踏み込む ~瑞穂~
・・・なんだかいつもと違うような気がしてた。
喫茶店で待ち合わせ。
修也が数分遅れてきたのも、ごめんって笑ったのも、珈琲を頼んだのもいつものとおりだった、けど。
・・・何か違う。
あたしはさっきまでしていた、友達の美弥の話をふと切って修也を見つめた。
「あ・・・っと、どないした?」
修也はふっとあたしに視線を戻して尋ねる。
・・・そうや。視線を戻したんやわ、今。
戻したってことは、外れていたって事で。
それはいつも話を聞いてる修也ではありえない事。
「修也、なんかあった?」
多分今までのあたしやったら聞かなかったことやと思う。
それを聞いたのは、昨日美弥が言ってくれた『テレパシーなんかない』って話のおかげ。
「なんかって?」
「う~ん。気のせいかも知れんけど・・・修也なんかいつもと違う気がする」
あ。やば。
黙り込む修也を見て『言わなきゃよかった』といつもの弱気なあたしが出そうになる
「・・・ごめん気のせいかなっ」
また自分でごまかして。・・・修也のテリトリーを犯さないように。
修也の無言のバリアを感じるのはこういうところだ。
「・・・いや、なんかなぁ」
珈琲を一口含むと修也は照れたように笑って見せた。
「昨日高校の時の連れに会ったって言うたやん。そいつ結婚して子供もできててさぁ」
「そうなんやぁ」
・・・まあ。修也の年齢だったら普通だよね。
「うん。なんやろ、ちょっとショックだったって言うか」
「ショック?」
「俺はまだ結婚とか子供とか考えたことなくてさ」
・・・う。なんだがずどんと来たで。
やっぱりなって思いながらも、何だ、このずどんって感じは。
もちろん修也と結婚とか考えていたわけやない。まだそこまで思いは届いてへん。
・・・でも。
自分がショックを受けたことで、自分の本当の気持ちを知ったような気がした。
「・・・そうなんや・・・」
呟くように相槌を打ちながら、あたしは水の入ったグラスを口に運ぶ。
唇をつけてできた水の波紋に意識を集中して、修也の言葉にショックを受けていることを悟られまいとする。
・・・あたし、上手くできてるだろうか。
「うん。独り身は気楽だしね。35にもなって何寝ぼけた事ゆうとんねんって感じやろ?」
そう言って修也に笑われてしもたら、あたし、笑うしかないじゃない。
「ほんまやわ。ええ年してがきんちょみたいな事ゆうとったらあかんで」
・・・半分冗談。半分本気。
男はいつまでも少年だってね。・・・いつか自分の本の中で使ったフレーズを思い出す。
そんなフレーズに逃げてんじゃねぇぞ、こら。と意地悪な気持ちがあたしを襲った。
目の前の大人の姿をした少年とやらは、何も気付かずいつもの笑みを浮かべている。
「そろそろ飯、行くか?」
「あ。あたし生中ください」
飲まないくせに、ゆっくりできるからと言って何度か行った居酒屋。
ドリンクのオーダーを取りに来た男の子に、修也がウーロン茶を頼む。
いつもなら「あたしも」と言うんだけど、なんだか今日は言いたくなかった。
「瑞穂って飲めるんだ?」
意外そうな顔をして修也があたしに尋ねる。
「飲めるよ。だから最初に誘った時飲みに行きましょうって言ったやん」
「ああ。そやった。そやけど一回も飲まへんから、飲めないんやと思ってた」
・・・飲まない相手に合わせてただけです。
お絞りで手を拭きながら、また心の中の声がする。美弥さん、これも言うべきですか?
「修也も飲めば?飲めないわけじゃないんやろ?」
枝豆と、唐揚げと、刺身の盛り合わせと・・・なんて、飲みもしないのに酒の肴を注文した修也に、あたしは言ってみる。
修也はあたしのビールジョッキに目をやり、そして少し困ったような表情をして。
「うーん。俺はええわ」
「なんで?弱いの?」
「弱いかどうかもわからん。飲んだことないし」
ええ?飲んだことがない?
「一回もないの?」
「う~ん。学生時代に何回か、一口二口はあるけどなぁ」
「で、弱かった・・・とか?」
真っ赤になっちゃったとか、べろべろになっちゃったとか。
ま、まさか、何かすごい醜態さらした事があるとか。
あたしの中に色々な想像が渦巻く。
「いや、そんなことはないねんけど。なんか、怖いやん」
・・・へ?怖い???
あたしがよっぽどきょとんとした顔をしていたのだろう。
修也は少し笑いながら恥ずかしそうに頭をかいた。
「アルコール入ると、何て言うんかな、気が大きくなるって言うかそんな感じになるやん」
うんうん。それはわかる。
それがまた、良いところでもあるんだもん。
「何でも言いそうになるし」
・・・あたしは何でも言ってほしいぞ。
「余計なことまで言うてしまうかも知れんやん。それが怖い気がする」
・・・。
なに。それ。
あたしが今まで感じてたのは、これだったのか。
修也が発しているような気がしていた、見えないバリアのようなもの。
「・・・そうやって」
あたしはいつもなら言わない気持ちを声に乗せる。
・・・だって、あたしは今アルコールが入っているから。
余計なことを言っちゃうのかもしれない。
「そうやって修也は、今まで人と一線引いてきたんだね」
驚いたようにあたしを見た修也の目が、初めて笑っていなかった事にあたしは気付いていた。