二十話
続きです。
刹那、明日香の姿が掻き消え――悪寒が奔った夜光は咄嗟に〝王盾〟を頭上に翳した。硬質な音が響き、左腕に負荷がかかる。されど明日香による二刀の斬撃を防ぐことはできた。
「ぐっ……剣を収めろ、明日香!俺たちはこんなところで争ってる場合じゃない!」
「…………」
夜光がそう告げるも明日香は無言で剣圧を強めてくるだけである。
こうなった明日香を説得するのは骨が折れる。けれども悠長に話し合っている場合ではない。
夜光は舌打ちをすると〝天死〟を突き出した。すると明日香は躊躇いなく膠着状態を解くと後方へ飛び退る。
と、そこへクロードが放った斬撃が飛んでいく。〝王剣〟固有の能力であったが、明日香は〝髭切〟でなんなく撃ち落とした。
「明日香、本当にこんなことをしている暇はないんだ。退いてくれ!」
「…………」
体勢を整えながら夜光が叫ぶも、明日香は黙って二刀を構えるだけ。
しかし、直後彼が発した言葉に眉根をピクリと動かした。
「陽和ちゃんが危ないんだ。このままだと勇に襲われてしまう!」
「っ!?一体どういうこと……?」
さしもの〝剣姫〟も仲間の――友人のこととなれば戦闘中といえども聞く耳を持ってくれるようだ。
そのことに安堵しながらも夜光は状況をかいつまんで説明する。夜光が説得する様に彼女と敵対したくないのだなと察したクロードは銀剣を構えながらも黙っていてくれた。
「――というわけだ。だから退いてくれないか。一緒に来てくれとまでは言わない、ただ道を開けてくれるだけでいいんだ」
「そんな……勇くんが…………」
勇がこれまでやってきたこと、そしてこれからしようとしているであろう事柄を説明すれば、明日香は信じられないとばかりに目を見開いて茫然としてしまう。
(無理もないか。明日香は新と違って勇に対する疑念がなかったわけだからな)
明日香は戦闘能力が高く直感に優れた人物ではあるが、一度信じた仲間を疑うことをしない性格の持ち主だ。たとえ味方であっても疑いの目を向けられる新とは違って明朗快活な人柄といえよう。
そんな彼女にとって勇の背信は信じがたい出来事に違いない。
夜光は心中察するに余りあると明日香に同情の視線を向けつつも、彼女の信頼を裏切る真似をしでかした勇に対しての怒りを強めた。
「……ここの文官たちを殺したのはそこに転がっているオーギュスト第一王子とアルベール大臣だ。彼らは俺たちをも亡き者にしようとして襲い掛かってきた。だから反撃した。それだけなんだよ」
と告げながら俯いて立ち尽くす明日香の横を通り過ぎようとする夜光。もう彼女から戦意は感じられない。両手にある二振りの刀もだらりと下に向けられている。故に大丈夫だろうと判断した夜光は、明日香から注意を逸らした――その時だった。
彼の後ろを歩くクロードが明日香の左腕が動くのを目撃する。不味い、と声を上げようとする間もなく〝膝丸〟が夜光の背中を捉える――直前で半透明な蒼い盾が現出し、その一撃を防いだ。
けれどもそれは一瞬のことで、蒼き盾は破砕してしまう。だが、夜光が反応するには十分な時間、彼は驚きながらも身体を回転させて〝天死〟を振るった。
その一撃は明日香がもう一方の手に持つ〝髭切〟に防がれてしまうも、刃同士が激突した衝撃で彼女の身体は血海の床を後退させられた。
一体何の真似だ、と夜光が口を開こうとしたが、対峙する明日香が先んじて言葉を発してしまう。
「うそだ……嘘だっ!勇くんがそんなことするわけない!嘘を吐くな、この白髪野郎!大体、お前が夜光くんだって?そんなの信じられない。髪の色も、雰囲気も、何もかも違うじゃない!」
激情を顕わにする明日香に夜光は息を呑んだ。彼女がここまで激昂する場面などこれまで見たことがなかった。
「夜光くんの髪色は黒だった。雰囲気だって今みたいなドロドロした感じじゃなかったもん!夜光くんはもっと優しくて、穏やかな人だった!瞳だって、お前みたいに憎しみと怒りばっかりな黒眼じゃなかった!」
唖然としているのは夜光だけではない。クロードも困惑しており、どうすべきか悩んでいた。
「大体、その眼帯はなに?高校生にもなって厨二病でも発症したっていうの?それこそあり得ない。夜光くんはもっと大人な人だったんだから!」
シラガ、だのチュウニビョウ、だの言われた夜光が地味に心に傷を負うも、彼の理性は冷徹に状況を観察していた。
(明日香は明らかに冷静さを失っている。……今ならやれるか?)
信じがたいことであるが、明日香と遭遇してから今に至るまで〝死眼〟では何も〝視〟えていなかった。これまで対峙したどのような相手であっても必ず一つは相手を殺す未来が〝視〟えていたわけだから、いかに明日香が規格外の武を持つ者であるかがわかるというものだ。
しかし今は――と夜光は眼帯に覆われた左眼で感情を露わにする明日香を〝視〟やる。
(これでも一つだけ、か……。だが、一つあれば十分だ)
たった一つ、なれど一つもあるともいえる。
勝利する可能性があるのなら、後はその可能性を現実のものとすれば良いだけ。
夜光はちらりと肩越しにクロードへ視線を投げた。普段の明日香であればその隙を見逃すわけはないのだが、彼女は夜光のことを糾弾しまくっていて気付かない。
一瞬の視線、だがクロードにはそれで充分であった。
「ハァッ!」
気迫一閃――大上段から振り下ろされた〝王剣〟が斬撃を飛ばす。と、同時に夜光は〝天死〟を明日香めがけてぶん投げた。
突然の攻撃、しかも自らの得物を手放す暴挙に明日香の反応が遅れた。
しかし流石は〝剣姫〟というべきか、彼女の身体は無意識に迎撃行動に出る。〝膝丸〟で高速で飛来してきた白銀の剣を打ち払う――も、体勢が整っていなかったせいで掌から刀が吹き飛ばされてしまう。
それでよろめいた明日香であったが、続く〝王剣〟の斬撃に〝髭切〟で対応してみせた。だが、クロードが放ったその一撃は〝髭切〟の鍔に当たるよう計算されたものであった。
あっ、と目を見開く明日香の手元から〝髭切〟が弾かれた。もし彼女が冷静であったのなら、ここで即座に固有魔法を使い手元に二刀を出現させただろう。
だが、今の明日香は冷静さを欠いていた。驚きに顔を染める彼女は対応を遅らせてしまい――そこに夜光が突進を加えたことで、明日香は鮮血飛び散る大理石の床に倒されてしまう。
強かに頭を打ち付けた明日香に馬乗りになった夜光は、〝王盾〟の鋭く尖った先端を喉元に突きつける。
「降参しろ、明日香。抵抗は考えるなよ。お前が刀を喚び出すよりも、俺がお前の喉を破壊する速度の方が早いぞ」
「う、く……女の子に馬乗りになるなんてサイテーだね」
「軽口を叩く余裕はあるみたいだな。お前が負けたのはこれで二度目とはいえ、自尊心が刺激されないのか?」
「……それを知ってるってことは、本当に夜光くんなんだ」
「だからそう言ってるだろ」
明日香がその生涯において敗北を喫したのはたった一度だけ。しかも元の世界における出来事だ。
たとえ〝勇者〟の内のだれかがこの世界の住人に伝えたとしても、それはオーギュスト第一王子陣営の者にだろう。であればその勇者の弱みになりかねない情報は秘匿されるはず。となれば敵である東方軍所属の者が知ることができる可能性は限りなく低い。
それを理解したのか、明日香はジッと夜光の隻眼を見つめてくる。夜光は眼を逸らさず彼女の黒曜石のように美しい双眸を見返した。
やがてそこに何かを感じ取ったのか、明日香は大きく息を吐くと表情を緩めた。
「……わかった。信じるよ、あなたが夜光くんだってこと。だけど全部信じたわけじゃない」
「ああ、わかってる。だから信じてもらうためにも付いてきてくれ。そうすれば俺の言ったことが嘘かどうか手っ取り早くわかるだろ?」
「うん、そうだね……。じゃあ退いてくれるかな。いつまでもこの体勢なのはちょっとどうかと思うし」
ジトッ、とした目で言われた夜光はそういえばと右手の感覚を今更ながら意識した。明日香を抑え込むために〝王盾〟を持った左手は彼女の首元にあり、右手は胸を破壊できるようにと柔らかな膨らみの上に置いていたのだ。しかも力を込めていた所為か、がっちりと乳房を掴んでしまっている。
現状を理解した夜光が頬を引きつらせれば、明日香は黒い笑みを浮かべて右手を振り上げた。
「覚悟はいいかな、夜光くん?」
「……あ、はい」
轟音と共に宙を舞った夜光はこう思った。――これは勝利したとはいえないな、と。




