十六話
続きです。
一方その頃、王城グランツではノンネがクロイツ平原の様子を窺っていた。
「フッフフ……なるほど、これは中々に面白い状況になってまいりました」
第一王子の私室に置かれた長椅子にだらしなく寝そべっていたノンネは笑い声を溢した。
その素顔を覆う白き仮面の奥底では双眸に愉悦を漂わせている。
「……やはり現状で神域に最も近いのは〝剣姫〟ですかねぇ」
四人いる勇者の中で彼女だけが異様に突出している。
武も、技も、精神も――何もかもが他の三人とは違うのだ。
「その在り様は唯一無二……あの〝雷帝〟や〝天の王〟とはまた違った高みに至る可能性がある。もちろん〝夜の王〟ともまた違った……ね」
自らの目的に至る為の鍵――ようやく見つけたそれにノンネは喜びを隠せない。
このまましばらく悦に浸っていたかったのだが、そうも言ってられない状況でもある。
「さて、そろそろ介入するとしましょうか。頃合い、でしょうしねぇ」
クロイツ平原における会戦は次なる局面に入ろうとしていた。
その結果何が起きるのか、予想していたノンネは徐に起き上がると壁際に眼を向ける。
そこには一人の文官が立っていた。彼の瞳は虚ろで、何処を見ているのか定かではない。
「オーギュスト第一王子の名において命じます。〝勇者〟ユウ・イチノセとヒヨリ・アマジキの二名を大神殿まで連れてきなさい」
『は……直ちに……』
ノンネが告げれば文官は感情を窺わせない声色で命令を受諾し、のろのろと部屋から出て行く。
その背を見送ったノンネは続いて窓際に棒立ちになっていた二人の男に命じる。
「オーギュスト第一王子、アルベール大臣、あなたたちも大神殿に向かいなさい」
「「…………」」
返事はなかったが、彼らはゆっくりと首を振ってから部屋を後にした。
「ふっ……哀れなものです。権力にしがみつき国政を乱した者の末路としては当然とも言えますが……彼らは一応はこの国を想って行動していたわけですから、あまり責める気にもなれませんねぇ」
彼らはよく頑張ったとノンネは一定の評価を下している。けれども見落としが多かったのもまた事実だ。
勇者召喚に巻き込まれた不運な少年を取るに足らない存在だと判断したのがそもそもの間違いだったのだ。
「まぁ、〝三種の神眼〟所持者や〝王〟でもない限り予測できませんよね。よもや〝彼〟が〝王位〟を継承し、更には第三王女の元に身を寄せるなどとは」
巻き込まれて異世界に召喚された単なる凡人は、今やこの世界の運命を大きく左右する存在にまで至った。
「つくづく思い知らされますよ。運命とはままならないものだと」
されどこの先、この国に待つ未来だけは定まっているようなものだとノンネは確信していた。
第一王子陣営、第三王女陣営――どちらが勝利しようともエルミナに光輝く未来はない。
「はたしてその時が訪れたら……あなたさまはどのような選択をなされるのだろうか」
ノンネは白髪の少年を思い浮かべると開け放たれていた窓の外を見やって眼を細めるのだった。
*****
暗躍するノンネが思い浮かべていた少年こと間宮夜光は、怨嗟の声満ちる戦場のど真ん中で荒々しい息を吐いていた。
『ウラァアアアッ!!』
「ハッ!」
正面から刺突を放ってきた敵兵の喉笛を〝天死〟で掻っ切れば、朱い液体を噴き上げながら人体が地に転がる。
槍を扱いてくる者には穂先を〝王盾〟で弾き、がら空きになった懐に潜り込んで心臓を破壊してやる。飛んでくる矢は全て盾で防いで見せた。
あまりにも常人離れした武威を見せつけられれば誰しも臆してしまうものだ。
現に中央軍は夜光率いる東方軍中央部を押しているというのに、彼の周りだけ明らかに人が少ない。
戦闘が始まってから中央軍の兵士たちが否応なしに理解させられていたからだ。あの年若い大将軍に近づけば殺されると。故に最前線の狂乱の最中にあっても兵士たちは本能で彼を避けていた。
敵からすればなんとも恐ろしいことであったが、味方においては逆である。
作戦通りとはいえ、徐々に後退している東方軍の士気が未だ保たれているのはひとえに彼のおかげと言えた。
大将軍であり第三王女の〝守護騎士〟という高い地位にいながら、一兵士たちを守るように最前線に立ち続け剣を振るう夜光の姿は、東方軍兵士たちからすれば希望の光に見えているのだ。
白銀の粒子が舞い、蒼光が輝く。その光が消えない限り敗北はないと、誰もが信じ切っている。
兵士たちにとって彼はまさしく守護神、現代に降臨した新たなる〝王の盾〟だと誰もが認めていた。
(とはいえそろそろ限界が近いんだが……まだか?)
いくら高い士気を維持しているとはいえ、それで兵士たちの疲労が消えるわけではない。
戦が始まってからずっと第一陣の兵士たちは戦い詰めであり、彼らが疲弊しているのは表情を見れば一発でわかる。
(第二陣は存在しないんだ。ここを抜かれれば本陣まで一直線、だから絶対に突破されるわけにはいかないんだけど……)
周囲を見回せば大地には夥しい数の死体が転がっている。鎧の紋章から察するに東方軍の兵士が多いように感じられた。
嘆息する夜光であったが、不意に前方から強大な気配を感じ取って意識をそちらに向ける。
中央軍兵士たちの波を割って出てきたのは二人の人物だった。
「報告通りの容姿……あなたが〝王の盾〟ヤコウ大将軍で間違いないのかしら」
「……そうだと言ったら?」
と、夜光が茶髪碧眼の女性に返せば、その隣に立つ見慣れた少年が驚愕の色濃い表情を浮かべた。
「本当に……夜光、なのか?」
「ああ、久しぶりだな。元気にしてたか、新」
苦笑を浮かべながら肯定すれば、少年――宇佐新は瞠目してこちらを凝視してくる。
その驚きようは無理もないことだと夜光は思う。絶死の〝大絶壁〟に落ちたあげく、髪の色が変わり左眼は眼帯で覆っているという有様なのだ。こうして直接会うまでは半信半疑だったのだろう。
けれども顔を合わせ、容姿とは違い変化していない声を聴くことで確信したのだろう。目の前の男が正真正銘、同じ世界出身の旧知であると。
「お前……どうして……何故生きている?」
「その言いようはないだろ。勇の奴から何も聞いてないのか?」
「……あいつからはお前が地竜に吹き飛ばされて奈落に落ちたとだけ聞いている」
そのあまりにも予想通りの答えに夜光は呆れ半分、怒り半分から鼻で笑ってしまった。
「はっ、やっぱりそういうことにしたわけか。本当に屑野郎だな」
「それは一体どういう……?」
「その表情――本当はお前も薄々気付いてはいるんだろう?勇が嘘をついているってことにさ」
「…………」
黙り込む新であったが、この場合の沈黙は肯定と同義である。
夜光は抑え込んでいた怒りを込めながら大きく息を吐くと真実を告げてやる。
「地竜に吹き飛ばされたってのはあっている。けど、それは全てではない。あの時、地竜によって俺と勇は吹き飛ばされ、奈落へ落ちかけた。しかしその直前で勇が崖を掴み、反対の手で俺を掴むことに成功していたんだ」
その後陽和の声が聞こえてきたことで助けが来たことが分かった時は安堵したものだ。だが――、
「勇は陽和ちゃんが自分ではなく、俺の名前を呼んだという事実に嫉妬心を刺激され、掴んでいた俺の手を離したんだ」
「な――そんな……!?」
「嘘じゃないぞ。あいつは言ったんだ。僕と彼女の未来の為に消えてくれ――ってな」
「っ……!?」
クシャリと新は顔を歪めた。その表情は突きつけられた現実を受け入れたくないと、信じたくないと叫んでいる。
けれども事実は事実だ。それに新も素直に夜光の言葉を受けいれたということは心のどこかで勇に疑いを持っていたのだろう。だが信じたくなかった。当然だ、勇と新は親友という深い関係にあるのだから。
(それでも俺の言葉を信じてくれたか。……やっぱり新は感情と理性を上手く制御できる奴だな)
もしも勇と新の立場が逆で、この場に居たのが勇だったのならおそらく夜光の言葉を信じなかったに違いない。感情的になり、現在の関係が敵同士という点を挙げて否定してきただろう。
「……新、俺は勇のことを許せない。あいつのせいで俺は死にかけたあげく左眼を失った。必ず報いを受けてもらう。だけど、今じゃない。今はこの戦いに決着をつける方が先だ」
「ああ……そうだな」
「だが、お前はオーギュスト第一王子の言葉を信じてそちら側に立っているんだろう。それに彼が庇護者だから、というのもあるだろうが……とにかく、この場で説得できるとは俺も思っていない」
「……なら、どうするつもりだ?」
未だ混乱している様子だが、戦意までは失っていないようだ。新はこちらに警戒の眼差しを向けてくる。その両手は両腰に吊るした二振りの双剣の柄に添えられていた。
同じく成り行きを黙って見守っていた女性も腰に下げている剣柄に手を伸ばしている。
まさに一触即発といった雰囲気――されど、夜光は〝天死〟を構えることなく、その剣先を地面に向けて獰猛な笑みを浮かべた。
「決まってるだろ?力づくでねじ伏せるんだよ」
「……どうやってだ?こんなにも押されているのに」
怪訝そうな新と何かを探るような目つきの女性に、夜光は肩をすくめてみせる。
「押されている?引きずり込まれているの間違いじゃなくてか?」
たった一言、されど聡くまた戦経験豊富な女性――アンネ将軍はハッとした表情を浮かべた。
「まさか――」
「アンネさん……?」
疑問符を浮かべる新に、夜光は助言をくれてやる。しかしその隻眼は彼ら二人の背後に向けられていた。
「新、疑問に思わなかったのか。何故、ここまで劣勢にあってもクロード大将軍が出てこないのかを」
「……なんだって?いや、でも〝王の剣〟はそちらの右翼にいるはずだろう?〝光風騎士団〟がいるんだから」
「それは性急な判断と言わざるを得ない。〝光風騎士団〟の姿があるからといってもクロード大将軍がいるとは限らないじゃないか」
「は?だ、だが〝光風騎士団〟の指揮権は〝王の剣〟のみが持つはずじゃ……」
「確かに指揮権を持つのはクロード大将軍だけだ。けれど戦が始まる前にクロード大将軍が右翼にて戦えと指示を出し、その後直接指揮を執っているのが副団長だとすればどうだ?」
「そ、そんなことできるわけが――」
「それができるんだよ。まあ、考えてみれば当たり前のことなんだ。エルミナ王国に四人しか存在しない大将軍、その中でも〝王の剣〟と〝王の盾〟はその名の由来となった神器所持者でなければなれない。神器が所持者を選ぶという特性上、代替わりに時間がかかってしまう。なら当然その二名が不在の期間があるわけだ。その間、一体誰が四大騎士団を指揮するんだ?」
「あっ……!そういうことか」
何故騎士団なのか、何のために副団長なんて役職があるのか。それらを踏まえれば自ずと答えは見えてくる。
「つまりどこどこの戦に参加するとか、あるいは今回のように基本的な指示さえ大将軍から命じてもらえれば、現場では副団長が指揮を執れるってわけだ。……さて、それを踏まえて問おう。今、クロード大将軍は一体どこにいると思う?」
笑みを深める夜光に、アンネ将軍はもう悟ったのだろう。顔に焦りを浮かべて新に告げようとするも――、
『でっ、伝令!伝令にございますっ!!』
中央軍本陣から――否、その背後から一際大きな喊声が聞こえてきたと同時に、伝令兵が必死の形相でアンネたちに駆け寄ってきた。
「どうしたんですか!?」
『わ、我が軍の後背から突如として騎兵部隊が強襲をかけてきました!数にして二千、ですがその先頭にはあの〝王の剣〟クロード・ペルセウス・ド・ユピター大将軍の姿がありますっ!!』
「な、んだって――!?」
驚愕の声を上げる新。アンネ将軍は既にその答えに行き着いていたためか、驚く様子は見られないが悔し気に唇をかんでいた。
そんな二人を嘲笑うかのように夜光は感謝の言葉を述べた。
「俺を過大評価してくれてありがとう。おかげで本陣からお前たち二人を引き離すことに成功した。お前らが本陣にいない現状ではクロードを止められる武将はいないだろうからな」
〝王剣〟を持つクロードが率いる騎馬部隊。数は二千と少ないなれど、不意をついたあげく指揮官が前線に出向いており不在、という状況なら本陣を落とすのはそう難しいことではない。
そう説明してやればアンネ将軍が掌を握りしめながら震える声を吐き出す。
「……つまりあなたは囮だったというわけね。私たちをおびき出すための」
「正解です。付け加えるなら第一陣が押されるように見せかけながら徐々に後退したのもそのためです」
東方軍は中央軍の猛攻により押されていた――わけではない。敵戦力を前線に集中させるため、敵の眼を中央部にひきつけておくためにわざとそのようにみせかけただけだ。
初めから弓なりに中央部を突出させたのもクロード率いる別動隊が敵本陣の背後に回るための時間を稼ぐためだ。通常の横陣で横一列に部隊を並べるよりも、中央部だけ盛り上げておくことで後退する距離と時間を稼いだのだ。
「信じられないわ……それはかなり危険な策よ。一歩間違えばどうなることか……」
「ええ、そうですね。正直賭けみたいな側面もありましたよ」
この作戦、何が危険かというと押されてくぼみになった中央部に敵が集中するという点である。兵力が集中するということはそれだけ中央部が激しい攻撃に晒されるということでもある。第二陣である魔法使いの部隊を本陣の守りに割いた以上、そこが抜かれれば後は本陣まで一直線。総司令官を討たれて終わり、ということも十分にあり得た。
「ま、そうさせないためにも俺がここにいるわけですけどね」
「待った!そうだとしてもおかしいだろ。別動隊は一体どこから回り込んだんだよ。このクロイツ平原は小さな丘こそあるけど、二千もの騎馬部隊を隠せるほどのものじゃない。一体どうやったんだ!?」
新の疑問は尤もなものだ。しかしその答えは至って単純である。
「王都を使ったんだ。王都を隠れ蓑にして反時計回りにそっちの本陣を目指したってわけ」
王都パラディースは四重の城壁で囲まれており、その城壁の高さと分厚さから反対側を見通せなくなっている。すなわち王都南側に位置するここクロイツ平原からでは王都自体が邪魔になって東、北、西がほとんど見えない。
「そっちが王都と連携してたのならバレていただろうけど、あいにくと連携どころか連絡すら途絶しているって情報は掴んでいたからな。利用させてもらったぜ」
夜光の説明に遂に新は絶句してしまう。
そんな彼に代わって今度はアンネ将軍が口を開いた。
「でもまだよ。まだ終わってないわ。私たちが罠にはまっても南方軍がいる」
「ああ、そっちについても対策済みですよ。対勇者用に編成した魔法使いだけの部隊が、先ほど本陣を急襲しようとした〝雷公〟を追い返すことに成功したと報告がありましたからね」
「……そんな。ユウさんほどの武力があれば――」
「東方軍に属する魔法使いからとびきり優秀な者を三千選抜した部隊ですからね。いくら固有魔法に神剣を所持していようともそう簡単には突破できないでしょう。ましてや足手まといの部下を率いていたのなら」
勇一人でならあるいは突破できたのかもしれない。しかし報告によれば彼は一万もの兵を連れてきていたという。
(いくら奴が糞野郎とはいえ、流石に一万もの人命を見殺しには出来なかったんだろうな)
と、勇を思い浮かべた夜光が不快げに眉根を歪めていれば、アンネ将軍は僅かに動揺を見せながらも毅然とした態度を崩さず言った。
「だとしてもまだアスカさん率いる主力がいるわ。今頃、彼らはあなたの左翼をついているはず」
「それについても報告がありましたよ。左翼に向かってきていた南方軍主力はルイ第二王子に阻まれた、と」
「――ルイ第二王子、ですって……!?」
参謀長として兵に動揺を見せないよう努めてきたアンネであったが、ここにきて遂にそれが破れてしまう。虎目石の如き茶眼を見開いて驚愕を露わにしている。
当然といえば当然の反応だ。何せ表向きはルイ第二王子は身柄を解放され、北方に帰還したとされている。遥か北の大地にいるはずの彼が中央にいることだけでも驚きだというのに、この間まで戦っていた東方軍の軍門に下って轡を並べているというのだから、アンネからすれば信じがたいという心境だろう。
「しかも南方軍の攻撃を受け止める重要な役目を果たす左翼を任せるなんて……!」
「ルイ第二王子とは色々とありましてね。まあ、信頼はできませんが信用はできる。そう判断してのことです」
銀髪の青年の笑みを思い浮かべて夜光は肩をすくめる。ルイ第二王子は腹に一物抱えてはいるだろうが、シャルロット第三王女を玉座に据えるという点で一致している。ならば助力を拒む理由はない。
(拒む余裕がなかったということもあるけど……彼のこの国を護るという意思は本物だと感じた)
祖国を護るという彼の意思は誠のものだと夜光は直感していた。おそらくエルミナ王国の為ならば命さえも投げ打つであろうとさえ予想している。
「さて……残る俺の役目はここであなたと新を足止めするということだけですが……投降してはもらえませんか?もはや大勢は決したはずです」
現在、中央軍は背後からクロード大将軍率いる騎馬部隊に襲われることで退路を断たれ始めている。
そこに強襲成功を受けた東方軍第一陣の両翼が翼を畳むように左右から圧迫し始めたことで、包囲網が完成しつつある。そうなれば後は包囲殲滅――すなわち虐殺の始まりとなってしまうだけだ。
「頼みの南方軍もルイ第二王子が操る魔器によって足止めされています。勇率いる別動隊も少なくない損害を受けて後退している。後は魔法使い三千の部隊でその別動隊を牽制しつつ、包囲殲滅を終えた残る全軍でもってルイ第二王子の援護に回ればお終いです」
勇者の存在と、未だ無傷の陽和率いる三万の別動隊は懸念事項ではあるが、前者はそれぞれ足止めに成功しており、後者はたとえ今から伝令を送って救援を要請したところで距離的に間に合わないだろう。
と夜光が告げれば、アンネ将軍は苦し気に顔を歪めた。
(考えていることはなんとなくわかる。今から抵抗すれば確かに勝機がないわけではないからな)
勇者という強大な武力を有する個人を上手く運用し、陽和率いる別動隊の到着まで持ちこたえればあるいは、といったところだろう。他には眼前にいる夜光を討つことで第一陣を動揺させ、一気に中央部を突破してこちらの本陣に迫るというのもありだろう。
だが、どちらを選んだとしても多大な犠牲が出てしまう。それはこの先対外戦争を見据えているオーギュスト第一王子とアルベール大臣の望まぬところだろう。
(それに何より不確定要素が多すぎる)
勇者は未だ固有魔法と神剣を完全には使いこなせていないし、陽和率いる別動隊を動かしてしまえばもし本当に王都に東方軍側の戦力があった場合、背後を突かれてしまう危険性がある。
ならば夜光を討って、となるがそもそもアンネ将軍と新の武が彼に勝っているという保証がない。勝てれば良いが、負けたらその瞬間敗北が確定してしまう。
だが、今降伏を受け入れ投降すればこれ以上の犠牲は出ない。戦後処理だってそこまで不利にはならないだろう。
可能性と現実性、現状と未来予測――それらを踏まえた上で決断しなければならない。
その葛藤を察したのか、黙するアンネ将軍を新は剣を抜かずに待った。
……やがて、顔を上げたアンネ将軍は意を決したように夜光の隻眼をキッと見つめた。
「……降伏勧告を受け入れるわ」
「アンネさん…………」
「ごめんなさい、シンさん。でもこれ以上の犠牲は出せない。それに……私だってオーギュスト殿下のお言葉には思うところがあるもの。いくら戦争に勝ちたいからってあなたたちのような若者を最前線に立たせるのはおかしいと、私は思っているわ」
呟かれた本音は異世界から召喚された者を慮るものであった。故に新もそれ以上何も言えずに黙りこくり双剣の柄から手を離した。
新にだって思うところはある。それに何より今は親友を問いたださなくてはならない。もはやこうして夜光が生還した以上、うやむやにしてはいけないと考えていた。
「ご決断、感謝致します。ではこちらも軍を退かせますので、そちらも……」
「ええ、中央軍も退かせるわ。南方軍にもすぐに伝令を送って――」
とここでアンネ将軍は目の前の少年があらぬ方向を向いていることに気付いて言葉を止めた。
その見開かれた隻眼の視線の先を追って振り向けば、中央軍の間を一頭の騎馬が駆け抜けていく姿を認めることができた。
白馬に跨る金の鎧を纏いし黒髪の少年。その姿は見覚えがある。
それは隣に立つ新も同様だったのか、彼は驚きの声を上げた。
「勇……?何故こんなところに?というかどこに向かって――いや、まさか」
向かう先は北――そこには王都があり、その前には勇が想いを寄せる少女がいる。
「まさかあいつ陽和ちゃんのところに行くつもりか!?」
勇は別動隊を率いて東方軍の本陣を急襲するも敗退したという。ならば南方軍本陣に戻るのが普通だが……敗退による挫折や戦場の独特な気に当てられて正常な判断力を失っているとすれば。
「不味いかもしれない。……すみません、アンネさん。俺、あいつを追いかけます!後の事はお任せしても大丈夫ですか!?」
「え、ええ……後は私だけでも大丈夫よ。モーリス将軍と協力してこの戦を終息させるから」
「ありがとうございますっ!」
そう言った新は乗ってきた軍馬を呼び寄せると騎乗する。この先に待つ展開を考慮してなるべく力を温存すべく神剣の力は使わないようにするためだ。
手綱を握って駆け出そうとして――夜光に呼び止められた。
「新、俺も乗せてくれないか。陽和ちゃんが心配だし――なによりあいつを放ってはおけない」
「けど、お前はこの後が――」
「それは問題ない。今第一陣に戦闘停止を命じたところだ。本陣とクロードのところにも伝令を送ったから、俺がいなくとも戦いは終わる。――アンネ将軍、あなたを信じます。あなたの正義と新たちを思いやる心を」
夜光が何を言いたいのか、察したアンネ将軍は強張っていた頬を緩めて苦笑した。
「初対面、しかも今の今まで敵対していた相手に言う言葉じゃないわね。でも……分かったわ。天下の大将軍にこれだけ言われたんだもの、その期待を裏切るような真似はしないと約束する。剣にかけて――必ずね」
剣にかける――エルミナ王国の騎士にとってこれほど重い言葉はそうはない。故に夜光は頷くと新が馬上から差し伸べてきた手を握って彼の馬に跨った。
「行くぞ、夜光。飛ばすからしっかり摑まってろよ!」
「ああ、頼むぞ新!」
そして遂に再会を果たした彼らは勇の後を追って共に王都へと向かうのだった。




