十九話
続きです。
戦いが終息していく。
剣戟の音は止み、喊声は途絶えた。微かに聞こえてくるのは負傷者が発する怨嗟の声くらいなものである。
王位継承戦争最後の戦い――エルミナ王国中域中部クロイツ平原における会戦は終わりを告げようとしていた。
(嫌な風だな……)
新が駆る軍馬に跨っている夜光は頬を打つ生温い風に不快感を覚えて嘆息する。周囲には中央軍別動隊だと思われる兵士たちが立っていたが、彼らは新の姿を認めてかこちらを制止する様子はない。
視線を正面に向ければ、新の肩越しに王都パラディース――その南門が見える。常人離れした夜光の視力は南門が僅かに開いているのを認めた。
「……開いているな」
「陽和ちゃんか勇か――いや、その両方が通ったんだろう。じゃなかったら無防備に開いているはずもない」
夜光が漏らした疑問に新が律義に答えてくれる。その言葉に同意見だと彼の肩を軽く叩いた夜光は視線を上向ける。
相変わらずの曇天が広がる空――そこにポツンと浮かんでいるのはエルミナ王国唯一の飛空艇〝オルトリンデ〟である。
(確か一月くらい前に最終飛行試験が終わって運行可能になったんだったかな)
この時期に飛空艇が使えるようになったのは僥倖といえる。けれどもそれは今は関係ないと、夜光は空に浮かぶ艦艇から視線を外して再び前を向いた。
「見張りがいない……?」
「この状況じゃ好都合だ!今は誰にも止められたくないからな!」
長年王都を防衛してきた四重の城壁――〝四聖壁〟には誰の姿も見当たらない。
だが、急いで勇を追いかけるこちらとしては問題ではない。背後のクロイツ平原での戦闘も終結した以上、両軍の兵が王都内を荒らす心配もないだろう。
新は手綱を引っ張って減速をかけると南門前に到着する。門は開いているとはいえ片側が僅かに開いている程度で、かろうじて馬が通れる程度の幅しかない。故にゆっくりと軍馬を歩ませて王都内へと進んでいく。
四重の城壁を越えれば大通りに出た。戦時下であるためか人気はまるでない。けれど兵士すら一人もいないというのは異常と言えた。
「……嫌な予感がする」
誰もいない王都の中央街路を駆けていく中で夜光が不意に言った。
先ほどから――王都に入ってからずっとチリチリとうなじに違和感を覚えているのだ。加えて所持する〝王盾〟と〝天死〟も主に警戒を促すように振動している。
それは新が持つ〝干将莫邪〟も同様なのか、所持者である少年も同意だと言ってくる。
「ああ、俺もだ。それにこの感じ、どこかで……」
過去にも似たような感覚を覚えた場面があった。だが、それがどういった場面であったかが思い出せない。
手綱を握りながら記憶を辿る新。そんな彼の後ろに座する夜光の眼が王城グランツ――その前に位置する大広場に向けられる。大きな噴水が中央にある場所だったはず――と思った時、その噴水の前に何者かが立っているのを見て声を上げた。
「新!正面に誰かいるぞ!」
「っ!?あれは――……」
見覚えのある姿に記憶を刺激された新はハッと思い出す。この異様な状況、そして二度も煮え湯を飲まされた相手の笑みに彼は怒りの声を発した。
「ノンネ……お前かッ!!」
「ふっふふ、お久しぶりですねぇ〝闇夜叉〟。あの時の傷がすっかり癒えたようで何よりです」
流れる水を背に両腕を広げて歓迎を示すのは、外套を纏いし女性――ノンネであった。
その仕草、その台詞に新は過去の敗北を思い起こして憤怒に燃える。されど、思考は冷徹であり彼は顔は向けずに夜光に告げた。
「夜光、ここは俺が引き受ける。お前は先に行け」
「……いいのか?勇は、お前が止めたかったんだろう?」
「本当はな。でも陽和ちゃんが関わってくるとなるとお前の方が適任だ」
何故、という視線を察したのか、新は矢継ぎ早に言葉を発した。
「もう分かっているだろ、勇は陽和ちゃんに恋をしている。だから邪魔なお前を殺そうとまでした。それに……あいつは最後まで俺に何も言ってはくれなかった。もう、俺じゃ止められないんだ」
そう告げる新の声音は悲しさ故か怒り故か震えていた。
(無理もない。新と勇は幼少期からの付き合いだ。その関係は親友といってもいい。そんな相手が罪を犯した上に何も話してくれないとなればキツイだろうからな)
察するに余りあるその心境に夜光は同情した。けれども今は話し合っている時間はない。
夜光が新の提案を受け入れたと同時に彼は馬を止めた。それから二人そろって下馬すると、笑みを浮かべているノンネに近づいた。
「新、ここは任せた」
「ああ……その代わりに勇を頼む。陽和ちゃんも助けてやってくれ」
新と素早く視線を交わしあった夜光は王城へと続くつり橋へと駆け出す。ノンネはそれを止めるべく動こうとするも、前方から強烈な殺気を浴びせられて静止した。
「おやおや……随分と熱烈な視線ですねぇ。興奮してしまいますよ」
「……お前の相手は俺だ。よそ見するんじゃねえよ」
ノンネを睨みつけた新はゆっくりと腰から二刀を抜き放つ。黒き刀身は近づく夜の気配に喜びを示すが如く震えた。
その動きを見て取ったノンネは嘆息交じりの吐息を溢した。
「参りましたね。まもなく夜――となれば〝干将莫邪〟の独壇場となってしまいます。それにあなたも以前とは覚悟のほどが違うようですね?」
「まぁな。……もう、腹をくくる必要があるんだよ。迷ってる場合じゃねえからな」
「男子三日会わざれば――ですか。いやはや、昔から人族の男の成長は著しいですねぇ」
と肩をすくめるノンネを無視した新は、深々と息を吐いてから――告げた。
「我は影、見えざる闇なり」
固有魔法〝絶影〟が発動し、新の姿が掻き消えた。
その異常な光景を前に、ノンネは挑発交じりの声を発する。
「さて、以前のような無様は晒さないでくださいね。流石の私でもうんざりしてしまいますから」
――その言葉に、返ってきたのは鋭い斬撃だった。
*
新と別れた夜光は堀にかかるつり橋を渡って王城内部へと足を踏み入れた。
(ここも王都内と同じで人の姿はない、か……)
しかし、王都の南門と同様に少しだけ開いていた正門を抜けた先に広がる光景に彼は思わず足を止めた。
「これは…………」
王城正面玄関――広い空間を持つそこには多くの人の死体が転がっていた。赤絨毯はその色彩を更に強めていて、壁にも鮮血が飛び散っている。
風が吹いていないためか、血の匂いと死臭が交じり合うことで吐き気を催す空気が滞留していた。
夜光が顔を顰めながら死体を注視すれば、刃物で切り付けられた跡があることが分かる。
(殺ったのはノンネじゃないのか……?)
ノンネがこれまで刃物を使った場面など見たことがない。それに彼女の得物はあの奇妙な雰囲気を放つ短杖のはずだ。
だとすれば一体誰が――と夜光が思った時、その答えが奥の蝋燭の消えた薄暗い廊下からやってきた。
王族のみが纏うことを許された豪奢な服を身に纏う細身の男と、この国の文官の頂点たる大臣位を示す紋章が縫われた貴族服の男の二人組である。
その恰好、何より素顔に夜光は見覚えがあった。
「オーギュスト第一王子に……アルベール大臣か」
この場に彼らが姿を見せたという事実と、王城への侵入者を阻むように立っていたノンネ――これら二つを繋ぎ合わせれば、彼らが共謀していたことが察せられる。
力ある者と手を組むのは決して間違いではない。けれどもその相手がノンネであるならば話が変わってくる。
ノンネが何者であるか、薄々察しがついていた夜光は眼前の男たちに向かって吐き捨てた。
「隣国――それも敵国になりかけの国家の奴と手を結ぶとは……呆れたな。それでもこの国の王子と大臣かよ」
「「…………」」
夜光の侮蔑にオーギュストもアルベールも反応を示さない。無駄に自尊心が高い二人にしては妙だなと夜光が怪訝そうに眉根を寄せた時――彼らの瞳に光がないことに気付く。
表情も虚ろで生気がまるで感じられない。まるで屍人のようだ、と馬鹿げた考えが脳裏を過って――ハッとなった。
「まさか……ノンネの〝力〟で操られた兵士と同じなのか――っ!?」
「「ウゥ……アァアアアアア!!」」
夜光がそう呟いた瞬間、オーギュストとアルベールが一斉に突進してきた。
彼らの手には長剣が握りしめられていて、刺突を放ってくる。
だが、動きがあまりにも直線的過ぎた。まるで追い詰められた犯罪者がやけくそで向かってきたかのような単調な動きだ。
多くの修羅場をくぐり抜けてきた夜光からすればあっさりと見切れる動作、故に彼は足を軽く動かして突進を躱すと、鞘から抜き放った〝天死〟を下からすくい上げるように振るう。
すると音もなくオーギュストの両腕が切り落とされる。攻撃を躱されたアルベールがその横から更に剣を振り上げてくるも、夜光は第一王子を蹴り飛ばして脇に退けると起動させた〝王盾〟でその一撃を受け止めた。
想定以上に重い一撃に夜光は一瞬驚くも、すぐさま盾で押し返してがら空きになった大臣の首に刺突を放った。
恐るべき切れ味を誇る白銀の刃はアルベールの首に突き刺さった。だが、驚くべきことに鮮血は噴出しなかった。そればかりか彼は突き刺さっている白銀の刃を両手でつかんだのだ。そのようなことをすればどうなるかは明白で――アルベールの両手の指はボトボトと床に落ちていく。
激痛どころの話ではないはずだ。だというのに大臣の顔色は変わらず虚ろなままで、苦悶の声を漏らすこともなかった。
その異様な光景に思わず夜光の思考が停止してしまう。と同時に、床に倒れこんでいたオーギュストが夜光の腰に飛びついてきたことで、彼は強かなに頭を打ちながら床に倒れこんでしまう。
「ガッ!?」
「ウゥウウウウウ――!!」
視界に火花が散った。同時にこの状況が危機的であると本能が警鐘を鳴らしている。
しかし強く頭を打ってしまったためか、意識が朦朧としておりすぐに身体を動かすことができなかった。
そんな夜光の首元に噛みつこうとオーギュストが唸り声をあげて――、
「オーギュスト殿下、お許しを!!」
「――――」
白刃一閃――銀の閃光が夜光の視界を過った。
遅れてオーギュストの身体から力が抜け、同時に意識を取り戻した夜光が膝を曲げて勢いよくその身体を蹴り上げた。
宙を舞う第一王子が視界から消える中、今度は見慣れた精悍な顔つきを認めて安堵の息をついた。
「クロード、助かったよ」
「うむ、間一髪であったな。怪我はないか、ヤコウ」
そう言って手を差し伸べてきたのは夜光にとって戦友である男――クロード・ペルセウス・ド・ユピター大将軍である。
頼れる兄貴分の手を借りながら立ち上がった夜光は感謝を告げてからふと疑問に思って口を開く。
「あれ、そういえばクロードは何故ここに?」
「そなたが王都に向かったとの知らせを受けてな。追いかけてきたのだ」
「そっか……何はともあれ助かったよ、ありがとう」
「うむ、だが――気を抜くにはまだ早いぞ」
そう言ってクロードが視線を向ける先では、首に穴を開けたアルベールと頭部のないオーギュストが立っていた。
信じがたいその光景に夜光は冗談だろと言いたげに口端を下げた。
「首を落としても死なないのか……何かいい手はある?」
「……幸いと言って良いのか、再生はしないようであるから両手両足を切断すれば一先ず身動きは止められるであろうが……」
「時間がないから、それでいくか。こいつらに構っている暇はないからな」
「というと?」
と訊ねてきたクロードに、夜光は現状をかいつまんで説明する。すると彼は表情を険しくさせて頷いた。
「そういうことであれば時間はかけられぬな。では、不敬を承知でお二方を斬らせて頂こう」
そう告げたクロードが手にする〝王剣〟を四度振るえば、四つの斬撃が飛んでいきオーギュストとアルベールの両手と両足を容易く切断した。
バタッと床に倒れた彼らは芋虫のように蠢いてはこちらに近づこうと試みるもまったくと言っていいほど前に進まない。
その光景を前に夜光は嫌悪から眼を逸らし、クロードは己が罪を忘れないようにとジッと見つめてから頭を下げた。
律義な男だ、と思いつつ夜光は大臣たちがやってきた奥の廊下に視線を移す。
と、ほぼ同時に王城が激震に揺れた。
夜光は一瞬地震かとも考えたが、すぐにそれを改める。
何故なら、城の奥から凄まじい覇気が突き抜けてきたからだ。
「……クロード、今の、感じたか?」
「ああ、某も確かに感じた。尋常ならざる力と力の激突――その衝撃であろうな」
この先にいるであろう人物で、ここに至るまでに見ていない人物たちが衝突したのだろうと二人は察した。
(ノンネと新は王城前の広場に、オーギュスト第一王子とアルベール大臣はここにいる。となれば――勇と陽和ちゃんか)
その組み合わせであればどのような理由で刃を交えたのかは予想がつく。勇が強引に迫り、陽和が拒絶したのだろう。であれば急がなければならない。
夜光はクロードを促して先に進もうと一歩前に踏み出して――背後から高速で迫ってきた強大な気配に足を止めた。
直後――突風と共にその気配が頭上を飛び越えた。
気配の正体は人であった。彼女はゆっくりと血の海に降り立つとこちらを無視して周囲を見回す。無数に転がる文官たちの死体と床で蠢いている第一王子と大臣の姿を認めてその表情を険しいものへと変えた。
それから夜光とクロードに鋭い視線を投げた彼女は二振りの刀を現出させる。
夜光にとっては見覚えのある刀だ。元の世界で何度も見たことのある名刀――〝髭切〟と〝膝丸〟。
「明日香…………」
「〝剣姫〟殿、誤解なされるな。これは――」
今、彼女が浮かべている表情がどういった物かを察した夜光は頬を引きつらせ、クロードがこの場の惨状を説明しようとする中で、彼女――江守明日香が刃の如き声を発した。
「問答無用――死んで償え、賊が」




