回想から
一章
一
会議はつまらない。自分の責任を他人に転嫁するアリバイ工作。
速水裕輔三六才 独身(離婚暦一回)。この会社、IT系のソフト販売部門の課長である。午後から、第三クオーターの販売促進会議が始まって一時間ほど過ぎたところであった。九月を終わった時点で速水の担当は予算を達成していたが部全体では僅かに予算を達成していなかった。
十月の会議は達成しなかった言い訳が報告される。まったくつまらない、出来なかった言い訳など聞きたくない。
VVV……メールの着信を知らせる柔らかな振動。ゆっくりと取り出し、何気ない顔で確認する。
『今日、逢いたい。早く終われる?』
最後の文字はいつもの絵文字の花マーク。
『はい』と短く返信する。
視線を戻すと、部長がこちらをチラッと見ている。思考回路を会議に戻し、
「その件は、すでにこちらで……」と解決方向に持っていく。
予定どおり、会議は終わった。がやがやと会議室を出て席に戻ろうとすると、
「速水、今日はどうする?」と部長に呼び止められる。
「すみません、予定があるので村上にセッティングさせます」
「そうか、残念だな」とニヤリ。お見通しか?
机の上のメモを整理しながら、端末のメールをチェックする。急ぎはない。明日の予定は……。
午後から打ち合わせ。資料の準備を依頼するメールを打ち、端末の電源を落とす。
『……PU』液晶の画面が暗転し、少しだけ机の周りに柔らかな空気が流れた。
「課長、今日は”樽”でいいですか?」と村上が声をかけてくる。
樽は会社で使っている居酒屋で、大抵はそこで、会議の後軽く飲むことになっている。
「あぁ、すまん俺は東日本商事の武田課長と予定がある」
と得意先の客の名前を出す。
「わかりました。じゃ適当にやっておきます」
主任の村上はものわかりが良過ぎる。
ビルの正面を出るとすでに秋の夕暮れとなった街に、帰宅する人の流れが駅の方向へと向かっていた。途中、速水はその流れから繁華街へ向かう方向へと向きを変えた。繁華街への流れは、まだ混雑していないが、いわゆる水商売と見える、夜の化粧と服装の女性たちが目立つようになる。
少し奥まったところにあるカフェのドアを押すと、軽いタッチのピアノが流れ、テーブルの上だけに明るく照明があたり店全体は間接照明となった空間が広がる。少し見回すと、多分入り口のスポット照明ですぐに判ったのか、奥のテーブルから小さく手を振った女性が見えた。それに答えるように軽く手をあげ、席に向かう。
妙子は、キャメルブラウンのシャネルスーツ姿で首から肩にかけて渋い赤のスカーフを緩やかにうねらせて結び、笑顔で速水を迎えた。
「早かったのね、もう少し遅くなると思ってたの」
彼女の手元には今置かれたであろうコーヒーが暖かそうに湯気をたてていた。
「いつもの飲み会から逃げて来た」
「大丈夫なの?」
「あー気にしないで。それよりどうした?珍しいね、妙子さんから呼び出すなんて」
「ごめんなさい、後で話すけれど、急に逢いたくなって……」
速水はそれ以上聞かず、コーヒーを注文し、煙草に火をつけた。
だいたいの理由はわかっている。妙子には妹弟がいるが、それぞれに結婚し子供がいた。妙子自身はまだ結婚せず一人暮らしの母と同居しているが、妹は一年前に離婚し、まだ小さな子供をときたま実家に預け、仕事に出ていた。
面倒見のよい妙子は、子供たちの相手をし、それがストレスとなってきていたのだ。速水にはそれが判っているだけに、たまに妙子の我がままを受け止めてやることにしている。
「さて、今日はどこにする?」
「そーね日本酒がいいな。裕輔さんは?」
「いいね、じゃ文也君の店がいいかな?」
文也は妙子の弟で板前の修業中だった。
「そう思って、文也にさっき電話しておいたの」
「はいはい……」
いつものように手回しが良い。逆に速水に気を使わせないようにしているのが見えてしまう。
「いらっしゃいませ!」
暖簾をくぐると、文也の大きな声が響き、カウンターの奥に目線で案内される。妙子が左側に座るのを待って速水が座ると、板長が「いらっしゃいませ」と挨拶した。文也の姉であることは彼も知っていた。
「いつもお世話になって、すみません」
と、妙子が答えながら、速水にお絞りを渡した。その何気ないしぐさに、板長は軽く微笑みを返しながら、速水に、
「お久しぶりですね、今日はいいのが入っているのでゆっくりなさってください」
といって、奥に引いていった。なんだか面映い面持ちで速水は、目の前の品書きに目を通す。
妙子とは知り合ってから数ヶ月たつが、まだ親密な関係どころか、数回しか逢っていない。速水はビールを頼みながら、最初の出会いのころを思い出していた……。




