十三話
続きです。
戦の始まりを告げる角笛の音色が鳴り響く。それは生暖かい風に乗ってクロイツ平原全体に轟いた。
「遂に始まりましたな」
「…………」
「おそらくですが、この一戦が王位継承戦争における最後の戦となるでしょう。勝利した方が官軍となる」
「……………………」
「……姫殿下?如何なされましたか?」
「…………えっ、い、いえ!なんでもありませんよ?」
小高い丘の上に構えた東方軍本陣――そこに置かれた司令部たる大天幕、その外にはシャルロット第三王女とテオドールが立っていた。
今しがた東方軍第一陣を前進させる合図として角笛を吹かせたテオドールは、己よりも少し前に立っていた主に声をかけたわけなのだが、反応がいまいち悪い。
どうにも集中しきれていない様子だ。今朝、起床して大天幕に姿を見せてからこの方ずっとこの調子である。僅かに頬を赤らめ、左手を口元に当てている。時折何かを思い出したかのように首をブンブンと振っては顔を下向けていた。
明らかに様子がおかしい。けれどもいくら尋ねようともはぐらかされてしまう。
答えてくれないのならば仕方がない。そう割り切ったテオドールはこれ以上の追及を止めて話題を変えた。
「作戦通り、第一陣中央が前進を開始しました。続いて両翼も緩やかに前進を始めることでしょう」
「敵軍の様子はどうですか」
流石は最高司令官というべきか、戦についての具体的な話を始めれば、意識を切り替えて望んでくれた。
碧眼を正面に向け、未だ幼さの残る美貌に真剣な表情を浮かべている。
テオドールはそんな主の姿に頼もしさを覚えながらも問いかけに応じた。
「敵軍もこちらの前進に合わせて動き始めたようです。正面からは中央軍が、左方からは南方軍が向かってきております」
東方軍は本陣に二千を置き、第二陣として三千の魔法使いのみで構成された部隊を配置し、残りを全て第一陣に投入している。
陣形は平原での会戦におけるもっとも基本的な形である横陣を取っていた。
対して東方軍と向かい合う中央軍が選んだ陣形も同じく横陣である。
どちらも同じ横陣であるならば通常、兵数に勝る方に軍配が上がりやすい。そのため王都方面へと向かった三万を除く五万でこちらに挑まなければならない中央軍側が不利になるのだが……。
「それは友軍である南方軍が居なかった場合の話です。おそらく敵の作戦は中央軍五万でこちらの攻撃を抑え、その間に南方軍に横合いから突撃させることで瓦解させようというものでしょう」
手柄を得ようという考えではなく、あくまでオーギュスト第一王子陣営として南方軍と協力する姿勢だ。
下手に欲をかくことなく、堅実に、確実にこちらを潰そうとしている。
「流石はアンネ将軍といったところでしょうね。基本に忠実で、無理をしようとはしない。間諜に噂を流させたことで三万も主戦場から外すことはできましたが、それ故にこちらに単独で挑もうとはしてこないのでしょう」
密偵から敵軍が王都との連絡を取れていないという情報を齎された東方軍は、戦が始まる数日前から間諜を敵陣に忍び込ませ、王都との連絡が途絶えたのは王都内にいる東方軍の味方が妨害しているからだという噂をばらまかせた。
同時に〝王の盾〟が指揮権を持つ〝銀嶺騎士団〟が王都から出撃してくる、というハッタリも流したことで敵戦力の分散に成功していた。
〝勇者〟天喰陽和を指揮官とした中央軍別動隊三万が王都に向けて進軍を開始したのである。
けれども三万が減ったとはいえ、未だ戦力差は歴然。敵軍との差は二万五千も開いていた。
「一方、モーリス将軍が指揮を執る南方軍ですが、こちらは偃月陣を選択したようです」
偃月陣は真上から見ると三角形の形をしている陣形だ。
突出部を敵軍に向けており、その先頭に指揮官を配置する。そのため士気は高くなるが、指揮を執るのが困難になるという欠点があった。
けれども今回、南方軍はその欠点を補っている。指揮官と副官である二人の〝勇者〟が指揮を執るのではなく、最も後ろの部隊にいる参謀長であるモーリス将軍が指揮を執ることで、だ。
「遠見の者によれば南方軍の先鋒には副官である〝剣姫〟アスカ・エモリがいるとのことです。指揮官である〝雷公〟ユウ・イチノセの姿は見えないそうで、それが懸念ではありますが……それ以外は想定内です」
遠見の魔法が使えれば見つけることができるかもしれないが、こういった大規模戦闘では両軍が遠見の魔法を使うことで干渉しあい、打ち消されてしまうためそれは不可能だ。その為、双眼鏡という遠くの物を拡大して見れる魔導具を使って見るしかないのである。
テオドールの報告に頷いたシャルロットは視線を右翼側へと向けた。
「クロード大将軍から連絡はありましたか?」
「は、開戦前に伝令が。問題なく行動しているとのことです」
「そうですか。……敵方に感づかれていると思いますか?」
「いえ、敵軍の動きを見る限り大丈夫でしょう。もし感づかれていれば必ず動きがあるはずですから」
此度の一戦において東方軍が決めた作戦は非常に危険度が高いものだ。下手を打てばあっという間に全軍が瓦解してしまうような案であった。
けれどもそれ以外に良案が思いつかなかったのも事実である。兵力で劣っている以上、馬鹿正直に真正面から挑んでも敗北するだけ、危険を冒す必要があった。
「誰か一人でも欠ければ、その時点で敗北は必至となりえる。……綱渡りのような戦いになるでしょう」
「そうですね。ですが――わたしは必ずや成功すると思っています」
歴戦の武将であるとはいえども、長年戦場から離れていた為かテオドールは緊張しているようだった。
しかし反対に、主であるシャルロットは自信に満ちた様子で眼下に広がる戦場を見下ろす。藍宝石の如き双眸は先行する第一陣中央部を見つめていた。そこには彼女が最も信頼を置く人物がいる――。
*
〝王国の至宝〟とも評される第三王女が見つめる先――東方軍第一陣中央部、すなわち最前線では軽装歩兵部隊の指揮を夜光が執っていた。
鎧は纏わず、戦闘用の身軽な貴族服を着用し、腰には白銀の剣を吊るしている。
生ぬるい風に白髪を弄ばれながら、黒き隻眼で迫りくる敵軍を見つめていた。
『ヤコウ大将軍、本陣から合図が。作戦開始地点に到達したとのことです』
「そうか、よくわかった。全軍に通達、前進を停止しその場に待機せよ」
『はっ、直ちに!』
伝令の騎兵が夜光の指示を受けて駆けていく。
まもなく大旗が曇天に打ちあがり、進撃していた第一陣が停止した。
そんな第一陣を頭上から見れば中央を突出部として弓なりになっていることがわかるだろう。
「……だが、真正面で対峙する中央軍からは相変わらず横陣に見えているはずだ」
この弓なりは非常に緩やかなもので、パッと見てではわからない。特に正面からなら尚更である。
側面に位置する南方軍からなら見えるだろうが、この距離では攻撃開始までに伝令を送ることは間にあうまい。
「さて……ここからが大変だぞ」
夜光が指揮する第一陣の役割は敵を受け止めることにある。しかもただ受け止めるだけではないところが難易度を格段に引き上げていた。
夜光が長い息を吐いて緊張を程よく緩めていれば、敵先頭に位置する兵士の顔が見えてきた。こちらが前進を止めたことに疑問を抱いているのが、彼らの表情から読み取れる。けれども指揮官からの指示は変わらないのか、そのままこちらへ向かってきていた。
「敵中央は歩兵、両翼には騎兵か。堅実な戦い方を好む将軍が相手だとは聞いていたけど、ここまで基本に忠実だとはな」
敵軍の構成を見て取った夜光は感心したとばかりに感嘆の息を吐いた。
中央の先頭には軽装歩兵を配し、その後ろに重装歩兵がいる。彼らに守られる形でその後方には弓兵と魔法使いの部隊が存在していた。
両翼には機動力と突破力に優れた騎兵を配置し、最後尾には騎士に守られた首脳部がいる。
(副官である陽和ちゃんは三万を連れて王都方面へと向かった。指揮を執っているのはアンネ将軍という人物だろう。となれば――中央軍で脅威となりうる個人は新だけか)
宇佐新。
固有魔法と神剣を有する危険な存在であるが、その〝力〟のどちらも夜光はよく知っていた。
(固有魔法については勇者全員のものを俺とクロードが知っていたからな……)
神剣〝干将莫邪〟と〝天霆〟についても伝承からではあるが、その力を知ることができていた。
(いきなり新が出てきてくれれば最善なんだが……そうもいかないだろう)
四人の勇者の中で最も慎重さを持つのが新である。彼ほど油断や隙といった言葉から遠い人物は中々いないことを夜光は知っていた。
(まだ緒戦――こちらの出方を窺うだけに留めるはずだ)
夜光は迫りくる敵軍を見据えると、片手を挙げる。
「投槍、構え!」
声を張り上げて指示を下せば、背後にいた軽装歩兵たちが手にしていた投げ槍を一斉に構えた。
胴体を横に向け、上半身を大きく逸らす。槍を持つ右腕を後ろに、左手を肘の部分で折り曲げる姿勢を取る。
そうしたこちらの動きを見た敵軍最前列の兵士たちは盾を構えてそのまま進み続けてくる。その姿からは恐れといったものが見えなかった。
(よく訓練されているな。それに敵の部隊長クラスの連中に迷いがない。犠牲を払ってでもこちらを仕留めようという気概が伝わってくる)
相手にとって不足なし。夜光が獰猛に口端を吊り上げた――その時。
大量の馬蹄が大地を揺らした。同時に大きな喊声が響きわたる。敵両翼と、こちらが第一陣とは別に動かしていた両翼の騎兵部隊が激突したのだ。
夜光は歩兵より先んじて火蓋を切った両翼には目もくれず、敵歩兵との距離を注意深く図っていた。
そして遂に投げ槍の射程距離に敵歩兵の足が踏み出された――!
「今だ、放て!」
指揮官たる白髪の大将軍の命令を受けた軽装歩兵が一斉に槍を投擲した。空に放たれた無数の槍は、敵兵の眼には天空一面を覆う死に見えたことだろう。
『ぎゃああ!?』
『くそがっ、こんな盾じゃ防ぎきれねえぞ!』
『怯むな!投槍は一回きりだ。そのまま距離を詰めて切り込めッ!』
敵最前列は悲鳴と怒号の嵐であったが、隊列が決定的に乱れることはなかった。
すぐさま各部隊長の的確な指示の下に前進を再開してくる。
だが、こちらもそれは想定内。夜光は続けて軽装歩兵部隊に指示を出せば、兵士たちは腰に吊るしていた袋から掌大の石を取り出して投げ始める。
人力による投石、なれど決して馬鹿にできない威力がある。槍ほどではないが、人が投げる石というものは思いのほか脅威となるものだ。特に相手が軽装歩兵であれば、被害は甚大なものとなる。
『がっ!?』
『痛てぇ!?ちくしょう、やりやがったな!』
『長くは続かん!押し込めぇっ!!』
投槍、投石による敵軽装歩兵の被害はそれなりに大きなものだったが、部隊が崩れるほど致命的なものではなかった。
夜光は軽装歩兵に後退を命じながら怪訝そうに眉根を寄せる。
(何故向こうは同じことをしてこないんだ?)
奇妙であった。軽装歩兵を最前列に置くのならば今しがたこちらが行ったような攻撃をさせるべきなのだが、敵兵は初めから投擲する槍や石などを所持していなかったのである。
被害を被ろうとも愚直にこちらへ駆けてくる。その表情は決死――とその時、夜光は違和感の正体に気付いた。
(敵兵が――一斉に俺の方に向かってきている!?)
敵兵の突撃する先がこちらの正面――ではなく、夜光がいる場所に集中していることに気付いて慄然とした。
同時に敵の思惑を悟った夜光は苦笑いを浮かべる。
「……なるほど。最前線に俺がいることに気付いていた――いや、予測していたのか」
隣国アインス大帝国の将校とは違って、エルミナ王国の将校は基本的に部隊後方で指揮を執ることがほとんどである。だから普通ならこのような最前線に指揮官が――それも大将軍ほどの格を持つ者がいるとは考えない。
けれども敵はこれまでの夜光の戦歴を調べたのだろう。それを元に今回も前線に出張ってくると予測し、討ち取るためにこのような装備にしたに違いない。
「本当に優秀な敵が相手だと面倒しかないな」
夜光は嘆息しながら白銀の剣を抜き放つ。同時に左腕で待機状態だった〝王盾〟を起動させた。
「重装歩兵部隊、前へ。弓兵部隊は射かける準備をせよ!」
指揮官として指示を下しながら、夜光は覇気を滾らせて不敵な笑みを浮かべた。
「我が名はヤコウ・マミヤ。〝王盾〟に選ばれし大将軍である!我こそはと思う者はかかってくるが良い。苦痛なき死を与えてやろう」
そして両軍は――激しく激突した。




