六話
続きです。
神聖歴千二百年七月二十九日。
エルミナ王国王都パラディース――王城グランツ地下。
連日続く軍議――今日の分を終えた夜光はルイ第二王子とセリア第二王女を伴って再び王城の地下を訪れていた。
その目的は先の軍議で話題に挙がった戦術級、戦略級魔法について調査するためである。
「――それで、ヤコウくん。キミが戦術級魔法や戦略級魔法について知りたいというのは分かるけど……どうしてボクとセリアを連れてきたんだい?」
「ルイ兄様の疑問は尤もだな。私とて暇ではないのだぞ、ヤコウ大将軍」
「お二人が多忙の身であるということは重々承知の上ですが、それでもお二人に話しておきたいことがあるんです。陛下も含めた――現エルミナ王家の方々にしか話せない内容なんです」
と夜光が言えば、ルイは何処か面白げに、セリアは怪訝そうに視線を送ってくる。
「……どういうことだ?ここには禁術の類を確認しにきただけではないということか?」
「もちろんそれもありますけど……もう一つ、話しておきたいことがあるんです」
「随分ともったいぶるじゃないか。即行動が常のキミにしては珍しいね」
「ええ……地上では誰に聞かれるか分かったものではないですからね。ここならエルミナ王家に連なる者しか入ってこれませんから」
その言葉に二人の王族は真剣な眼差しを若き大将軍の背に向けた。極めて機密性の高い話を夜光が持ってきたのだろうと察したのだ。
「ふうん……でもそれなら何でシャルが居ないんだい?彼女だって王族だろう?」
「……シャルには聞かせたくない話なんです。もし知られれば、絶対に反対されると俺は考えています。――シャルは、優しいですから」
「おやおや、その言い方だとまるでボクたちが優しくないと言っているようにも聞こえるけど?」
「〝魔器〟を持つ〝堕天〟した〝魔人〟に、〝神剣〟所持者……それほどの力を持つお二人が優しいとなれば世界はもっと平和になっているでしょうね」
場の空気を軽くすべく夜光が軽口を叩けば、ルイとセリアは顔を見合わせて笑う。
「はは、確かにそうだね。ボクたちみたいなのがシャルのような博愛主義者だったら、きっと世界は今よりマシになっているだろうさ」
「ふっ、そうだな。だが、お前とて我らと同類だろう、ヤコウ大将軍。〝王盾〟や〝王鎧〟だけじゃない、もっと強大な〝力〟をその身に宿すお前とて同じ穴の狢だ」
「…………お気づきでしたか」
どのみちこの二人には話すつもりだったが……よもや感づかれていようとは。
驚いた夜光は、しかしそれでも歩みを止めることなく言葉を続ける。
「確かに俺は世間一般からすれば異質と捉えることのできる力を有しています。ですが、それは万能のものではない。この戦局を打開できるほどのものじゃないんです」
「だろうね。もしそうなら今頃キミは一人でバルト大要塞に向かっていただろうし」
「……何故、そう思うんです?」
純粋に疑問に思った夜光が問えば、ルイは笑って答える。
「だって、それがヤコウくんという人間じゃないか。どれだけ自らが傷ついても顧みないくせに、大切な誰かが傷つくことは決して許容しない。それがキミという人間の本質だ」
「なんだそれは、自己犠牲の精神の塊じゃないか……これはシャルも苦労するな」
「キミもそう思うかい、セリア?」
「ああ、前途多難だな。いろんな意味で」
一体どういう意味か、そう夜光が尋ねる前に一行は目的地である地下神殿へと到達した。
中に入れば、かつて〝王鎧〟が安置されていた場所に威厳を放つ男性が立っているのが瞳に移りこむ。
「お忙しいところお呼び立てしてしまい申し訳ございません、陛下。ご足労、痛み入ります」
「良い、〝王の盾〟たるそなたの頼みであれば余は何処へでも向かおうぞ」
現エルミナ国王――アドルフはそう言って朗らかに笑った。
それに対して夜光が「恐縮です」と返せば、国王はやつれた顔にある顎鬚を撫でる。
「それはそうとヤコウよ、〝王鎧〟の件――本当に公表しなくて良いのだな?」
「はい、陛下。〝王鎧〟につきましてはこの場にいる方々のみの秘密、ということにして頂きたいのです。もちろん、折を見て公表すべきとは思いますが、今はまだ……」
夜光が〝王鎧〟の所持者に選ばれたという事実はこの場にいる三者――夜光を含めれば四者――しか知らないことである。
本来ならば国難の今、国宝たる神器に大将軍が選ばれたという明るい話題は士気を上げるためにも公表すべきことであったが、夜光自身が口外しないよう願ったのだ。
その理由は――、
「意表を突くためにも敵と直接交戦するまでなるべく秘匿しておきたいですし、それに――今後の計画を考えればこれが最善なんですよ」
「……計画、ね。それが先ほどお前が言っていた我々に話しておきたいことか?」
「はい、そうです。内容は今回の戦争でエルミナ王国がどう動くべきか、というものになります」
夜光のその言い回しに王族たちは一様に鋭い視線を向けてきた。三人は怪訝さがありながらも真剣な表情を浮かべている。
そんな彼らに向かって夜光はここが正念場と気力を奮い起こして説明を始めた。
「ここではなんですから、戦略級魔法が保管されているという禁忌指定保管庫へ向かいましょう。そこで私が考えていることを全てお話致します」
*****
翌三十日。
暗い話題が続く軍議の中で、夜光の重々しい声が発せられた。
「思った以上に敵の攻勢が激しいですね」
アインス大帝国は百万を超える大軍勢を以って連日のようにバルト大要塞に攻勢をかけている。
地上からは夥しい数の魔法や矢が放たれ続け、天空からは魔導戦艦隊が砲撃を撃ち続けていた。
今は地上のみならず空にも広がる青白い魔法障壁――戦略級魔法〝聖堅の盾〟が発動しているから敵の侵攻を食い止めることが出来ているが、このまま絶え間ない攻撃に晒され続ければ戦略級魔法といえどもいずれ破られてしまうと予想されていた。
(魔法省の予測ではこのまま何も手を打たなければもってあと一月、それまでに援軍を集める必要があるが……)
「各方面からの援軍はどうなっている?」
『敵別動隊に対処している北方を除いた各方面からの援軍ですが……残念ながら芳しくありません。やはり先の内乱において何処も疲弊しており、加えてこの不安定な情勢によって治安が悪化――そういった背景からまとまった兵力を抽出するのに時間がかかるとの報告が届いております』
「具体的にはどれくらいかかる見通しだ?」
『早くて三ヶ月はかかるとのことです』
「そうか……」
文官のその答えにセリア第二王女が落胆の吐息を溢した。もっとも、それは彼女だけではなく、この場に集う者たち全ての心境であろう。
『やはり戦略級魔法の解禁しかないのでは?』
『だが、禁忌指定されている戦術級や戦略級の魔法はその使用を固く禁じられている。貴殿とて〝アレーナの悲劇〟を知らぬわけではなかろう』
『それは……そうだが』
アレーナの悲劇。
かつて緑豊かな地であったエルミナ聖王国南域東部一帯が砂漠と化した事件のことだ。
戦略級魔法〝形あるもの全ては灰燼に帰す〟――何万という人の命を贄として発動されたその魔法は、当時エルミナ南域東部に出現し、猛威を振るっていたSSS位階の魔物を仕留めることには成功するも、一帯を焼き尽くし砂漠化させてしまった。
国が亡びるよりは……という苦肉の策であり、その決断を下した当時の聖王はその責任を取る形で退位している。
発動に多くの魔力――足りなければ人命を――使い、しかも地形や環境すら変えてしまう戦術級、戦略級魔法は当然ながら危険視され、世界各国では国家が一括管理することが決められた。
当事者であるエルミナでも管理され、国中にあった全ての戦術級、戦略級魔法は記された書物ごと王城グランツの禁忌指定保管庫に封印されたという過去がある。
(保管庫に納められていた魔法はどれも戦況をひっくり返すことのできる代物ではある。だけどどれも発動条件が厳しすぎるんだよな)
と、夜光は昨日見た王城地下での光景を思い浮かべて顔を曇らせた。
発動に何千、何万という人命が必要になるもの、発動後の環境が激変してしまうもの、そもそも封印が複雑すぎて解除できず取り出せないもの――等々、どれも取り扱いが難しいものばかりであった。
(けれど国が亡びるくらいなら――と彼らが考えてもおかしくはない)
だが、それは夜光としては避けたいところ。故に彼はここで場の流れを変えるべく口を開いた。
「確かに禁忌とされている魔法を使えば――犠牲や被害を飲み込んで、ですが――現状を打破できるかもしれません。ですがそれは最後の手段、まだやりようはあります」
『やりよう……ですか?失礼ながらヤコウ大将軍には戦力ではるかに勝る大帝国軍に対抗する策がおありなのでしょうか?』
「ええ、ありますよ」
不安を隠そうともしない若い文官の言葉に夜光は自信に満ちた態度でそう返した。
だが所詮は素人演技――夜光を見つめる者たちの視線は疑念、疑惑、猜疑に満ちたものが多数を占めている。
しかし、別にそれでも構わない。重要なのはいかにこちらの言葉を受け入れさせるかだ。
夜光は襲い来る心理的負担に胃を痛くしながらも表面上は笑みを繕ってみせた。
「以前から言っていますが、今回の戦争はまさしく国難といえるものです。敢えて言葉を選ばずに言いますと国家存亡の危機だと私は考えています。この危機を乗り越えるにはエルミナ王国が一丸となる必要がある」
王位継承を巡る派閥争いや利権争い――その必要性は夜光も理解している。だが、今はそのような些事に構っている暇はないのだ。
「東西南北、中央――それぞれ派閥があることでしょう。しかし今こそその垣根を越えて団結する時なんです」
ことここに至ってもまだ非協力的な貴族たちは意外と多い。そういった者たちへの牽制や警告を込めて夜光は告げている。
「各方面から援軍を出してもらい、その準備が整うまでバルト大要塞を死守する。その為には要である〝聖堅の盾〟を維持する必要があります」
戦略級魔法〝聖堅の盾〟があるからこそ戦力的にも技術的にも劣っているこちらが防衛に成功しているのだ。ならばその大魔法を維持することが目下最優先される。
「一先ず、今直ぐに動かせる兵力を動員してバルト大要塞の援護へと向かいます。王都にある有りっ丈の魔石を持っていって」
「…………なるほど、兵は単純に援軍として、魔石は〝聖堅の盾〟を維持する燃料として使うためだな?」
「ええ、その通りですセリア殿下。……そしてその指揮を私が執ります。発案者でもあり、国家を守護する任を担う大将軍たる私が」
そう宣言する夜光の態度は堂々たるもので、圧倒的な存在感を放っていた。
その威にのまれた文官や武官、貴族諸侯もそれが最善の案かと納得し始め周囲の者たちと囁きを交わし始める。
しかしやはりというべきか、クロードやテオドールなど一部の者たちは雰囲気にのまれることなく夜光に対して疑惑の眼を向けてきた。
そうした彼らが湧き上がる疑念を口にする――その前に、静謐な声音が場に放たれた。
「お待ちなさい、ヤコー大将軍。あなたの案では確実性に乏しいのではないですか?魔石は宝物庫にある物を出せば問題ないでしょうが……先の戦いでどの軍勢も疲弊しています。動かせる兵力は限られるでしょう。そのような僅かな兵力で向かっても焼け石に水、いたずらに犠牲を増やすだけではありませんか?」
「っ…………!」
まさか彼女が――夜光の主たる第三王女、シャルロットが指摘してくるとは思ってもみなかった。
夜光は動揺から咄嗟に言葉が出てこなくなってしまう――が、彼の代わりにルイ第二王子が口を開いた。
「もちろんシャルが指摘した事はヤコウくんだって考えたさ。でもね、それが最善なんだ」
その理由の一つは士気の低下を避けるためだ。エルミナの民や今まさに血を流している東方の兵の士気は日に日に下がっている。それは中央が何時まで経っても効果的な策を打たず、援軍すら送ってよこさないからだ。
「だけど武官の頂点である大将軍でもあり、第三王女の守護騎士でもある英雄が指揮する援軍を派兵したと知れば民や兵士たちは国が自分たちを見捨ててなどいないと確信することだろう」
「それにもう一つ――時間を稼ぐ必要があるんです。たとえシャルロット殿下が仰られたような事態になったとしても」
と、我に返った夜光がルイの発した言葉の後に続けば、シャルロットは息を呑んだ。彼の隻眼に宿る悲壮なまでの覚悟に気が付いたからだ。
「私や兵士、騎士たちは国家を守る任に就いています。たとえ死ぬ可能性が極めて高いとしても、戦いに赴かなければならない――それが武官の責任なんです」
武官が金を貰って国家に仕えているのはこういう時のためなのだ。何より自らが大切に思う存在を守るために彼らは立ち上がり剣を振るうのだ。
とはいえ――あまり不安がらせては夜光の出陣を反対されかねない。故に夜光は笑みを繕って大仰に肩を竦めて見せた。
「まあ、それはもしもの場合の話です。私自身死ぬ気はありませんし、共に戦ってくれる兵士を死なせる気もありませんから、大丈夫ですよ」
夜光がそう言えば、シャルロットは渋々といった様子で黙り込んだ。
きっと本心では納得していないのだろう。だが、これ以上の反論は要らぬ邪推を招いてしまうだけで得はない。
(理屈で否定せず感情に任せて反論してしまえば、シャルが〝守護騎士〟である俺を戦地に行かせたくないだけと皆に思われてしまう。それを実行してしまうほどシャルは子供じゃないからな)
王族であるシャルロットが追及の手を止めたことで、自然と後に続く者はいなくなった。
それに何よりクロードたちにも一定の理解を得られたのが大きかった。納得こそしていないが、さりとて明確に反論できるわけでもない――という心境が、彼らの表情から伝わってくる。
『……他に意見はありませんか?…………ないようですね。では、これよりヤコウ大将軍の提案を具体的に詰めていきましょう――……』
誰も夜光の提案を否定しないのを確かめた進行役の文官は一つ頷くと、援軍として送る部隊の選抜など細かい話に移ってゆく。
その声を聞きながら夜光は小さく安堵の息を吐いた。
(これで一先ず第一段階突破か……)
今後を考えた夜光は、己が計画を思い浮かべながら眼帯を撫でるのだった。




