幕間~一時の休息~五日目
続きです。
翌日もまた炎天であった。
天に座する太陽はその光輝を地上へと降り注がせ人々の肌を突き刺している。
大気は熱され吸い込むたびに喉が潤いを求めて騒ぎ立てた。
そんな真夏の日――夜光は次期大臣とも目されている男、テオドール・ド・ユピター公爵と会談していた。
目的は一つ、件の計画の進捗状況について把握しておくためである。
「――では計画は順調だと?」
「ああ、問題はない。〝オルトリンデ〟の件は別としてだが」
「それは仕方がありませんよ。アレはとにかく間に合うだけ間に合わせて、残りは諦めるしかないでしょう。武装関係に問題があるとしても最悪航行さえできれば何とかなりますから」
テオドールの執務室、その中にある長椅子に腰を落ち着けた夜光はそう言って用意されていた茶杯を傾けた。芳醇さを感じる紅茶が体内へと流れてゆく。
そんな夜光と机を挟んで対面しているのはこの部屋の主――テオドール公爵であった。
彼は連日の激務によって疲れが溜まっているのか、眉間を何度も揉んでいた。心なしか少し白髪が増えたようにも見受けられる。
「それにしてもヤコウ殿、本当に良いのか?我が息子にすら計画のことを伝えないとは……」
「構いませんよ。新や明日香、シャルロット第三王女と同じくクロードは計画に反対する。間違いなく……ですから伝えない。そう決めたじゃありませんか」
「だがそれでは全てが明らかになった時、彼らはきっと貴殿を責めるだろう。何故言ってくれなかったのかと、相談してくれなかったのかと。場合によっては恨みまで買うやもしれんぞ」
「それこそ構いません。初めから俺は恨まれる覚悟をもって計画を始動しましたから」
自分がどう思われようとも彼らを守る。そう決めているのだ。
たとえ誰に何と言われようとも、たとえ後世で悪評を受けることになろうとも構うものか。この情勢下にあっては全てを救うことはできない。故に本当に大切なものだけを選ばなくてはならないのだ。自らの評価など二の次にするに決まっている。
そういった決意を抱く夜光をテオドールは何処か悲し気に見つめていた。彼の悲壮なまでの想いに気付いていたからだ。
「ならばヤコウ殿、せめて手紙をしたためていってはくれぬか?そうした形あるものを残していけば僅かながら溜飲も下がるだろうし、我々が真実を伝えるという重い立場から解放される」
「…………分かりました。出立までにそれぞれに渡す手紙を書いておきます。預かりはテオドールさんがやってくれますよね?」
テオドールがわざとお道化たように言った台詞に夜光も同じ態度で返せば空気が弛緩した。互いに苦笑を交わしあってからテオドールが話題を変えてくる。
「そういえば……貴殿が警告していた通り、不穏な動きを見せている者たちがいる。計画通りに彼らを援軍に組み込みはしたが、それでも全員というわけにはいかなかった。……残った者たちのことは本当に放置で構わぬのだな?」
「ええ、問題はありませんよ。既に手を打ってありますから。彼らは自らが犯した罪を償うことでしょう……必ずね」
そう言って冷笑する夜光の顔は酷薄そのものであった。黒き隻眼には極寒の光が宿っている。
本人も気づいていないのか殺気すら漏れ出ていた。それに気づくテオドールであったが、指摘はせずに話題の転換を試みる。
「ならば良い。……それとは別件だが、昨日の夜にバルト大要塞から連絡の兵がやってきた。徹夜で情報をまとめたものがここにある」
と言って机にあった紙の束を差し出された。受け取った夜光はそれに素早く目を通していく。
「敵が持つ謎の技術によって魔導通信機が完全に沈黙している所為で人力で情報を送るしかなく……結果最新の戦況が届いたのは昨日だ。最も、何日も前の情報を最新と言えるかは疑問だが」
「…………」
「前々から分かってはいたが……いざこうして前線の状況を知ると溜息しかでんよ。やはり敵は本気でこちらを征服しようとしている」
「…………みたいですね。以前の軍議で出た情報の裏付けが取れたっていえば聞こえはいいですが……これは相手の本気度が窺えます」
夜光が読んだ資料にはバルト大要塞正面に展開する敵軍の情報が載っていた。だがそれは朗報などでは断じてない。むしろ悲報――どうにもならない現実を突き付けてくるものであった。
「皇帝自らが指揮を執る親征、投入兵力は地上戦力だけで百万超え、魔導艦隊は百隻にも上る。加えて〝護国五天将〟全員を投入とは……短期決戦を想定しているのか、それとも本土が安定しているのか」
「前者であろうな。本土――というか征服地である属州は未だ不安定、至る所に火の粉が残っている。それらが再燃する危険性をかの大帝国が考慮していないはずもないからな」
アインス大帝国はここ数年で周辺諸国を征服した。その速度は驚くべきものであるが、代わりに多くの火種を残す結果となってしまっている。
滅ぼされた国の者たち――反抗勢力が駆逐されていない状況なのだ。そんな状態の属州を数多く抱え込んでいる以上、長期戦は危険すぎる。一たび反乱が発生すればそれは各属州に伝播することだろう。そうなればエルミナ王国を攻めている場合ではなくなるからだ。
「だからこそ最大戦力を投入してきたわけですね。一気に勝負を付けようとしている」
「そのようだな。よもや〝護国五天将〟を全員とは思い切ったことをすると思うが……」
護国五天将。
それは軍事国家アインス大帝国における武官の頂点に君臨する五人の大将軍のことだ。
平時ではそれぞれが五大領域と呼ばれる東西南北中央の五ヵ所の守護を担っており、戦時にあっては皇帝の剣として敵を滅ぼす最強の存在となる。
それぞれ守護領域から取った役名を持ち、当代では以下の五名が該当していた。
東方守護〝東域天〟――マクシム・ムート・フォン・ロンメル。
西方守護〝西域天〟――ルキウス・ロウ・アルトリウス・フォン・アインス。
南方守護〝南域天〟――ヘスティア・ターク・レーナ・フォン・アインス。
北方守護〝北域天〟――アイゼン・ロート・フォン・クライスト。
中央守護〝帝釈天〟――ノクト・レン・シュバルツ・フォン・アインス。
皇族が三人も任命されているが、これは血統故のものではなく実力によるものだというのだから恐ろしい。流石は軍事国家の皇族だと言えるくらい武に秀でていた。
(それにしても中央守護の人物……ハッタリか、それとも祖先にあやかったものか。どちらにせよ名乗るにはあまりにも重い〝王名〟だな)
大帝国の礎を築き上げた〝英雄王〟にして〝軍神〟として神格化された男の名――それ故に背負うものは多く、そのどれもが重いものだ。
されどその名乗りに相応しい実力を持っているのは確かなのだろう。でなければ〝護国五天将〟に任命などされはしない。実力主義のアインス大帝国においてその役職に就くには高貴な血筋というだけでは無理だからだ。
(かつて異世界から召喚された英雄の末裔、か……。もしかしたら元の世界に還るための方法を知っているかもしれない)
もしもかの〝英雄王〟が夜光や勇者一同と同じ世界から召喚されたのだとすれば何かしらの情報を代々伝えているかもしれない。直接帰還に繋がるものでなくともヒントがあるかもしれないのだ。
(会って話を聞いてみたいところだが……今回は難しいだろうな。何せ敵同士、戦っているわけだし)
戦場で相まみえれば話すどころではないだろう。きっと血生臭い死闘になるに違いないと夜光は考えていた。
と考えを巡らせていた夜光にテオドールが声をかけた。
「だが朗報――と言っていいのかはわからんが」
そう言いながらテオドールは資料の最後に目を通すよう促してきた。それに応じてみてみれば、そこにはクラウス大将軍が行った敵軍への攻撃とその結果について書かれていた。
「神剣〝聖征〟の全力攻撃――かつてヤコウ殿との模擬戦で見せたあの技を用いた結果、敵の魔導戦艦の防御膜を貫通して撃沈させたという。しかし撃沈させたのは一隻のみで、クラウス大将軍は疲弊してしまい連続使用は出来なかったそうだ」
「それは仕方がありませんよ。神剣の〝神権〟を最大限引き出すあの技は所持者に多大な負荷をかけますからね」
そもそも神剣自体、人の身にあまる代物だ。神たる〝王〟が手ずから創造し下賜したものとはいえ、所持者はその力を好き勝手振るえないようになっている。
この仕様がわざとなのか、それとも神の目線で創造したためにズレが生じたのかは不明だが……。
「とにかく、敵の魔導戦艦を墜とせる方法があるということは紛れもない朗報でしょう。もし皇帝の乗る敵旗艦を撃沈できれば勝利も見えてきますし」
「そう出来れば良いのだがな……」
そう言って嘆息するテオドールの心境は夜光も良く理解できる。というか自分も同じ考えだったからだ。
(そんな都合よくいくわけがない。最高司令官たる皇帝が乗る戦艦ともなれば戦場の最後方に位置するだろう。そこまでたどり着くことなど出来はしない)
百万を超える大軍勢と百隻を超える魔導戦艦隊を突破するなど不可能の極みである。そのようなことができる者がいればそれこそ単騎で戦争を終わらせることが出来てしまう。そんなことは〝王〟でも可能かどうか、怪しいところだ。
……しばし重々しい沈黙が続いた。夜光は資料を机に置いて代わりに茶杯を握り中身を一気に飲み干すと立ち上がった。
「お忙しい中、お時間を取って頂きありがとうございました。あまり長居するのもなんですし、俺はこれにて失礼させて頂きます」
「む、もうそんな時間か……。分かった、ではまた――今度は出立の時になるか」
「ええ、おそらくは。……では」
そう言って軽く頭を下げてから夜光は執務室を退出するのだった。




