《4》からす、燃え尽き症候群になる
学校を続けると決めたむくだったが補習への参加は気が進まなかったようで、時々遅刻して出席した。そのため再び先生方には迷惑をかけてしまったが、何とか補習を終了した。
かもめはいつも自分がむくのことで苦労しているのに、むくの問題やその他の事についてからすは我関せず、それどころか何かとすぐに切れて怒ったり、常識外れの奇行ばかりするので心底嫌気が差し、嫌悪感すら感じるようになっていた。そしてそれらが積り積もったかもめは、ある考えを抱くようになった。
かなり前から、からす一家は自宅を売却して別の場所に住み替えようと考えていて、かもめもそれには賛成だった。しかしかもめはその頃には、家を買い替えてもまたからすと一緒に暮らすなら買い替えるのは嫌だと思うようになった。
とりあえず自宅を売却して現金化するだけに留め、自宅を購入する際に自分のほうから出した、からすとほぼ同額の住宅資金、その割合相当額を回収しておくほうがよいと考えたのだ。
そしてその後は三人で、賃貸ででも生活するのが無難だと思った。
しかしいざ自宅の売却を実行に移そうとすると、そこには大きな問題があった。
むくは休みの日など、用事がなけれ夕方まで寝ているなんていうのは日常茶飯事だが、起きている時は食い散らかす、片付けが苦手なので、自分の部屋はゴミ屋敷にしていた。
だからもし、家の中を見たいという人が現れたとしてもとても、見せられる状態ではなかったし、午前中に内覧したいいなどと言われても絶対に不可能だった。現状のままでは家を売却するのは困難なのである。
「家に住んだままで売却するのは無理そうだよ!」
かもめの意見にからすも同意した。
それで自宅を売却するにあたり、まずどこかに間借りして先に引越して家を空にし、それから売却しようということになった。
からすは自宅を売却して、買い替えすることには賛成していたのだが、「売却はするけど着替えはしないつもり」
かもめが言うとそれには難色を示した。持ち家を持たず、賃貸で生活することにはとても不安を感じたようだ。
そして日を負うごとにからすの不安感は増し、強い拒否反応を示すようになった。そしてそれに伴って精神状態も悪化した。
まるで何かに取り憑かれたか、鬱病にでもなったのではいかと思うぐらいの状態にまで陥ったのである。
初めはかもめに対してだけ不安を口にしていたのが、自分自身でコントロールできなくなり、社内の誰彼構わず不安をぶちまけ、可笑しな言動をしまくった。
「家が無くなるから困っている」 「子供が自閉症で家族が可笑しくなって、一緒に住めなくなる」 「誰か家付きの人で、結婚してくれる女性を紹介してください」 「お金も全然無くなる」 とまあそんな具合だった。
(いい加減にしな、自閉症は自分だろう!)
かもめはそれらの言動を聞いていい加減呆れ、開いた口が塞がらなかった。
からすの言動は留まることを知らず、可笑しな言動を繰り返すしては会社の同僚達を振り回し、挙句の果ては直属の上司にまで泣きついた。
精神的が不安定になり、手の付けようのないからすを何とか落ち着かせようと思ったのか、或いは一時でもからすを可哀想だと思って同情したのか、その上司はからすに言った。
「うちには離れがあるから、もしかしたら短期間なら、そこを貸せるかもしれない」
その話を聞いたからすは、それがすぐに実行可能なことだと勝手に思い込んだ。そしてその日帰宅すると、早速かもめに可笑しなことを言い始めた。
「離れに住んでもいいって上司が言ってくれた。でも勿論ただで住めるわけじゃない。食事とかお風呂は家族と共通だから、家賃と生活費は払わなくちゃならない。裁判で生活費を分けることもできるっていわれたからそうしたい」
(この人いったい何?自分が困ったら、他人を振り回してどんなことでもしちゃうわけ?現実が全く見えなくなってる)
上司の言葉を鵜呑みにし、我を忘れたからすは突拍子もないことを言って、何日もかもめを振り回した。そういうことをされ、かもめは更にからすに辟易した。
しかし数日後には、その話は上司の側からの断りで呆気なく消え去った。
「うちには年頃の娘がいるから聞いてみたら、離れに住んだとしても、お風呂とか知らない男性が入ったりするのは困ると言うし、妻も反対だと言うんだよ」
それを聞いたかもめは、(上司に全く親切心がなかったとは思わないけど、からすのしつこさに辟易して本心ではないことをつい口走ったか、からすが本気にするとは思わずにその場逃れで適当なことを言ったのかどちらかだろう。しばらく経って正気に戻るのを待つつもりだったのかもしれないが、からすはそんな簡単な人間じゃないから、自分で責任の持てないようなことを簡単に言ってはほしくない、甚だ迷惑だ)とかもめは思った。
そして上司や同僚からいい加減呆れられ、見捨てられ、失望したからすは更なる不安に陥った。精神不安とダメージから精神状態はボロボロ、まるで燃え尽き症候群にでもなったかのようだった。
会社へは辛うじて出社していたが、椅子に腰掛けるのがやっとで仕事は殆ど手につかず、帰宅するとまるで抜け殻のように、ただ寝転ぶだけの生活が一ヶ月以上続いた。
かもめがあとになってから、からすにその時のことを聞くと、「頭の中が真っ白になって、自分が何してるのか、まったくわからなくなってた」そう言った。
かもめは世間には持ち家を持たず、高齢になっても賃貸で生活する人も沢山いるのに、なぜそこまで持ち家に固執するのか理解に苦しんだ。そして過去に何か特別な事情があり、それが原因なのかもしれないと思い、からすに聞いてみた。
「子供の頃実家でやってた箱作りの商売が上手くいかなくなって、いつ家が無くなるか、無くなるかと心配してた。結局最後は、借金を返すのに売ってなくなった」
かもめの予想どおり、やはり過去の出来事が原因だったのだ。
それを聞いたかもめは、そのことはからすにとってのトラウマにで根が深いので、ちょっとやっかいだと感じた。しかしだからといって、住宅や資金の問題は今後の生活にも絡む重要な問題なので、計画を実行するしかないと考えた。
いい年して子供みたいに散々家族を振り込回し、酷いことばかり言うからすには呆れ、最低だと思ってますます嫌気がさした。
しかし、そう思いながらもかもめは会社でのからすの今後を考え、後日からすが迷惑をかけた会社の上司にその謝罪のため、菓子折りを持ってからすの会社へ出かけた。
(どうしてからすが会社で起こした騒動の尻拭いを自分がしなければならないんだろう?普通に考えたらあり得ない!自分の子供がやったのならしかたないけどそうじゃない)
かもめにはどうにも納得がいかず、割り切れない気持ちだった。しかし、自閉症であるからすと今後も一緒に生活する可能性があるのなら、からすのためというより家族の生活のためと割り切るしかない。
自分の子供のような存在だと考えるしかないのだ、かもめはそう自分にいい聞かせるのだった。
そんなからす一家だったがその事件が起きる前に、夏休みだけは家族で一緒に旅行しようと、マレーシアのクアラルンプール行きの計画を立てていた。
しかし旅行が迫ってもからすの精神状態はいっこうに良くならず、「とても行けそうにはない」と言うので、一瞬旅行をやめようかと思った。だがキャンセル料のかかる時期に入っていたこともあってかもめは考え直し、むくと二人だけで行くことにした。
そして馬鹿らしいと思いながら、からすの分は、旅行代金の二十パーセントを支払ってキャンセルしたのである。