掻き消されることを望まれた言葉
同じ悩みを持ち、同じ経験をし、同じ苦しみを知った。
二人だけの秘密。二人だけの大切な関係。友人や親友という言葉では現せない存在。
そんな子が、私には在った。
彼女は誰にでも優しく、聡明で、そのうえ可愛かった。
別々の高校に行ってからも彼女と頻繁に会った。
その度にクラスや部活で、告白やアプローチを受け、困っていると相談を受けた。
一方、私は生真面目そうに見える外見と引っ込み思案な性格により男の人と話しも出来ずにいた。
そんな私が彼女の相談にのれるとは思っていなかったが、大切な彼女が知らない男の人に傷つけられたりするのが嫌で、どうにか毎度助言をしていた。
彼女は、そんな私の気持ちを知ってか知らずか、会う度に、前に話した告白の件がどうなったか、どうやって切り抜けたかを報告してくれた。
たぶん、ほかの友達からしたら自慢や嫌味に聞こえるなどと言われるかもしれないが、私はその手の話に興味がなく、彼女の話だからこそ相談にのっているだけであって、ほかの人の話だったら少しも関心を寄せないような人間だった。
だから、彼女が困っていて、誰に相談していいかわからない時、私を選んでその話をしてくれるのはとても嬉しかった。
「××ちゃんが男だったら、彼氏にしたかったのに」
いつものように、彼女の相談話を聞き、そんな我慢も出来ない男はやめておけと忠告をした時のことであった。楽しげに笑って彼女はそう言ったのだ。
「…それ、女性が言われたくない言葉ランキング一位らしいよ?」
私の指摘に彼女は狼狽え、申し訳なさそうに謝った。
ううん、私は気にしないよ、と返しながら、心のなかでは先ほどの言葉を繰り返していた。
私の動揺をよそに、彼女は話を続ける。
「どうやったら、男の人を好きになれるかな…」
難しい問いだ。彼女の父親は暴力をふるう人間だった。
中学に入ってから夫婦喧嘩をし続け、彼女は毎日怯え、苦しむ中学生活を送っていた。
父親は中学を卒業するころに家を出て行った。彼女の母親と弟を残して。
それゆえ、彼女は男の人を好きになる気持ちが理解出来ない。
そして、私もそうであった。家を出て行くことこそなかったが、酒に飲まれる父親であった。
小学生のころからそんな父親を見続け、それがあたり前だと思っていた時、彼女に会った。
同じ経験を持つものがこんなにも近くにいたことを喜び、悲しんだ。
彼女も私も泣いた。涙こそ流さなかったが、誰にも言えない、言ってはいけない秘密を打ち明けられる人が出来たことに喜び、泣いた。
「別に無理に好きになる必要はないんじゃない」
「そうだけど、高校に入ってからみんな彼氏がいるからさ。…やっぱり、××ちゃんが男だったらよかったのに」
私も、自分が男だったらよかったのに──とは言わなかった。
「私はそもそも人を好きになるっていうのがよくわからない。今のところ、誰かを好きになったり愛したことがないんだよね。みんな一度は誰かを好きになったりしてるのに」
「一回も?」
一回も。
そもそも、人を好きになるという感情はどんな感情なのだろう。
少女漫画のように胸がドキドキするのだろうか。
それとも、ぎゅっと傷むのだろうか。
甘酸っぱいのだろうか。まるで想像できない。
素っ気ない言葉に対して、彼女は数回瞬きを繰り返すと、笑った。
「じゃあ、お互い頑張らないとね」
「そうだね」
「次に会う時にまた話そうね」
彼女と話をしているとあっという間に時間が過ぎる。
喫茶店に入った時、空は明るかったのに、もう日が落ちてだいぶ時間が過ぎていた。
慌てて会計を済ませ、並んで歩きながら駅を目指す。
彼女が乗る電車が先に来た。
扉が閉まり、小さく手を振る彼女に手を振り返す。
ゆっくりと走り始め、そしてすぐに見えなくなる電車を見送り、私も自分の電車を待った。
彼女の言葉が脳裏をよぎる。
××ちゃんが男だったら、彼氏にしたかったのに
××ちゃんが男だったらよかったのに
唐突に思った。
これが、人を好きなるって気持ちなのかもしれない、と。
彼女に彼氏ができるのが嫌だ。
彼女が私の知らない誰かと付き合うのが嫌だ。
たとえ知っていたとしても、絶対に嫌だ。彼女が、
「好き」
これが恋だとしたら、少女漫画は嘘ばっかりだ。
だって、ドキドキもしない、胸も傷まない、甘酸っぱくもない。
少しも乱れない鼓動と、ただ現実を受け入れるばかりの胸と、苦々しくどす黒い感情。
もし、私が男だったら、彼女を好きになる資格を持てただろうか。
もし、私が男だったら、彼女を恋人にできただろうか。
もし、私が男だったら、彼女にこの想いを伝えることは許されただろうか。
「好きです。愛してます」
電車がホームに入ってくる騒音のなか、掻き消されることを願ってつぶやかれる言葉が在った。