6.しにがみはなっとくがいかないようだ。
「さて、ほな、仕事の内容説明すんでー」
マサシが言ったので、全員がそちらに注目した。
「今回の仕事は『人魚』を倒すこと。ただしこの人魚、相当手強いで。以前、一人の死神が討伐に向かい、失敗。その後、その死神が仲間を連れて五人で討伐に向かったんやけど……その死神らは結局帰ってこんかった」
マサシの言葉に俺は息を呑む。普通のアヤカシはアヤカシ葬送隊の死神よりも弱い。討伐を担当するのは基本的に戦闘タイプであるアヤカシ葬送隊の死神である。隊とはいっても単独行動が主となるが、管轄の都合上隊という形をとっているらしい。
ちなみに街を担当するのは主に感知タイプの死神である。ちょうどこのマサシのような感知タイプは、その感知範囲を広げることに力を多く使っているらしく、そのために戦闘力が低いという。
そういえば、ハルカがどのタイプの死神かは聞いたことがない。戦闘能力はないし、やはり感知タイプなのだろうか?
さておき、そのアヤカシ葬送隊の死神が五人でかかっても勝てない相手であるということは、今回のアヤカシがマサシの言う通り、相当な強敵であるということを示している。
「……でも、五人で勝てなかった相手に三人……というか、俺とペルちゃんの二人だけで勝てるのか?」
正直なところ、自信がなかった。
「大丈夫じゃ。わしはこう見えても一流の死神じゃからな」
そう言ってケラケラと笑うペルちゃんを見ていると余計に不安になるが、
「一流なのは本当よ」
と、小さくハルカが呟いたので俺は驚いた。
ペルちゃんを眺めてみる。一流なんて言葉が似合うなんて到底思えない。だが、ハルカが相手を褒めることは珍しい。ハルカが人を褒めるときに嘘をつかない性格だということも俺は知っている。
そもそも俺はハルカ以外の死神を見るのが初めてなのだ。他の死神のことは俺よりもハルカの方がずっとよく知っている。
「それに、『鬼』の戦闘能力だってそこいらの死神よりずっと高いんやで。それこそ、並の死神五人に相当するぐらいにな。戦力の見積もりとしてはこれで十分すぎるぐらいやで」
「はー……そうだったのかぁ」
俺は自分の肉体に改めて感心した。実感としてはあまりわからないが、確かに今までいろいろなアヤカシを相手にしてきても負けたことはなかったな、と思い出す。
ハルカはマサシに向き直り、続けた。
「それで、私たちが共同で討伐に行くということはわかった。でも、ここでしか説明できない、と言われた理由がわからないんだけど」
そういえばそうだ、と思った。
ハルカは仕事の内容を現地でしか説明できないと言われたと言っていた。それで内容を知らないままここに来た、とも。
確かに、ペルちゃんと共同で行うとはいえただの討伐である。それならその場で説明すればいいはずだ。
マサシの表情が一瞬曇ったが、すぐに作り笑いに変わる。
これにはハルカも気づいたらしく、わずかに眉が動いた。
「あー、それは……」
マサシは頭を掻きながら、ちらりと赤髪の青年、マンジュを見た。
するとマンジュは仕方ないな、とため息をつき、立ち上がる。
「私が話そう」
赤髪を撫でながら一同を見渡すと、口を開いた。
「この頃、生まれてから年月の浅いアヤカシの中でも強い個体が増えている。生まれつき強力なアヤカシは稀にいたが、最近はその数が異常なんだ。この人魚もその一つでね」
自然、場にいる全員の表情が険しくなる。
「そこで、いったい何が起きているのかを把握するためこの人魚を捕獲し、魂の解析を行うことにした」
「アヤカシの……捕獲!?」
俺は思わずすっとんきょうな声を上げていた。
だが、これに驚いたのは俺だけではなかった。普段冷静なハルカでさえ思わず目を見開いていて、ペルちゃんは――あ、ダメだ、首を上下に揺らしながら寝息を立てている――ともかく、俺はアヤカシの捕獲なんて聞いたことがなかったのだ。
だが、立ち上がったハルカが驚いていたのは別の理由だったらしく、
「アヤカシの捕獲は捕獲までのプロセスも捕獲後の扱いも危険すぎるとして、十五年前に禁止されたはずですが」
と、いつもの口調で言っていた。
だが、マンジュもまた真剣な表情で、
「今起こっている事態が異常すぎる。ゆえに、その事態を解明することが必要なんだ」
と、言った。
ハルカは納得のいっていない様子でしばらくそのまま上司を見詰めていたが、やがて目を伏せ、元のように座った。
「ゆえに、規則を破って極秘で捕獲を行うというわけか――面白くなってきたのう」
いつの間にかペルちゃんはケラケラと笑っている。話を聞いているのか聞いていないのかわからない死神だ。
「決行は明日。それまでゆっくりと休んでくれ」
そう告げると、マンジュは微笑む。
そのとき俺はなぜか、微かに寒気のようなものを覚えた。
「……捕獲ってどうやるんだ?」
砂浜でハルカの後ろを歩きながら、そう問いかけた。
生臭くもどこか心地よい風と、波の音と、踏む度に鳴る砂の音。夕陽を受けてきらきら輝く波。
それを楽しめずにいたのは、先ほどの、納得のいっていない様子だったハルカの表情が頭から離れなかったからだ。
「……レン、薄々勘づいてはいたけどあなたってほんとに無粋な男ね」
ハルカは目を伏せる。
どういう意味だろう、と思ったが、
「どうしても今聞きたいなら話してあげてもいいけど。これ以上私を失望させたくないなら後にして」
と、ため息混じりに言われて、ようやく気づいた。
ハルカは今このひとときだけ、死神としての責務から解放されている。純粋にこの時間を楽しんでいるのだ。
そこで俺に仕事の話を持ち込まれれば、ハルカの気分が悪くなるのは当然だった。
そう思えば、列車のなかでガイドブックをめくっていたハルカもどこか楽しげだった。きっと、ハルカも海に来ることを楽しみにしていたのだ。
「……ごめん、ハルカ」
「わかればいいの」
ハルカは微笑むと、くるりと背を向け、また歩き出した。あっさりと許されてきょとんとしながらも、思い出したように俺はそのあとに続く。
それから俺たちは、さっきまでそうだったように、互いに無言のまま、ただ歩き続けた。
砂を踏む音と波の音の合間、何かが聞こえると思って耳を澄ますと、微かに鼻歌のようなものが聞こえた。
ハルカの歩はよく見るとリズムを取っていて、潮風に揺られる黒髪も、歌に合わせて踊っているように見えた。
波の音を伴奏に、ハルカの鼻歌に耳を傾ける。そのまま、どれくらいの間、この砂浜を歩いただろうか――やがて、砂浜の端が見えてきた。そこから先はコンクリートに覆われている。
「……レン」
ふと鼻歌をやめ、足を止めたハルカがくるり、と振り返る。舞う髪が夕日に透けて煌めくさまは、その微笑と相まってとても美しく感じられた。どきん、と心臓が波打って、俺はこんな体でも生きているんだ、と感じた。
やがてハルカはまたゆっくりと口を開く。ハルカの瞳が一瞬足元を向き、瞼が降り、そして睫毛と睫毛が噛み合う一秒間、その美しさにまた息を呑んだ。
「いつも私のために戦ってくれて、ありがとう」
と。唐突にハルカは礼を言った。
俺は驚いた。そんなことを言われるなんて思ってもいなかったのだ。
「どうした、ハルカ?」
何か変だ、とまでは言えなかった。
「……」
ハルカはしばらく目を伏せたあと、再びこちらを向く。その瞳は夕焼けの空の色を映し取っていた。
けれど、何も語ろうとはしない。
「……」
俺も、追求しようとはせず、ただじっとハルカを見詰めた。そういえば、と人魚の捕獲に反対したときの、ハルカの表情を思い出した。
ハルカが一歩こちらへ歩み寄ったので、俺も一歩歩み寄る。潮風の匂いに紛れて、ハルカの髪のいい匂いがした。
「レンを失いたくないの」
そっと呟き、ハルカは俺の胸に頭を預けた。
「捕獲にはそれだけの危険が伴うから」
そう呟いたハルカの声は微かに震えていたように感じた。
「……」
俺は右手でハルカの背にそっと触れる。その背中は、頼りないほどに小さくて――左手で頭にそっと触れる。ぎゅっと抱き締めてしまうと、壊れてしまいそうな気がした。
だから、そっと包み込むように。ハルカの震えが収まるまで、そうしていよう、と思った。