ミツケタ
腹の虫がぐうっと鳴く。
嗚呼、お腹が空いた。寛太郎から逃げた日、所持していた唯一の食べ物ハンバーガーを地上七メートルから見事に落としてしまった。それ以来丸三日水以外に何も口にしていない。今更ながらあの時躊躇せずにハンバーガーを食べていればよかったと思う。三日前まで自身が思っていた質の落ちた生活というものをしているのが現状。加えてゴミを漁れば完璧だな。でもプライドを捨てられない俺はまだ漁ってはいない。というより漁る場所もない。
ハァ、何も食べないって辛いな。気が付けばあばら骨がうっすら浮き上がっていた。それに気がつくと何かと食べ物の事ばかり考えている。皆はこれ以上の思いをしているのか。少しだけ皆の気持ちが分かった気がする。毎日食べてた俺はやっぱり贅沢だったな。毎日食べていたことを謝罪したい気分になってくる。
あそこ(屋敷)から出てきたのは良いものの、結局俺は意気地無しだったために餓死するのが怖くてずっとあそこの近くに留まっていた。見つけたいモノがあって出てきたはずなのにここに来て何も行動できていない。こんなことではいけないとは分かっているのに。いっそもう止めてしまおうか。でもあそこには帰りたくはない。
これからどうしようかと迷っていた時、寛太郎に会った。これでよかったと思う。そうなった以上食料を調達する場に安易に行くことは出来ない。そこは俺が逃げてきた場所と縁があるしとても近い。多分寛太郎自身の意思で俺を探していたんだとは思うけど、現に寛太郎はそこに在住してる。万が一お上に俺がいたことを報告したとするなら、お上の仕いの人たちが俺を探してその辺を彷徨いているかもしれない。
そう考えると俺に迷いはなくなった。ここまで来たら何もしないで留まっているより求めているモノを探してずっとずっと遠い所に行って、餓死してしまおう。その方が見つけられなかったとしても絶対に後悔はしない。決意が出来たのは不本意ながら寛太郎のおかげ。心のなかで感謝する。
そういうことで寛太郎から逃げきってから誠は世界の中心と反比例して逆方向にずっと歩き続けていた。世界の中心とは屋敷のこと。堕落苑の住人は屋敷を囲むようにして路上で生活している。おとぎ話でもあるように住人たちは『食い繋いでいくのに精一杯』の生活をしている。が、屋敷に行けば『欲しいものをくれる』。逆を言えば、
屋敷に行かなければ何も貰えない、屋敷の周辺以外は何もない。
食べ物が無いからと行って畑を耕すことは出来ない。服が無いからと言ってお店に行って買うことが出来ない。お店がないどころかまず金と言うものが存在しない。有るのは廃屋と屋敷から出てきたゴミと、ゴロゴロと転がっている腐敗した人間の亡骸。そう、そこはまるで『ゴミ箱』。屋敷に住む奴はそこのことをそう言う。ゴミっていうのは臭いし衛生上ほったらかしにすると良くない。でも堕落苑という所にはゴミ処理所が存在しなかったわけ。当然そうなると感染病が大流行するだろう。そうなれば屋敷も大惨事になるので屋敷は無人大型車を使って除菌と腐敗を止めて死体を石化させる死体専用防腐剤を撒きにくる。それ以外には屋敷に来なければ何もしてくれない神様。しかも屋敷を訪れても『タダ』では欲しいものをくれない。『ゲーム』で勝たなくてはいけない。おとぎ話のように話はうまく行くはずなんてない。神様と呼ばれた者は実際のところすっごい意地悪だった。現実はそう甘くない。
甘くない、いや辛くて刺激の強すぎる現実が誠に疑問を抱かせた。
寛太郎から逃げきって屋敷の反対方向に歩き始めて三、四〇分ぐらいで廃屋やゴミが有っても誰一人そこにはいなかった。もっと歩き始き進めると屋敷からのゴミも亡骸もなくなって、地面には枯れた草が沢山生えていた。もっともっと歩き進めると知らないうちに森の中に入っていた。
そして俺はその時この上なく感動した。今までにこんなに木が生えている所を見たことがなかった。今は真冬で葉っぱは散ってしまったけど、見たことのない綺麗な模様をした鳥、毛がフサフサ生えている四足歩行の動物を見た。なんて名前だろう、どんな生物なんだろう。人間以外にはカラスとゴミに這い蹲るグロテスクな虫しか知らない俺は見てるだけでワクワクした。自然があるところを全く知らない俺には見るものすべてが新鮮で、まるで別の世界に来たかのよう。綺麗な川も流れていた。
こんな場所話でしか聞いたことがなかった。辺りを見回しながらその時だけは空腹などを忘れてどんどん森の中を歩いていく。
気が付けば暗くなっていてあっという間に夜になっていた。
もうどれぐらい歩いたんだろう。
のろのろと坂道を歩く。歩くスピードを落としても坂を歩くのはきつかった。加えて地盤が悪くてさらに体力を持っていかれる。そろそろ限界かもしれない。
「ハァ。」
一休みしようと一旦立ち止った。後ろを振り返ると嫌でも見えてしまうのは、夜に似合わず下から強く光るオレンジ色。
「まだ見える………。」
光の正体はどうせ屋敷を取り囲む繁華街からのモノ。そこにしか灯りは存在しない。
大分歩いた筈なのに見えるのがとても気にくわない。屋敷や繁華街そのものが見えるわけじゃないけど光だけでも見ると現実に戻される気分になってくる。
あとどれだけ歩けば見えなくなるんだろう。やっぱり休まないでそのまま歩くことにする。
ザっ、ザっ。
あと、どれくらい?あとどれくらいでこの世界は終わる?あとどれぐらい歩けば…。
俺の体力はもう限界だった。意識は朦朧としていてまともに歩くことができない。視界もかすんでど何処に何があるかもわからない。
「っ、」
何かに躓いて転んだ。起き上がろうとしてもなかなか力が入らなくて全く動くことが出来ない。
もうこれでお仕舞いかな。この森は永遠に続いて終わりなんてなかったのかな。密かに自分の体力がなくなる前にこの森の終わりがあると期待してたんだけどな。
俺は今にも意識を手放しそうになっていた。でも森に終わりはなかったけど、ここには俺の知らないモノがたくさん見れた。夢の世界にいるようだった。ここで死んでも悪くないと思う。あんな酷い所で防腐剤を纏うなんて真っ平だし、ここでなら一人で誰にも汚いこの体を晒さずに死ねる。土にかえって森と同化だってできるんだ。
俺はそっと目を閉じようとしたよ。
でもね、何かが俺を生かそうとした。そんな気がした。
ブワッ、と森が唸るような大きな風が吹いた。体を射抜くような凍てついた風に乗って嗅いだことのないきつい匂いがした。今までにない匂い。でもなんかの臭いに似ている。嗚呼、あれか………。
「っ!!」
その匂いにハッとした。体が動かなかったはずなのに、目を見開いて上半身を一気に起こす。
………もしかして…もしかして、もしかしてもしかしてもしかして!!!!!!
おぼつかない足取りで、でも力強く歩いた。あるんだ!本当にあったんだ!!これで確信ができた。
いつのことだったか覚えていない。顔も場所も誰だったかも。
「誠。誠はとっても優しい子だから良いこと教えてあげるね。」
はたして良いこととは何だろう。その人に頭を撫でられながらその後の言葉を待った。
「私たちの住むこの世界の遥か遠くにはね、賭けをしなくてもお腹一杯にご飯を食べれる場所があるらしいよ。人が沢山死んでいたりもしないんだって。」
え、なにそれ。凄く羨ましい。
「夢のような世界なんだって!ここでは見られない色、動物、遊び、音楽!!」
そこの国にはこんなものがあるんだよと何も知らない俺に絵を見せてくれて、その世界のことを出来る限り教えてくれた。世界の名前はニホン。そんな名前だった気がする。
ねぇ、そこって本当にあるの?
「うーん、どうだろう。でもあるって思ってたほうが楽しいから私はあるって信じてる」
その答えはあまり納得できなかったけど、俺も信じてみようと思った。絶望に染まったこの世界に希望を持ちたかったから。
「あ、でもこんなこと聞いたことある!!」
「この世界は海に囲まれているんだって。」
海って何?
「大きな大きな水溜りのこと!私たちの世界はその大きな水溜りに浮かんでいてニホンも同じ海に浮いているんの。」
全然想像つかないや。
「ふふ、私もよ。でも想像するのが楽しくてしょうがないわ。それに海って特徴があって―――――――」
――潮の香りがするんですって!海鮮物の香りと一緒!
今俺が嗅いでいるきつい匂いはまさにそれ。
その全貌が見たい。気持ちは早まっても体がなかなかついていけない。早くそれが見たい。あるんでしょ、海があるんでしょ。
ザバー!
嗚呼、黒い地面が大きく揺れている。潮の匂いが一層強くなる。顔に冷たいモノが付いた。頬を伝って口にその水が入る。しょっぱい。
やっぱり海だ。
そして海の前に突き刺さる太くて黒い棒状のそれ。
あの人に聞いた誰もが幸せに笑い、自分の意思が尊重出来る奇跡の場所。そんなおとぎ話の国を信じて俺は屋敷から逃げてきた。
「…やっと見つけた………。」
俺が探していたのは、何もかもを拒絶するように壁を作っている黒くて大きい柵だった。