七話
続きです。
軍議を終えた夜光はその足で国王の寝室を訪れていた。
その理由は一つ――昨日語った夜光の計画に賛同するかを確認するためである。
「ヤコウよ、余はそなたの考えを採用しよう」
開口一番に国王アドルフが賛意を示した。
未だ本調子には程遠く、その身体は寝台にあり上半身を起こした状態であるが、放つ覇気に些かの衰えも感じられない。
「既にセリアとルイの同意も得ておる。……二人とも、それで良いな」
「はい、父上。……壮大で何の保証もない計画ではありますが――禁忌を破って自国領を滅ぼすよりかはまだ希望がありますから」
「正直無茶苦茶だと思うけどね。でもさ、セリアが言うように希望がある。だったらやろうじゃないか」
「お三方…………本当にありがとうございます」
同席するセリア第二王女とルイ第二王子が笑みを向けてきたことで、夜光は感極まり頭を下げた。
彼が提案した計画はセリア第二王女の指摘通り何の保証もないものだ。仮に成功したとしても何年もかかる代物――とてもではないが、国家の行く末に責任を持つ王族たちが軽々しく同意できないものだった。
けれども彼らは賛同してくれた。その判断に至るまで悩み、苦しんだことは想像に難くない。
夜光はそうした彼らの決断に敬意を表し、深い感謝の念を抱いた。
「本当に……本当に、ありがとうございます!」
言葉にしきれないほどの感謝と慚愧の念――様々な感情が入り乱れた夜光の声音は震えていた。
そんな彼の肩にルイ第二王子は手を置いて微笑む。
「気にすることはないよ。本来ならこれは異世界出身のキミじゃなくて、この国の王族たるボクたちがするべきことなんだしね。――むしろ、謝るのはボクたちの方だ」
そう言って夜光に顔を上げさせたルイは自らの不甲斐なさを恥じるように唇をかみしめた。
「本当にすまない。一切の非もないキミに重い責任を背負わせる結果となってしまった」
確かに夜光に非はない。むしろ王族が勝手に執り行った勇者召喚に巻き込まれて散々な目にあった被害者である。
けれども――非はなくとも責任はあると夜光は考えていた。
「ルイ殿下こそ顔を上げてください。俺には責任を負う義務がありますし、それを望んだのは俺自身ですから」
王族であるシャルロットを助けたのは偶然だったが、その後彼女に付き従おうと考えたのは夜光自身である。故に当然、国家を守るために身を捧げる覚悟だってできている。
(俺はもう……迷わない。決めたんだよ、シャルを守る――その為ならなんでもするってな)
夜光は決意の眼差しを以って三人の王族を順に見回した。
国王、第二王子、第二王女――三者共に固い決意が窺える。
ならば――後は行動を開始するだけだ。
「では、早速動き出しましょう。皆さん、宜しくお願い致します」
夜光は計画の始動を宣言すると、各々のやるべきことを確認し始めるのだった。
*****
話し合いが終わった時には既に陽は沈んでいた。
国王の寝室から退出した夜光がルイに一通の便箋を手渡せば、彼は疑問符を浮かべる。
「おや、ヤコウくん――これは?」
「これも計画の一環ですよ。誰もいないと確信できる場所で、一人で読んで下さい。読み終わった後は必ず破棄をお願いします」
「……おやおや、そんなに念を押してくるとはねえ。察するにこれはキミからの愛の手紙といったところかな?」
とルイはからかい交じりに指で挟んだ便箋をヒラヒラさせると懐に仕舞いこんだ。
それからふと、彼は悲し気な眼で夜光を見つめてくる。
「……本当に、いいんだね?この計画を実行すれば、もう後には退けなくなる。キミの自己犠牲の精神は分かってはいるけど……今回のは極めつけだ。成功したとしても、失敗したとしてもキミは苦しむことになるよ」
「……分かっていますよ。けれど――他に道はない。これが最善なんです」
「ボクもそう思う。セリアだって陛下だってそう思ったからこそキミの計画に乗ったんだからね。けれどね、間違いなくキミは多くの人を泣かせることになる」
「覚悟はしています。泣かせることになろうとも、恨まれることになろうとも――それでも、俺は決めたんです」
「…………そうか。なら、これ以上ボクからは何も言わないよ」
寂し気に微笑んだルイは背を向けて去っていく。その背を見送った夜光は廊下の窓に近づいた。
外は薄暗く、魔導街灯の明かりだけが己を主張している。魔導の発達によって夜であっても一定の明るさを保つことのできる王都は輝いて見えた。
「……光があれば、闇もまた存在する」
窓の外に広がる夜景から視線を外した夜光は廊下を歩きだす。その力強い足取りに迷いは見られない。
「光の輝きが強ければ強いほど、影は濃くなり闇を生み出す」
先ほどまでの寂し気で、けれども確かな温かさがあった空気は吹き飛んだ。代わりに訪れるのは寒々しい雰囲気である。
夜光は与えられた王城内の自室に戻ると、扉に鍵をかけ窓を帳で覆う。すると部屋は一気に暗くなった。
彼は周囲の気配を探ると徐に呼びかける。
「ノンネ、居るんだろ?姿を見せろよ」
「――ふふ、流石は〝王〟、といったところでしょうか。よもや私の気配に感づかれるとは……」
夜光の呼びかけに答えたのは粘着質でありながら、どこか色香を感じさせる声音であった。
同時に夜光の眼前の空間が揺らぎ、外套を羽織った女性の姿が現れる。
彼女の名はノンネ――エルミナ王国に数々の災いを齎し、勇をかどわかして陽和を連れ去った夜光にとっての明確な敵である。
しかし、だからといってこの場で彼女を斬るわけにもいかない。夜光の計画には彼女の協力が必要だからだ。
「当り前だ。あんなにジッと見つめられてれば、流石に気づく。――で、見ていたからにはもう理解しているはずだ。何故俺がお前を呼んだのかを」
「せっかちですねぇ。もう少し会話を楽しみましょうよ」
「お前と世間話とか耐えられそうにもないな。殺したくなってくる」
「おぉ、怖い怖い。守護の道を選んだとはいえ、本質的にあなた様は〝王〟――唯我独尊を地でゆく神の一柱であるのですねぇ」
「御託は結構だ。――で、協力してくれるのか?」
虚無の黒瞳がノンネを見つめる。そこに込められた殺意に、彼女は喜悦に身体を震わせた。
「ゾクゾクしますねぇ。あなた様のその黒き隻眼――もう一方の〝死眼〟に負けず劣らずの迫力でございます」
蝋燭の明かりすらない室内には重苦しい空気が満ちていた。両者が放つ覇気がぶつかり合うことで大人数がひしめき合っているかのような、奇妙な圧迫感がある。
どこまでも道化の如き振る舞いを見せるノンネに対して、夜光はただその場に突っ立っているだけだ。
だが、それが逆に恐ろしさを演出している。無の表情でただただノンネの顔だけを見つめ続けるその姿は、壊れた人形を彷彿とさせた。
「フフフ……まぁ良いでしょう。あなた様の頼みとあらば協力させて頂きましょう。もちろん、対価は頂きますがね」
「分かってる。――〝白夜王〟として貸し一つ、これでどうだ?」
「三つは頂きたいところですねぇ」
「駄目だ、譲歩して二つまでだな。お前に頼むことはそこまで難しいわけじゃない。別にお前じゃなくてもできることだからな」
「……はぁー、分かりました。それでお引き受け致しましょう。ただし、こちらが譲るのですから、条件を付けさせて頂きたい」
「なんだ?」
と夜光が聞けば、ノンネは指を二本立ててから一本に変える。
「二つの貸しの内、一つは前払いとして今お返し頂きたいのです。これくらいは納得して頂きたい」
「今?…………分かった、良いだろう。で、何が欲しいんだ?」
僅かに思案した夜光が問題ないかと結論を出して問いかければ、ノンネは仮面の下で笑みを浮かべる。
「あなた様の――〝白夜王〟の〝血〟を頂きたいのです」
「……血、だと?お前ならこれまで奪う機会がいくらでもあっただろうに、今更それを欲するのか?」
「ええ、あなた様から自発的に提供して頂く〝血〟に意味があるのです。奪ったものや飛び散ったものを採取したところで意味がないのですよ」
「…………」
正直意味がわからなかったが、血を与えるくらいなら別に問題はないだろう。
てっきり武具や〝力〟を求められると思っていた夜光としてはむしろ肩透かし――その程度か、としか思えなかった。
故に夜光は頷くと〝天死〟を喚び出して軽く掌を斬る。すると切れ目から赤い血液が滴り落ち始める。
「交渉成立でございますね。では……戴きます」
そう言うなり彼女は懐から小瓶を取り出して夜光の手に当てる。試験管のようなその小瓶は瞬く間に夜光の血液で一杯になった。
ノンネはそれに蓋をして満足げな溜息をつきながら懐に仕舞うと、顔を覆う仮面を少しずらして口元を露出させた。
美人であることを感じさせる艶やかなその唇を夜光が眺めていると――いきなり彼女が傷口に舌を這わせてきた。
桃色の舌で夜光の掌を嘗め回す。流れる鮮血を心底美味しそうに嚥下する喉の動きが艶めかしい。
ピチャピチャとわざと音を立てるノンネのその様は酷く背徳的で官能的だった。
あまりに唐突な出来事に硬直していた夜光は、その音が耳朶を侵食してきたことで我に返った。
「っ――何をする!」
「うぅん…………ぁは、申し訳ございません。あなた様の〝血〟がとても魅力的に見えてしまい、つい味見をしてしまいました」
思わず後方へ飛びずさった夜光が手を抑えて睨みつければ、ノンネは赤い唇をペロリと舐め、熱い吐息を溢して満足げな笑みを浮かべた。
「非常に美味でございました。完全なる覚醒がまだとはいえども、やはり〝夜の王〟の継承者なだけはあります。これなら十分、私の計画に使える水準です」
「……そうかよ、ならもういいだろ?」
「ええ、前払い分は確かに戴きました。約束通り、働かせて頂きますよ」
「じゃあ、これを。やってほしいことは全て中に書いてある」
〝天死〟の神権によって傷の癒えた手で懐を漁り、一通の便箋を取り出した夜光はそれをノンネに手渡す。受け取った彼女は仮面を戻しながら深々と頭を下げた。
「畏まりました。ではこれにて私は失礼させていただきます」
「ああ、頼んだぞ」
それを最後に瞬き一つの間にノンネの姿は掻き消えた。
夜光はしばらく彼女が立っていた場所を眺めていたが、やがて部屋の蝋燭を付けて回り帳をずらし、窓を解放した。
「……あいつは信頼はできないが、信用はできる。こと契約がらみだとな」
強烈な夏の太陽の残滓が残る風が頬に当たる。温い空気に前髪を弄ばせながら夜光は天を仰ぎ〝視〟た。
「全てを利用させてもらうぞ。大計成就の為に」
星の国――夜空に輝く月に手を伸ばして、
「沈まない陽など存在しないと、証明してやる」
力強く握りしめた。




