7.にんげんがあらわれた。
「なんで――戦わなきゃいけないんだよ!」
俺は、対面する少女に問いかける。
だが、少女は答えず、息も切れ切れになりながら、その手に握った、身の丈の二倍はあろう槍を構えてただこちらへと突進してくるのみだ。
俺は身をかわしつつ、右手で槍の柄を掴んだ。
少女と目が合う。その瞳は冷たく、俺を躊躇なく殺そうとしていることがよくわかった。
後ろからは、ハルカが俺を見守っていた。
俺はこの海岸でハルカの体をそっと抱き締めていた。なのに――どうしてこうなってしまったのだろう。
心当たりがないわけではなかった。
束の間でもいい、この時間を味わっていたい――できることなら、こんな時間がずっと続けばいいのに、と。そんな願いを抱いてしまった。そんな願いはやはり俺の身の丈に合っていなかったということなのだろうか?
一度死んだときの、ハルカに投げかけられた言葉が思い出される。
『あなたには選ぶ権利をあげる。このまま天国で死者の生活を満喫するか、それとも――私のために戦うか』
そう、俺は「死ぬこと」こそ選ばなかったが、選んだのは「生きること」ではなく「戦うこと」だった。
それならば、この少女の襲来はひとときでも戦いを忘れてはいけないという天からの戒めだったのだろうか。
話は数分前に遡る。
突然、腕の中でわずかにハルカの体がぴくり、と動いたかと思うと、俺の胸を押し、ハルカは俺から離れた。その表情は険しい。
「レン、来る……!」
その一言で、俺はアヤカシ――「人魚」が来るのだと思い、海を向いて身構えた。
だが、
「違う、そっちじゃない――人間が来る!」
「え?」
俺がきょとんとした刹那、後頭部に衝撃を感じた。
「うあッ……!?」
何かが激しくぶつかったらしく、俺は砂浜に倒れる。
「レンっ!」
ハルカが叫んだ声ははっきりと聞こえていた。衝撃は大きかったがダメージは少なかったらしく、体の動きに支障もない。俺は難なく立ち上がることができた。
「いてて……」
難なく、とはいえ衝撃を受けた後頭部はかなり痛む。「鬼」の体でこんなに痛むということは、俺がまだ人間だったら即死していた威力だろう。
俺が頭を押さえながら立ち上がると、
「なっ……!?」
そんな声が聞こえた。俺のものでも、ハルカのものでもない。知らないその声の方向を見ると、身の丈の二倍近く槍を脇に抱えた一人の少女がこちらを見て、立ち尽くしていた。
肩ぐらいまでの栗色の髪を頭の後ろで一つに束ね、紫のパーカーを着ている。ショートパンツ、黒のニーハイソックスを履き、足元はスニーカーだ。
俺はすぐ、その少女に槍で後頭部を突かれたのだと理解したので、
「おい! 死んだらどうすんだ!」
少女を指差して怒りをぶつけつつ、ハルカを俺の後ろに退かせる。
だが、当の少女は、
「効いてない!? この魔槍を受けて何ともないなんて……何かしらの防御結界? あるいは外殻?」
マソウとかなんとかよくわからないものの名前を口にしながら、ブツブツと考え込んでいる。
「……」
俺はため息をついた。言葉が通じていないのかとも思ったが、そうではない。向こうにこちらの話を聞く意思がないらしい。
「どう思う? 『ヤンマ』」
と、少女が誰かに問いかける。
すると、どこからか若い男の声がした――いや、声の場所はわかる。俺の気のせいでなければ、槍の中からだ。
「気味の悪い奴だな。だが、ダメージはゼロじゃねえみてえだ。手の打ちようはあるだろ。何より、あいつを食ってみてえ。やろうぜ、ミヅキ」
そんなやり取りに唖然とする俺に、
「レン」
背後からハルカが呼びかけた。
「気を付けて、あれは退魔師よ」
「退魔師?」
俺は再び向かってきた、ミヅキというらしいその少女の突進をかわしながら――それにしても、こんなに重そうな長物を持っているのにこんなスピードで突進してくるなんて、到底人間業ではないと思いながら――ハルカに問い返した。
「あの槍はアヤカシの魂を封印した武器『ツクモガミ』。退魔師っていうのは、ツクモガミを手にすることでアヤカシにも匹敵する力を得た人間のことよ。
退魔師はアヤカシの魂をツクモガミに食わせることでアヤカシを退治しているの」
要するにさっき「マソウ」とか呼んでたのがそのツクモガミとかいうやつのことで、「ヤンマ」とかいうのが槍の中にいるアヤカシの名なのだろう。
「なんだ、そんな人たちがいるならアヤカシ討伐の手間は省けて助かるな」
なんて、肩をすくめながら、ミヅキが再びこちらに槍を構え直すのを見ていた。
「確かにそうだけど、退魔師はアヤカシの魂を消滅させてしまう。アヤカシは退治してもらえるけれど、すべての魂を死者の世界に送りたい私の立場からするとあまり嬉しいとは言えないわね」
なるほどな、と思いかけて、しかし疑問が残る。
「それで、俺はなんでその退魔師に殺されそうになってるんだ?」
「さぁ……」
ハルカが首をかしげたと同時、ミヅキは再び槍を構え、俺に突進してきた。
そうしてかれこれ数分ほどミヅキは執拗に攻撃を繰り返してきていた。適当にあしらっていたものの、油断すると痛い目に遭いかねないので、そろそろうまく終わらせる方法はないかと考えていた。
だが、相手が人間では反撃はできない。鬼の体で力の加減を失敗すれば、人間など粉微塵にしてしまいかねなかった。
どうしたものか、と首をかしげたそのとき、
「なら……これでッ!」
ミヅキが叫び、槍を俺の方に構え直した。突進してくるのかと思ったが、ミヅキは足を止めたままだった。
その槍の先に銀色の光が収束していく。
(あ、これはやばいか――)
嫌な予感がしたのとほぼ同時、
「魔滅閃光――『銀』ッ!」
ミヅキが叫び、槍の穂先から銀色の閃光――ビームが放たれた。
俺は直前にその場を飛び退いており、どうにか難を逃れたが、
「ひょえぇ……やべぇな」
先ほどまで背後にあった砂浜がまるごと、銀のビームに抉り取られ、そして海は、すっかり白い蒸気に覆われていた。平穏な日々を送っていた魚たちは今のビームにより哀れな最期を遂げたことだろう。ひゅー、と口笛を吹こうとして、自分が元から口笛を更けないことに気づいた。
「ばか、レン! 油断しないで!」
横から、ハルカからの怒声が飛ぶ。
「ごめん」
素直に謝った。ハルカが怒ったのは、心配をかけてしまったためだろう。
向こうも何やら会話をしていた。
「あの技をかわすなんて……」
「しょうがねえ。とっておきを使うか」
「うん」
槍の中のアヤカシ、ヤンマの発した「とっておき」という単語から、
(じゃあ、次の攻撃を凌げばさすがに諦めてくれるだろうか)
ぼんやりと思ったその時、ミヅキは槍を構え直し、その槍をハルカの方に向けた。
(……しまった!)
すぐさまハルカの方へと駆け出す。ハルカは戦闘に巻き込まれないように距離を取り、街側にいた。まだ距離は離れている。「とっておき」というのはおそらく遠距離攻撃か、高速移動だろう。
「とっておき」の発動に間に合うか? 考えて、奥歯を噛む。まさしく先ほど、油断するな、と言われたばかりなのに。どうして相手がハルカを狙ってこないと思ったのか。
「そうだ、あいつの強さの秘密は、あっちに立ってるセーラー服の奴にあるに違いねえ!」
ヤンマがそう叫んだ。
「……」
ハルカはただ、こちらを見つめていた。油断するなと言ったところなのに、とでも言いたげだった。
それにしても、ミヅキというこの少女は人の姿をしている相手に対して殺すことへの躊躇がないらしい。人型のアヤカシも数多くいるのだから、ミヅキが何かしらの方法で人と人でないものを見分けているのだとすれば、当然と言えば当然なのだが――
「魔滅槍――『鬼殺し』ッ!」
槍を構え、砂浜を蹴って飛び出したミヅキの速さは、先ほどまでの比ではなかった。その穂先には黒い光が集まっていた。
「間に――合えッ!」
俺も全力で砂浜を蹴る。ハルカとミヅキとの間に入ろうとした。
必死で左手を伸ばす。間に合え、間に合え――!
願いが通じたのか、その手が槍の穂先に触れた――間に合った、と思ったその瞬間、俺の左手は消し飛んだ。
「……!」
だが、その程度のことに動揺している暇はない。俺のすぐ後ろには、ハルカがいるのだ――。
「ハルカッ!」
なりふり構ってなどいられなかった。ハルカを後ろに軽く突き飛ばす。
「っ……」
小さく呻くような声が聞こえた。軽く、とは言っても、人間の力と比べたらずっと強かったかもしれない。力の調整がうまくいったか、いかなかったかも確認している余裕はなかった。
ハルカがここで悲鳴を上げなかったのも、俺に余計な心配をかけないようにとの配慮からだろう。
「はああああっ!」
俺は右手で槍の柄を掴んだ。穂先は俺の眼前で止まる。
だがその瞬間、穂先を覆っていた黒い光が増幅していき、
(あ、まだこの技、終わってなかったんだ)
苦笑したと同時、
「これで……終わりッ!」
穂先のエネルギーが炸裂した。
俺はなすすべもなく、瞬く間に爆発に呑み込まれてしまった。
――静寂。
「はぁ……はぁ……」
「厄介な方が突っ込んできたのはラッキーだったな。とっとともう一体も倒して、魂を食わせてくれや」
「はぁ……うん……はぁ……」
息を切らしたミヅキとヤンマとの、そんな会話が聞こえる。どうやら俺を倒せたと思っているらしい。
確かに、さっきの攻撃はかなり強力だったが――
「……『鬼殺し』って名前は、考え直した方がいいんじゃないか?」
立ち上がり、黒煙の中から俺はそう問いかけた。
「……!」
ミヅキが息を呑む音が、はっきりと聞こえた。
「この技じゃ『鬼』は殺せないよ」
笑みを浮かべながら、ミヅキに歩み寄る。
「そん、な……」
ミヅキは、構え直そうとしていた槍を取り落とした。
「おい、ミヅキ! 何をしてる、戦え!」
槍の中からヤンマがミヅキに呼びかけるが、
「やかましい!」
「へぶっ!」
俺は槍を踏みつけながら、ミヅキに歩み寄る。その喉元に手をそっと、押し当てた。絞めるためではない。いつでもこの喉を握りつぶせるぞ、というアピールのためだ。
「よくも……ハルカに手を出そうとしてくれたな?」
なるべく低い声を出す。間一髪、間に合ったからよかったものの、間に合っていなかったら……と思うと、ゾッとした。
「あ……ああ……」
喉元に手を当てているので、その全身がカタカタと震えているのがよくわかる。
(怖がらせるのはこれぐらいでいいかな)
喉元から手を離すと、ミヅキはそのまま、ぺたり、とその場に座り込んだ。
「そろそろ話を聞く気になった? 退魔師」
俺の背後から、そんなハルカの声がした。
見ると、ハルカは頭をさすり、髪を整えながらこちらに歩み寄ってきている。よかった、無事だったんだ、と思ったそのとき、
「突き飛ばす力、強すぎ」
横を通りざまにいつもの拳骨を落とされた。