初部活動、開始
次の日。高校から程近い河川敷に春研メンバーは約束通り10時に集合していた。ただ1人を除いては―
「林さん遅いなぁ」
もう何度目かのセリフを聖夜が復唱する。
そう、林さんが来ていないのだ。腕時計を確認すると長い針は既に3を過ぎている。
ま、15分くらいの遅刻は誰にでもしてしまう可能性はあるだろう。こんなに桜も咲いて、お天道様も笑ってるみたいだし、ゆっくり待とうじゃないか。そんなことを思いながら空を見上げていたると――。
「あ、来た」
視界に入っていた土手の上を、あのリムジンが走って来た。
すげー目立つな。
それは俺たちの近くまで来て、停車した。
「…みんな…遅れて…ごめん…」
例の執事がドアを開け、林さんが申し訳なさそうに出てくる。
「全然、大丈夫だ」
声をかけたのは俺だけ。なぜなら俺以外は魂を抜かれているのかというほどに口を大きく開けて、完全に静止しているからだ。
まさに、言葉がでないってやつか。
そりゃそうだ、友達がリムジン乗って待ち合わせに来れば、誰だってこうなる。
少し間をおいた後、みんなの口から言葉が漏れてきた。
「…あれが林ん家の…車…か?」
「すごーい…っ」
「執事までいるよ…?」
「お嬢様、ではお気をつけて、行ってらっしゃいませ。私、お嬢様のお帰りを心待ちにしております」
執事は深く深~くお辞儀する。それはもう自分のへそを覗き込むように。
おい、それは前屈っていうんだぞ。ったく、二重人格者が。
「…お家で…待っててね、帰るときは…連絡するから…」
「はい!!」
執事はうるさく返事をしてリムジンで走り去った。
「林さん、遅かったな。何かあったのか?」
俺は土手をとてとて降りてきた林さんに真っ先に話しかけた。
ここは俺が話しかけるしかない。みんな腰が引けてるだろうし。
「…さっきの秀光が…なかなか…来させてくれなかった…」
「あのうすら執事が」「お、おい。林、お前ん家…なんなんだ?」
「…なにって…普通の…家」
「いやいやぁ、あれは普通の家が持ってる車じゃないんだよぅ?ゆうみん、何者?」
苺、なぜ、後半を低めの声でビシッと指差して言ったんだ?なにかのモノマネか?だとしたら意味わからんぞ。
「…だ、だから…っ」
そんな苺に対し、林さんは彼女なりに両手をパタパタ振った。しっかし相変わらず、見事な真顔っぷりだなぁ。けど、焦っているのは伝わるんだよ。不思議なもんだ。
「…わからない…っ…私…よく知らない…」
うーん、林さんの家庭は確かに気になる。いろんな意味で。でも、林さんは本当に知らないようだし、追求はしないほうが良いだろう。
それじゃあ、そろそろ。
「はいはいっ、全員集まったんだし、部活始めるぞ」
とは言っても、ただ花見するだけだけどな。
「レジャーシート敷くから手伝ってくれ」
聖夜は持参してきたレジャーシートを広げ始めた。切り替えが速くて助かる。
「…私…手伝う…」
林さんが志願して二人でパサパサ、シートを敷くが、ふぁぁと風が吹いて飛ばされてしまった。あわわあわわと、追いかけている。
「日本にはこんなに綺麗な桜があって良いな~…」
そんな二人とは裏腹に、苺は土手から川沿いまで咲き誇っている桜を、しみじみと見つめていた。その瞳は、桜の奥に何かを見つめているような虚ろなものだった。
―お母さんにも見せたかったな…―
「?」
小さい声で何か言ったようだが、聞こえなかった。聞き返そうとすると、苺はパッと笑顔に戻った。いつもの笑顔に。
「…でさでさっ、まず何するのっ?」
聞き返す時間をもらえなかったな。ま、いいか。いつもの苺に戻ったみたいだしな。
「そうだなぁ…花見っつったって基本的に食って、ダベるだけだかんなぁ」
と、聖夜は頭を掻きながら言う。
聖夜の言う通りだ。大人になればもっと楽しいんだろーけど、高校生からしてみるとあまりパッとしないイベントだな。
「とりあえず、弁解食べるにはまだ早いな、何かして遊ぶか?」
「じゃーん、僕、こんなものを用意したよ。ちょっと花見っぽくないかもだけど、時間潰しにはなると思う」
陵がカバンから取り出したのは、二つの頭を持ったブルドッグのオモチャ。
二匹が背中合わせに座っていて、その表情は真顔のものと、いかにも怒っているようなツリ目のものがある。ちなみにその口にも違いがあり、真顔は歯がないのだが、ツリ目には鋭い牙が生えていたりする。そして口の中には小さな金魚の人形が入っている。
「大体やりかたはわかるよね?」
「あぁ、このカードを引いて、出た数だけ金魚を救い出せば良いんだろ?」
どっかで見たことある気がするなぁ。
「正解、その通り。だけど、気をつけてね、あんまり衝撃を与えるとガブってされるから」
「ガブ…って…」
林さんが怯えてヨタヨタと後ろに2、3歩後退する。
「えぇー、痛いの?嫌だなぁー」
苺は冗談混じりに首を横に降る。顔は笑ってんじゃねぇか。
「大丈夫大丈夫。女の子と僕は普通の顔のほうで良いから、あんまり痛くないよ」
「「おい待て、何故、お前までそっちなんだ!?お前はこっちだろ!!」」
何を言ってるんだ?コイツは。
「だって、痛いのやだよー」
「「俺だって嫌だわ!!お前が無駄な機能付けたんだろ!!」」
有無を言わさぬ口撃(攻撃)によって、陵は心も涙腺も崩壊したようだ。
涙がちょちょぎれてる。作った本人がこの様じゃ、これは相当痛いかもな…。あぁやだやだ。
「わかったよぉ……じゃあ…僕もそっちでやるよ…」
泣くくらいならなんで、こんなにデンジャーなオモチャを作ったんだよ。
「よし、とりあえず、やってみっか」
と、引きつった笑顔の聖夜がカードを引き、その獰猛なブルの口に手を突っ込んで、冷静沈着に2匹の金魚を取り出した。
「やっべぇ…これ超こえーぞ。春樹がんばれよ」
真面目な顔で言うなよ。こちとら、手が震えて上手くカードもめくれねぇんだぞ。
「…い…いくぞ…っ」
覚悟を決めて、口に手を入れる。
俺ってつくづく運が悪いらしいな。4匹のカードを引いちまうなんて。
カチャ…カチャ…。
ブルの口内で金魚が共振する。主に俺の手の震えによって。
そ、そんなに暴れないでくれっ。そんなに跳ねたら噛まれ―――ガブッ!!
「……ッ!?!?……痛ってぇーッ!!うおぉー!!え、何これ何これ、穴開いただろ!!マジで絶対穴開いたから!!」
想像を遥に凌駕する激痛に、右手を抑えてその場を転げ回る。
そして苦しむ俺を笑い者にする薄情者共。
「…てめぇーら…おぼえてろ…よ」
どごぞの雑魚キャラのようなセリフを吐いた俺はそれ以上、痛みで喋れなかった。
3分後…回復。やっと痛みがひいてきた。
痺れた手にフゥフゥ息をかけながら歯形をまじまじと見つめる。
いやぁ…穴開いてなくてよかった。本当によかった。
「第2回せーん!!やるぞー!!」
俺は天高く、歯形のくっきり付いた痛々しい右手を掲げる。
引き下がるわけにはいかない。次こそは…勝つ!!
「ぼ、ぼぼ僕の番だね」
陵は緊張と恐怖で声が上ずっていた。俺の苦しみ様を見れば痛みの程度が尋常じゃないことぐらい容易に想像つくだろう。
だがしかし、手先が器用な陵は見事に3匹の金魚を救出してみせた。
クソッ!!まぁいい。俺が痛みを味わって欲しいのは、聖夜だからなぁ。聖夜の野郎、さっきはよくも腹を抱えて笑いやがったな。お前にもあの激痛を味わってもらうぞ。
「次は苺の番だねー。いっくぞー」
苺はさっとカードをめくる。恐がってないみたいだ。苺らしいな。
「3匹だって~、微妙だな~」
とかぼやきつつ、四つん這いになって手をブルちゃんの歯がない口に突っ込む。
"四つん這いになる"その行為によって強調される部分…すなわち…ボイン。それが重力に引っ張られて―ハイきた。正面とったー。
真剣な眼差しでブルちゃんを見つめる瞳。その下には魔性のマシュマロ。
至高の景色。俺にとって、いや大多数の男子にとっては桜よりも見たい風景であること間違いなし。
「ふぅ、よかった~、すんごく緊張したよ~」
終わってしまったか…。しょうがない、目の保養には十分過ぎたくらいだ。ご馳走様でした。
「…次は…私…」
普段は無表情の林さんが恐怖に顔を歪めている。
女子は歯がないほう(ブルちゃん)だけど…それなりに痛いかもしれない。そんな思いが林さんを震わせているのだろう。
「…2匹…」
カードを引くと安堵の息をついた。2匹なら少ない方だからな。
「……っ…」
林さんは剣な面持ちでブルちゃんから金魚を奪取。一同がふぅ…と気を抜いたその時―林さんの手の甲がブルちゃんの分厚い唇と接触してしまった。その刹那、ブルちゃんは物凄い勢いで口を閉じ、下顎と上顎をガンッ!と音をたててぶつけ合わせた。
「「「う…あぁ…っ…」」」
その場が凍りついて、全員が息を飲んだ。
林さんはすでに半分引き抜いていたこともあり、紙一重で避わしていた。
「…あぶな……かった…」
目を大きく見開き、息を荒らげた林さんは、手を愛しいそうに撫でていた。
「なんちゅう音だ。あんなのまともに喰らったらマジでアザになるぞ…」
聖夜も流石に驚いた声を出す。
「おい、まともに喰らった人間がここにいるだろ」
「あぁミスった。"まともな人間"がまともに喰らったら、だったな」
笑いを堪えながら、言ってんのがまるわかりだぞ。
「はは、聖夜。何言ってるか分からないなぁ…はははは…」
愛想笑いに次ぐ愛想笑い。頬の肉を無理矢理引き上げる。
ふざけたこと言いやがって……まぁいいさ。次はお前の番だ。覚悟しろ。
「2周目かぁ……げっ、5匹…」
聖夜は嘆息して項垂れた。
ざまぁみろ。
深呼吸した聖夜が狂犬ブルの口に手を突っ込んだ。
ふふ、まずは…笑わせてやろう。
聖夜の正面にはいって、自慢の変顔を繰り出す。
「…う…ぷ…ッ…」
笑うと手元が狂うのは必然だ。必死に耐えるしかないだろう。
2、3個違う顔に変えたが聖夜は耐えきった。なかなか、やるじゃないか。なら…これでどうだっ。
次に俺は、聖夜の足の方に回り込み、足の裏をくすぐった。
こちょこちょ、こちょこちょ。
「は…春樹…てめぇ……」
「耐えられるかな?ククク」
わざとらしく悪役を気取る俺を聖夜はキッと睨み付けた。
なんだ?結構余裕があるみたいだな。
最終手段だ。強制執行!!
「喰らえーー!」
俺も四つん這いになって聖夜の手首を握ろうとした、が―地面に置いた左手が滑って、右手はブルの口内へ吸い込まれた。
マズイ!!―そう思った時にはもう遅かった。
俺の手が乱入したことによってブルの強靭なアゴが2つの手に襲いかかる。
「「…痛ぃったー!!」」
なんで!!なんで俺まで…!!
脳内でさっきの凶悪な音が木霊する。あの力で俺は牙を打ち込まれたんだ…。恐ろしくて、自らの手を直視できない。
「は…るきぃ…てめぇの…せいだぞ…」
痛みと怒りに声を震わせた聖夜は俺と同じようにレジャーシートにうずくまっていた。
「俺…だって…痛い……これ以上やっても、文字通り血で血を洗うことになる…不毛な争いは終わりにしよう…」
「そうだな…」
聖夜と俺を黙って見学していた3人は、やれやれと顔を見合わせると同時に、ハァと安堵の息を吐いた。