三話
続きです。
軍議が終了し、大勢の人々が退出したことで場に静寂が訪れた。
夜光もまた退出しようと手元の資料を束ねて立ち上がる――とそこに待ったがかかった。
「ヤコウ大将軍、少しいいかな?」
「……なんでしょうか、セリア殿下」
声の主に視線を向ければ、セリア第二王女が席から立ち上がって窓辺に移動する姿を認めることができた。
彼女はそのまま窓の前まで向かうと両開きのそれを開け放つ。すると室内に籠っていた熱気が解き放たれ外気が入り込んでくる。夏真っ盛りのため生温いが、それでも健康的な空気が肺を満たしたため夜光は大きく息を吐いた。
(呼び止められたのは想定外だけど……ある意味好機か。ここで彼女の真意を少しでも知ることができれば……)
気持ちを切り替えた夜光は背後の扉が閉まっていることを確かめた上でセリア第二王女に向き合う。
すると彼女はこちらに向き直って薄く微笑んだ。シャルロットに似た美貌、されど纏う雰囲気はまったく別物である。包み込むような温かさはなく、あるのは獲物を見定める肉食獣の如き剣呑さであった。
「私はまどろこしいのは嫌いでね。だから単刀直入に問おう――お前はシャルとこの国、どちらを大切に思っている?」
「……質問の意図が分かりませんね。俺はどちらも大切ですが?」
「なら言い方を変えよう。お前はシャルかこの国か、どちらかしか救えないという状況に陥った場合、一体どちらを選択する?」
その言葉は夜光の胸に鋭く突き刺さった。先の戦いでノンネに言われた言葉が脳裏を過る。
(復讐も人助けも中途半端、か……。確かに俺は優柔不断が過ぎるな)
これからもシャルロットを護り続けることを選ぶか、それとも勇と〝日輪王〟への復讐を選ぶか。
前者を選んだとしても彼女自身を選ぶか、それとも彼女が護りたいと思っている存在を選ぶか。
「俺は……」
決めなくてはならない、選ばなくてはならない。どちらも失ってしまう――そんな最悪な結末にたどり着いてしまう前に。
「俺は…………」
思い浮かぶのはこれまでの過去とこれからの未来。ガイアとシャルロット――愛する二人の女性の微笑みが浮かんでは消えていく。
(勇の野郎が憎い、〝日輪王〟も憎い――殺せるなら今すぐにでも殺したいくらいに。でも……)
自分を苦しめた相手、愛する人を奪った相手――どちらも許せないと思う。
だが、同時にこうも思う。――彼らを追い続けるあまりシャルロットを喪うことになれば悔やんでも悔やみきれないと。
(ここでエルミナ王国に背を向けて勇たちを追えば、この国は――シャルはどうなる)
圧倒的な戦力差、隔絶した技術力――明らかにエルミナ王国の旗色は悪い。自分一人が居たところでそれが覆せるなどと驕る気はないが、それでも居れば事態を少しでもマシな方へと引っ張れるだろう。
(あの笑顔を、あの温かさを俺は覚えている)
見殺しになんてできない。見捨てることなんてできっこない。
絶望の淵に立たされた時、〝死眼〟の力に飲み込まれそうになった時――夜光が苦しい時、シャルロットはいつでも手を差し伸べてくれた。抱きしめてくれた。
(もう二度と――喪ってたまるかよ)
愛した人が目の前で喪われる――あの絶望はもう御免だった。
だから、シャルロットを護る、その為なら……。
「……俺は――シャルを選びますよ。たとえあなたやルイ第二王子と敵対することになろうとも」
背筋を伸ばして胸を張り、堂々たる態度で以ってこの国の第二王女へ告げる。
不敬も不遜もいいところだ。何せ一国の王族に向かって国より個人を選ぶと宣言したのだから。
しかし――、
「……ふっ、はは――ハハハハハッ!」
「…………何かおかしいでしょうか?」
セリア第二王女は呵々大笑した。極めて真剣に思い悩んだ末に決めた事をそのように笑われては夜光とて不愉快な気持ちになるものだ。
彼が表情を険しくさせて問うと、セリア第二王女は努めて笑いを収めて邪気のない笑みを向けてくる。
「いや、すまないな。お前の返事があまりにも清々しいものだったからつい、な。許してくれ、別にお前の決断を笑ったわけではないよ」
「……そうですか」
夜光が言葉少なに応答すれば、セリア第二王女は腰に手を当てて豊かな胸を張った。
「そうだとも。それに私が望んだ答えでもある」
「……もし、俺があなたの望んだ答えを言わなかったらどうしたんです?」
「決まっているだろう」
と、セリア第二王女が右手を前に突き出せば、いきなり彼女の手に黒剣が現れ握られる。彼女はその切っ先を夜光に向けて好戦的な笑みを浮かべた。
「その時はお前を斬るつもりだった」
「……随分と剣呑ですね。第二王女たるあなたが今、この場で大将軍を殺せば要らぬ誤解を生むことになるでしょうに」
「構わんさ。文句を言ってくる奴は叩きのめせば良い。それに、だ。〝守護騎士〟であるにも関わらず主よりも他を優先すると言う方が悪いんだよ」
「それは……そうかもしれませんね」
守護騎士の存在がどういったものであるかを鑑みれば、確かにセリア第二王女の考えはあながち間違ったものとも言えない。
故に夜光が苦笑を浮かべれば、彼女はそうだろうと頷きを返してくる。
「ヤコウ大将軍、お前のことはよく分かった。実に信用に値する男だ。……だから、シャルのことは頼んだぞ」
「言われるまでもありません。……というか、殿下はシャルのことを本当に大切に思われているんですね」
「意外か?」
「正直に言えば。あなたは一年のほとんどを寝て暮らしていたと聞いていますから、シャルと接する機会もそう多くはなかったのではと思いまして」
この際だ、セリア第二王女が敵か味方かをここで判断しようと夜光は尋ねる。
すると彼女は当然の疑問だと頷きを見せた。
「まあ、そうだな。生まれてすぐにこの子に見初められた私は床から起き上がることも儘ならぬ身だった。この子の特異性もあって父上――国王陛下はすぐに私を城の外れにある尖塔に隔離したこともあって、他の者に合う機会もあまりなかったし、陛下がどういった説明を周囲にしたかはしらんが、私の元を訪れる者もほとんどいなかった」
だが、とセリア第二王女は遠い昔を思い出すように眼を細めて窓枠に左手を這わせる。
「何事にも例外があるように、それにも例外があった。私の妹が――シャルが私の元を訪れてくれたんだ」
そう語る彼女の碧眼は過ぎ去った過去を慈しむように、あるいは嘆くように濡れていた。
「今でも昨日のことのように思い出せる。私が九つを迎えた日のことだ。当時五歳だったシャルが母上と共に私の部屋を訪れてな。母上は時間が空いた時に来て下さるから驚きはなかったが、シャルが来てくれたのは初めての事だった。突然のことだったから私も驚いてな。思わず聞いてしまったのだよ、どうしてここに――と」
そうしたらなんて答えたと思う――と聞かれたが、夜光は首を振るに留めた。この問いが答えを求めるものではないと気づいていたからだ。
「シャルはこう言った――この間覚醒したわたしの固有魔法でお姉さまを治してあげたい。だからお母さまにお願いしたの――と」
「……シャルらしいですね」
「だろう?あの時ほど私が他者を愛おしいと思ったことはない。あの時からシャルは私の一番になった。自らよりも大切な存在になったのさ」
人によってはそれだけのことで、と思うかもしれない。けれども夜光にはそれだけで誰かを大切に想うには十分だと思った。
「それからもシャルは何度も私の元にやってきてくれてな……本当に嬉しかったよ。いつも健気に固有魔法を私にかけてくれてな」
「……ですが、あなたの体調が優れることはなかった。それどころかある日を境に悪化し、完全に寝たきり状態になってしまったと聞いています。……一体何があったんですか?」
以前、シャルやルイ第二王子から聞いたことがある事実――それを口にすれば、セリア第二王女は自嘲気味に右手を見やった。そこには薄ら寒さを感じる魔力を放つ黒剣が握られている。
「この子の〝力〟を使いすぎれば体調が悪化する――そう分かっていた上で、私が〝力〟を使ったからだ」
「どうして――いや、何が起きたのですか?」
夜光がそう問えばセリア第二王女が一瞬、殺気を放った。烈々たるその殺気に向けられたわけでもないのに夜光の肌が粟立つ。
「母上が殺されたのさ。私はその殺した相手に復讐するために〝力〟を使い――一気に身を蝕まれてしまったというわけだ」
「……え、殺された?いや、でもルイ第二王子やシャルは――」
「あの二人は知らない。それどころか父上と私以外に知っている者はいないだろう。当時を知る者で生き残っている者は我々だけだからな」
驚くべき新事実だった。エルミナ王国において現国王の妻――すなわち王妃は故人であり、その死因は病死とされている。だというのにそれが違っていたなどとは思いもよらなかった。
「首謀者は王弟だった。愚かな奴は、当時国王である父上の政策に反対していた貴族たちに唆されて王位簒奪を目論んだのさ。その一環として、父上が心底愛していた母上の命を奪ったんだ」
「……だから〝力〟を使って殺したと?」
「そうだ。当時十歳だった私はこの子の〝力〟を引き出して王弟どもと戦った。たった一夜の出来事だ。王城から帰る途中だった貴族を拷問し、王弟どもの隠れ家を割り出して乗り込み――一人残らず殺してやったのさ。四肢を切り落とし、目玉を抉りぬいてやった。それから泣き叫ぶ奴らの首を刎ねてやった」
惨い仕打ちだ――と思いかけて夜光はその考えを否定する。きっと自分も憎い相手にならそうするだろうと思ったからだ。
「……それから奴らの妻子を始末しようと隠れ家を出ようとした時、父上が近衛兵を連れて踏み込んできた。きっと最初から私の動きはバレていたんだろう。この子を持つ私に監視を付けていないはずがないからな。…………父上は私に言ったよ、復讐は何も生まない。それが今お前にも分かっただろう――ってさ。けれどあの時の私はこう返した。確かに何も生まないが、不愉快な連中を消すことはできる――と」
「…………」
その時の激情を思い出したのだろう、セリア第二王女が握る窓枠が軋みを上げた。
「私には理解できなかった。奴らの妻子を始末しようとするのを止める父上が。だってそうだろう?母上があんなに惨たらしく殺されたんだ。ならば奴らも同じ責め苦を――いやそれ以上の苦痛を与えるべきだったんだ!」
「……王妃殿下はどのような仕打ちを受けたんですか?」
「…………拷問された上で殺されていた。両手の爪を一枚一枚剥ぎ、大勢の男どもに犯され、最後には目玉と心臓を抉り取られた上で雪降る外に打ち捨てられていた」
――それは想像を絶する仕打ちだった。あまりの惨さに泣きたくなってくる。人はそこまで非道な真似ができるのかと吐き気すら覚えた夜光は表情を険しいものへと変える。同時にそのことを彼女に思い出させてしまった自らの発言を強く悔いた。
怒気を必死に抑えるセリア第二王女は、何度も呼吸を繰り返してから言葉を続けた。
「怒りを抑えられなかった私にこの子が呼応して――父上を殺そうとした。それを止めるためにその場にいた近衛兵が全員死んだ。最後の一人が床に転がった時……私は我に返った。味方すら激情のままに手にかけてしまったことに気付いて、この子を取り落して意識を失った。……次に目を覚ました時には自室の寝台の上だった。侍女の報告を受けた父上がやってきてあの夜から二年が経ったと言われた時は流石に茫然としたな。思わず父上の前で泣き崩れてしまったよ」
とセリア第二王女は苦笑を浮かべてみせるが、無理をして繕ったその表情は見ている夜光が痛々しく感じるほど悲痛なものだった。
(慰めの言葉は言うべきではないな。俺はそれを言える立場にいない)
だから、代わりに夜光は話題を逸らすことにした。
「――それで、先ほどから〝この子〟と呼んでいるその剣が殿下の身を蝕んでいるように窺えましたが……それは神剣ですね?」
「……手厳しいな、お前は。女を慰めることもしないのか」
「俺は殿下を慰める立場にないですからね。それに――俺もまた殿下と同じですから」
「――なるほどな。初めて会った時からどこか見慣れた眼だと思ったが……そうか、私と同じ眼だったか」
肩を竦めて見せる夜光にセリア第二王女はフッと全身から力を抜いた。強張った頬にはいつもの自信に満ちた笑みが戻り、彼女は手にする黒剣を胸元まで上げて見せてくる。
「私はお前を信用することに決めた。その上で協力体制を築きたいと考えている。だから過去を話したわけだが……そうだな、この子についても話しておこう。この子の銘は〝呪殺〟。〝月光王〟が〝黒天王〟の力を借りて生み出した――〝人族〟の神剣さ」




