出逢い
二
暑い一日が終わり、速見は同僚の山内に軽く行こうとさそわれた。行きつけのパブが満席だった。しかたがなく、その並びの小料理屋に入った。
『一膳』と染めぬかれた少し入りにくそうな藍色の暖簾がかかり、戸を引くと「いらっしゃいませ!」と威勢の良い声がかかった。
客は奥の席に一人とカウンターに和服の女性が一人だけだった。
座ったカウンター席の前から改めて若い板前から声がかかり、注文をすませると、隣の女性客に気づいた。紺の絽の着物、淡い茜色の帯に、あげられた襟足が白く、それでいて明るい雰囲気がただよった。それが妙子であった。
速水はその雰囲気から、どこかの店のママが、店の誰かと知り合いで来ていると思った。気にはなったが、山内と仕事の話に終始し、一時間程度で切り上げた。
「ありがとうございました!」
と、背中に声を受け、山内は次の約束があると、店の前で別れた。
さて、と煙草に火を付けようとして、ライターを店に忘れたことに気づいたその時だった。店から先ほどの着物姿の女性が小走りに飛び出してきた。
「アッ…」といって真正面でぶつかってしまい、速水は妙子を抱きとめる形になった。
「忘れ物」 「すみません」とお互いの言葉がぶつかり合い、思わず吹き出した。
妙子の手には速水のライターが握られていた。どこにでもあるジッポのシルバー、表面にピアノの彫りがある。
「ありがとう」と速水が礼を言うと、
「こちらこそ、弟がお世話になって」
ライターを受け取りながら、速水は妙子がカウンターの板前の肉親であることを知った。
「いえ、今日がはじめてなんです」
「あら、そうでしたか。文也はお名前も言わなかったので……」
「速水といいます」
「ぶしつけですが、お名刺をいただけますか?」
速水は妙子が文也と兄弟であることまではわかったものの、妙子の仕事がわからず、名刺を渡しながら、
「あなたは、この店の?……」
とつぶやいた。
「アッ、すみません」
「わたくし文也の、……店の板前の姉で島本妙子と申します」
短い会話で、速水は妙子がお茶の稽古の帰りであることと、また店で会いましょう程度のことを話して別れた。
印象に残った大きな瞳と、人なつっこい笑顔、そして淡い香水のかおり。それが妙子との出会いだった。
しばらく仕事にながされ、ふとした夕方に妙子から電話があった。会社への外線なので、最初は『一膳』と取り次がれた。
『先日はありがとうございました』
と、電話の女性の声に戸惑ったが、妙子であることにすぐ気が付いた。
「いえ、こちらこそ」
と答え、手元の予定表を確認した。
『あれからいらっしゃってないと、文也が申してました』
「仕事が立てこんでいて……」
と語尾を濁すと、
『お忙しいのね、今日お茶のお稽古帰りに文也の店によろうかと思って』
『速水さん、よろしかったら七時くらいにいかがかしら?』
断る理由はなかった。
一膳に行く前に、”アモルファス”という近くのカフェで待ち合わせることにした。なんだか、”同伴出勤”みたいだなと苦笑しながら、カフェのドアを押すと、いつものように軽いタッチのピアノJAZZが流れ込んでくる。奥の方に着物姿の妙子が見えた。
外はまだ残暑があり暑い一日だったが、盆を過ぎた季節感から前に逢ったときの絽から水色の一重に変わっていた。
カップをおきながら「お茶のお稽古はいつも着物なんですね。」と切り出すと、
「スーツでも良いのですけれど、なんとなく着物を選んでしまいます」と袖を上げて微笑んだ。
「良くお似合いです。お若いのに着付けが上手ですね」
確かに着物を選ぶだけあって、着こなしにそつがない。
「母に手伝ってもらうの。結構大変なのですけど……」
と笑った。
笑顔がとても似合う女性なんだ、と改めて気づかされていた。
「失礼だけど、妙子さん仕事は何を?」
と速見は妙子の笑顔につられて聞いてみた。
「今は何も……」
「以前は母のお店を手伝っていましたけれど」
繁華街の飲食店ビルの名前をいった。どおりで、着こなしやしぐさがそれらしく、納得がいった。
暖簾をくぐると、明るい声が響いた。
”一膳”は時間が早いのか空いていた。
「すみません、なんか姉が無理いっちゃって」
「いや、無理だなんてこちらこそ……」
最初のビールを控えめに口にした妙子に、
「妙子さん、行ける口ですね。」と速水がたずねると、恥ずかしそうに
「えぇ、嫌いじゃないの。お酒は」と答えた。
日本酒の話になって、好みが似ていることと、魚が好きなことも一致した。文也が、少し早いですが、と戻り鰹の造りを並べた。
赤身が鮮やかな脂がのった鰹に端麗辛口系の冷酒を頼み、妙子が遠慮がちに勺をしてくれる。袖を左手で抑えながら差し出すガラスの銚子と、はにかむような表情が速水の心を捕らえた。妙子の瞳を見ながら速見は勺を返す。
「いただきます……」
といって、目線を伏せ、軽くグラスに口を付けるしぐさに、初々しさを感じた。話はつい食べ物や日本酒の銘柄のことになる。時間があっという間にすぎてしまい、速水は久しぶりに心おきのない時間を過ごしていた。
店を出ると、
「ごちそうさま、とてもおいしかった……」
と妙子が礼をいった。
「もしよろしかったら母の店にいきませんか?」
と切り出され、肩を並べるように夜の街に歩き出した。和服で、しかも妙齢の女性と歩いたことなど速水には経験がなかった。すれ違う男性、女性までも二人を振りかえった。
この街でこの時間帯に和服の女性は珍しくはないが、妙子には回りを照らすような華があり、一緒に歩く速水はテレくさいような気持ちになる。
「なんだかテレくさい」
と口に出すと、
「ふふ、案外テレ屋さんなんだ」
「そんなに遊び慣れているように見える?」
「そうね、それなりに落ち着いてるからそう見えるわ」
「歳の割にそう見られるね」
「おいくつなの、速水さん?」
少し砕けた口ぶりで妙子がたずねた。
「いくつに見える?」
「四十くらい?」
「まだ三十五です!」
「あっ、ご免……」
ふざけて、口を荒げてみせたことに少し驚いて妙子は素の口調で謝った。
「はは、怒ってないよ」
と、おどけて見せると、妙子は軽く睨みながら速水の袖口を引っ張った。
いつもは、歩道で呼び込みに必ず声を掛けられるが、妙子と並んで歩くと一人として声を掛けてこなかった。それどころか、邪魔にならないように、道をあけてくれる。この街のマナーなのかと速水は思った。
繁華街の奥に建つ飲食店ビルの一階に妙子の母の店はあった。
”PUB DREAM”木目のシンプルなドアを押すと、ショートカットで少しきつそうな感じのママが出迎えた。妙子は、予め伝えてあったのか、奥のカウンター席へ案内した。
夜の川面のように黒く光り少し蛇行したカウンターと低い椅子。正面のボトルラックは同じような色調の扉で隠され、金属製の置物が不思議な動きを繰り返し、スポットライトに光っていた。ボックス席が三組ほどあり、何組かの先客は速水より年上が多くこの店の常連が妙子の母の客筋であることが判る。
速水が座ると妙子は当然のようにカウンターの中に入った。
「はじめまして、佳子と申します。妙子がいつもお世話になって……」
とママが名刺を差出しあいさつした。
妙子がフォローするように、
「今日は無理いって文也の店にきていただいたの」
「あそこも最近、暇だってこぼしてたから……」
「すみません、速水さん」
すでに自分の名前が知らされていることに少し安心した。ただ、カウンターに入った妙子が少し生きいきとしていることに気が付いて、営業モードに入ったと思った。
「ごめんね、今日は女の子がお休みでアルバイトなの……」
「そうなんだ、でもなんだか、似合ってるね」
「そぉ、久しぶりだけど、血は争えないのかな」
と速水の隣に座ったママの方を見た。
「そーよ、早くお店手伝ってもらわなきゃ」
ママは妙子に切り返した。
「速水さん、どうしよう?」
速水には答えようもなかったが、妙子が近いうちにここでしか逢えないようになると直感した。
しばらくして店が立て混こんできたので妙子にチェックの指サインを出すと、
「あら、今日はいいのよ、最後まで居てほしいの……」
と妙子が顔を寄せてつぶやいた。速水がうなずくと、にこりと笑って、
「ごめんなさいね、隣に座れなくて、ああ見えてママ結構厳しいの」
目で謝る妙子に速水は、『いいよ』と言うかわりに軽くグラスを持ち上げた。妙子は無言で速水のグラスに自分のグラスを合わせるしぐさをして速水の前から離れた。
入れ代わりに、ストレートヘアーで色の白い女性が、速水のグラスに氷を入れ、ウイスキーを注ぎ足した。
「はじめまして、沙織です」
「今日は妙子さんとデートなのね?」
と話題を向けてきた。
「デートかな?営業かな?」
「あら、そんなことおっしゃると、妙子にチクルわよ」
「沙織さん、妙子さんとは友達なの?」
「そう、三年くらいかな、ここも妙子に誘われて来たのよ」
「妙子さん、ここを手伝っていたって言っていたけれど」
「半年前までね、少し体を壊して今は休んでいるけどね」
「そうは見えないけど、何の病気?」
「それ、秘密よ、これ以上私からは言えないの、ごめんなさい」
と言って、さりげなく彼女は速水から離れた。気になった。
そっと妙子を見ると、そんな会話があったことも知らずに客と話をし、笑っている。
『ちょっと聞けないな』
そんな風に考えながら、一人でグラスを空けた。
十二時を回って、客足も一段落したころ、妙子が速水の隣に座った。
「ごめんなさい、お引き留めして」
「アルバイトは終わりよ、どこかに行きましょうか」
と妙子は速水に耳打ちするように言った。
返事を待たずに、妙子はママのほうに、向かって、
「ママ、速水さんお帰りです」
と言って、キャッシャーの方に立った。
速水の好きなシングルモルトをキープしたのに、妙子は普通のチャージ料金しか請求せず、かわりに軽くウインクして「オ・ゴ・リ」と口パクしながら会計を済ませた。
ママが入り口まで見送り、妙子は店の外まで送ってくれた。後で電話するからと、速水も知っているショットバーの名前を口にし、ぎゅっと速水の手を握るなり、くるりと振りかえり店に戻った。
四時間も振りまわされて、本当なら帰ってしまうところだが、そうはさせないという意外と芯の強い妙子の思いが伝わってきて、それに身をゆだねることも心地よいという感じが不思議と酔いも混じって速水を無防備にしていた。
『まあいいか』
ショットバーの扉を引くと、速水の顔を覚えている髭のマスターが訳知り顔で奥のテーブル席を指しうなずいた。
きっと妙子が電話していたのだろう。テーブルの上にはワイングラスが向き合って置かれ、リザーブ席であることを示すキャンドルがセットされていた。
「いらっしゃいませ。お電話いただきましたのでこちらの席でよろしかったでしょうか?」
とマスターが少し笑顔を浮かべながら速水を案内した。
速水は『今夜は妙子に任せ放しにしてみよう』とうなずいた。いつもは週末に一人で来ることが多く、マスターも速水と妙子が一緒であることに驚いているはずなのに、口には出さずカウンターに戻った。
妙子はすぐに来た。
「ごめんなさい、こんな時間まで引き留めて。
本当のことを言うと店に入るのに速水さんとご一緒したかったの。女の見栄かな……」
速水には判っていたが、それをきちんと謝る妙子が可愛いらしかった。
『普通そんなことまで言わないよ、妙子』
目線で妙子に伝えると、にこりと微笑みが返ってきた。
ショットバーを出ると一時を回っていた。
このまま妙子を帰したくない気持ちもあったが、ママも知ってのことだし、妙子をタクシーで送り、速水は自分のマンションにもどった。
シャワーを浴びベッドに入ったとき、メールの着信を示すシグナルが点滅しているのに気づいた。妙子からだった。
『今日はありがとうございました。楽しかった。遅くまでごめんなさい。おやすみなさい』
最後に絵文字の花マークが添えられていた。
『こちらこそ、また逢いたい。おやすみ』
と返信し、すぐに寝息をたてていた。
その後、何度か会って食事をしたが、なぜかそれ以上には進展はなかった。ただ、今日のように会うことは約束のようになっていた。
カウンターの中から文也が声をかけてきた。
「速水さんも大変ですよね、こんな我がままで呑平のお相手じゃ」
「こら文也、呑平は余計よ」
「文也君、それは言い過ぎだ。うわばみくらいにいわなくちゃ」
「速水さんまで、ひどいわ」
そんな会話が楽しめる関係が続いていた。
あまりエロは出てきません。
そちらを期待される方はパスしてください。
でも大人の恋話ですから・・・




