幕間~一時の休息~三日目
続きです。
翌日午前。
夜光は新とモーリス将軍、アンネ将軍と共に玉座の間に居た。
片膝をつく彼らを玉座から見下ろすのは金髪金眼の老人――国王アドルフである。
「……なるほど、そなたらの意見は理解した」
確かな覇気を感じる声音――そこに負の感情は感じられない。むしろ好意的な意思が伝わってくる。
そんな王の様子に困惑したのは隣に控えていたテオドール公爵である。
「陛下……ヤコウ大将軍らの申し出の重要性は私も理解しましたが、同時に不可能であるようにも思います。以前、エレノア大将軍は陛下からの温情あるお言葉を受け入れませんでしたから」
「……あの者は我が不肖の娘であるアレクシアに忠誠を誓ったという。その忠誠心は本物――それは余も理解している。だが、それをなんとか出来るのであろう?」
とアドルフが楽し気に夜光を見つめてくる。
予定通りの展開だと、夜光は頷きを見せた。
「はい、陛下。エレノア大将軍のことは私とアンネ将軍にお任せ下さい。必ずやご期待に沿う結果を上げて御覧に入れます」
「だ、そうだ。テオドール、ここはこの二人に任せてみるのも一興ではないか。この情勢下だ、使える戦力は多いに越したことはない。それにたとえ失敗したところで元から期待していなかった戦力――今後に影響を与える幅は小さいだろう」
国王の台詞からはまるで棚から牡丹餅――そうなったら幸運だな程度の軽い思いしか伝わってこない。
これに対して時期宰相と目されているユピター家現当主は小さく息を吐いてから肯定の意を示した。
「……確かに陛下の仰られる通りですね。わかりました、この後すぐにでも面会できるよう、こちらで対応しておきます」
「あ、ありがとうございます、陛下!!」
現在のエルミナ王国の国政を握る二人に許可をもらったことでアンネが感極まったように身体を震わせた。
夜光もまた上手くいった――予定調和ではあるが――ことに息を吐くと、新とモーリス将軍に目配せして立ち上がる。
「お忙しい中、お時間を戴き誠にありがとうございました、陛下。テオドール公爵もお力添え、感謝致します。……では、我々はこれにて失礼させて頂きます」
そう言って退出しようとした一同だったが、夜光だけアドルフに呼び止められて立ち止まることになる。
「ヤコウよ、少し話しておきたいことがある。今日の夜、時間を空けておけ」
「畏まりました、陛下」
一体何のことかと疑問に思ったが、どのみちエレノア大将軍との面会の結果を報告する必要がある。故に夜光は大した間もなく受け入れると新たちの後を追う形で退出するのだった。
*****
王城グランツの地下は意外と広い。
これは聖王国時代を含む歴代のエルミナ国王が、王城がある丘はもう拡張できない、なら地下を使おうと考え少しずつ拡張したためである。
歴代の王たちが趣味に任せて思い思いに様々な部屋を造り、通路にも仕掛けを施した結果、時の国王ですら全容を把握出来なくなってしまったという逸話も残されている。
「それにしても……まさか浴場や書庫まであるなんて思いもしませんでしたよ」
「はは、ヤコウ大将軍はこれが初めてでしたね。驚かれるのも無理はありません。かく言う私も初めてここを訪れた時は驚かされましたから」
「へぇ、アンネ将軍もですか」
「はい、その時は陛下からの召喚を受けて王城を訪れた帰りでして……エレノア大将軍と共に浴場に入らせて頂いたのです」
「浴場というと……確か三つあると聞いていますが」
「聖剣の湯、聖盾の湯、聖鎧の湯の三つですね。私とエレノア大将軍は聖剣の湯に入らせて頂きました」
「おお、ということは陛下から許可を戴いたということですね。羨ましいです」
「運が良かっただけですよ。それにヤコウ大将軍であれば陛下から許可を戴けるはずです」
「ううん……それなら今度陛下にお会いした時にお願いしてみるとしましょう」
そんな会話を繰り広げながら歩いていけば、やがて人気の少ない区画へと入り込んだ。
地下であっても魔導具の一種である暖房器具によって温度は一定に保たれているのだが、ここは何処か寒々しい空気で満ちていた。
(牢屋という特性の所為か……気の持ちようだとは思うけど)
季節は夏――加えて夜光には神器たちの加護がある。しかし、それでも何故か冷え冷えと感じてしまう。
事前に話が通っていたのだろう、牢屋への入り口を見張る兵士二人はこちらに敬礼を向けてくるだけだった。
返礼したアンネ将軍と夜光の前で鉄格子――本当に鉄かは怪しいところだが――が音を立てて開かれる。
中に入った夜光たちは詰所から出てきた一人の兵士を先導に奥へと進んでいく。
「……誰もいませんね」
「ええ、現在はエレノア大将軍以外誰も入っていないと聞いていますよ」
「それはなんとも……寂しいですね」
狭い通路を挟んで両側に牢屋が置かれた空間――照明器具の数は少なく、また薄暗い。地下とはいえ王城内であるから経費や魔力を渋っているわけではないだろう。恐らくは初めからそう言った仕様なのだ。
(人は本能的に暗闇を怖れる――いや畏れる。それを利用して罪人を収監する仕組みか)
この世界の住人が闇を畏れるのは最強にして最恐と謳われる〝黒天王〟の所為だと言われている。
かの〝王〟が猛威を振るっていた時代――千二百年も昔、世界の空は〝黒〟に支配されていた。
三ツ首の黒竜に乗り天空を駆けた〝黒天王〟は、姿を見せる際に必ず天を黒く染め上げ通り過ぎた地に死と絶望を齎したという。
他の〝王〟であっても直接の敵対を避けるほどその武威は圧倒的――故に人々はただ畏れ地に伏せるほかなかった。
――〝天の王〟現る地、漆黒に堕ちる。
だからこそ人々は暗闇に恐怖するのだ。暗闇とはすなわち天災である〝黒天王〟が現れたことを意味するのだから。
(〝黒天王〟が討伐されて千二百年もの年月が経過しても尚、残るとは……)
ここまで来たらもはや呪いのようなものだ。人々に――否、世界に刻みつけられた強大なる〝王〟の爪痕。
(それほどの力を持つ〝王〟を只の人族が討伐したというんだからな。俺としてはそっちの方が恐ろしい話だ)
などと考えていると、並ぶ牢屋の奥へとたどり着いた。
他の牢屋よりも大きなその牢は鉄格子が四重にもなっており、壁には幾つもの魔法陣が刻まれていた。
明らかに異質な雰囲気漂う場所であった。牢の中へ眼を向ければ暗がりに置かれた簡素な寝台に座る女性の姿を認めることができる。
『では私はこれにて失礼致します。何かあればお声がけください』
そう言って来た道を戻っていく兵士の背から視線を外した夜光が振り返れば、既にアンネは中にいる金髪碧眼の女性に声をかけていた。
「久しぶりね、エレノア。こうして顔を合わせるのはカイム砦以来かしら」
「…………アンネか。何の用だ、私を笑いにでも来たのか」
「そんなわけないじゃない。あなたが心配で様子を見に来たのよ」
「ハッ、余計なお世話だ。年上だからって上から目線は止めろ」
「別に私はそんな風に考えていないわよ」
「考えていなくとも私がそう感じるのだ」
出だしは最悪だなと二人の会話を聞いていた夜光は眼帯を撫でながら思った。取り付く島もない気がして溜息を溢してしまいそうになる。
(おかしいな、この二人は軍学校時代の同期で仲良しなんじゃなかったのかよ)
あるいは仲が良かったからこそ頑ななのかもしれない。だとすればアンネがこうして直接説得に赴いたのはむしろ逆効果なのではないのか。そう思えてならない。
「で、本題は私に陛下への忠誠を誓えと迫るつもりだろう?知っているぞ」
「……そもそもエルミナの騎士なら全員陛下への忠誠を誓うはずよ。陛下への絶対の忠誠があって初めて他の王族の方々への忠誠が生まれる。それを理解できないあなたじゃないでしょう」
「…………私にもアドルフ陛下への忠誠心はある。だが、それでもアレクシア殿下への忠義を貫くつもりだ」
「……相変わらず真面目ね。でも、いいの?このままだとアレクシア殿下が護ろうとしたこの国自体がなくなってしまうかもしれないのよ」
「アインス大帝国の侵攻のことか。だが、別に私がいなくとも撃退は十分可能だろう」
「ここだけの話、そうじゃないのよ」
「何……?」
怪訝そうに眉根を寄せる女性――エレノア大将軍はアンネに向けていた敵意ある視線を僅かにやわらげた。
その敵意はアンネの説明を聞くにつれ薄れてゆき、遂には驚きと困惑に取って替わられた。
「――ということなのよ」
「つまり……現在の戦況は劣勢、しかも敗北する未来も見えている状態だというのか!?」
「ええそうよ。今はそれを何とかするための策を実行しているところなの」
だから、とアンネは必死さを滲ませた声音で告げる。
「エレノア、あなたにも協力して欲しいの。あなたが手を貸してくれれば、作戦の成功率を大きく上げることができる。今こそあなたが必要な時なのよ!」
「…………それはアンネ、あなたもそう思っているということで良いのか」
えっ、と疑問符を浮かべるアンネ。同時に夜光はエレノアの態度の変化に気付いて観察するように眼を細めた。
「もちろんそうよ。私にとってもあなたは必要な存在だわ」
「……………………そうか、分かった。少し考えさせてくれ」
長い沈黙の末にエレノアはそう言って口を閉じた。瞳も閉じて考え込むように俯く。
おそらくこれ以上アンネが迫ったところで彼女は口を開かないだろう。そう考えた夜光はアンネに声をかける。
「アンネ将軍、エレノア大将軍もそう言っていることですし、今日のところはこれでお暇しましょう」
「……そう、ですね。わかりました」
「では先に戻っていて下さい。私は少々彼女と話がありますので」
夜光がそう言えば、アンネは目礼してその場を去っていった。
彼女の気配を探りこの区画から出たことを察知した夜光は牢屋へと近づいて声を発した。
「お初にお目にかかります、エレノア大将軍。俺の名はヤコウ・ヴァイス・ド・セイヴァー、つい先日、国王陛下より〝王盾〟を賜り大将軍に任命されました。まあ、あなたの後輩にあたる存在ですね。どうぞよろしくお願いします」
「……そうか、お前が噂の――〝王盾〟に選ばれた新たな〝四騎士〟か。それで、何のようだ?わざわざアンネを遠ざけてまで話すようなことがあるのか」
視線すら合わせず挑発的な台詞を吐くエレノアの姿に、夜光は口端を吊り上げた。
「ええ、彼女が居ては話せないですからね。……あなたが彼女に向ける好意については」
「――なに?」
「俺が気づいていないとでも思いましたか?あなたが先ほどアンネ将軍に向けた感情を――思慕の眼差しを。いえ、こう言いかえた方がいいですかね……欲望の眼差しと」
「っ……貴様、何を言う!言いがかりの上に侮辱だと……っ!ふざけるのも大概にしろ!!」
「ふざけているのはあんたの方だろ」
「っ……!?」
突然態度を急変させた夜光にエレノアが目を見開いた。その瞳には混乱と怯えが見受けられる。
夜光はガンッ、と鉄格子を拳で叩いて声を張り上げた。
「いいか、今はあんたの下らない感傷に付きあってる暇なんてないんだよ。亡きアレクシア第一王女に対する忠義があるから協力できない?何言ってんだって話だ。さっきアンネ将軍も言っていたが、騎士たるものまずは国王陛下への忠誠だろ。それが第一にあるんだから黙って陛下に従えよ。それにな、今は国家の一大事――国家存亡の危機なんだよ。あんたが忠義だなんだといってこのまま牢屋で不貞腐れたまま国がなくなりましたーなんて、それこそ問題だろ。あんたはアレクシア第一王女にあの世で『すみません、殿下への忠義の為牢に入り続けていましたらエルミナ王国が滅んじゃいました』とかいう気か?」
「な――」
「後、このままだとあんたの大好きなアンネ将軍は確実に死ぬぞ。安全な牢屋に閉じこもってるあんたと違って彼女は前線に出て戦う。で、負ける。このままだと確実にな。そうなった時、彼女はどんな目にあうか分かってるのか?戦場で敗北した女がどんな末路を辿るかくらい知っているだろ。ましてやアンネ将軍は美人だ。敵兵は喜び勇んで彼女を襲うだろうな」
「…………」
「今、あんたがやっていることはそういった結果を齎す。忠誠を誓ったアレクシア第一王女が護ろうとした国家が滅び、あんたが想いを寄せるアンネ将軍は敵に捕まって慰み者にされた挙句処刑だ。……あんたはそれがお望みなのか?だったら見込み違いだな。天下の大将軍――〝潔癖〟が聞いてあきれる。〝王の剣〟は俺と共に戦うことを決意し、〝征伐者〟は既に侵略者と戦いこれを食い止めている。二人とも尊敬すべき、俺の先輩だ。……あんたはどうする。下らない意地を張って何もかも失う敗北者に成り下がるか、それとも立ち上がって剣を手に取り皆と共に侵略者と戦う騎士になるか」
選べ、と言った夜光は荒くなった息を整える。
自分でも苛烈な物言いだとは理解している。だが、彼女はこうでも言わないと意思を曲げないと直感的に悟っていた。
(真面目で融通の利かない〝潔癖〟の大将軍――だが、流石に理解しただろ)
寝台から立ち上がりこちらを睨みつける彼女の顔は恥辱に赤く染まっていた。無理もない、逆の立場であれば夜光とて激昂する自信がある。
「で、どうするんだ。売国奴になるか?愛国者になるか?」
「…………るな」
「あん?聞こえないな、なんて言ったんだ?」
「ふざけるなと言っている!!貴様、黙って聞いていれば好き勝手いって!いい加減にしろッ!!」
いきり立った彼女は猛然とこちらに迫ると鉄格子越しにこちらの胸倉をつかんで顔を寄せた。その整った顔立ちは怒りの形相に歪んでいる。
「この国が滅びる様を黙ってみている?アンネが嬲られるのを容認する?ふざけるな!どちらも認められるはずないだろうがッ!」
「なら戦うんだな?今すぐここを出て陛下に頭を下げて忠誠を誓い、剣を捧げると言えるんだな?くそったれな侵略者共を討ち滅ぼすのに全力を尽くすと誓えるんだな!?」
「ああ、誓えるさ誓ってやるとも!だからさっさと私をここから出せ――ッ!!」
胸倉をつかみ返して恫喝した夜光に、エレノアは憤怒を爆発させる。
その怒りのままに鉄格子に額を打ち付け――なんと歪めてしまった。
互いが発した怒声は大きなもので、通路の遠くにいた衛兵が何事かと駆け寄ってくる。
彼らがこちらにたどり着く前に――と夜光は息を整えてエレノアに囁いた。
「その覚悟を今後の働きで証明してもらう。近日中にあんたをここから出してやる。もしその誓いに背くことがあれば――」
――あんたは俺が殺す。
冷酷な声音、しかし受けたエレノアは挑発じみた笑みを浮かべた。
「望むところだ〝王の盾〟。〝潔癖〟の名が伊達ではないと教えてやろう」
「――そうですか。期待してますよ、先輩?」
「生意気な後輩だ。だが、おかげで目が覚めた。それだけは感謝しよう。それだけはな」
お互いに胸倉をつかんでいた手を放して好戦的な笑みを向けあう。
背後から駆け寄ってくる衛兵の足音を聞きながら、夜光はこう思った。
あ、これ嫌われたな――と。
転勤等でドタバタしており更新が遅れています。ご了承ください。




