海氷
幸せそうな二人ですが、やや暗雲が・・・
翌日も天気は良かった。夜中に少し雪が降った様で大きな除雪車が音を立てて大通りを走っていく。
飛行機は十時なので八時三十分にはホテルを出なければならない。
朝食を済ませてチェックアウトし、リムジンバスを待つ。ロビーから到着が確認できるので、寒くはなかった。
空港で地方便のチェックを済ませる。裕輔が「少し小さな機体だから揺れるかもしれない」と言ってくれたので酔い止めを飲んでおくことにした。
飛行機まではバスで移動し、小さな双発のプロペラ機に乗り込んだ。
「プロペラの飛行機は初めてよ」
裕輔は何度が経験しているようで、
「あまり変わらないよ、安心していい」
翼の前の席に並んで座る。マイクロバスに羽根が生えているみたい。
やがて、機体に似合わず大きなプロペラが回転を始めた。
「これもジェット機なんだ。プロペラはついているけど」
「へー、そうなんだ」
よくわからないけど、シートバックの飛行機の説明を見るとサーブって会社の飛行機だった。
『サーブって自動車会社?』
滑走路の端から速度を増し、あっというまに離陸してしまった。なんだか、フワフワと言う感じで水平飛行になると、ビーンというプロペラ音でジェット機と少し違う。
一時間ほどでオホーツク海の上に出て、旋回するとき海面が白くなっていた。
「流氷だよ」と裕輔が教えてくれた。
メマンベツと呼ぶのかな、北海道の地名はわかりにくい。
レンタカーを借りて網走から少し離れた海沿いの町に向かった。
最初は晴れていたのに、海からの風が強まりだして、雲がかかってきた。海沿いの道路に地吹雪が吹き付けてくる。
「大丈夫?」
「ああ、これくらいは普通なんだ」
昨日に比べて裕輔は無口になってきた。
「お昼はどうする?」
「どこか、適当に見つける」
道路と海の間に鉄道の線路があり、一両だけのディゼルカーがのんびりと走っている。
「少し早いけど、ここで休もう」
と車を止めたところは”北浜駅”と書かれた木造の小さな駅だった。
「え、ここって駅だよ?」
「昔はね、今はラーメンも食べられる」
入ると確かに小さなホームへ出る待合室の他に、駅の事務室だったスペースが食堂になっている。
「へー、こんなのありなんだ」
すこし驚く。ホームからは海岸が目と鼻の先で白い波が直ぐそこに見える。ラーメンは思ったよりおいしかった。細いねぎが山盛りになった塩味。
食べ終わって裕輔を見るとぼんやりと窓の外の海を見ていた。ラーメンも半分くらい残っている。声を掛けようと思った瞬間、裕輔の目頭が濡れているのに気づいた。
『裕輔……どうしたの』
彼は私の視線にも気づかず、まるで固まってしまったように外を見つめていた。
「裕輔さん……?」
やっとのことで声をかけると、ゆっくりと顔を私に戻し、
「あぁ、ごめん」
とだけつぶやいた。
何があったのだろう。私が原因ではないことは分かる。不機嫌というわけではなく、自分の殻に閉じこもっている。マンションにいる時も、たまにこんな風になってしまう時があった。面白い話や、コーヒーを淹れてあげたり、甘えたりして意識を私に向けさせるとそれっきりいつもの裕輔に戻るのだけど、今日は違うみたい。
なにか、裕輔が氷で出来ているような感じ。触れると私までが凍りつきそうな感じというか、外の景色と同じに思えてきた。きっと裕輔の記憶に残っている思い出したくない何かがあるのだ。
車に戻るとまた北に向かって(と思う。だってどんどん風景が寂しくなる)走り出した。雲が低く、空はまだお昼なのに暗くなってくる。
「裕輔さん……大丈夫なの?」
「もうすぐ僕の生まれ故郷の町に着く」
とうとう雪が横殴りに降り出してきた。私の知っている降りかたではなく、まるで容赦のない荒々しさだった。
裕輔の生まれ育った町は海のそばにあり、川を渡ると町並みになった。ゆっくりと車を進めても三分としないうちに町外れになった。
車を海の方に走らせ、小さな港の防波堤に止めた。海は二十mほど先で、それより遠くには直接波を受けている防波堤があり、吹雪にかすんで見えた。
「寒いから中にいて」
といって裕輔は外に出た。コートをはおり襟を立てると岸壁を海に向かって歩き出した。
そのまま歩くと海に落ちる。と直感して私は車から飛びだし裕輔に走りよった。
「裕輔!」
そう叫んで彼の腕を強く引くのが同時くらいになった。
こちらを向いた彼の顔を見た瞬間、私は凍りついた。彼の視線は私を通り抜け遥か彼方を見ていた。
「裕輔!しっかりして」
両腕をつかみ強くふりながら叫んだ。雪と風は容赦なく私達に降りかかってきていたが少しも気にならなかった。
「裕輔、裕輔、私を捨てないで!」
そう叫んで裕輔の頬を平手でぶった。
バシッ
と思いがけない音がして、裕輔の焦点がゆっくりと私に合った。
「……妙子……俺、何してた?」
「裕輔、裕輔、……愛してるの。どこにもいかないで」
私は声をあげて泣きだしていた。捕まえなければ本当に目の前の黒い海に飛びこんでしまう。それは間違いがなかった。
「妙子、俺何してたんだ!」
「あなたは……あなたは、この海で死のうとしたのよ」
「……」
裕輔はぼろぼろと涙をこぼしながら、暗い海に向かってひざまずいた。
「かあさん、とうさん、あんちゃん……」
その後には裕輔の号泣が続いた。
吹雪は容赦無く私と裕輔に、そしてこの町に吹きつけていた。
私は裕輔の心の底に存在する氷の海を見てしまった。
暗い絶望のような海
凍りつく風と雪と押し寄せる氷塊
人間に残されているものはいかほどのものだろう
裕輔に聞かなくても。この海で何があったのか理解できた。
「裕輔さん、生きるのよ、二人でみんなの分まで生きるのよ!」
横殴りの吹雪が二人を包みこみ私の意識は朦朧としてきた。
「裕輔さん、生きるの……」
消えいりそうな意識と凍りつく手足の感覚に、倒れると思ったとき私を支える腕があった。
「妙子! 大丈夫か、妙子!」
裕輔が私を抱きかかえ、呼んでくれていた。
気がつくと私は車の中にいた。裕輔は、と夢中で見まわすと、運転席に座り私を見つめていた。
「裕輔さん、死なないで」
そう叫んで身体をぶつけるように抱きついていった。
何時なんだろう。人の気配もなく風と雪が叩きつける。
なぜこんなところで人は生きなければいけないの?
なぜこんな寂しいところで人は死ななければならないの?
ねえ、裕輔、教えて。あなたが知っているなら……。
昨夜の二人、オトナのお話はムーンライトノベルにアップ予定です。
ちょっとお怒りの妙子さんはどうするのかな~




