた桃色の薔薇を彼に差し出した。
「わたしが選んだのはこちらです。ヤコーさまに合う……というよりは今のわたしの想いをお伝えするために選びました」
「ん……想い?」
「はい。……ヤコーさまは花言葉、というものをご存じですか?」
「言葉の意味なら知ってる。けれど花毎の意味は知らないな」
「そ、そうだったんですね……なるほど」
と何やら意味ありげに頷いているシャルロットを尻目に夜光は己が無知に後悔した。知っておけば先ほどもっと適切に選択できたのでは、と思った為である。
(せめて白薔薇の花言葉が変なのじゃないことを祈るしかねえ……!)
後悔先に立たずとはこのことか、とつくづく己の情けなさに悲しくなってくる。
だが、そんな負の感情も続けてシャルロットが発した言葉で吹き飛んだ。
「薄紅色の薔薇の花言葉は――幸福と感謝。あなたに出会えたことを幸福に感じ、あなたに支えて頂いたことに感謝しています、ヤコーさま」
「あ、え、いや……ど、どういたしまして……?」
有りっ丈の感謝と親愛の念が込められた言葉と笑みに、夜光は動揺からしどろもどろになってしまう。
そんな彼を愛おしそうに見つめるシャルロットは、続けて身を寄せて耳を貸すように言ってから恋人の耳朶にそっと情念を流し込む。
「花言葉は他にもあるんです。――あなたを愛しています、ヤコーさま」
「っ!?あ……うぇっ!?」
耳元で囁かれたその小声に、その吐息にゾクっときた夜光が思わず身を離せば、シャルロットの蠱惑的な笑みが視界に映りこんだ。
そんな顔もするのか、という新発見と共に生じた妙な感情――興奮が湧き上がってきた夜光は必死にそれを押さえつける。自室で口づけを交わした時にも生じた欲望が首をもたげたのだ。しかしその感情に身を任せるのは不味すぎる。
(くそ……なんで今日に限ってそんないつもはしないような態度を取るんだよ!)
一瞬、弄ばれている、もしくは誘っているのかなどと邪推すらしてしまったが、シャルロットがそんなことをするわけがない。彼女は純粋なんだと己に言い聞かせることでその思考を蹴り飛ばした。
そう考えるのと同時に何故か反骨精神が顔を見せてきたことで、夜光はシャルロットをジッと見つめた。
(やられっぱなしは性に合わねえ。ここは一つ、動揺を引き出してやる)
変な精神状態になった夜光の思考は暴走し、普段ならば絶対にやらないであろう行動を彼に取らせた。
突如黙り込んで凝視してきた夜光に不安を抱いたのか、少し戸惑いの表情を浮かべていたシャルロットに歩み寄り、彼女の顎を右手の親指と人差し指を使って僅かに上向ける。それからゆっくりと顔を近づけてやれば、彼女は接吻されると勘違いしたのか頬を朱に染め上げてギュッと眼を閉じた。
けれども夜光の顔はその脇を通り過ぎて彼女の耳元へと向かう。そうして肌が触れ合うギリギリまで耳に口元を寄せると意識して普段出さないような凛々しい声を発した。
「――俺もだ、シャル。お前を愛している。お前の為なら何だってできる、そう思うほどにお前のことを想っている」
「~~~~っっ!?や、ヤコーさまっ!?何を言うんですかっ!!」
近づけていた身体を離せば、シャルロットの驚きと興奮に染まった顔を認めることができた。そのあわあわと両手を意味なく振ったり、羞恥から赤くなっている柔肌を見た夜光は満足げに二度頷く。
そんな恋人の謎すぎる自尊心の満たし方に、やがて落ち着きを取り戻したシャルロットはジトっとした眼を向けるのだった。




