虚構の中の日常を ~奥様は不死。編~
とある銀河のとある星の、小さな島国の、片田舎。
奥さまの名前はエリ、そして、旦那さまの名前はシンイチ。
ごく普通のふたりはごく普通の恋をし、ごく普通の結婚をしました。
でもただひとつ違っていたのは、奥さまは“不死(者)”だったのです。
妻がおねだりした白い壁、赤茶色の屋根には太陽光発電システム、旦那自慢の西向きの大きな窓の二階建て。
様々な苦労と徒労の住宅貸付をかえしている最中だが、二人にとっては愛の住処である。
「おはよう、エリ」
シンイチにとってはいつも通りの朝、夫婦揃いの寝間着でベッドからでて、台所で目玉焼きを焼いている妻に声をかけた。
「おはよう、旦那様」
二人は同じ歳のはずだが、エリは十代の様に若々しい。
少し舌足らずな喋り方でエリを不安に思っていた時もあるが、実は段取りがいいとシンイチは思っている。
ただ手先は絶望的に不器用なのだ、とも。
「あ」
エリが目の前のフライパンで焼くことから、大好きなシンイチに意識が向いてしまう。
フライパンを持ったまま愛しの旦那様の方へと振り返ると、黒く長い髪にコンロの火が燃え移る。そのまま火は全身に燃え移った。
「あぁ、エリ!!」
シンイチがエリの名前を呼ぶ。
エリはフライパンを近くの机に置いて、お風呂場へと走った。
浴槽に飛び込んだのか、水飛沫があがる音が響く。
しばらくして戻ってきたエリは、火傷の痕もなく完全な無傷で、始めに燃えた髪すら美しく長いままだ。
着ていた服は無事ではなかった様で、全て燃え尽きたらしく生まれた姿なエリ。
泣きそうな顔をした妻に優しく微笑みかけながら、シンイチは頭を撫でる。
「ごめんなさい、旦那様。買ってくれたエプロンをまた駄目にしたわ」
塩らしくしながら上目遣いでシンイチを見上げている。
「いつものことさ。大丈夫、また買えばいいさ」
小動物のような仕草をする妻を愛おしく想い優しく抱きしめた。
シンイチは慣れてしまった日常の異常を爽やかに笑い飛ばす。
「でも、…でもでも」
頭を撫でられながらエリは泣きそうだ。シンイチは床を指差して言う。
「ほらみてごらん、エリ。今日は床も壁も焦がしてない」
「うん、旦那様が家の中で燃えたら風呂場で消火って教えてくれたから…」
「そうだね。一度目は台所の床を張り替えて、二度目は廊下の壁を焦がして壁紙を貼り替えたからね」
「うん。今回は頑張った」
「ほらみて。目玉焼きも今日は焼けてるじゃない」
「でもでも、服も燃やしちゃったわ。今日着る服がないの」
シンイチは「そうだね。すこし目に毒だね」と嗤ってから、
「うん、仕事の帰りに買ってくるよ」
と、
「ありがとう」
エリはシンイチに心から心酔しているようだった。
恋は盲目(= Love is blind.)とはよく言ったもので、エリは盲目がそのまま現在も続いているようだ。
そんな二人のいつもの日常である。
基本的に不死(者)は緩慢だ。
生者ほど外的にも内的にも興味というか、意識を向けようとはしない。
正確に言及すれば、“向けれない”というほうがいいだろう。
“死なない”というのは、“死”へ向かっている生命活動の『停止』しているのだ。
不死とは本来、その姿形を保ったまま動かなくなるのが一般的だ。
人形のように反応せず、人間のように自立しない。
つまり不死は「死ねない」という病気なのだ。
「お先に失礼します」
シンイチが同僚に挨拶をしてタイムカードレコーダーを押した。
挨拶もそこそこに、外に出ると雪がチラついている。
吐く息が白く濁って消えていく。
エリへの買い物をすませて歩いていると人の流れがいつもと違う。車が渋滞していた。
地下鉄入り口近くで事故でもあったのだろう、救急車や警察車両が赤いランプで街の一角を染めていた。
「不死だ!不死者がいるぞ!」
誰かの叫び声が響く。その言葉に思わずシンイチはそちらに目をやってしまう。
ボロボロのスーツ姿の男がへたり込み、周りを取り囲まれていた。
遠目で少し分かりづらいが、体の破損も見られる。
不死者は“不死”を伝播する、そんな都市伝説が蔓延っているせいだろう、一般の人たちは“不死”ということに異常に恐怖し過剰に嫌悪する。
取り囲む誰かが奇声をあげて持っていた棒を不死者に打ち付けた、咄嗟に両腕で防御する不死者。
立ち止まるシンイチの足下に不死者の手首が転がってきた。
地面に落ちたそれは、奇妙なことに傷口から血を出さず代わりに黒い靄を吐き出し、心臓の鼓動のように痙攣している。
シンイチが落ちている手の主を見ると数人に囲まれて蹴られ、様々な物で叩かれ打ち付けられていた。
思わず顔を背けて歩き出す。
風にまじって焦げ臭いが漂ってくる。
どうやら火事があったのだろう。
推測するに、責任感のある不死者がそこに飛び込んで誰かを助けたのだ。そして、助けた人間か、もしくは近しい人間に咎められたのだ。
「あなたは不死者なのか?」「化け物」「触るな!」
シンイチは聞こえてくる声から逃げるように歩みを速めるたが、視界の端にスーツの不死者は抵抗せずに殴れ続けているのが見えた。
スーツの不死者は抵抗を諦めたのか殴られるままになっていた。
なにせ死ぬことがないのだ。しばらくすれば殴るのも厭きるか諦めるか、もしくは警察がやってきて暴行加害者を連行するだろう。
ただ被害者の不死者の心が折れていなければいいのだけれど、とシンイチは心中で祈った。
不死者たちが社会生活を再起不能する一番の理由は、周囲との拒否による隔絶と言われている。
エリが不死であるにもかかわらずシンイチとのギリギリの日常生活をしているのは、恋をしているからだ。
と、シンイチは信じている。
彼女がシンイチへの恋を失えば人形になるだろう。
人形になってしまうと不死院という姥捨て山にいくことになる。物のように扱われ、戦時となれば肉の壁としてや兵器の人体実験として扱われる。
人ではない、物として扱われる。
それが不死者の歴史的事実だ。
「ただいま」
シンイチが扉を開けると永遠の若妻が、三つ指をついて座っていた。ブカブカのワイシャツを着て。
「おかえりなさい、旦那様」
エリが笑う。満面の笑みで褒めてくれと言わんばかりの様子だ。
「エリ、一応聞いておくけど“どうかしたのかな?”」
「はい!」
もしもエリが獣人で、耳と尻尾があったなら、尻尾は千切れそうなぐらい降っているに違いとシンイチは思った。
「…えっと、…、食事にな、さいますか?お風呂にしまスカ?それとも、ワタシ…」
言い切ったあと、顔を真っ赤にしながらキャーと小さく叫んでいる。
何度も練習したのだろう、言い切った満足感と幸福感で玄関を転がっていたが、「エリ、エリ」とシンイチが呼んで動きを止める。
「エリ、お風呂は沸かせた?」
「はい!この前、教えてもらったとおりにボタン押せた!」
シンイチは微笑んでエリの頭を撫でてやる。
エリは自分で頭を振って撫でているのを増やそうとする。
風呂場を覗くと、目の前が湯気で真っ白になった。必要最低限の水量でわかされ、風呂蓋がされていない状態だ。
振り返るとエリが心配そうにシンイチを見ていた。シンイチは優しく微笑んでもう一度頭を撫でてやる。
「じゃあ、次はお洗濯は出来た?」
「はい!今回は洗剤の分量は間違ってない!……ハズ」
リビングを見ると乾いた洗濯物がたたまれずに山になっている。
「その…たたむのが、難しくて…」
洗濯物を一つ手にとってみると、今回は洗濯機をちゃんと使えたようだ。
「うん、頑張ったね。偉いよ」
シンイチが「あとで一緒にたたもう」と楽しげに笑うと「うん!覚える」とエリは鼻息を荒くして拳を握りしめた。
「はい!ご飯はね、炊いたの。ちゃんと炊けたの。炊飯器とやっと仲良くなれたの」
炊飯器をあけるとエリの言うとおり白飯がたかれていた。
「うん、エリは凄いね」
「旦那様のためなの、全部」
シンイチは満足に笑うと、エリを抱きしめる。
帰りにあった嫌な出来事を消し去る為に強く抱きしめる。
強く、つよく。
「エリ、ところで今日のおかずは何かな?」
「…お?…か?…ず?」