寄り道
「ふぅ…」
今日はいつにもまして疲れた。
魂の抜けるようなため息を洩らしつつ。
緑溢れる校門を抜けて見慣れた道へと歩を進めていると…
「春樹君…。待って」
「うおっ」
唐突に裾を引っ張られた。
「林さんか、びっくりさせるなよー」
まったく気配を感じられなかった背後から声をかけられ、すっとんきょうな声を出してしまった。
俺が「どうしたんだ?」と尋ねると、林さんは俺の目を一直線に見つめた。
微動だにしないその瞳に少し戸惑いをおぼえたが、無表情だった夕美さんが微笑んだのを確認して、正直こんな表情もするのかと安心と驚きを感じた。
今日…いや、一応始業式の日から顔見知りなのだが、彼女が笑ったところは見たことがなかった。
「一緒に、帰る」
言葉数は圧倒的に少ないがその中に親しみを感じてしまう。そんなほんわかとした声だ。
「良いけど、家はどこら辺なの?」
一緒に帰ると言うことは俺と林さんは家が近いのだろうか。
「あっち」
どうやら予想は外れたようだ。
林さんは沈んでゆく夕陽を指差した。
俺のボロアパートは学校からみて、東側なので正反対。
でも、徒歩で登下校するのだから、比較的近くにあるのだろう。
「ぅー…」
「…だめ?」
少々迷っていると林さんは、そんな俺を寂しげな声色で覗き込んだ。
「ダ、ダメじゃないよ?うん、じゃあ一緒に帰ろうか」
実のところ、いつもと違う、この可愛らしい夕美に出会えたことが嬉しかったのだ。
「右……左」
林さんのナビはいつも通り単調だ。
「それで?なんで俺なんかを帰宅時の話し相手に選んだんだ?」
学校から10分ほど歩いたところで。ずっと、抱いていた疑問をぶつけてみた。
「理由…ない。ただの気まぐれ」
林さんは前を向いたまま、答えた。
「ふぅん」
気まぐれかぁ。ま、そりゃそうか。
一人で帰るよりは、俺なんかでも、ましなのかもな。
「…なぜ、わたしの入部、許可した?」
またその質問か。苺といい林さんといいそんなに気になるものなのかな?
「林さんの解答が素直で俺たちの心にグッときたからだよ」
正確には聖夜の心に、だけどね。
「わたし、少ししか書いてない…」
そう言って、林さんは夕焼けが作り出した自らの影に視線を落とした。
「そうだな。だけどその少しを書くのにどれだけ時間がかかったんだ?」
「………午前中ずっと…」
「うん。きっとそうだと思った。あんな質問に半日を費やしてくれた林さんを入部させないわけないだろ?」
頬を夕日に当て、その色に染めた夕美は「でも…」と口を開いた。
「春樹君だって、あの質問、時間かけた」
「はは、全部お見通しか。まぁ俺も徹夜したよ」
苦笑。
あんな質問に徹夜するなんて…。
それにしても、林さんには驚かされてばかりだ。
「…なんで、俺が徹夜したことわかったんだ?」
林さんの相好は変化しないが、耳がピクリと跳ねたのが見えた。
「そ、それは…午前中、授業…ずっと寝てたから……」
「あぁ、そうだったか。よく気付いたな。俺の席は後ろだから、林さんからだと見にくいだろうに」
ピクッピクッ。
あ、また跳ねた。
「そ、それは…偶然、たまたま」
「そっか」
俺は林さんが頬から耳まで赤面領土を拡大させたから、これ以上深く追及することはしなかった。
……。
………。
おい……。
おいおい……。
「……。林さん。まだ歩くのか?」
校門をくぐってから、かれこれ一時間半近くたつ。
太陽は、すでにその顔を半分隠してしまっていた。
「うん。まだ…」
「まだかぁ」
嘆息しつつ、俺は疑問を抱いていた。
一般人が歩いて行ける距離って何キロなんだろ?
それは、個人差が激しいモノだ。
さしずめ俺は2、3キロが妥当だと思うのだが、林さんは違うようだ。多分4、5キロではないか。そう願いたい。
だが、願いは月夜に儚く散っていった。
太陽は完全に身を潜め、月明かりがあたりをうっすらと照らし出している。
いつの間にか森へ入ったようだ。辺りには木々がざわめく音と俺たちの足音だけが響いている。
もう、歩き始めてから2時間は越えいるだろう。体感時間だと3時間くらいに感じられる。
正直、辛い。
だが、その苦行にもピリオドが打たれるときがきたようだ。
「…春樹、着いた」
「ん…あぁ…よか、った」
後半はもう地面しか眺めていなかった。
「ん…ん?え"ぇ"ー!?」
すっかり暗くなってしまった地面から顔を上げると目の前には…見渡す限り木、木、木、と―
「こ、これは……。」
豪邸―。
この言葉がこれほどしっくりきたのは生まれて初めてだ。テレビのなかに映し出されたものでなく、今目の前にある。
森の広大な敷地を惜し気もなく使った三階立ての巨大な建物。白を基調とした外見で暗闇でもその姿ははっきりと浮かび上がっている。
「お帰りなさいませ。夕美お嬢様。」
口をあんぐり開きっぱなしにしている俺をよそに門からイケメンがつかつか歩いて来た。
全身を漆黒で統一した凛々し恰好。すなわち執事服。それとは対照に月光で幻想的に輝いているシルバーの髪と眼鏡。同じイケメンでも聖夜とは違った大人の色気をかもちだしている。
「お帰りなさいませ、お嬢様。学校までお迎えにあがったのですが、お姿が見当たらなかったもので……」
「…今日は、歩きたい気分だった…」
「左様でございますか。しかし、次からは連絡してくださいませ。僕は、心配で心配で……」
「…わかった、ごめんね…」
おい、執事、泣くなよ。
と、そんなことは言っちゃダメだな。ここは、挨拶を…
「こ、こんばんは」
「これはこれは、お嬢様のご友人でございますか。ようこそいらっしゃいました。しかし、お嬢様にお触れになったらブチ殺しますからご用心くださいませ」
ニコッと微笑んだ執事は自らの胸に片手を置いて丁寧に脅迫してくれた。
はは、なんてこった。これで本日二度目だよ。
「どうもご丁寧にありがとうございます」
背中で汗がゲリラ豪雨を引き起こしていることを悟られないよう、俺は至極普通に一礼した。
「さぁこちらへ」
玄関先で鳩が豆鉄砲を十発くらったような顔をする俺を執事は屋敷内に案内した。
部屋までの道(うん、廊下じゃない、もはや道だった)の壁際には見るからに芸術的価値が高そうな絵画や彫刻がところ狭しと置いてあった。
まるで迷路だ。一人でトイレに行ったら確実に迷子になるだろう。
大きな扉を潜り、部屋に入ると三本立てのロウソクをのせた細なっがーいテーブルが置いてあった。
林さんは「少し、待ってて」と、部屋に入らずに奥に歩いていってしまった。
そして残されたのは執事と俺。
気まずい…。
執事が眼鏡をカチャッと上げる音だけが場を支配している。
おかげで、呼吸するのも苦しいくらいだ。
執事に促されたテーブルに腰掛けた俺が色々な意味で緊張して固まっていると。
ギィ…重々しい音をたてて両開きのドアが開き、林さんと烏のようなフード付きのマントを羽織った人が二人、入ってきた。
「春樹くん、ようこそ」
微笑んだ林さんは俺の正面の席に座った。
ねぇねぇ、執事さん執事さん。
あなたは、なんで俺の隣に突っ立ってらっしゃるのですか?なんでそんなにも眼光をギラつかせて俺を見つめてるのですか?
執事さんへの素朴な質問を奥歯で噛み殺していると。
背の高い方のマントが話始めた。
「ヘロ~、ボクハ、夕美のチチ親の…」
片言だけど流暢な日本語だ。外人なのか?
「…林次郎デ~ス」
おい、次郎って、おもいっきり日本人の名前じゃんか。太郎、次郎、三郎…の次郎じゃんか。
パサッ、続けて次郎さんは格好良くマントを脱ぎ捨てた。
おいおい、外見も日本人代表みたいだな…それも江戸時代の。肌色の皮膚、黒い瞳に、黒髪のちょんまげ…侍の着物。
なんなんだこの人。なぜ、日本語が片言なんだ?なぜ、侍なんだ?
すると、林さんが彼女なりに慌てふためいた様子で俺を見てきた。
「春樹…お父さん、日本人…信じて…」
うん、わかってます。
こんなに日本人っぽい日本人はそうそうお目にかかれないだろう。いやまぁ、百年近く前の日本人だけれども。
これを真剣に弁解しようとする林さんも林さんで、素直というかなんというか。
「そ、そうなんだ。格好いいお父さんだね」
お世辞なんかじゃないよ?だって、本当に格好が"異い"じゃないか。
「オゥー、アリガとう」
次郎さんは腰の刀に手を置いて会釈してくれた。
すると、ずいっともう一人のマントが「さて」と前へ出た。
「次はアタシの出番ねっ」
クルッと一回転しながらマントを脱ぎ捨てる。
「ぅっ…げほげほ…。」
驚愕の光景を目の当たりにして、空気を喉に詰まらせてしまった。
マントの下から姿を現したのはこの世には存在しないと思っていたもの。
夢や希望を与えるという意味ではペガサスやユニコーンなんかと同類であるはずの空想、いや妄想の生物。健全な男子の脳内だけの生き物。
それが今、目の前にいる。
右手におもちゃの拳銃、左手は片方だけ手錠をつけてグルグル回し、全身は紺色で光沢をもつ少し小さめな衣装。
そして、つい眼球がとらえてしまう幻想的なほどに丸みを帯びた太ももの肌色とそれを際立てるスカートの紺色との境界線。
今にもはち切れてしまいそうな胸囲。
「ミニスカ……ポリス」
目と口をぼんやりとあけたまま、無意識に発せられたため息にも似た声。
人間は感極まると、ため息が出てしまうのだ。要するに。なんも言えねぇ…ってやつだ。
「ごめん。お母さん…変な人。いつも色んな服、着てる」
両手で顔を隠すように覆った林さんは首を振るった。
「母親の林実功でーす。よろしくねー。夕美が友達連れてくるって言うから気合いいれちゃった。てか、友達じゃなくって彼氏かな?」
「……おかあさんっ…!!」
林さんは、ますます顔を赤く染めて、ポリス軽く睨む。
「冗談よ冗談。それでお名前は?」
「天地春樹です。夕美さんとは同じクラスで、今日からは部活動も一緒に活動していくことになりました」
俺はペコリと会釈しながら、自己紹介をした。
「そうなの?夕美が部活動するなんて初めてじゃない。春樹君、夕美をよろしくね。この子大人し過ぎてあまり人と関わらないのよ」
「はい。夕美さんが素直で優しい人だってことは話していて、わかりました。こちらこそよろしくお願いします」
「だってさ、夕美。良かったわね」
実功さんはおもちゃの銃で林さんに撃ちまねをした。
「おかあさんっ……」
それにしても…ちょんまげ生やしたお父さんにミニスカポリスのお母さん。
ユニークだなぁ。個性強すぎだな。
だけど、凄く楽しそうに見えた。
それは林さんが微かだが笑っているからだろう。
現在一人暮らし真っ最中である俺には羨ましい限りだ。
「林さん、楽しそうな家庭だね。俺も一緒に住んでみたいよ」
「春樹…くん…」
ポッと林さんは一瞬のうちに赤くなって、目を伏せた。
「オォー!!それはイイ!!ぜひたくさんアソビにキテくれ」
「そうね、夕美も喜んでいるみたいだし」
「ありがとうございます。また是非、よろしくお願いします」
「…チッ…」
おっと執事さん、聞こえちゃったよ?舌打ちはダメじゃね?そこまで露骨に嫌がらないでくれよ。
鋭い眼光が眼鏡越しでも俺の脳裏に突き刺さるから。
「ソレじゃ、ご飯ニしよう。」
パンパンと次郎さんが手を叩くと、メイドによって銀の皿が運ばれてきた。
メイドさんまでいるんだ…。
「ごちそうさまでした。ありがとうございました」
食材たちと林家の皆さんにお礼を言う。
美味しかったなんてもんじゃない。それこそ、舌がとろけるような味だった。
銀の皿が出てきたと思ったら、前菜からメイン、デザートまで順々に登場してきた。コース料理なんて、生まれて初めて食べた。
「ねぇねぇ、部活ってなにするの?」
ミニスカポリスの実功さんが、肩肘をテーブルについて前屈みに俺を見据えた。
プルルン。
むむ、胸が…ッ!!光沢のある紺色の衣装よりも、テーブルの上に出現した胸の谷間の方が断然輝いて見える。
「……。」
「春樹君?」
「え、あ、はい。部活動の内容は、青春を謳歌することです。」
危ない、危ない。
無限に広がっていく欲望という名の底無し沼に足をとられるところだった。
「へぇ、具体的にはどんなことするの?」
「まだわかりません。明日から考えていこうと思ってます」
「そっか、楽しそうだね。よかったじゃない夕美」
「…うん。よかった」
高級車リムジンに揺られながら、帰り際の様子を思い返してみた。
「今日はお世話になりました」
「春樹君またいらっしゃいね」
「ハルキ、いつでもキテくれヨ」
「はい。ありがとうございます。またお邪魔させて下さい」
林さんの両親は、笑顔で見送ってくれた。いい人たちだな。本当に有り難い。
「…春樹くん、ばいばい…」
「また明日。今日はありがとな」
「…うん」
それに比べて林さんは、いつにもまして暗かった。表情はいつも通りだがその瞳は地面を見つめていた。
周りの木々は寂しげに揺れ、ザワザワと音をたてていた。
「おい…」
「……。」
「おい!!」
「うぉ!?」
「ボーッとしてんじゃねぇよ。着いたぞ?ここで良いんだろ?」
俺は執事の声で現在へ引き戻された。
外を見るとさっきまでの豪邸とは天と地の差、耐震性は大丈夫だろうか、と本気で不安になるアパートがあった。
「あ、はい。ありがとうございました」
「んじゃ、早く降りな。それから、夕美お嬢様には手ぇ出すんじゃねぇぞ」
執事…お前、二重人格なのか?
二人きりになった瞬間、ヤンキーみたいになりやがって。
「いやいや、滅相もないですよ。林さんは俺になんかに興味持つわけないじゃないですか。…あんたにもな…」
「あぁ?なんか言ったかぁ?」
「いえ、なんでもありません。それじゃ俺はこれで」
柔らかいシートから腰を上げ、ドアを開ける。
「二度と来んなよ、じゃあな」
「おわッ、ちょ、おいッ!!まだ降りてな…」
痛ッ――!!
ゴロゴロとハリウッドさながらの横転をさせられた俺は闇夜に吸い込まれていく黒いリムジンに叫んだ。
「この二重人格変態野郎がー!!」