二話
続きです。
その後、主だった貴族諸侯や高官、王族などが軍議の間に集められた。
目的は一つ――アインス大帝国による侵攻について話し合うためである。
『では、これより軍議を始めたいと思います。尚、国王陛下には大事を取って頂き寝室にてお休み頂いております』
軍議の間――部屋の中心にある円卓に出席者が全員集ったことを確認した若年の文官が口を開けば、場が微かに騒めいた。
『先ほどは問題ないように窺えたが……やはり完治したというわけではないのか』
『オーギュスト第一王子らによって長年毒を盛られていたらしいからな。いくらシャルロット殿下の固有魔法といえどもすぐさま治せるというわけではあるまい』
ほとんどの者は国王であるアドルフの健康状態を不安視しているようだ。
(国王陛下は今年で六十五……この世界の平均寿命と比較してもそう長くはないだろう)
神聖歴千二百年現在、この世界における〝人族〟の平均寿命は七十歳である。そのことを踏まえた上で長年毒を盛られていたという事実を加味すれば先が長くないことなど誰でも予想できることだ。
(だけどもう少し生きてもらわないとな。少なくともこの国難を乗り越えるまでは)
政治の長である大臣――アルベールが死んだ以上、現在の政治の長は国王であるアドルフだ。彼まで死んでいたり、言葉すら発せない状態であれば更なる混乱が発生していたはず。そうなればこれほど早くこの国における主要な人物を纏め上げた上で軍議を開くことなど出来はしなかっただろう。
(オーギュストが死んだとはいえ、まだ王族が複数人生き残っているからな)
と、夜光は円卓に座る三人の人物に意識を向けた。
現在、この軍議に出席している王族は三人いる。
第二王子ルイ・ガッラ・ド・エルミナ――〝雪華〟の異名を持つ銀髪銀眼の中性的な容姿の青年。彼は夜光に敗退させられこちら側につくと明言してはいるものの油断はできない。何せ彼は未だにエルミナ北方を掌握しており、自身も〝堕天〟した〝魔人〟である上に魔器である〝悪喰〟の所持者だ。非常に愛国心が強い人物であり、国家を守るためならどのような手段にも打って出ることだろう。
(悪い人ではないんだけど……時々変な目を向けてくるからなぁ)
ルイ第二王子は夜光に倒されてからというもの、時折妙にゾクリとする眼を向けてくるのだが、夜光としては何故か悪寒がするので止めてもらいたいと思っている。
(彼はこちらが国益に反する真似をしなければ敵に回ることはないだろう。むしろ問題なのは……)
と夜光が向かって左手側に視線を向ければ、金髪碧眼の美少女の姿が黒瞳に移りこんだ。
第二王女セリア・ネポス・ド・エルミナ――古い時代の白い軍服に身を包み、鋭い視線で卓上の地図を見つめている。
彼女について夜光が知っていることはそう多くはない。生まれつき病弱でありほとんど人前に姿を見せたことのない王女だということや、先の戦いでノンネと戦うことのできる武の持ち主であるということが分かっている程度である。
(パッと見はシャルによく似ているけど、身に纏う雰囲気は真逆だな)
流石は姉妹というべきか、セリア第二王女はシャルロットと容姿が似ていた。しかしシャルロットが穏やかな雰囲気を放っているのに対して、セリア第二王女は剣呑な雰囲気を放っている。
(その理由は――おそらくあの黒剣だろうな)
先の戦いの折に彼女が持っていた黒剣を見る機会があったが、アレは異様な雰囲気を放っていた。神剣か魔剣か――とにかくなんらかの〝力〟を宿した武器であることは間違いないだろう。
(この世界において個人の武力は決して侮ってはいけないものだ。それに彼女の行動指針などはまったく把握できていない。警戒すべきだろう)
場合によっては今後話し合いの場を設ける必要さえあると夜光は考えていた。王位継承権を持つ王族である上、神剣所持者であるノンネと打ち合える武の持ち主を放置しておくわけにはいかないからだ。
『――それではまず現在の戦況についてご報告させて頂きます。四日前、隣国アインス大帝国は我が国に対して宣戦布告、それと同時に国境付近に集結していた軍勢を進軍させました』
進行役の文官が指揮棒を使って卓上にある駒を動かし始めたことで夜光の意識はそちらに向けられた。
『国境である〝天の橋〟を敵軍が越え始めたのを確認したバルト大要塞司令官、クラウス大将軍はエルミナ全土に向けて警告を発すると共に要塞に施されていた戦略級魔法〝聖堅の盾〟を発動、これによって敵軍の攻勢を押しとどめることに成功したとのことです』
『〝聖堅の盾〟……資料で見たことはあるが、実際に使用されたのは二百年前の要塞建設時における試運転しかなかったそうだが……きちんと起動してくれたというわけか』
一人の文官がホッとした声を上げれば、貴族諸侯らも安堵の囁きを交わす。
だが、一部の者の表情は険しいままである。夜光もまたその一部に含まれていた。
(〝聖堅の盾〟は確かに強力な防御魔法だ。だけどその護りは完璧じゃない)
この世に絶対などという事柄がないのと同様、バルト大要塞に施されている戦略級魔法も無敵というわけではない。
そのことを言おうかと迷っていた夜光だったが、テオドール公爵が先に口を開いてくれた。
「卿らにもご存じの者がいるやもしれんが……〝聖堅の盾〟の守護は万能ではない。かの大魔法は要塞全体を魔力によって編まれた強固なる障壁で覆うことのできるものであり、その防御力は生半可な攻撃では突破することは叶わない。しかしその起動に当たってはバルト大要塞各所に設置されている魔石に、長い年月をかけて蓄積された魔力を用いている。その仕様上から蓄積されている魔力を使い切ってしまえば魔法は途切れてしまうし、無論魔法の防御力を上回る攻撃を繰り出されれば破壊もされてしまうのだ」
『テオドール公爵……し、しかしですな、かの大魔法は試運転時には神剣〝天霆〟の全力攻撃にも耐え抜いたという記録が残されております。そうそう突破されることはないのでは?』
「いや、どうだろうね。仮にその記録が確かで〝天霆〟の攻撃に耐え抜いたのが事実だったとしても、それはあくまで神剣一振りのみによる攻撃だ。今や南大陸の東半分を支配下におくアインス大帝国なら神剣の二つや三つ有していると考えた方がいい。それにかの国は軍事国家――人材も豊富なことだろうから固有魔法の所持者だって複数人いるだろうさ。そんな連中が総出で攻撃してくれば……いくら戦略級魔法といえども耐えられるものなのかな?ボクにはそうは思えないけどね」
楽観的ともいえる発言をした貴族に対してルイ第二王子が私見を述べた。緊張感満ちる軍議の場にあって飄々とした態度を崩さない彼の発言は決して悲観的とは言えない。むしろ現実的と言えた。
(どんな魔法でも行使するための魔力が切れてしまえばそこで終了だ。それにこれまで実戦で使用されたことがないのだから、その防御力を過信することはできない。ルイ第二王子の発言は正論だな)
『な、なら……どうすればよろしいので?〝聖堅の盾〟があてにできないとなれば防衛はとてもではありませんが不可能ですよ?』
「どうすれば良いかなんて決まっているだろう。〝聖堅の盾〟が切れる前に援軍を送れば良い」
弱気な台詞を吐く貴族に鼻を鳴らしたのはセリア第二王女だった。
彼女は椅子から立ち上がると傍に置いてあった指揮棒を手に取って地図上の駒を動かしていく。
「現在のバルト大要塞の戦力は十万――いや〝征伐者〟の〝烈火騎士団〟を加えれば十一万か、とにかくそれだけの兵力があれば〝聖堅の盾〟を上手く使って何ヶ月かは持たせられるだろう。その間にエルミナ全土から援軍を集めバルト大要塞に送る。で、その戦力を以って決戦を挑み敵を国境まで押し返す。これしかないだろう」
「ところがそれも難しい……そうですな、ルイ殿下?」
「うん、非常に残念なことにね」
セリア第二王女の意見に大らかな性格で知られるモーリス将軍が否定を示せば、ルイ第二王子は首肯して立ち上がる。その手には便箋が握られていた。
「北方――レオーネ家当主ヨハンから手紙が届いた。これによれば北方の海上からエルミナ領土に向けて飛空艇――艦隊と呼ぶにふさわしい数の戦艦が進軍中とのことだ。吹雪による悪天候のため正確な数は不明なものの、少なくとも五百は下らないそうだ」
『五百!?』
これには驚愕を隠し切れないのか、誰もが顔を引きつらせた。無理もないことだ。エルミナ王国においてはつい先日やっと王国初の飛空艇〝オルトリンデ〟が実戦投入可能になったばかり。それに対してアインス大帝国は三桁もの飛空艇を――しかも軍艦用の――投入してきているというのだから。
(……やっぱり技術力に差がありすぎるな。これじゃ仮に戦力で勝っていたとしても勝てるか怪しいぞ)
エルミナ王国とアインス大帝国では魔導技術に大きな差があることが今回の侵攻で分かってしまった。しかもその差は一朝一夕で覆せる次元ではない。おそらくだが何世代もの開きがある。
その上――、
(こちらは先の内乱で大きく疲弊してしまっている。戦力的にも押されていると考えるべきだろう)
と夜光が眉間に皺を寄せていれば、ルイ第二王子が肩を竦めながら言った。
「これに対処する必要があることから北方軍は動かせない。何せ今回の相手はこれまで戦ったことのない空飛ぶ戦艦だ。どう戦うべきかも含めて未知数が多すぎる。そんな状況で戦力を割くわけにもいかないだろう?」
「……ルイ兄さまの言うことは正しいな。しかし、ならばどうする?先の内乱で最も損害が軽微だった北方軍が援軍として期待できないとなれば、そうとうに厳しい戦いになるぞ」
セリア第二王女の言う通りだ。先の戦いでは中央軍が三万、南方軍で一万もの兵士が戦死した。勝利した側である東方軍ですら五千もの戦死者が出ている。負傷者を含めれば戦力として数えられない兵士はもっと増えることだろう。それに無事な兵士であっても連戦続きで疲労が溜まっている。彼らは一旦休ませる必要があった。
(そうなると援軍としてすぐに動かせる戦力は極端に限られてくる。やっぱり無理か……)
夜光の中で今後選ぶべき選択肢が狭まってくる。それと同時にいくつか浮かんでいた案が纏まってきた。
『……講和を打診してはいかがでしょうか。敵になるべく有利な条件を提示すれば、あるいは……』
『貴様、まともに刃を交わす前から何を弱気なことを言っている!!』
『そうだそうだ!……まさか貴様、売国奴か!?』
『ふ、ふざけるなっ!言葉が過ぎるぞ貴様ッ!』
一人の文官の言葉に老いた武官が激昂したことで場が俄かに騒がしくなる。文官を擁護する声もあれば非難する声もある。そうかと思えばまったく別の意見を述べる者もいた。喧々諤々とはまさにこのことだろう。
(この場に集った面々はエルミナという国を想っている。それは確かだろうけど……)
国を想い国に尽くすといっても一括りにはできない。何故なら何を指して国と言うかが違うからだ。
(王家という象徴に尽くす者、国家という枠組みに尽くす者、民という実体に尽くす者――いろいろな考えの者がいる。だから今回の戦争をどうやって解決するかで意見が割れるんだ)
クロード、ルイ、シャルロットを順に見回した夜光は嘆息した。
呆れたのではない、あまりに困難な事態に直面したことで気が滅入ってしまったのだ。
騒然とする軍議の場、そこに静かな、けれども不思議と耳にするりと入る声が発せられた。
「皆さまの不安はよくわかります。けれどまだ一回目の軍議です、意見を交わしあうのは今回の軍議で出た情報を元によく考え、それから改めて次回にするべきではないでしょうか?」
金髪碧眼が美しい少女だった。十四歳という若さながら多くの将兵を従え、王位継承戦争に勝利した王女でもある。
彼女――シャルロット・ディア・ド・エルミナ第三王女は、未だ幼さの残る顔に微笑みを浮かべて場を見回した。
「もちろん、一刻も早く事態を打開しなければならないことはわたしも承知しています。ですが、ただ闇雲に言い合うだけでは時間の浪費――こうしている今も東方、バルト大要塞では国を護らんとする兵士の命が喪われているでしょう。そんな彼らに報いるためにも、わたしたちは建設的な話し合いをしなければならない――違いますか?」
シャルロットの口調は穏やかなものであったが、その言葉は痛烈な響きを孕んでいた。貴族諸侯や高官たちは己を恥じ入るように押し黙る。
夜光はここで口を挟むべきだと思い、素早くルイ第二王子に目配せをした。
「シャルロット殿下のお言葉は尤もだと私は思います。しかし大分時間も経ちましたし、皆様も連日のお疲れが溜まっていることでしょう。そこで本日の軍議は解散とし、明日に向けて英気を養うのは如何でしょうか?」
「そうだね、シャルの意見は尤もだとボクも思うし、ヤコウくんの提案にも賛成だよ。ボクたちは一旦、頭を冷やす必要がある」
「……私も同意見だ。今回出た情報を元に考えたいことも色々と増えたしね」
進行役の文官がシャルロットに視線を向ければ、彼女も頷いて了承の意を示した。
大将軍一名に王族三名が同意したことで、場の流れは決した。
『……では、本日の軍議はこれにて終了ということでよろしいでしょうか?』
進行役の言葉に皆々が頷きを示したことで、この場は解散となる。
だが、最後にセリア第二王女が手を上げて発した問いかけ、それに対する答えに場は凍り付いた。
「最後に一つだけ聞いておきたい。……現在判明している敵戦力は如何ほどなのか」
『……敵は戦艦が百ほど、地上戦力は――百万以上とのことです』




