幕間~一時の休息~二日目、夜
続きです。
大聖堂から出た頃には既に外は暗くなっていた。
太陽から主役を奪い取った月が天に昇りゆく中、夜光と新は王城へと繋がる大階段を降りてゆく。
「しっかし暑いなぁ……」
「ん?お前には〝干将莫邪〟の加護があるだろ。暑さは軽減されているはずだ」
「それはそうなんだが……あくまで軽くなっているだけだからな。完全に気温から守られているわけじゃねえんだよ」
「……そうなのか?」
それは妙な話だと夜光は感じた。〝王〟が手ずから創り上げた〝神剣〟は加護が非常に強力であり、寒暖など物ともしないはずだからだ。
(まだ神剣の〝力〟を完全には引き出せていない――ということか?)
だとすればあまりよろしくはない事態だ。今後のことを考えれば戦力は多い方が良く、その逆は喜ばしくはない。
(だけど不用意に介入すれば最悪神剣から見放されてしまう。こればかりは新自身になんとかしてもらうしかないな)
神剣には意思があり、所持者を自ら選ぶ。その神剣が望む意思や覚悟、決意といったものを所持者が見せることができれば絶大な力を得ることができるが、反対に神剣が望んでいないことをしたり強制的に従わせようものなら見放されてしまう。
(〝干将莫邪〟が新の何に惹かれたのかは知らないが……勇のように失望させなければいずれは〝力〟を最大限引き出すことが出来るようになるだろう)
憎き一瀬勇が所持していた〝天霆〟――最後に見た時には悲鳴を上げていた。あの調子では遠からず勇は見放されるはずだろうと夜光は予想していた。
(それにしても……神剣、か)
ガイアから継承しつつある知識の中には〝白夜王〟の神剣の情報はなかった。彼女のことだからおそらく創っていないのだろう。他にも〝名を禁じられし王〟の神剣の情報もなかったが、それ以外の〝王〟の神剣の情報はあった。といっても詳しいことは分からず、あくまで概要だけだったが。
(確か〝干将莫邪〟の神権は夜間に力を増し、所持者に分け与えるといった強化系だったはず)
気配、姿を隠すことのできる新の固有魔法とは相性が良い。新が固有魔法や神剣の〝力〟を完全に掌握した暁には、彼に夜間戦闘で勝つことは極めて難しくなることだろう。
(完全に暗殺者向けだな。勇者としてはどうなのかって話だけど)
〝干将莫邪〟で増した魔力を用いて固有魔法〝絶影〟を強化し、完全に存在を消した状態で音もなく相手を殺害する。
並大抵の相手なら完封できるだろう。同じ神剣所持者でもなければ気配を察知することすら難しいのだから。
(俺でも見抜けるかどうか……〝死眼〟で〝視〟ることができればいいけど)
とはいえ実際にその時になってみなければわからない。
そんなことを考えながら夜光がチラリと横を歩く新を見やった時だった。
「シン殿にヤコウ大将軍、こちらにいらっしゃいましたか」
「……あれ、モーリスさん?それにアンネさんまで。こんなところでどうしたんですか?」
大階段を降りた先、王城への扉の前に二人の将軍が立っていた。
朗らかな笑みを浮かべて話しかけてきた将軍の名はモーリス・ド・プラハ。新や明日香たちと共に戦った歴戦の武将である。
「ちょっとお二人に相談があって。……お時間、いいかしら?」
モーリスの隣にいた女性の名はアンネ・ド・ブルボン。茶髪碧眼の将軍だ。
彼女もまた笑みを浮かべてはいるがどこか固い。おそらく相談とやらの所為だろうと夜光は判断した。
(どちらも軍人にしては穏やかな気質の持ち主――それに新たちを慮ってくれたという。良好な関係を築いておいて損はないな)
瞬時に損得を計算した夜光は新に目配せする。それに気づいた新は小さく頷くと口を開いた。
「ええ、俺も夜光も大丈夫ですよ」
「ふむ、それは何よりです。では立ち話も何ですし、城下へと繰り出すとしましょう。私の行きつけの酒場があるのですが、そこは内緒話にもってこいなんですよ」
初対面、というわけではないが、こうして私的な話をするのが初めてであるからか、やや硬い口調でモーリス将軍が誘ってくる。
夜光が笑みを繕って頷けば、反対者はいないのか、モーリス将軍の先導に従って皆歩き始めた。
*****
モーリス将軍の行きつけの店とやらは城下街中層の入り組んだ路地の裏にあった。
主要な街路から外れた脇道にこそあるが、店内は清潔感があり店員は物静かだが丁寧――いわゆる穴場的な酒場であった。
全体的に小ぢんまりとしており客席はさほど多くはない。夜光たちが入店した時にも客は数えるほどしかいなかった。
(照明は薄暗いがこれはわざとそうしているんだろうな。客層も悪くなさそうだし、カウンターにいる店主もモーリス将軍の旧知だという。……なるほど、これは確かに秘密を語るには丁度良い場所だな)
すぐさまこの場所を気に入った夜光はここに至るまでの道順を覚えておくことに決めた。
端の方のカウンター席に座った面々はそれぞれ注文するとしばし沈黙する。悪くない沈黙だと夜光は思っていた。店内の落ち着いた雰囲気を堪能するのに丁度良い時間だと考えていたからだ。
……しばらくしてそれぞれの前に飲み物が出されたことで沈黙は破られた。
「では、乾杯と行きましょうぞ」
モーリス将軍のその言葉を合図に四人は木杯に口をつけた。二人の将軍は酒を飲み、二人の少年は酒精の入っていない葡萄を使った飲料を喉に通す。
それから嚥下し終えた新が話題を投下した。
「王国に名高い〝三将軍〟の内二人と〝四騎士〟の一人、おまけで勇者一人が一堂に会したこの場はちょっと過剰戦力気味ですね」
「はは、確かにそうですね。とはいえ我々よりもお二人の方が武勇に優れておりますからな。お二人だけで一軍を相手にすることが出来るでしょうし」
「まさか、明日香じゃありませんし、俺たちには無理ですよ。なあ、夜光」
「そうだな。俺もお前も対集団と言うよりは対個人に特化しているから……一軍相手となればモーリス将軍やアンネ将軍のような指揮経験が豊富な方のほうが良いでしょう」
「いえいえ、我々はまだまだですよ。現に先の戦いでは貴殿やクロード大将軍、それにテオドール公爵にも後れを取りましたし」
「あれは幾つかの不確定要素に助けられた、所謂薄氷の勝利というやつですよ。同じ条件下で戦えば負けていたでしょう」
「ご謙遜を。貴殿が指揮を執る第一陣を突破することがどれほど困難であるかはよく理解しているつもりです」
謙遜ではなくそれが事実だと夜光は思っていた。
同じくらいの戦力、かつ特に地の利をどちらかが得られているわけではないとなれば、勝敗を左右するのは指揮官の経験の差であるからだ。
(後は固有魔法持ちや神剣所持者などの特異な〝力〟をどれだけ有しているか、またその使い方なども勝敗を左右するけど……)
それすらも同等であった場合はおそらくこちらが敗北していただろうと夜光は考えていた。
そんな夜光の耳朶に新の声が触れる。
「そういえば……〝三将軍〟といえば、ダヴー将軍の沙汰を陛下がどのようにお決めになったかってご存じですか?」
三将軍。
それはエルミナ王国に数いる将軍の中でも特に優れた三人の将軍を指した言葉だ。
モーリス・ド・プラハ、アンネ・ド・ブルボン、そしてジョルジュ・ド・ダヴーの三人がそれに該当する。
アインス大帝国が侵攻してきている最中であるということもあってか、国王アドルフは中央、南方連合軍の将兵を罪には問わないと宣言したことからモーリスとアンネはお咎めなしであったが、ダヴー将軍は中央軍から北方軍へ寝返った人物だ。それ故、罪に問われる可能性はあったが……。
「陛下はダヴー将軍を含めた北方軍も罪に問わないと仰られました。まあ、罪に問おうにも北方軍は現在、エルミナ北東に出現した大帝国軍の飛空戦艦隊を相手にしていますからな」
今回エルミナ王国領内に侵攻してきたアインス大帝国軍は別動隊として北方に飛空戦艦の大部隊を送り込んでいる。北方の四大貴族家当主であるヨハン・ド・レオーネとダヴー将軍率いる北方軍はそれに対処している最中だ。そんな最前線で戦っている優秀な将軍を更迭するわけがない。
「最新の情報では敵の飛空戦艦――向こうの呼び方では魔導戦艦――の数は九百にも達するとのことですからな。いくら北方軍がほぼ無傷の三十万だとしても厳しい戦いになっているでしょう」
「一方的に制空権を取られているわけですからね……」
こちらがやっと一機の飛空艇を運用できるようになったのに対して、敵は飛空艇どころか戦争用に造り上げた戦艦を運用している。しかも数が異常なまでに多い。
(こちらが向こうの攻撃に耐えられているのは戦略級魔法や気候のおかげでしかない)
北方の主戦場――ニパス雪原は暦が夏であろうとも吹雪が絶えない。それ故の視界不良や魔導具の動作不良によってなんとか凌いでいるにすぎない。
東方――バルト大要塞も戦略級魔法〝聖堅の盾〟による、成層圏まで至る超広範囲防御魔法がなければ今頃突破されていただろう。
「そういったことから我々はお咎めなしだったのですが……」
と言葉を切ったモーリス将軍が視線をアンネ将軍に向ければ、これまで黙っていた彼女は俯きがちだった顔を上げ、意を決したようにこちらを見つめてきた。
「王都決戦よりも前に終結した西方征伐、そこで捕らえられた者たちはそうはいきませんでした。……ほぼ初対面であり大変ぶしつけであることを承知の上でお願いします、ヤコウ大将軍。何卒エレノア大将軍に恩赦を与えて戴けるよう、陛下に取り計らっては頂けませんでしょうか」
「……エレノア大将軍に、ですか」
これまた難しい話が来たな、と夜光は眉間に皺を寄せた。
先の内乱において西方の支持を得て挙兵したアレクシア第一王女、そんな彼女の御旗の元で戦ったのがエレノア・ド・ティエラ大将軍だ。
カイム砦に籠る中央軍を相手にしたが、最終的にエレノア大将軍は覚醒した〝光姫〟天喰陽和によって捕らえられ、その後は王都まで護送され現在は王城地下の牢屋に入れられている。
(この戦況では味方は大いに越したことはないけど……エレノア大将軍はなぁ)
アレクシア第一王女が次代の王に相応しいと考えていた彼女は降伏後も頑なな態度だという。簡潔に言うと今や王位継承権第一位となったシャルロット第三王女を認めていないのだ。
(ルイ第二王子やセリア第二王女のことも認めていないって話だからな。……とはいえ国王であるアドルフ陛下への忠誠心はあるみたいだけど)
それすらなかったら今頃処刑されていただろう。〝四騎士〟――大将軍の一人とはいえ、彼女は神剣や神器を所持しているわけでもなければ、固有魔法などの特異な力を有しているわけでもない。言い方は悪いが希少性が薄いため、他の大将軍と比べて処罰しやすいのだ。
考え込む夜光に旗色が悪いと判断したのか、アンネ将軍は続けてこう主張した。
「エレノア大将軍と私は軍学校時代の同期なのですが、彼女は優秀です。指揮、作戦遂行能力等々、どれをとっても私より遥かに実力は上。真面目で部下からの信頼も厚い。彼女がいれば戦況を好転させるのに必ずや一役買うと私は考えております」
「しかし思想に問題があるのではないでしょうか。エレノア大将軍は未だに亡きアレクシア第一王女を支持したままと聞いていますが?」
「それは……っ!そうですが――……」
アンネ将軍の熱い弁護に夜光が鋭く切り返せば、彼女は悔し気に唇を食いしばる。彼女とて理解しているのだ。思想に問題のある者を復帰させることの危険性を。
(けど、ここでアンネ将軍の頼みを拒否すれば関係性は悪くなる、か……)
ならばどうするか。夜光はしばし黙考して――閃きを口にした。
「ならこうしましょう。アンネ将軍がエレノア大将軍と面会できるよう、私の方から陛下に取り次ぎます。無事許可が下りましたらアンネ将軍の出番です。エレノア大将軍を説得してください。説得に成功したら私と新、それからモーリス将軍の三人で陛下に恩赦を戴けるよう上奏する。これでどうですか?」
「……おいおい、勝手に決めるなよ」
「なんだ、反対なのか新?」
「いや、俺は別にいいけどよ……。モーリスさんを巻き込むのはな。立場とか、いろいろあるだろうし」
「……いえ、構いませんよ。私としてもアンネ将軍に協力したいと考えたからこそこうしてここにいるわけですからな」
いきなり話に巻き込まれた二人だったが、夜光の予想通り反対はされずむしろ賛意を得ることができた。
新は特に反対する理由がないし、モーリス将軍はそもそもアンネ将軍に協力的であることが言動から明らかであった。それ故の予想である。
「アンネ将軍はどうです?反対ですか」
「…………いえ、やらせて下さい。閣下から頂いた千載一遇の好機、逃すわけにはいきませんから」
「決まりですね」
と言った夜光は木杯を掲げて笑った。
「陛下へはこの後お伝えしてきます。許可が戴ければ早くて明日にでも面会できるでしょう。……成功を祈って、乾杯」
「まったくお前ってやつは……乾杯」
「はは、ヤコウ大将軍は思い切りがよろしいですな――乾杯!」
「閣下……ありがとうございます。乾杯!!」
カツン、と小気味いい音が鳴る。四人とも、入店した時にあった固さが顔から抜けていた。




