紫陽花
投稿が遅れました。
なんだかバタバタしてしまって・・・
梅雨に入ってはいたが晴間もあり、空梅雨のような気配があった。近くの住宅の庭に咲く紫陽花も心なしか色が薄い。
妙子の闘病も一進一退が続いた。気分が良いときは店に出たいと言い、速水も無理でなければかえって気が晴れると思い、そうさせた。そんな日は、佳子ママが部屋に来てあれこれと面倒を見てくれていた。抗癌治療のため、妙子にはウイッグが必要だったし、化粧も含めた準備には随分根気が必要であった。
速水は妙子が店に出る日は遅くなっても必ず仕事の帰りに寄ったのだが、明るく振舞っている彼女を見るのが辛かった。店から帰ると、やはり疲れているのか、リビングのソファーに横になってしまう。「あまり無理すると良くないよ」と声をかけるのだが、生返事をするだけでなかなか動こうとはしない。
「姫、そのままではいけませぬ」
とふざけると、
「じい、苦しゅうない」
とベッドルームまでお姫さまだっこを要求する。抱きかかえてベッドまで運び静かに横に寝かせる。
「服が皺になるよ……」
「じゃあ、脱がせて……」
「はいはい」
そんなやりとりで妙子は少し元気になってくれる。パジャマに着替えさせ、軽くキスすると、「もっと……」とおねだりして突き出してくる唇にChuとくちづけし、もう一度抱きかかえてバスルームに連れていく。足をばたばたさせ抗議するが、「お風呂が先」と相手にしない。このころには元気が出てくるのか素直になる。
妙子が風呂に入っている間、軽い夜食を準備する。温かいそうめんや、鯛茶付けが妙子の好みで、身体が温まるのか、頬に紅をさしたように血色が良くなる。この身体のどこに、病魔が潜むのか。
妙子がおいしそうに夜食を食べるのをにこにこしながら見ていると、「どうしたの?」と不思議そうな顔をする。
「何でもないよ」
「ありがとう、裕輔がいてくれてとても幸せ」
「僕もだ。妙子がいるから毎日がんばれる」
「……ね、後悔していない?」
「後悔?何を?」
「……私とのこと……」
「妙子と出逢えた事に感謝している」
「……ありがとう、私もよ」
ベッドサイドの小さな灯りが点っている。妙子は速水に甘えている時は自分から求めてくる。自分が登りつめ、速水が達しても身体を震わせ、最後には速水の胸の中で嗚咽し、「ごめんなさい、ごめんなさい……」と繰り返すのだった。
まるで子供のように妙子は泣きじゃくり、それが収まるまで速水は抱きすくめるしかなかった。やがて眠りについた妙子を抱いていると自分の身体に取りこんでしまいたいという不思議な気持ちにとらわれる。そんな魔法があればどんなことをしても手に入れるだろう。
たとえその代償が自分の命であったとしても。
寝室の小さな灯りが幾重にもにじんでいる。これは夢ではないのか。自分の胸の中にいる柔らかなイキモノは、自分が愛している限り自分の手を離れるわけはない。こんなにしっかりと鼓動を刻み、こんなにおだやかに息をしている。
こんなにいとおしいのに、消えるわけなどありえない。夢なのだ……。
自分の人生も一瞬の夢でしかない。その夢が交錯した相手が妙子なのだ。柔らかな肌も、熱い唇も、秘めやかに速水を包む身体の奥も、全てはうたかたの夢ではないか。
全ては夢なのか、人間に残されたものは夢幻でしかないのか。速水は妙子を抱きしめながら自問を繰り返していた。
時間が指の間から音もなく落ちていく。その焦燥が冷たい汗となって背中を伝う悪感が何度も速水を襲い、結局うつらうつらと朝になる。
窓の外の雨音が速水の眠りとも言えない朦朧とした意識を現実に引き戻す。このまま妙子を抱いて一日が終わればいい。妙子は知ってか知らずか、寝返って背中を向ける。
その下腹部に手をのばすと、「う~ん」といってその手を押さえこむようにする。柔らかな下腹部の感触は速水にはかえって憎らしい。この奥に妙子を蝕む病巣があり、自分にはどうすることも出来ないのだ。
「妙子……」と小さくつぶやく。
「ふぅ~ん」と返事なのか、速水の腕を抱きこむようにして眼を覚まさない。
このまま時が止まってほしい……。何度も願い、祈るのだが現実に引き戻され速水は唇を血の出るほどに噛み、気が狂うまでに運命を呪う。
どうせなら、一緒に死のうか……。自分に残された選択肢がそれしか無いような錯覚に陥る。
甘美な誘惑、それを妙子が望むわけがない。速水には分り切っていた。二人一緒に死ねたらどんなに楽だろう。しかし、妙子は生きることに最後まで諦めを見せなかった。そして、自分の残りの、命の滴さえも速水に託すつもりで最後を迎えようとしていた。
もう一話入れようか悩んでます。
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